第百八十六節 さらば、『セルリアンの女王』。
攻撃を受けてふわりと浮き上がった『女王』の身体が、墜ちる。そこに何ら不思議な現象は伴わず、ただ重力に従うだけの当然の帰結。
実を言えば、然して書き留めるべきでもない事象なのだ。
だが、『カシオペア』は今まで様々なことをしてきた。
時には強大な力で彼らを圧倒し。
時には乙女の純情の裏で暗躍し。
時には劣勢から驚くべき逆転を見せた。
起源こそソウジュやクオと同じく、星座の輝きを元にしてこの世に生まれ落ちただけの存在だ。しかしセルリアンの『女王』に憧れを抱いた彼女は、その実存の枠を越えてしまった。
彼女は自身のやり方で”普通”ではなくなった。
そんな彼女がとうとう”普通”に、完膚なきまでに敗北した。
もう終わりは近いのだろう。
「……形は残ったみたいだね」
確かに『カシオペア』は戦闘不能になったが、他のセルリアンのように身体が爆発四散したり消滅したりするようなことは起こらなかった。
ただ、疲れ切ったように倒れ伏している。
ここまで来るとただ頑丈というより、何某かの呪いでも掛けられているかのようである。
だが仮にそうであったとして、確かめる方法など……
「…あるじゃん」
彼はウラニアの鏡を取り出す。
それを片手に、『カシオペア』に近づいていく。
「ソウジュ、大丈夫なの?」
「ちゃんと警戒はするから、安心して」
屈みこんで手を翳し、ふたご座の権能で彼女の輝きと『共鳴』する。それに加え、てんびん座によって輝きを解析することで、『カシオペア』の内側にあるモノを探っていく。
記憶。
思念。
無意識。
それら全てを覗き込む。
「……終わったの?」
「あっ、キュウビ」
そこに、眠る男性を背負ったキュウビがやってきた。
彼女は静寂に包まれた戦場を目にして、戦いが既に終結したことを悟る。
背負われているその男性が、恐らく”ヒサビ”なのだろう。
キュウビの話では『女王』との戦いは遠い昔の出来事だったようだが、彼の外見は見るからに若い青年の姿のままだ。封印の中では時間が流れないであろうことが窺える。
皮肉にも、『女王』が求めた状態に最も近い。
「―――『永遠』」
解析を終えたソウジュは一言、そんな単語を呟く。
「『セルリアンの女王』の願いであり、彼女の持つ特異性」
続く二つの表現。
前半は既知の認識だ。
しかし、特異性という表現にキュウビは引っ掛かりを覚えた。
セルリアンの頂点に立つ存在とはいえ、本質的には『異常に強いセルリアン』といった程度で、星座のフレンズのように際立った異能を操るようなことは無かった筈だからだ。
疑問を胸に、ソウジュに尋ねる。
「何が分かったの?」
「『彼女』は殺せない、そうなっているから」
「え…?」
先の戦いが後を引いているのもあるだろうが、クオ以外の他人と『共鳴』した初めての経験故に、ソウジュはかなり疲弊した様子で譫言のようにそう呟いている。
キュウビは直ぐ様には問い詰めず、自分の頭で思考を巡らす。
―――そうなっている?
目の前に倒れている無傷の『カシオペア』の姿と、捉え所のないソウジュの言葉を重ねれば、一つの仮説に思い至った。
「……まさか、そういうことなの?」
その考え通りであれば。
今まで思考の俎上にも載らなかった出来事が自ずと浮かび上がって、彼女の考えをどんどんと補強していく。
「え、えっ? どういうこと?」
「道理であの時も矢鱈としぶといと思ったわ。『永遠』の輝きを求める彼女の衝動が、不死の恩恵を齎していたとはね」
キュウビが口にした結論。
ソウジュは否定しなかった。
少なくとも彼らの見解は一致しているようだ。
―――『彼女』は不死だ。
事実だとしても突飛な話だったが、不思議と受け入れられた。
それこそ何度も目の前で驚異的な耐久力を見せ付けられたのだから。
しかし、『女王』を食べる前からかなり頑丈だった。
本物の『女王』になりたいと願う『カシオペア』の思念が、不完全ながらもその特異性をコピーしたということだろうか。
「どうする、また封印する?」
「……それは避けたい選択肢ね」
「でも、他に方法なんてあるの?」
こんな事態に対する用意はしてこなかった。強固な依代を伴わない簡素な封印ならできるだろうが、それもどれくらいの間保ってくれるか。
そもそも、封印しないならどうするのか。
想定外の難問を前に沈黙する一行の元へ、遅ればせながらも援軍が現れた。
「―――見つけた!」
ソウジュにとっては懐かしい声だった。
その方に目を向けると、予想通りの姿が見える。
「ルカ。それにタレス!」
旧友の為に僅かな元気を絞り出して彼女達の名前を呼び、倒れている『カシオペア』をその場に放置して二人の所へと向かった。
「久しぶりだな、ソウジュ」
「ボロボロね。頑張ったじゃない」
堂々と立って微笑みかけたルカ。
素早く近寄って背中を叩き、朗らかに労うタレス。
ともすれば思い出話が始まりそうな空気感が漂うが、しかし未だ去っていない問題が残っていた。
「だが気を付けろ。大きな機械の形をしたセルリアンがこっちに向かっている」
(……『カシオペア』が生み出したセルリアンだ)
目的外の敵であったため今までは放っていたが、やはり無視し続けることはできないらしい。『女王』すら倒してしまったクオとソウジュにとっては本来造作もない敵だけれども、連戦となると厳しい部分があった。
特にソウジュに関しては、戦い以外のことでも疲れが溜まっている。
「かなり強いぞ、戦えるか?」
「一応、さっきまでは元気だったんだけど…」
