第29話 危機


 この異世界に来て5日目、チームに入って4日目の朝が来た。


 顔を洗って、歯を磨く。


 歯ブラシはチームに入った初日にトールから置き場所を教えてもらっている。

 番号が振ってあって俺は31番。針金でたわしの毛をまとめただけのものだが、それでも用は十分に足せている。


 歯磨き粉は箱の中に無造作に入れてある研磨剤のようなもの。

 現代の物とは違い、味も臭いもなく、効果があるのかどうか不明。

 それでも周りの皆がそうしているので、そうすべきなんだろう。




 そして、トイレで少しだけ時間を思考に費やす。


 考えることは昨日の夜のことだ。

 なぜ、昨日はあんなに心が乱れてしまったのか?


 決まっている。

 『ちょっと可愛い女の子と長い間しゃべっただけで、好きになってしまう』現象のせいだ。

 そして、『女の子が笑顔を向けてくれた or 優しい言葉をかけてくれただけで、俺のこと好きになったのかもと思ってしまう』現象も併発していた。


 ああ………、何が「俺への好感度は高くなっているだろう」だ。


 勝手に妄想しているだけじゃないか。

 何が『もう迷わせないでくれ!』だ。自分で勝手に迷ってるだけだろう!


 朝から自己嫌悪で死にそうだ。

 もうこのまま一生トイレに籠っておきたい。




 ドンドンドン!




 トイレのドアが叩かれた。


 すみません。すぐ出ます。







 はあ……、テンション上がらない。

 今日は休みたいな。


 と思いながらも、預けていたものを受け取る為、食堂へ向かう。


 ナルがブロックや装備を渡してくれたが、いつもの獲物を入れるためのずた袋が大きなナップサックに代わっていた。



「これは?」


「あー。サラヤがヒロさんの袋をもっと大きなものにしなさいってー」


「なるほど。確かに今までの袋はちょっと小さかったし」


「これが一番大きな袋なんですー。実は初代トルネラさんが使っていたーって話もあるんですよー」


「え、そんな貴重なものを……俺に」



 期待が大きいな。

 ちょっと尻込みしてしまう。


 確かに年季が入っていて、擦り傷や補修跡はあるものの作り自体はしっかりしている。

 これなら多少大きい獲物でも入りそうだ。



「ヒロさん、無理しないでくださいねー。私はフルーツブロックはもう少し先でもいいですからー」



 少し表情に陰りを見せながらそう言うナル。


 そう言えば昨日はかなり心配かけたんだったな。



「大丈夫。毎回、そんな無理はしないって」


「本当に、本当に、無理しないでくださいねー。どんなに強い人だって、怪我をする時はあるんですからー」



 あの3人の大怪我がそんなに堪えたのかな。随分と心配性だ。



「分かったよ。今日は無理をせずにできるだけ早く帰ることにするから」


「……すみません。ヒロさんはがんばって稼いできてくれるのにー。こんな小言ばかり行ってしまってー」


「いいよ。心配してくれてるんだから。ありがとう、ナル」


「え………、あー………、えへへ」



 俺の感謝の言葉にナルは表情を和らげて照れたように微笑む。


 なんか良い雰囲気。

 前に専用ルートは無いって思ったけど、ファンディスクでは追加されそうだ。


 というか、昨日はサラヤに惑わされ、今はナルに惹かれてる。

 俺ってなんでこうブレブレなんだろうか。

 やはり一度死んでしまった方がいいのかも。



 少しばかりまた自己嫌悪に陥っていると、ナルが何かを思い出したかのように両手をポンッと合わせる。



「ああ、そうだ。ヒロさん、デップ君たちからプレゼントがありますよー。」



 と言って、ナルが鞘に入った大振りのナイフを取り出してくる。


 え? あの3人からプレゼント?



「デップ君達にとっても美味しい物をプレゼントしたんですよね。そのお返しだそうです」



 ナルから受け取ったナイフを鞘から抜いて確認すると、木彫りの柄に刃渡り15cm程の刃が付いていた。


 ちょっと値打ち物のように見えるが、これをあの3人が俺に?



