第172話 幸運
トントントン
「サラヤ、ちょっといいかい?ヒロだけど」
応接室のドアをノックして声をかける。
「ヒロ?どうぞ、開いているわ」
中からいつもと変わらないサラヤの声。
別に怒っているわけではなさそうだ。
ガチャ
ドアを開けて応接室に入ると、サラヤはソファに座って書類を相手に事務作業中だった。
「どうしたの?昨日はあんまり寝てないんでしょ?仮眠でも取った方がいいと思うけど」
俺の方に眼を向けてくれているものの、その手には書類を持ったまま。
忙しいのだろうか。ならばさっさと済ませておいた方がよいな。
「えっと・・・勝手に抜け出してごめんなさい。サラヤには随分迷惑かけたみたいで・・・」
「ええ!わざわざそれを言いに来てくれたの?別にいいのに。アレは私の早とちりだったから」
「それでもだよ。今はまだチームトルネラの一員だしね」
「『今はまだ』・・・そっか」
そう呟くと、サラヤは事務作業の手を止めて、ソファから立ち上がる。
そのまま俺の前まで来くると、手をぎゅっと握ってくる。
「今までありがとう。ヒロがいたおかげで、チームはここまで持ち直すことができたわ」
何度サラヤにこうやって手を握られただろう。
手を握られる度に、俺はドキドキしていたことを君は知っているのかな?
「貴方がいなければ、ジュードは無理をして大怪我をしていたのかもしれないし、私もナルも身売りをしていたかもしれない」
多分、そうなっただろうね。未来視で見た俺がいないチームトルネラの未来は暗い。チームトルネラと悪い関係ではなかった魔弾の射手のルートですら、資金繰りができなくなって解散していたんだから、もし俺が、黒爪団やチームブルーワ、青銅の盾に入っていたら、絶対無事では済んでいないだろう。
「そう考えれば、デップ達の最大の成果はヒロをスカウトしてきたことかもね」
そう言って悪戯っぽく微笑むサラヤ。
俺をチームトルネラに連れてきたのはデップ達だったな。
最初は憎たらしいガキどもっといった感じだったけど、最初に俺をチームの一員として認めてくれた。
「チームトルネラの未来は明るくなった。それも全部ヒロのおかけ」
「いや、それは違う。俺1人の力じゃないさ。皆が力を合わせることができたからこそだよ」
幾分照れ臭くなってきたこともあって、つい、日本人らしい謙虚さを発揮してしまう。もちろん、俺の力は大きいけど、それだけじゃないのは間違いない。
「ふふ、ヒロは相変わらずね。ねえ、知ってる?私、いつもヒロが報酬を受け取ってくれないことに悩んでいたんだから」
「ああ、それは・・・」
「一番活躍しているヒロが報酬を受け取ってもらえないと、他の人が気まずくなっちゃうんだからね。きちんと働いた分の報酬は受け取ってもらわないと」
・・・それは、痛いほど感じることができた。
報酬を受け取らないという謙虚さは、時には組織にとって、良くない結果を生み出すものだ。
でも、普通にサラヤやナルを抱いていたら、今のような関係は築けなかったように思う。
「どうする?今からでも遅くは無いけど、受け取っちゃう?」
サラヤがにっこりと微笑んで、爆弾を放り込んでくる。
実はさっきからちょっとムラムラしてまして・・・
とはいえ、せっかくここまで我慢してきたのに、ここでイメージを崩すのもなあ。
ここでサラヤを抱いたら、もう二度とジュードと友人関係を結べないような気がする。向こうの問題ではなく、俺の問題だ。俺はそう簡単に割り切れる性格ではないのだ。
「もう十分お腹いっぱいだよ。皆から貰い過ぎで、お腹がはち切れそうなんだ」
本当に皆から色んなものを貰うことができた。
宝貝的にも、思い出的にも。
「もう・・・そう言うと思ってた。ヒロじゃなかったら、自信を失っていたところかもね。それとも、ヒロから見て私は魅力的に見えないのかな」
「いや・・・サラヤはとっても魅力的で・・・」
「もうお世辞はいいですよーだ」
悪戯っぽく口を横に広げて、俺のしどろもどろの返事を一刀両断するサラヤ。
はははっと笑いなが誤魔化すしかできない俺。
敵わないなあ、サラヤには。
多分、こうやってジュードも尻に引かれているんだろうな。
「あ、そうだ。さっきヒロは私に謝りに来たのよね。ルールを破ったことで」
「え、そうだけど・・・」
俺の返事を聞いて、サラヤはニヤリと悪そうな笑みを浮かべる。
「じゃあ、ヒロ。貴方にルールを破った罰を与えます。さあ、目を瞑って直立!」
「は、はい!」
なぜか逆らえない。反射的に、サラヤの言う通りにしてしまう。
これがチームトルネラのリーダーの威厳という奴か!
