第210話 達者と呼ばれる者の苦悩です




 キュートロース第一宰相夫人は特に不満もなく過ごしている。むしろ申し訳なく思うくらいだ。



「ねぇ、ルスチアちゃん。少しは―――」

「ダメだから」

「~~~、ま、まだ何も言ってないのに」

 年下の第四夫人はなかなか手厳しい。どちらかといえば軽そうな雰囲気の彼女だが、キュートロースが妊婦だからその身を案じてくれ、王都を脱する前からこんな感じだ。


「ただいま戻りました~。キュートロース様、お腹の具合はいかがでしょうか~?」

 第三夫人のヌナンナがメイドを伴って部屋に戻って来る。


 賓館の改修が終わるまではと、あてがわれた部屋は十分に立派で豪華で、宰相夫人達はこのままでも十分過ぎるほどくつろげていた。


「おかえりなさい、ヌナンナさん。ええ、全然大丈夫……なんだけど、ルスチアちゃんがじっとしてなさいって、運動させてくれなくて」

「キュートの場合、運動=散歩程度ですまないし。いつの間にかメイドのお手伝いしてるからダメっしょ」

 ルスチアは家庭医学を修めているので、彼女にNoと言われたら従うより他ない。



 ヌナンナはクスクスと可愛らしく笑いながら、二人が掛けている同テーブルの一席に腰を下ろした。


「殿下からお菓子をいただきました。皆さんでいただきましょう~」

 ヌナンナがそう言うと、メイドの一人が恭しく箱を置いて開く。中からインゴットのような形状の茶色いものが姿を現した。


「まぁ……パウンドケーキですね?」

「さす殿下、気遣い出来るショタちゃんよね」

「クワイル男爵に都合していただいたそうですよ~。お怪我している方々や兵士の皆さまにも日々の楽しみは必要ということで、お菓子職人パティシエールさんをお呼びいただいたそうなんです。こちらはこの村で焼き上がった第一号だそうです~」

 確かにテーブル上に広げられたバー状のパウンドケーキからは、まだほのかな熱と製菓酒ブランデーのいい香りが立ち込めていた。


「エイルネッタ、お茶。フェストニーテは切り分けね」

「はい、奥様」「かしこまりましたルスチア様」

 メイド二人がティータイムの準備に取り掛かる。


 テーブル上にあっという間に皿が配され、ティーカップをのせるソーサーが夫人達の前に並んだ。




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 パウンドケーキをたしなみ、いい感じに場が落ち着いてきたのを待ってから、キュートロースはヌナンナに話かけた。


「ハイレーナさんの容体はいかがでしたか?」

「はい、もうかなり元気になられておりました。傷口も完全に塞がったそうでして、早く病室から出たいとおっしゃっていましたよ~」

 ヌナンナの表情に気を使っている様子はない。ハイレーナ宰相第二夫人の容態は言葉通りのようだ。


「それは大変良かったです。でも傷が塞がったのなら、どうしてまだ病室なのかしら?」

「うーん、念のためでしょうか~?」

 二人が首をかしげていると、ルスチアが一口お茶を飲んでからゆっくりとカップを下ろした。


「外傷だけが傷じゃないしね、内臓の怪我も治るまで安静と治癒魔法必要だから。元気だったってことはそこまで深くないだろうけど、それこそ見えないトコだし。当然、念のためにしっかりと入念に治療しとこってカンジになるの」

 確かにハイレーナが負った怪我はそれなりのものだった。戦闘の傷は外傷が多いものの、皮膚と筋肉の先にまで達すれば当然、内臓も傷ついてしまう。


 これがとても厄介だ。どれだけの傷が出来ていて、どれほどの治療を施せば良いのか見た目じゃまったく分からない。

 もう大丈夫と思っても、後でダメだった例は医学関連の書物にもよく書いてある。内臓の怪我は、本人の調子や飲食およびその後の経過なんかを見て判断するしかないのが現実だ。


「あと何日か経過見て、まったく異常とか何も見つかんなかったら病室卒業、ってとこかなー……。中は判断マジ難しいから、念には念を入れるのは大正解、いい判断できる医者がいるみたいね」

「へぇー、そういうものなんだ」

「さすがルスチアちゃん、お詳しいですね~」

 しかし当のルスチアは思う。


 ヌナンナの褒め言葉とは裏腹に、彼女の説明を要約するならばつまり、今の医療では内臓へのアプローチは様子を観察しつつ、治癒魔法をかけ続ける事しかできないということ―――詳しいも何もあったものじゃない。



「(……もっと内側の・・・治療で、どーにか出来たら安心できるのに)」

 何気なく視線だけでキュートロースのお腹を眺める。

 妊娠や出産にしても、残念ながらケア出来ることは少なくて、その限界は思いのほか浅い。

 過去の先人たちの実体験や事例をもとに考えるしかないが、その有効性や意義のほどは不明瞭。


 たとえばルスチアは、キュートロースに多くの運動をさせないようにと言ってはいるものの、それがどう正しいのか、どう妊婦には良いのかあるいは悪いのか、という事は理屈としてはハッキリと判明してはいない。


 とりあえずその方が無難だから―――そんな感じだ。


 妊婦に限らず、医療の世界でいわゆる理屈・根拠・証拠・証明エビデンスがハッキリと確立している話はほとんどない。


「ルスチアさんがいてくれると、安心ですね~」

「ええ、頼もしいですよね、安心できます」

「んー、そんなことないし。大した事はできないから」

 謙遜の言葉―――しかし本音でもある。


 怪我したらとりあえず大がかりな治癒魔法をぶっかける。調子悪かったらとりあえずなんか効果あるんじゃね? っていう草やらを口に入れる。


 乱暴にぶっちゃけるなら医療医術の現実はそんなところなのだ。





 だからルスチアは普段の態度とは裏腹に、いつも恐れている。


 どうにもならないような怪我や病気にもし自分が遭遇してしまったら? その時に頼られたりしたら? 自分に何ができるというのだろう、と。


 和やかなお茶の席で彼女は一人、その心を震わせていた。





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