「それ、実はロップさんからデップ君達へ渡されたものなんですよー。あの3人の中で一番強い人が使っても良いそうなんですー」



 3人に渡して、一番強い人にって、結構それ揉めないか。



「そうなんですよー。だからあの3人いつも競い合っていたんですけどー。なんか心境の変化があったのかもしれませんねー」



 大怪我をして考えが変わったのかな?


 それにしてもなぜ俺に。

 そんなに差し入れが嬉しかったのか。

 それとも俺が何かしたとを何となく気づいたのか……



「ふふ、ちょっとうらやましいなー。あの子達にそれだけ慕われて。ああ、そうだー。ヒロさん、私にもイイ物プレゼントしてくれたらー、私もお返しを奮発しちゃいますよー」



 冗談っぽく言って、お願いごとをするように両手を前で組んで、可愛くおねだりしてくる。



 おお、そのポーズ、胸が寄せて上げて状態で……

 うーん。なんでも買ってやりたくなりますなあ。


 あ、イカンイカン、その手口、キャバクラか!

 もう、俺は末期症状だな。女の子ならだれでもいいのか。



 頭を振って一度思考をリセットしてみる。


 どうも俺はテンションが低いと、物事を悪い方向に考えて自己嫌悪に陥ってしまう。



 前はハーレムだとか言っていたくせに。

 今更純愛を気取ってどうするんだ。


 流石にもうこれ以上自己嫌悪に陥っている暇はないぞ。

 早く狩りに出なくては。



 ナルには曖昧に答えるに留めて、食堂を出ていく。


 ジュードはもう先に出て行ったそうだ。俺も急ぐとしよう。


 





 道中、もう一度鞘からナイフを抜いて、刃を朝の陽ざしにかざしてみる。


 虫の剥ぎ取り用に貰ったナイフとは全く質が違う。


 全く刃に欠けたところがないことから、おそらく未使用であろう。

 美しく磨き上げられた刃の側面は、鏡のように日の光を反射している。

 大きさから対人用なのかもしれない。


 どういうつもりでロップという人はあの3人にこのナイフを渡したのだろう?

 そして、あの3人はどうしてこれを俺にくれたのか。


 大怪我したことへの自分たちへの戒めなのだろうか。

 それとも、このナイフとともに何かを俺に託したかったのか。


 ちょっと、悪い気はしないな。おかげで少し気分も晴れ晴れしてきた。

 3人の好意をありがたく受け取ることにしよう。



 この大振りのナイフは渡されたナップサックの中に入れておく。


 どのみち、帰ったら倉庫に銃と一緒に預けるのだ。

 ポケットに収納して預け忘れたら、朝、いつも荷物を渡してくれるナルに不信に思われてしまうかもしれない。 



 今度、ナイフで短剣術の訓練をしてみよう、とか考えながら狩場に向かう。



 さて、今回は昨日みたいに遅くならないよう先に獲物を狩ってしまうことにする。


 もう虫はいいだろう。

 探すのに時間がかかり過ぎる。

 今日はいきなり草原に行ってしまおう。





 草原へ向かっていると、途中、町へ向かっている車を見かけた。


 少し離れていたから気づかれていないと思うが、気をつけるようにしよう。

 禁術を行使するところは出来るだけ見られたくないからな。


 今回は兎にもう一度禁術を試すつもりだ。


 なぜ前回かからなかったのか?

 機械種には禁術が効かないのか、それとも行使の仕方が間違えていたか等を検証してみたい。






 幸いなことに、少し草原に入った所で兎に出くわすことができた。


 お互い気づいたのは同時。間の距離は5m程。

 どちらも一瞬で詰められる距離だ。



 ゆっくりと右手を前に出して、薬指と小指を折り畳み、手のひらを兎に向ける。



「兎よ。動くことを禁じる。禁!」



 やはり、効いていない。

 耳兼アンテナはグルグル動いている。

 そして、前回の時と同様、俺の口訣に反応したのか、兎が飛びかかってくる。



 思わず手刀で叩き落としたくなるが、貴重な実験対象だ。今壊すわけにはいかない。



 余裕を持って躱し、俺を横切る兎をそのまま見送る。

 

 攻撃を避けられた兎は少し離れた所に着地すると、そのまま前足で器用にターンして俺に向き直る。

 


 やるなあ。さすが機械種:ラビットか………ん?


 そうか、呼び名か!



 さっきからつい、兎、兎と呼んでいたが、正式名称は機械種:ラビットだったな。


 ならば、もう一度!



「機械種:ラビットよ。動くことを禁じる。禁!」



 ビクッ!!



 一瞬体が震えたかと思うと、兎は完全に動きを止めた、いや、止めさせられた。



 耳も動いていない。やったか!


 近づいて軽く蹴とばすと、コロンとひっくり返った。




 やはり名前だったか。

 正式名称で呼びかけないと禁術はかかりにくいのかもしれない。

 これは気を付けないといけないな。



 兎をゆっくり持ち上げる。

 このまま生け捕りで持ち帰った方が高く売れるかもしれない…………『ゲシッ!!』 ぶッ!



 持ち上げた兎がいきなり動き出して、俺の顔を蹴りつけてきた。


 口から血が流れだす。唇を噛み切ってしまったようだ。


 思わず兎を手放して蹲る俺、自由になった兎は俺に追撃をかけてくる。

 



 ガツン!!




 頭頂部へ一撃をもらう。

 しかし、当たり所が良かったのか、痛みも衝撃もほとんどない。



 くそ、やられったぱなしはごめんだ!



 再度距離をとって、助走をつけた一撃を狙ってくる兎に対し、手刀で迎撃を行う。




 ザグッ!!




 貫手でカウンターを兎の胴体にぶち込み、突き破る。


 手刀に貫かれながら、兎は数秒動いていたが、やがて眼の光が消え、動かなくなる。








 「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」



 一瞬焦った為、呼吸が乱れる。


 兎の胴体から手刀をゆっくり引き抜く。手には傷はないようだが、唇が痛い。


 仙丹を召喚して、唇に擦り付けると、一瞬で痛みが消え傷が塞がった。



 なんで、禁術の効果が消えたのか?

 確かに効いていたはずだが………


 意外に効果時間が少ないのかもしれない。先ほどであれば、5秒から10秒くらいだろうか。


 まあ、確かに禁術という特性から永久に作用するものではないのだろう。

 壁のように存在を崩されるようなものでなければ、一時的なデバフ効果に留まるということか。


 早めに気づけて良かった。

 禁術を過信したままだったら、どこかで窮地に陥っていたかもしれない。

 



 倒した機械種ラビットの残骸を見下ろしながら少しばかり思案。



 毎回、成果を持って帰るのが大変だな。

 今回はナップサックになって兎1匹丸入れることができるが、それで満杯になってしまう。

 もし2体目を仕留めたら、次は前みたいにパーカーで包む必要がある。


 しかし、俺にとってパーカーは頼りになる防具だ。

 それを脱いで草原を移動するのは少し抵抗がある。

 ディックさんも草原では奇襲に気を付けろって言ってたしな。



 よし、胴体はもういいか。頭だけ袋に入れよう。それの方が効率的だろう。



 兎の頭だけを切り取り、袋に詰める。

 胴体は埋めるのも面倒なので放置だ。



 さあ、これで終いとするか、次を狙うかだが……



 まだ、朝の10時だ。もう少しいけるだろう。

 できれば、今回もサラヤをびっくりさせたいしな。


 少し悩んだが、次の獲物を求めてさらに草原の奥へ行くことにした。


 自分でも少し欲をかき過ぎではとも思うが、どうしても前より大物を求める欲望を押さえることはできなかった。










 で、これがその結果である。


 今、俺は推定、機械種:ウルフの集団に囲まれている状態だ。


 あれだけディックさんに忠告を受けていたというのに!




 草原をしばらく突っ走っていると、並走してくる黒い犬に気が付いた。


 初めは競争を持ちかけられたのかと思ったが、次第に並走する黒い犬が増え始め、いつのまにか20体もの個体に囲まれるに至ってしまった。

 

 ウルフ達は俺から7,8mくらいの位置を保ちながら囲んでいる。

 遮るものもない草原だ。背にするような岩も壁もない。

 俺はいつ背後から襲われないかどうかを気にしなくてはならない。


 ディックさんの話だと、かなりの知恵を持っていて、戦術を理解しているそうだから、おそらく、俺が疲労するのを待っているのだろう。

 その時を待って一斉に襲いかかってくるに違いない。


 ウルフの大きさはハイエナより少し小さいくらいだが、それでも体長1.5m以上はありそうだ。

 口元からは立派な牙が生えそろっており、あれで噛みつかれたら流石に怪我は免れないであろう。



 どうすればいいんだ?


