第441話 魔物人の悲哀です
エルネールは意を決して、夫コロックの顔にその手を近づける。
すると顔の皮一枚、浮き上がるようにして何か薄透明なモノが剥がれ、そして霧散した。
「! ……これって」
「お顔が変わった、のです……??」
ヘカチェリーナとエイミーは驚く。
コロックの顔面が一瞬で変貌した。もっとも、それだけならそこまで驚くべき事ではない。
「これが、この人の本当のお顔です。……アイリーン様」
「大丈夫、別にどうこうしようってワケじゃないから。だけどこの顔……それにこの気配はやっぱり……人じゃないね」
アイリーンは至極真面目に、しかしはばかる事なくコロックを人ではないと断言した。
「! ……もしかして、パパが種無しなのって」
「あ」
ヘカチェリーナの隣でエイミーも理解したように、声を発した。
「そうです。種無しなのではなく、
むしろ人間かどうかも怪しいコロックとの夫婦としての営みを、エルネールが受け入れたことがすごい。
しかし今の問題はそこではなく、コロックが何者なのか、だ。
「この人が、ウァイラン家に生まれ育ったことは間違いない事実です……生まれた時から人ならざる異質さを持って生まれたと、彼のご両親が生前おっしゃっていましたから、そこは間違いないはずです」
おそらく、生まれた時はシンプルに奇形児と考えられたのだろう。
幸いにも凹凸の浅い顔面ゆえ、化粧などで誤魔化すことが出来たし、地方の小貴族とはいえ貴族子息には違いなく、幼少期は病とでも言って屋敷内で過ごしたに違いない。
成長後、化粧さえしっかりと行えば人前にも出れなくはないゆえに社交界にも顔を出し、そしてエルネールの婿を決める場にも参上した。
エルネール自身がコロックを選んだのはまったくの偶然であったものの、彼女のスキル<ヌイヴェール>のおかげで結婚後、コロックは化粧の手間もなく人前に出られる
それは本人にとってはこの上ない幸せだったことだろう。
そして、娘のヘカチェリーナに甘いのは、エルネールとの間に子供がデキたことで、自分が人である事の証明になったからだ。それは奇妙な生まれのコロックにとって、どれだけ嬉しい事だったか……
あがり症なのも、自分の本当の顔を見られて迫害される恐怖が幼少期より培われ、対人に際しての恐怖心が拭いきれなかったがゆえ。
しかし名代領主として任命され、こんな自分でも名誉を……そしてウァイラン家の当主として、人間としての輝きを持てることを喜び、励んだコロック。
「……正直、今もこの方が何者なのかは分かりません。この方自身も知り得ないことなのでしょうね」
エルネールがそっと寝汗を拭う。
コロックは苦し気にうめき続け、人ならざるその顔には、明らかな死相が浮かんでいる。
アイリーンは軽く両目を伏せ、しかし言わなければならないと、気持ちを落ち着けてから口を開いた。
「……コロックさんの正体、それは
「魔物……びと?? アイリーン様、パパのこと分かるの?」
ヘカチェリーナの問いかけに頷き返し、ゆっくりと説明を始める。
「魔物人は、ごく稀に現れる魔物の血を引いた人のことです。おおよそは人間なんですが、一部に魔物の特徴が大なり小なり見受けられるのが特徴です」
――――――魔物人(まものびと)。
その歴史はかなり古い。
いつからその存在が確認されたのかも不明瞭ながら、人の世に時折その存在が散見される。
獣人などとは明らかに異なる、人ならざる異形性をもって生まれる存在であり、多くは見た目にその傾向があるというだけで、能力等は人間とまったく同じである。
だが稀に、より魔物に寄った者が生まれ出る事もあり、人を凌駕する魔物たる力を備えた個体も出現した記録がある。
そのせいで、人々からは迫害される事が多い。
古くには、魔物とまじわった人間を先祖に持つから、などと言って、魔物人を出した家は不浄な血筋だとして不幸な末路を強制されたケースは数多い。
だが、両親、祖父母、そして祖先とそのルーツをたどっていっても、人間の先祖しかいないにも関わらず、突然変異的に生れ出るため、なぜ魔物人がこの世に生れるかの理由は、血筋は関係しない事が分かって以降は、そういった不幸は少なくなった。
それでも見た目に人ならざるが故に、今でも迫害の対象になりやすいのが現実である。
「―――幸いなのか、不幸なのか、どう言っていいかわかりませんけど、魔物人は人と交わっても子供はできません。なので魔物人が生まれた家がその後も魔物人を排出し続ける事ってないんですけど……」
そう言って、アイリーンはヘカチェリーナの方を見た。
魔物人は子供が出来ない。しかしコロックとエルネールの間にはヘカチェリーナという娘がいる。
「心配には及びません。ヘカチェリーナちゃんは私と、別の男性との間にデキた子ですから……。結婚したのも妊娠でお腹が大きくなる前に体裁を整えるために婿を迎えようとした結果ですわ」
エルネールは、さらっと暴露する。
しかし驚いたのはエイミーだけで、ヘカチェリーナは当然早くから知っていたことだし、ヘカチェリーナの外見に異形性が見られない時点で、アイリーンも何となく察していたので、あまり驚いた様子を見せなかった。
「……コロックさんはこの事を知って?」
「いいえ、夫は何も……。魔物人というお話については、今の今まで
ヘカチェリーナの本当の父親についても、コロックは知らない。
「……この方には一切を知らぬままに、旅立って頂いた方が幸せですから」
何せ魔物人として生まれ、人との間に子が成せない運命にあるという事は、コロックしか跡取りのいなかったウァイラン家はどのみち、どうあがいたところでその血筋は断たれる運命にあったという事だ。
むしろ、表向きはヘカチェリーナという血筋の後継がある。最低でもウァイランの名はこれからも失われることはなくなっている。
それだけでも良い結果だ。本来ならばコロックを最後に失われるはずの家名だったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます