第百八十節 空を毀すから
突発的な戦闘の始終から十数分後。
ソウジュが単身、再び火口に姿を見せる。
「……ん?」
この登場は彼女も予想外だったのだろう。
驚いたように目を見開くと、『カシオペア』は皮肉を浴びせるように顔を歪めてソウジュに声を掛けた。
「無様に逃げたかと思えば、のこのこと帰ってくるとは」
まだ状況に納得できないようで、顔に備わる両目だけではなく触腕の先に生やした目玉もぐりぐりと動かし、彼女はソウジュの周囲を隈なく確かめた。
だが、誰も見えない。
本当に連れていないのだろうか?
「どういう腹積もりだ? あの役立たずさえ連れずに、まさか貴様一人で私と決着を付けるとは言うまいな」
「そうだと言ったら?」
「はっ、はははは……!」
乾いた哄笑が腹の底から湧いて出てきた。
「―――嘘が下手だな」
そして、断じた。
そんなことは在り得ないと。
「どうせ何処かに忍ばせているのだろう、まあいい」
幾度となく一寸先で目標を奪い去られ、とうとうチャンスを掴み取った今、『カシオペア』の心からこれまでのような慎重さは一片も残らず消え失せていた。
其処に立っている彼を放って、何処にいるかも解らない伏兵に気を取られる価値が如何ほどにあろうか。
もう、見えるものしか見えない。
「貴様を痛めつければ、直ぐに出て来ざるを得なくなるのだ」
「……そう簡単にやられると思う?」
戦いの前兆を感じ取って、彼も臨戦の姿勢を取る。
今度は前とは違い、既に『同調』を済ませているようだ。
僅かばかり『カシオペア』の体内に残ったふたご座の残滓が、彼が纏っている輝きの正体を教えてくれる。
「帆と、艫。確かに強い力を持っているようだが、それで私に及ぶとでも?」
やはり
警戒すべきはルティが持つ転移の力だけ。
―――完全体のアルゴとルティの違いとして、『扉』が空間に出現するかどうかが挙げられる。
アルゴは必要としない。
望めば出せないことはないだろう。
しかしそのような予兆を誰にも気取られることなく、あの星船は乗員を遥か先の世界へと運ぶことができるのだ。
ルティの場合、必ず『扉』が出て来る。
だから、一瞬前に能力の発現を察知できる。
相当な不意を突かれない限り、彼女の反応速度なら対応は難しくないだろう。
そこまで考えて、『カシオペア』は行動に至った。
「行け」
「…っ!」
「まずはこの程度、軽く往なして貰わんとな」
近くに侍らせていたセルリアンを数体、ソウジュに嗾ける。
力はあまり与えていないが前哨戦には丁度いいだろう。
戦っている彼の様子を観察すれば、凡そこの戦いに注ぎ込むべきリソースがその調子から判断できる。
どう転んでも彼女の不利益にはならない。
「はあ……舐められたもんだねっ!」
ソウジュは帆座の力を発揮した。
不可視の渦が眼界を満たして皮膚を切り裂く。
いとも容易く、先鋒の兵は散り散りとなって消えゆく。
その様子を見る限り彼の調子はそう悪くなく―――また早速のことながら、彼女は安易に戦力を投入したツケを払わされることになる。
腕を前に突き出しながら、反応のない背後を嘆いた。
「…ちっ、面倒だ。あの杖が無い所為で命令を下すにも手間が掛かる」
王笏座の権能とは想像以上に便利なモノだ。
その使い道は単にセルリアンを操作することに留まらない。
『カシオペア』程の存在であれば、配下の生成にまでソレの力を役立てることが出来る。
失えば、補充のサイクルが長くなる。
にも関わらず限りある配下を容赦なくソウジュにぶつけた。
数十秒前の彼女はといえば、どんな相手だろうと自身が前線に出て戦えば何も恐れることなど無いと深く確信していた。その信念自体は今でもまったく揺らいでなどいない。
……だが、そう。
勝敗に関係なくこの戦いは面倒ではある。
ソウジュの健在ぶりを目にし、そう考えるようになった。
