第426話 遠近両眼から狙われてる夫人です




 コロックの妻にしてヘカチェリーナの実母、エルネール=オリヴ=ウァイラン。


 旧姓、エルネール=オリヴ=アルシオーネ―――アルシオーネ家の御令嬢。



 王国全体で見れば単なる地方貴族でしかないアルシオーネ家だが、ルクートヴァーリング地方全体でいえば、最も家格と格式を持つ家柄であった。

 それゆえ、同地方における他の地方貴族らは簡単にその令嬢を求めることは難しかったのだが……



 表向きには、エルネールの結婚を巡る騒動は、彼女がその爆発的に成長した胸をはじめとした、優れた美貌を得たことが理由と思われている。


 だが本当のところは、エルネール自身が当時、アルシオーネ家に仕えていた下男によってお手つきになってしまった結果を誤魔化すため、急遽として婿の募集を公に出したことで勃発した。


 その下男は、マンコック家が送り込んでいた手の者であったが、あまりのエルネールの魅力にあてられ、暴走してしまった。

 その結果として、エルネールの広く公に婿を募集するという動きは、彼女を獲得しようと裏で動き続けた、マンコック家の当主になったばかりの年若いスベニアムの働き全てを無駄にする出来事であった。


 それでもまだ、婿募集に名乗りあげ、並み居るライバル達を押しのけて選ばれれば獲得できる道が残っていた。

 しかし、エルネール自身が当時、募集に名乗りをあげて駆け付けた男達の中より選んだのは、ウァイラン家のコロックであった。



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「そして十数年、か……」

 スベニアムは笑う。慎重が肝要―――そう教わってその通りに努めて結局、結果が得られないのでは意味がない。


 家の繁栄に寄与している “ 守護神 ” を疑うわけではないが、16~7年という歳月は人間にとって大きすぎるのだ。

 スベニアムがもっと年寄りの老人であったなら笑って構えていられただろう。

 しかしまだ30になろうかという若い彼にとって、慎重姿勢に捧げるにはその歳月はあまりにも長かった。


「今度こそは……たとえ強引な手段となろうとも必ずや……っ」

 著名な芸術家が、老いさらばえたり死んだ後などに評価されたとしても、本人は嬉しくはないだろう。

 当然、生きていた……充実していた若い時代にこそ名声や富貴を得たかったはずだ。結果を得られずに無念の内に死した者にとって、その後名を知られ、きっとあの世で喜んでいるだろうなどと言うのは、生者の手前勝手なこじつけだ。


「(エルフの事もある……板挟みになり、肩身の狭い想いをするような状況におちいってしまう前に、マンコック家を強大にしなければ)」

 先祖が因縁あるユウロス家でさえ、エルフは必要と判断して切る選択をした。協力関係を築いていたとて自分たちもいつそう思われるか分からない。


 王国も、エルフも、周辺の競合する貴族や有力者も……おいそれとどうにか出来ないほど、我が家に力を持たせなければ――――――スベニアムは、軽く拳を握りしめつつ、町の安宿で眠りについた。






 同じ夜、名代領主コロックの屋敷。


「ね、ママが結婚する時にさ、マンコック家って求婚者の中にいたの?」

 ヘカチェリーナとエイミーは名代領主の屋敷に入り、一泊する。その際、エルネールに当時のことをたずねた。


「マンコック家……ええ、いましたね。当時はまだ12か13か……とてもお若い、当主になりたての少年が来ていらっしゃったかと思いますわ」

 ゆっくりと思い返しながら、のんびりとした口調でそう答えるエルネールは、そんな事を聞いてどうかしたの? と状況が分かっていない様子で娘を見返した。


「実はエルネールさんが狙われているかもしれないのですよ」

 エイミーがそう述べると、エルネールはキョトンとした。

 皇太后とは違い、真正のたおやかでぽやぽやんとした女性だ。勘所が悪いわけではないが、ヘカチェリーナのような鋭さはこの母にはない。



「マンコック家の当主、スベニアム=ヌーマ=マンコックが怪しい動きを取っててね。殿下の指示でアタシたち、ソレを追ってきたんだけど……どうも狙いはママっぽいの―――何か心当たりとかない?」

 心当たりと言われてもと、エルネールは困ったように考え込む。

 言ってしまえば心当たりだらけだ。自分にアプローチしてくる男性は昔からいままでまったく絶えた事がない。


 状況が把握できていない彼女からしたら、そのスベニアムの動向も、自分にアプローチしようとする多くの男性の中の一人という程度にしか見えない。


 とはいえ、可愛い娘がもたらしてくれたお話だ。エルネールはできる限り真剣に考える。


「うう~ん……、そうですね……。心当たり、というわけではないのだけれど、嫌な予感のようなものは最近、よく感じる気はします」

 それは夫がいよいよ亡くなる時が来る―――という話とはまた違うといった雰囲気を滲ませながら、重い自分の胸を持ち上げて整えるように両腕を動かす。

 その仕草はエルネール自身の、なんとなく落ち着かない気分を表しているかのようんだった。


「嫌な予感、なのです?」

「ええ、エイミー様。何と形容いたしましたらよいのでしょう……何かこう、異様な何かが、遠くからわたくしを見ている―――そんなどなたかの視線めいた気配とでも申しましょうか……いえ、きっと夫の危篤ゆえ、気が落ち着かないでいるせいだと思います」

 そう言ってエルネールはにっこりと穏やかに微笑む。




 が、ヘカチェリーナは母の言葉を軽く流しはしなかった。


「(ママが感じている気配……かぁ)」

 勘どころの良い自分。

 その母親であるエルネールが、何かを感じているのが状況ゆえに気持ちが落ち着かないための気のせいだとして、そこで終わりにするには危ないと、ヘカチェリーナは感じる。


 恐らくだが、マンコック家のたくらみに関連した何者かが母を狙っている―――その理由こそ不明なれど、そう考えればスベニアムの動きにも一定の理解が灯る。


「(……エルフがママを? ううん、そうとは限らないか……まとめると、パパと結婚するかどうかって頃から狙われてたって考えると……もしかすると、まだ分かってない情報ピースがあるかもしんない)」

 エルフでも、マンコック家自身でもない別の何者か。それが母の身柄を狙っている可能性があると、ヘカチェリーナは一旦考えをまとめると、あらためて分かっている事から状況を整理し始めた。



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