そして・・・
チュッ
目を瞑った俺の唇に押し付けられる、湿った感触。
思わず目を開けると、至近距離にサラヤの顔。
ほんの一瞬、視線が交差する。
いや、一瞬だったけど俺にとっては、この異世界に来てからの日数分を感じるに十分の時間だった。
彼女の瞳に映る感情は何だろう?
対して俺はどのような目で彼女を見ているのか?
俺への罰を済ませ、俺から離れたサラヤは少しばかり顔を赤らめている。
俺も多分顔を真っ赤にしているだろう。
2人だけの部屋で、顔を赤らめている男と女。
10秒程無言の時間が流れて・・・
「今まで、ずっとヒロに驚かされっぱなしだったから、これくらいの反撃はしてみたかったの」
少し目線を反らせながら、サラヤが言葉を紡ぐ。
「・・・うん、びっくりした。心臓が飛び出すかと思ってしまうくらいに」
「・・・そう・・・そっか・・・上手くいったみたいね」
「うん。上手く行ったと思うよ・・・最後にやられたなあって感じ」
「やっぱり負けっぱなしは悔しいから・・・最後くらい・・・私に・・・」
ジワリとサラヤの目に涙が貯まっていくのが分かった。
ああ、イケナイ!サラヤを泣かせては駄目だ。
そんなことになったら俺は・・・また・・・
何か話題を変えないと・・・そうだ!
「サラヤ!あの・・・テルネのお見舞いに行ってもいいかな?」
「え、テルネの?お見舞い?」
少し涙声になっていたが、それでもテルネの話題を出すと、すぐにリーダーとしての顔を見せてくる。
「そうだよ。『お見舞い』に行きたいんだ。デップ達と同じように!」
「・・・ヒロの『お見舞い』なのね。大丈夫なの?」
少しばかり心配そうなサラヤの表情。
「実はテルネは熱を出して寝込んでいるの。今はナルが看てくれているんだけど」
ひょっとして俺が出ていくことを知ったから、それで精神的に落ち込んだことが原因かもしれないな。
「大丈夫。俺に任せておいてくれ。きっとテルネは元気になるさ」
「・・・じゃあ。お願いする。ヒロ。何から何までありがとう」
これは俺の義務だからな。テルネを元気にしないと後味が悪過ぎる。
数年後にここへ顔を見せた時は、ぜひ、元気な皆の姿に会いたいから。
「あとね、ヒロ。私はこれから書類整理して、それをジュードと一緒にバーナー商会に持って行かないといけないの。ヒロがもし、夕方までに出発するんだったら、これが最後かもしれない」
「そうか・・・多分、魔弾の射手から人がこちらに来ることになっているんだ。その人と一緒に出ていくと思うから、いつになるかちょっと分からない。でも夕方よりは早いと思う」
「そう・・・もうこれがヒロと会える最後なんだね」
いつの日か見た、サラヤの透明感のある笑み。
何かを諦めて、でもそれを受け入れている表情。
とても綺麗だと思うけど、俺が好きな笑顔はそれじゃない。
サラヤは順当に行っても、あと数年で娼館に入るはずだ。
そして、サラヤが娼館に入ったルートでは、何年後かに死亡してしまう。
俺が聞いた話では事故だということだが、果たしてそうなんだろうか。
以前、総会で煽られていたが、サラヤが娼館に入れば、チームトルネラに恨みを持つ奴が客としてくる可能性が高い。
しかも、今のチームトルネラは、チームブルーワと青銅の盾の襲撃メンバーを全滅させて非情に恨まれていると言っても良い。
そんな状態の中、サラヤが娼館に入れば、どうなってしまうか一目瞭然だ。
もしかしてサラヤは自分の運命をある程度把握しているのかもしれない。
それゆえの自分を顧みないチームへの貢献なのかも。
だが、俺はそんな運命を認めない。
サラヤはジュードと幸せになるって俺がそう決めたのだから!