となると、そのような面倒を被るのではなく、自身との『力』の差を誇示して戦闘に及ぶことなく目的を果たすのが最善の手法となるのだ。
だから、彼女は提案した。
「今なら水に流してやるから、私に返してくれないか?」
「やな冗談、返す訳ないでしょ!」
「……だろうな、言ってみただけだ」
嘘である。
平気な顔をしているのは偏に、矜持の表れだ。
「やはり力尽くでなくてはダメか」
心の奥底で沸騰しそうな億劫さに蓋をしながら、『カシオペア』はうねうねと蠢く触腕を二本、目前の戦いに備えて生み出した。
そして、突き出す。
目にも止まらぬ速さで。
「わっ…!?」
「~~ッ!」
触腕の突きがソウジュを貫く寸前、彼の背後から出現したルティが背中を引っ張って攻撃を避けさせる。あと少しの所で仕留め損ねた『カシオペア』は顔を顰め、相手の出方を伺う状態に入った。
思案する。
対処の遅れた訳。
ルティが彼の背後から出現したのは誤算だった。
「ありがとう、助かったよ」
「~~☆」
意図してか否か、『カシオペア』の死角になる位置に扉を出し、そこから飛び出してきたのだろう。
セルリアンを駆使して視界を増やし、そのような小賢しい手段にも対応しなければならないと、彼女は強く感じた。
そのためにも『僭主の杖』を一刻も早く取り戻さなくてはならないのに。
「無理だよ」
「…なんだと?」
「あの杖にはもう新しい持ち主がいるんだ。だから、どうしても返して欲しいならその子に言ってよ」
明らかにそれは、彼以外の存在を示唆していた。
この隔絶されたキョウシュウの島でそれは決して在り得ない。
そんな中、理性が否定しているあらゆる選択肢の裏側で蠢いている影があった。
過去にナカベで闇に誘い。
最後に使い捨てた、あの少女。
すでに殺した影が瞼の裏に翳った。
しかし思い出してしまうのも、杖を少し使わせていたから、ただそれだけの所以。
死人と再びまみえることはない。
「そう思っていたのだが……な」
視界は理性を否定する。
どうしようもなく。
五感は尽く思考に反旗を翻すのだ。
覚えのある声がする。
知っている姿が見える。
「久しぶりだね、女王さま」
「驚いたな、すっかり死んだものと思っていた」
「ううん、死んだよ。ソウジュくんが、蘇らせてくれただけ」
どうやって、とは考えなかった。
そんな場合では全くなかったからだ。
「成程、確かに適切な人選といえよう。」
敵の頭数が増えた、それが一番の問題だ。
気が付けばソウジュは遠く、火口中心に向けて移動していた。
実際、彼が何をするかは見当もつかないが、『カシオペア』が彼を攻撃しようとすればスピカとルティが止めるだろう。杖によって操られるセルリアンの力を彼女に対して行使して。
この苦境。
くつくつと嗤いが漏れる。
解決策よりも先に、刺々しい言葉が頭に浮かんだ。
「時間稼ぎの盾か? 奴もあくどいことを考えるようになったようだな。結局はお前を利用する存在が変わっただけということだ」
「認めるんだね、私を利用してたって」
「既に気付いているのだから、隠す方が面倒ではないか?」
疾うに、そこに回す気もなくなっていた。
「まあいい、相手をしてやろう」
(ソウジュくん、頑張って…!)
未だ戴冠せぬ『女王』と、かつての『お姫様』。
彼女らの戦いが幕を開ける。
§
そして、ソウジュも。
「―――よし、始めよう」
黒い封印を握って、『女王』の封印と相対する。
彼の仮説が正しければここで、お互いの封印は破壊されることになるだろう。
キョウシュウの結界は無くなり。
『セルリアンの女王』は解き放たれる。
その後のことは、頑張るしかない。
唯一の突破口が敵に塩を送ることになるとしても、進まなければ零なのだ。
だから。
力強く拳を握る。
「毀れろ…ッ!」
そして。
黒い塊を以て、封印を殴りつけた―――!
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