第106話 窮地
今、俺は白い津波、雪姫が従える白いラットの群れに飲み込まれようとしていた。
あと数秒後には、全身をラット達に集られて、その鋭い牙でズタズタにされるだろう。
絶体絶命の危機に、俺の思考は超加速の域に入り、周りの時間がゆっくりと流れているような感覚に陥っている。
駄目だ。いかに仙衣を着ていようと、あれほどの群れに飲み込まれてしまえば、服の中まで入り込まれ貪り食われてしまう。
縮地で逃げ出せないか?
無理だ。俺は立ち上がっていないし、周りを囲まれてしまっている。
莫邪宝剣で切り伏せられないか?
あの群れを剣で撃退するのは難しい。七宝袋から抜き打ちしても、精々倒せるのは10体程度だ。残りの群れが俺に襲いかかってくる。
他の宝貝は?金鞭は?降魔杵は?
発動までにタイムラグがある。間に合わない!
陣は?風吼陣ならば?
俺は今、倒れ込んでいる。円を一瞬で描けない状態だ!
ならば、逃げ出すことはできないのか?
どこへだ?もう周りは囲まれているし、倒れているから、飛び上がるのも難しい。もう逃げ場なんて地面の下くらいしか・・・
ああ、『地行術』があった!
封神演義において、土行孫が使用していた土を通り抜け、地中を自在に進むことができる術だ。
使いたくなかったが、もう迷ってはいられない!
「地行術!」
その瞬間、俺は地面の中へとずぶりと飲み込まれていった。
恐る恐る目を開ければ、そこは薄暗い空間。
プールに飛び込むような感じで、思わず目を瞑ったまま『地行術』を発動させたが、どうやら水の中とは違い、呼吸もできるし、目に砂や土が入ってくることもなさそうだ。
感覚的には密度の非常に薄い水の中にいるようなといった感じだろう。
手足はやや抵抗を感じるものの自由に動かせるし、ある程度の視界も確保できている。
上を見上げれば、ラットの群れが俺が居たであろう場所で蠢いているのが見える。
どうやら間一髪だったようだ。
しかし、地中に居ながら地上が見えるってどういう理屈だ。
俺自身が透視を使えるようになったわけではなさそうだし、そもそも地中で目を開けていられるのがおかしい。
おそらく、ただ地中に潜ったというよりは、概念的な地中世界という別次元に移動したのではないだろうか。
現実世界からほんの少しずれた空間にある位相に潜り込んだといったところか。
まあ、適当にSFチックなそれっぽい単語を並べているだけだけど。
しかし、本気で俺を殺そうとしてきやがったな。あの女。
さっきまで何となく俺を痛めつけて謝らせてやろうといった感じだったが、いきなり殺意マシマシの攻撃をしかけやがって!
俺が挑発したのもあるだろうが、あそこまで怒るようなことかよ!
そう、それくらいで命を『奪おう』とスルナンテ!
俺の中の内なる咆哮からの圧力が強くなる。
ぐうっ。ちょっと待って。まだ、まだだ。
俺の中の内なる咆哮は『殺される』ということよりも、『奪われる』という言葉に強く反応する。
そう俺が受け取ってしまう行動や、具体的に俺から物を奪おうとする行為に対して、強烈な殺意を対象に抱くようになる。そして、その対象が俺に攻撃しかけようとする時に、俺の中で激しい殺害衝動が湧き上がってくる。
また、最も衝動が大きくなるのは、言葉による『奪う』に類する発言だ。これはたとえ軽い冗談でも反応してしまうくらいに過敏になってしまう。
これを雪姫の口から聞いてしまったら、もう止められないだろう。
この雪姫との諍いは、なんとか穏便に終わらせてしまいたいのだけれど。
性格はサラヤが言っていたほど良い人でもなさそうだが、それでもあの美貌と能力は捨てがたい。
それに男として、女性を殺してしまうのは抵抗があり過ぎる。
しかも、相手は15歳くらいの少女だぞ。
意趣返しくらいはしてもいいが、命を奪うのはやり過ぎだ。
たとえ向こうがこちらを殺そうとしていてもだ。
男として生まれた以上、それは仕方が無いことだと思う。
・・・俺ってやっぱり甘いのかな。
確かに雪姫は俺を殺そうと仕掛けてきた。
しかし、それでもまだ、俺自身、雪姫のことを諦めきれていないのだ。
現実として殺されかけたという印象が薄いからだろうか。
さっきはかなり焦ってしまったけど。
でも直接、雪姫から殺意をぶつけられたわけじゃないし、傷一つ負ってもいない。
それに、あれほどの美少女を殺すはあまりにも勿体ない。
彼女を失えば、彼女レベルの女性に出会うことは二度とないかもしれない。
これは俺の未来を守る為でもある。
何とか周りの機械種だけでも破壊できれば、無力化できそうなんだが。
とりあえず、あのラットの群れを片付けよう。
俺には多数相手に有効な飛び道具がある。
あの辺りでいいか。
潜り込んできた場所から移動する為、地中を泳いで進んでいく。
どうやら地中から地上への攻撃は出来そうになかった。
『地行術』で地中に居る間は、他の術を使うことができず、七宝袋から物を取り出すこともできないようだった。
もし、それが可能であったら、戦争初期の潜水艦のように敵へ一方的に攻撃をしかけることができたのだが。
元の場所から20mくらい離れた、俺の身を隠すことができるくらいの瓦礫の傍へ浮上する。
水面から出るように手を地上へ出した瞬間、体全体が地中から弾き出された。
おっと、準備がまだなんだ。今見つかる訳にはいかない。
体勢を低くして瓦礫に隠れ、七宝袋から金鞭を取り出す。
狙うは白く蠢く泡のように団子状態になっているラット達。
どうやら俺が沈み込んだ地中を掘り返しているようだ。
コイツラはまとめて始末しないと厄介だ。
これで一網打尽にしてやろう。
両手に持った金鞭に力を注ぎ込んでいく。
パリパリと金色の電流を走らせる金鞭。
初の実戦使用だから気合が入っているようだ。
よし、お前の力を見せてやれ!