「いや違う。最後じゃない。俺は何年後かに、この街に皆の顔を見に帰ってくるつもりだ。それにジュードも稼ぎを増やすつもりだし、まだ諦めるのは早い」
俺が強い口調で話すと、サラヤは少しばかり驚きの表情。
「きっと、俺が帰ってくる頃には、サラヤはジュードの建てた家で家事をしているはずだよ。ひょっとしたら子供でもできているかもしれない」
「・・・・・・・」
「だから、そんな顔をしないで。俺がそんな運命を認めない。サラヤはジュードと幸せになるんだ!」
俺は感情を高ぶらせたまま、おもむろに自分の親指の腹を噛みちぎる。
「ちょ、ちょっと。ヒロ!」
俺の突然の行動に、驚くサラヤ。
別におかしくなったわけじゃない。
術には触媒がいるんだ。効果が一瞬でない術には効果を安定させる為の楔が必要となる。以前行った招運の術のように、紙みたいな媒体を通すことも考えたが、こっちの方が直接的だろう。
俺は痛いのが嫌いだし、痛みを我慢するのは得意ではない。でも、サラヤが不幸になるのはもっと我慢できない。
この世界でも最強に近い、そして、神秘に満ち溢れた俺の血肉は触媒としては最高峰であろう。拠点への道中、色々考えていたが、これが最も効果的で効率的なのだ。
「ごめん。驚かせちゃって。ちょっとした願掛けみたいなものなんだ」
「願掛け?でも、そんなに血が出ちゃって・・・、包帯あったかな?」
サラヤは立ち上がって、後ろの棚の方に向かう。
よし!今がチャンス。
自分の親指の腹から流れ出す血を人差し指で掬い、手のひらに『幸運』の文字を描く。
そして、こちらに背を向けているサラヤに手のひらをかざし、祝詞を唱える。
『サラヤの未来に幸運あれ!』
ピカッ
目も眩むような真っ白な光。
そして、一瞬だけど見えた未来のサラヤ。
幾分歳を重ねたジュードと2人。
カフェのような店舗内でお茶をしている様子。
その2人の表情は幸せそのもので・・・
「早く手当しないと・・・えっと、確かこの辺に・・・」
サラヤが慌てながら棚の中を探っている。
その様子から、先ほどの光は見えていないようだ。
やはり、ディックさんの時の鶴と同様、さっきの光は俺以外の人には見えないものなのだろう。
これで、サラヤへの用事はすべて終了。
これ以上、ここに留まるのは未練たらしくなるだけだろう。
「サラヤ。これくらいの怪我は大したことが無いよ。それより、今からテルネの部屋に行くね」
そう声をかけて、俺は部屋を出ようする。
「ちょっと、ヒロ。でも・・・」
手に包帯らしきものを持ったサラヤが何か言いたそうにしているが、それを制して、部屋の外に出る。
バタン
外に出て、扉を閉めると同時に俺の目から一筋の涙が零れた。
「良かった。サラヤ、お幸せに」
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