第174話 挨拶
トントン
「ヒロさーん。もう大丈夫ですかー」
ドア越しにナルから声がかかる。
「ああ、もう大丈夫。入ってきてもいいよ」
ガチャ
タン、タン、タンッ、スタ
扉が開くと同時に、テルネのラビットが駆け寄って、ベットに飛び乗る。
そして、テルネの寝顔に鼻を近づけてフンフンと臭いを嗅いでいる仕草。
いや、別に変なことはしていないからね。
「あー、テルネの顔色が良くなってますー!」
ラビットの後から入ってきたナルは、テルネの寝顔を見て、嬉しそうな声をあげる。
ラビットと同じようにテルネのベットに駆け寄ると、額に手を当てテルネの熱を測る。
「良かったー。熱が下がってますー。もう駄目なのかと思っちゃってー・・・」
それだけ言うと、ナルは気の抜けたような表情で、床に座り込んでしまう。
それまで気を張っていたのだろう。安心したことで緊張の糸が切れてしまったようだ。
しばらく俯いていたナルは、そのうち涙で頬を濡らし始める。
そっか。多分、テルネの面倒はナルが看ていることが多かったんだろうな。
今まで看病してきたテルネが元気になれば、そりゃ泣く程嬉しくなるか。
少しの間、ナルが泣き止むのを待つことにする。
慰めの言葉をかけることも、抱き寄せることも、肩を抱くこともしない。
悲しんでいるわけではないのだ。彼女に必要なのは感情が落ち着くまでの時間だけのはずだから。
それに俺は俺で考えないといけないことができた。
先ほど使用した『招幸運の術』があと1回くらいしか使えないことが、何となく分かってしまったのだ。
できればトールを除く、チーム全員にかけることができればと思っていたが、予想以上に幸運の絶対量は少ないらしい。
ただし使い切ったら、もう一生使えなくなるというわけではない様子。
おそらくリキャストタイムがある呪文のように、しばらく時間を置けば再度使用できるようにはなると思う。
しかし、1日や1週間で回復するような物ではないようだ。
この術をチームトルネラの皆にかける機会は今しかないだろうから、この術をかけることができるのはあと一人だけ。
さて、その残り1回の『招幸運の術』を誰にかけようか。
もちろん、この術がないと絶対に幸せになれないというわけではない。
幸せになる為の道への、後押しくらいの効力しかないはずなのだ。
それでもこの厳しい世界を生き抜く助力の一旦くらいにはなる。
できれば俺の親しい人や恩のある人で、明らかに幸せになりそうに無い人を選びたい。
では、目の前のナルはどうだろうか?
彼女にはお世話になったし、根っからの善人でもある。そして、この世界での俺のファーストキスの相手・・・不意打ちだったけど。
別に悪くは無いと思うが、これという決めてがあるわけではない。
ジュードやザイード、デップ達やピアンテより優先する理由があるがかと言われると、決定打にかけてしまう。
それに、なんとなくではあるが、ナルは要領の良いタイプだと思うから、こんな術が無くても幸せになれるような気がしている。
うーん。これは少し保留とするとしよう。
「ヒロさーん。ありがとうございますー」
まだ頬に涙の跡が残るナルは、俺の手を両手に握りしめながらお礼を言ってくる。
「いや、別に何かをしたわけじゃないよ。偶然テルネの体調が良くなっただけさ」
我ながらワザとらしいが、とりあえず外向けにはそういうことにしてほしい。
「えへへ、そうでしたねー。デップ君達の時もそうでしたしー。でも、これは私が勝手に勘違いしてお礼を言っているだけなんですよー」
俺の言いたいことが伝わったようだが、それはそれとして、ナルは俺にお礼を言いたいのだろう。
「ヒロさんには、本当に返しようもないくらいの恩が一杯できちゃいましたー。私ができることなら何でもしちゃうんですけどー」
ナルは少しだけ寂しそうな表情を浮かべて、
「私じゃあヒロさんのお眼鏡に適わないみたいですしー。私が雪姫さんくらい美人だったら、良かったんですけどー」
「いやいや、そんなことないって。ナルも可愛いよ!・・・その、俺が手を出さないのは別の理由があって・・・」
「フフフ、冗談ですよー。ヒロさん、そんなに慌てなくてもいいですからー」
ナルはコロッと表情を変えて、にこやかな笑顔を見せる。
あ、騙された!
からかわれているなあ。
やっぱりナルは大丈夫そうだ。おとぼけに見えて、結構しっかりしている。
彼女はこのアポカリプス世界でも幸せに生きていけるだろう。
それにしても、このやり取りはさっきのサラヤの似たような感じ。
俺が2人に手を出さないのは、俺が面食いだと思われているのだろうか。
サラヤもナルも十分魅力的だ。
もし、俺だけを好きだと告白してくれたのなら、一緒に連れ出してしまおうかと思ってしまうくらいに。
もちろん、2人からは俺への好意を感じるが、それは俺だからというよりも、チームへ貢献とか、感謝とか、恩義とかが混じっているんだよな。
俺の能力とか、チートスキルとかじゃない、俺という人間を見て好きと言ってくれる人はいないのだろうか?