「吼えろ!金鞭よ!」
その瞬間、空間を引き裂くような轟音が響き渡る。
両手に構えた金鞭から黄金の稲光が前方へ放射され、一ヶ所に固まる数十のラットの群れの中心へと直撃。
バチバチバチバチバチバチバチッ!!!!
金属と電気が干渉し合った甲高いスパーク音が耳を刺激する。
金色の電撃は群れ全体を包み、打ち上げ花火が地上で点火したような輝きを生み出した。
その後に漂う何かが焼けたような臭い。
数十のラットの群れ全体が電撃によって蹂躙され、内部まで焼き尽くされたようだ。
ひゅー。流石、機械には電撃が良く効くなあ。
ゲームに出てくる大抵の機械やロボットの弱点は電気だからな。
金鞭は対機械種相手にはかなりの威力を期待できる。
「・・・いつの間に抜け出したの?」
雪姫は蒼氷色の双眸を大きく開き、驚いている様子。
「貴方、電撃を放つ発掘品も持っている?その他にもあるの?」
それを教えたら全部取り上げるつもりだろう。
「まあいい。それは貴方を痛めつけてから調べてしまえばいいこと。パサー、やって」
ワーパンサーの機械種へ指示を飛ばす雪姫。
光学迷彩とやらで姿が見えないが、こちらへと向かって来るようだ。
んん?どうやら光学迷彩といっても完全な透明になるわけではなさそうだ。
よく見れば、周りの風景とほんの少しだけずれが見える。
まあ、それでも見えにくいことには変わりは無いし、こちらも意識して見ようとしないと分からないくらいだが。
おっと。
目の前の地面が透明な足に踏み込まれたのを見て、両腕を顔面のカバーに回す。
ボフン!!
おっ!どうやらボディーブローを食らったようだ。
殴られるのは分かっていたから全身の力を込めていたおかげで、痛みは全くない。
風船がお腹に当たったくらいの感触だ。
もちろん、仙衣の防御力があってのことだろうが。
その後に繰り出されるパンチの嵐。
たまに横腹や腿、脹脛へ蹴りが飛ぶ。
俺はひたすら顔面をカバーして防御態勢を取る。
たまにカウンターを狙ってみるが、全くかすりもしない。
どうやらワーパンサーの機械種はかなりの格闘スキルを保有しているようだ。
格闘技には全く素人の、俺の分かりやすいテレフォンパンチなんか当たる訳が無い。
さて、どうするか。
見えない相手、格闘技の達人、リーチの差。
パワーとスピード、防御力では俺が圧倒しているものの、それ以外は全てダブルスコア差以上で負けていそうだ。
同じ素手では勝ち目がないから、莫邪宝剣を取り出そうと思ったが、万が一、武器を狙われて、奪われてしまったら大変だ。
なにせ見えない敵なんだ。隙を突かれてしまえば奪われてしまいかねない。
その場合は間違いないく俺はなます切りにされてしまうだろう。
できれば相手の位置を特定させて、動きを封じるようなものはないか。
禁術は相手が見えていないと使えないし。
動きを封じる・・・動きを止める・・・動きを鈍らせる・・・!!!
ふむ。やってみるか。
チラリと両腕の隙間から雪姫の方を伺ってみる。
俺がワーパンサーに一方的に攻められているのを高みの見物と洒落込んでいるようだ。
キキーモラとウルフの2体を護衛として貼り付かせ、最大の戦力であるワーパンサーをワントップで攻めさせる。
これが雪姫の本来の陣形なんだろう。これに加え、先ほどのラットの群れを遊撃として使用していたのではないだろうか。
ふん。その澄ました顔をちょっとくらいは歪ませてやらないと気が済まないな。
では、度肝を抜くようなもので、あっと言わせてやるか。
ワーパンサーは俺を中心に3mくらいの円を描くように、周囲を回りながら攻撃を加えてくる。
俺はおよその見当をつけて、防御しているが、3発のうち2発は攻撃をまとも喰らっている有様だ。
今のところダメージらしきダメージは無いが、やられっぱなしなので、そろそろ俺の苛つき具合も限界に近い。
派手にぶちかましてやるからな。ワーパンサーのパサー君。
俺は七宝袋からこっそり降魔杵を取り出して左手で握った。
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