それも『カシオペア』と共鳴する前までの話である。
見かねたタレスが肩を貸した。
「無理しないの、沢山大変なことがあったんだから」
「キュウビもその様子では動きにくそうだな」
「いざとなったら私は戦うわよ」
背負っている彼は、少しの間であれば安全な所に安置すればよい。
それでも四人。
手負いが一人。
不安は確かに残っている。
「クオとキュウビと、ルカとタレス。平気、かな…?」
「我らも忘れるでないぞ」
しかしお忘れではないだろう。
彼女らが更なる戦力を用意していたことを。
ゲンブの頼もしい声が響くと、複数人の足音が周囲に響き渡る。
疲労困憊で中々声も出せないソウジュも、辛うじて掠れた声で反応を見せた。
「シェラにナトラ、来てくれたんだ…」
「あ、あたりまえ! ソウジュ君のピンチだから…」
「そうそう、だから気にしなくていいぞ」
可愛く拳を握ったシェラと、カッコよくポーズを決めたナトラ。
「……まあ、先に助けられたのはわらわなのじゃがな」
その後ろから、情けなく頭を掻きながら現れたるアス。
スピカとルティもそれに続く。
どうやら先に合流していたようだ。
「ホント、危ないところだったんだからな?」
「ごめんなさい、私が不甲斐ないせいで…」
「~~★」
「”気にするな”と、ルティは言っておるぞ」
どうやらソウジュ達が激しい戦いを繰り広げている間に、アス達も知らない所で危機を乗り越えていたらしい。
しかしそれはまた別の話だ。
「分かってはいたが、中々の大所帯になったのう。それでいて、お主たちが『女王』を倒すまでの間にコイツを片付けられなかったのは無念じゃな」
噂をすれば影が差す。アスが麓の方に振り向くと、件の重機型セルリアンが山道を登ってとうとう姿を見せた。ガタゴトと音を鳴らしながら道を踏み荒らし、ソウジュ達を見つけると機構を喧しく動かして威嚇する。
全員、戦いが始まるものとして身構えた。
しかしセルリアンは、彼女らの方には向かわない。
「……おい、アイツどこに行く?」
ナトラが疑念を口にする。
彼の進む方に視線をやると、向こうに放置していた『カシオペア』の姿が目に入った。
「あっ、『女王』の方に…!」
「主人を助けに来た、ということか」
「面倒なことしてくれんじゃないのっ!」
誰もが思った、『カシオペア』が連れて行かれると。
「いや、違う」
しかしルカはあのセルリアンの動きを慎重に見つめていた。
理性など到底感じられる由もない、その行動を。
グギガガガァッ!!
轟音が鳴り響き、巨大な土埃が上がる。
「……は?」
明らかにその起点は『カシオペア』にあり、重機型セルリアンが彼女を攻撃したようにしか見えない。
理解不能な事象に困惑する一同。
そして煙が晴れると。
『カシオペア』の姿はもう何処にもなかった。
「た、食べちゃったの…?」
「暴走しておるのかのう」
食べた。
クオがそう思ったのは他でもない。
セルリアンの姿が、明らかに変化しているからである。
黒鉄のような冷たさを想起させる真っ黒いセルリウムの外殻がミシミシとひび割れて、その内側から覗いている虹色の色彩。
力が溢れ出して身体に留まり切らないような様相。
その原因は一つしか思い浮かばないだろう。
「ねえ、これって……あのセルリアンがもっと強くなった、ってこと?」
「それは間違いないね。アレが『女王』の輝きをどれだけ引き出せるかは未知数だけど」
皆、突如として現れた新しい敵に頭を悩ませる。
「―――『カシオペア』に喰われて。彼女まで喰われて。本当に散々な最期を迎えたわね。貴女たちは」
そんな中、尚のことキュウビは『女王』に話しかけた。
複雑な感情を滲ませて、一抹の優越感さえ覚えて。
既に食べられてしまった彼女に。
重機の形をしたセルリアンに。
キュウビは問いかける。
「ねぇ。まだ貴女は『永遠』が欲しいの?」
返事が無いと知っていても問いかけてしまう。
「……虚しいだけよ、そんなもの」
けれど決別。
妖術で一閃を描く。
すると相手の側面に一筋の傷が現れて残った。
「あら」
「アイツ、傷が付いたし治らないね」
「効いてるってこと?」
奇妙なことだ。
不死の『カシオペア』を喰って輝きを呑み込んだのなら、少なからずそれをコピー出来て当然だというのに。
「しかし、どうして突然?」
「いいじゃない、倒してから考えれば」
「……お主はそういう奴だったな」
変わらず実利的なキュウビを見て、ゲンブは脱力して笑った。
「ソウジュ、クオ」
「うん」
キュウビはというと二人の方を向いて、未だぐっすりと眠ったままのヒサビの身体をそっと預けて言った。
「彼をお願い」
「え、でも…」
「いいの。『カシオペア』と戦って疲れてるでしょ? アイツとの決着は私達で付けるわ」
半ば強引に言い切って、彼らが動き出す隙も与えず。
そんな彼女の行動に苦言を呈することが出来たのはゲンブだけだった。
「勝手なことを。二人は今この中で一番……」
「分かってるわ。それでもなの」
セルリアンの女王。
カシオペア座の少女。
そして目の前にいるセルリアン。
嘗ての戦いから連綿と続いたこの執念は、お互いに終わらせなければならない。
『女王』だけではない。
キュウビもだ。
ヒサビを取り戻した今、この恨みは過去の物にする必要がある。
「さあ、これで最後にするわよ」
少し早い後日談が、こうして始まった。
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