俺自身、能力やチートスキルに頼りっぱなしだから、随分と都合の良いことを言っているのは理解しているが。
テルネの部屋から出ると、白兎が俺を待ってくれていた。
「待たせてすまないな。さっきは助かったよ」
身を屈めて白兎の頭を撫でてやる。
全く持って万能選手に育ったものだ。
戦闘に、警戒に、鍵開けに、交渉までできるなんて、お前は何て器用万能なんだ。
ネックは、その貧弱な装甲ぐらいだろう。
戦闘においてもある程度であれば、スキルで対応できるところもあるだろうが、明らかな格上や、重量級が相手ともなるとそうはいかない。
追加装甲やオプションパーツでは強化するにも限界があるだろう。
俺やヨシツネが一蹴できないような敵を相手にする場合は、七宝袋にしまっておくしかないな。
まあ、街中にいる限りはそんな状況にはならないだろうし、白兎はシティアドベンチャー専用キャラとして、活躍してもらうことにするか。
では、早速俺のお供周りがお仕事だな。
「俺はこれから皆に挨拶に行くつもりだけど、お前も来るか?」
俺の問いかけに、『もちろん!』と答えるように耳をピンと立てる白兎。
「よし、一緒に行くか。あいさつ回りだ」
白兎と一緒に3階から2階へ降りたところでジュードと鉢合わせする。
「あ、ヒロ。ひょっとして、もう出発なのかい?」
ジュードは外出用の格好で応接室に入ろうとしていたところのようだ。
そう言えば、サラヤがジュードと一緒にバーナー商会へ行くと言っていたな。
もう2人で出かける時間なのだろうか。
「いや、もう少しだけいる予定。魔弾の射手の人が連絡に来てくれるはずなんだ。多分、もうそろそろだと思うけど」
「アデットの所?魔弾の射手と街を出る予定なの?」
「雪姫さん関係の依頼を受けてね。それで魔弾の射手が車を出してくれることになったんだ」
「へえ、それは凄い。あそこは装備は色々そろっているからね。拠点には車も一杯置いてあるし」
ジュードは魔弾の射手の拠点に行ったことがあるようだな。
・・・アテリナ師匠とも会ったことがあるのだろうか?
「そういえば、ジュードはアデットに妹がいるのを知ってる?」
「アデットの妹?ああ、聞いたことがあるくらいかな。優秀な自慢の妹だって」
ほっと安心のため息を一つ。
アテリナ師匠がジュードを見たら、惚れてしまうかもしれない。
それはサラヤの為にも避けなければならない事態だろう。
アテリナ師匠には申し訳ないけれど。
「アデットから会ってみないかって勧められたことがあったね。断ったけど」
ナイス判断!やるな、ジュード!
「アデットの妹がどうかしたの?」
「ちょっと会う機会があってね。知っているならどんな人なのかを聞きたかっただけだよ。割と凶暴で、すぐ勝負を吹っかけてくるような人だから、できるだけ会わないようにした方がいいぞ」
アテリナ師匠、すみません!後で謝りますので!
「うわあ、そうなんだ!アデットの妹だから美人なのかなって思ってたけど、それはちょっと勘弁してほしいな。ありがとう、ヒロ。会わないように気をつけるよ」
俺の言葉を信じ切っているように見えるジュード。
まるっきり嘘じゃないぞ。アレで結構バトルマニアだからな。
「ああ、そうしてくれ・・・そう言えば、サラヤとバーナー商会へ行くんだっけ?時間は大丈夫か?」
「え!あ、本当だ。もう行かないといけないや。ごめん。ヒロの見送りはできそうにないかも」
「いいよ。これが最後ってわけじゃない。それに、離れていたって相棒なのは変わらないだろう。お互いが名を上げれば自然と会う機会も出てくるはずだ」
「・・・そうだね。僕もヒロに負けないように頑張るから。次会うのは一人前の狩人になった時だ。その時を楽しみにしているよ」
どっちが言い出した訳ではないが、お互いに突き出した拳を合わせて、別れの挨拶とする。
自然と笑みが零れ、共に戦った時間が脳内を駆け巡る。
俺にとってのジュードは、この異世界で初めて戦場を共にした戦友ともいえる存在だ。
また、経験不足であった俺に色々と指導してくれた恩もある。
しかし、彼は俺の相棒だ。対等である相棒なのであれば、俺の弱者への施しにも近い『招幸運の術』なんて必要はないだろう。
それに恋人のサラヤには授けているんだから、一緒にいるジュードもある程度はカバーもできるはず。
お前なら俺のお節介が無くたって大丈夫だ。
何せ俺の『相棒』なんだから。
「ジュード。サラヤを幸せにしろよ」
「もちろん。僕がヒロに勝った唯一の成果だからね」
「フンッ!絶対サラヤより美人の恋人を見つけてやる!」
「あははは、それは難易度高いと思うよ。まあ、精々頑張ってよ」
ジュードのいつもの穏やかな笑顔。
もう未来視で見た陰気な顔と重なることは無い。
軽口のたたき合い。
それが俺とジュードのしばしの別れの挨拶となった。
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