 どこかを突破しようとすれば、すぐに周りがカバーに入ってくる。

 あれだけ集まられると、流石に飛び込む勇気はない。噛みつかれてズタズタにされてしまうだろう。


 せめて一体ずつ仕留められないかと、仕掛けてみるが、その瞬間後ろに配置されたウルフが攻撃をかけてくる。


 また、こちらは素手なので、下手にあの鋭そうな牙に当ててしまうと、こっちが大怪我をしてしまう可能性があり、迂闊に攻撃できない。


 しかも、俺がそれを怖がっているのが分かっているかのようにウルフは牙を剥き出して、俺の攻撃に合わせてきた。



 頼みの綱の禁術は多数相手には相性が悪い。

 対象が1体しかかけられないのだ。


 それに動きを止められた時間はほんの一瞬、1秒未満。

 しかも1体動きを禁じると、他の個体がその対象のカバーに入るから何の効果も得られない。

 

 さらにそれ以降、術をかけようとすると巧みに動き回って、術の対象になるのを避けようとするようになった。

 なんという対応速度だ。


 ヤケクソになって「機械種:ウルフ達よ。動きを禁じる。禁!」と集団を対象に術を行使してみたが、これも一瞬だけ止まったかのように思えただけで、ほとんど効果が見られなかった。



 もう、どうしようもない。詰んでしまった。

 このまま力尽きてコイツラに貪り食われてしまうのか。




 俺の戦意が低下したのが分かったのか、ウルフ達は包囲網をゆっくりと縮めてきた。


 ダメ元で、パンチやキックを出鱈目に放ってみるも、余裕を持って躱されてしまう。

 そればかりか、キックした瞬間、軸足を狙って攻撃してくる。危うく転びかけてしまった。



 駄目だ。闇雲に攻撃しても当たる訳が無い。

 今まで、兎も、ハイエナも、鎧虫も1体ずつしか相手にしてこなかった。

 多数相手の戦闘に全く慣れていないのだ。それなのに調子に乗って草原の奥まで来てしまった。


 あれだけディックさんに忠告を受けていたのに。

 あの黒い犬が並走してきた段階で一目散に逃げれば助かっていたかもしれないのに。

 

 ああ、いやだ。こんなところで死ぬのは嫌だ。

 サラヤ! ジュード! 助けてくれ!





 当然、誰も助けなんか来ない。

 こんな危機一髪で助けが来るなんて、物語の中だけだ。

 いや、物語でも主人公か、ヒロイン、その仲間たちにしか適用できない特権だ。



 俺は主人公になれない。

 なろうとも思っていない。

 だからここで終わるんだ。


 せっかく仙術を使えるようになったのに。

 これからいろんな術を覚えていくところだったのに。

 


 ウルフ達がどんどん包囲網を狭めてくる。

 口元から見える牙がやたら大きく見えだした。

 


 クソ! 俺は闘神スキルと、仙術スキルを兼ね備えているんだぞ!


 呂布の戦闘能力に太公望の仙術だ。

 なんで負けるんだよ!戦場で無双できるはずだったのに。



 なんで俺が包囲○○陣を食らっているんだ……………陣? 陣………『陣』!



 唐突に思いついたことを試してみる。

 もうこれしかない!

 


 左足を軸に右足で俺を中心に1回転して地面に円を描く。



 その瞬間、俺を包囲していたウルフ達が一斉に飛びかかってきた。


 

 これが駄目ならもうお終い。

 荒野に無残な屍を晒すしかない。


 頼む!

 俺の中に確かにある『仙術』スキルよ!

 俺に力を貸してくれ1




「我が身を守れ!十絶陣が一つ、『風吼陣』」




 ボフフウウウゥゥゥゥ!!!




 俺を中心として突如、猛烈な黒い風が吹き荒れる。


 それは黒い竜が俺の周りを舞い踊るかのような光景だ。


 ウルフ達は巻き起こった風に爪や牙を阻まれ、大きく弾き飛ばされる。



 これが仙術「陣作成」を俺が習得した瞬間だった。

 

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