第百七十九節 謁見

 びり…。


 紙を破る音が静かに響くと、温かい輝きが空間に満ちた。

 その光はソウジュを包み込むと、彼の身体に強い活力を漲らせる。


「……ふう」


 『カシオペア』の触手によってサンドスターを吸い取られた彼は、彼女が去った後もしばらく身動きが取れなかった。


 指先を動かすことさえも億劫で仕方ない。

 しかし微かに残った気力を頼りにアスのお札を使って、回復した。

 彼女の能力が外傷以外にも効き目のある力で助かった。


「ルティを、助けに行かないと」


 彼を攫った『カシオペア』は、火山で待つと言った。

 それはおそらく嘘ではない。


 しかし、このまま無策で赴いてもいいのだろうか。

 上手く出し抜く方法が無ければ、彼女の望む物をただ持っていくだけの道化である。

 ルティを人質に取られているとはいえ、それは余りにも情けない。


 第一、これを渡せば無事にルティを返してくれる保証もないのだ。


 状況を好転させる何かが、必ずなければならない。


「……鍵はやっぱり、結界だ」


 外からの援軍があれば、きっと互角以上に戦える。

 しかし手元にある結界のコアは壊せないし、万一できたとしてもルティが危ない。


 だから、二つ。


 コアに対する封印を乗り越えて結界を破壊する。

 『カシオペア』をなるべく攪乱して、援軍が来るまでの時間を稼ぐ。


 考えれば考えるほど高望みで、ありえないと投げ捨ててしまいそうな理想。


 それを成し遂げられるかもしれない唯一の方法を、ソウジュは知っていた。


「やっぱり、あの大爆発だ」


 異なる封印が接触した時に起こる、大規模な衝撃波。

 今までソウジュは知らなかったし、キュウビからも存在を聞いたことはなかった。


 封印というものは場所に施すことが多く、封印した物体を大量に一か所にまとめることも少ない。故に、これまでその現象が大きく取り沙汰されることがなかったのだろう。


 とにかく、これが役に立つ可能性が高い。


 偶然これが起こったあの時は一瞬で現象が収まってしまった。おそらくソウジュが構築した方の封印が、衝撃に耐えられず早々に瓦解してしまった。そう推測した時、一つの疑問が浮かぶに違いない。


「もしも、同じくらい頑丈な封印同士が接触したら…」


 片方が先に壊れるか。

 もしくは両方、消え去るか。


 だがその結果を最後まで見届けるには、コアの封印を『女王』の封印に押し付け続けなければならない。

 彼女がそんな長い時間、ソウジュを見逃し続けてくれるとは思えない。


 すると、ソウジュを守ってくれる誰かが必要になる。


「だけどルティは…」


 また万事休すか?

 いいや、それは違う。

 まだ一つだけ、可能性が残っている。


「とんでもない、賭けになるけど」


 今更だ。


「アス。君の力を、信じてもいいかな」


 ルティを回復する分のお札を、右のポケットに仕舞い。

 最後に残った三枚目を見ながら、ソウジュは呟いた。




§




 虹が噴き上がる山の頂点。

 この閉ざされた島で、最も空に近い場所。


 だが火口の中心には光を吸う黒い球体が鎮座していて、周囲のサンドスターは暗色に染まりながらまるで排水口に流れ込むように消えていく。


 これが『女王』の成れの果て。

 これが『』の旅の果て。


 両腕を大いに広げて迎え入れるべき終わりは、もうすぐそこまで来ていた。



「―――来たか」



 彼女は振り返ることもなく、ソウジュに対して声を掛ける。 

 一歩一歩を力強く踏みしめて、彼は背後に姿を見せた。


「ルティは何処?」

「案ずるな。ほら……此処に」


 そう言って右の腕を振り上げる。


 すると無数の触手がうねうねと蠢き、岩の陰からルティを引っ張ってソウジュの眼前に置いた。


 ボトリと。

 鈍い音を立て、まるで物のように。

 その乱雑な取扱い方にこそまさに、『カシオペア』がルティに対して抱える侮蔑が表れているのである。


 ソウジュは静かに抗議した。


「人質として扱うなら、もっと大事にするべきだよ」

「それで何が変わる? こんな取引、唯の儀礼でしかないというのに」

「だったら尚更、には従うべきじゃないの?」


 ああ言えばこう言う。

 この表現は何方に相応しいのか。


 各々の評価がどうであれ、食い下がって抗弁してくるソウジュに『カシオペア』は鬱陶し気にして溜め息を吐いた。 


「よい。問答をしたくて貴様を呼んだ訳ではない」

「……そう」


 彼女の纏う苛立たしさを空気から感じたソウジュ。

 目の前に餌があるのにも関わらずお預けを食った獣のよう。


 彼はの為に少し彼女の様子を見ないといけないが、対応を間違えてしまえばあっという間に実力行使に走ることになるだろう。


 ”準備”はしている。

 だが、今のまま勝てる公算はない。

 だから”準備”とは、”傷だらけになってでも目的を押し通す準備”だ。


 そうならないことを祈っている。


「さて、供物に不備は無いだろうな」

「……確かに色々持ってるけど、何が欲しいの?」

「惚けるな。と言いたいところだが、まあよい」


 もはや問い詰めることさえ億劫なようで。

 彼女自らその目標を明かした。


「持っているのだろう? この、『原典の封印』と同じく……妖術による封印が施された品を」


 『カシオペア』の言葉通り、確かにソウジュはそれを持っている。

 狙いの品がこれであることもそれなりに予想していた。

 その上で何故この封印を奪おうとするのか、ソウジュの頭に疑問が残る。


「何が目的なのかな」

「解らないのか?」


 嗤う。

 そして横に、小さな下僕を呼び寄せる。


「……セルリアン?」

「再現させる。その封印を成した妖術とやらをな」


 ガブリと、食べるような仕草を手で真似た。


「…で、女王の封印も解くつもりなんだ。でやろうとするなんて、果たしてどれだけの時間が掛かるんだろうね」

「幾ら掛かっても構わんさ、なにせ時間は無限にある。この結界に囲まれたキョウシュウという島は長きに渡って私を拒んできた。だが一度内側に入ってしまえば、その隔壁はこれ以上なく強固な防御となってくれる」


 ルティを一瞥し、続ける。


「それを越えられる唯一の手札も、貴様達は既に切ってしまったからな」


 そんな言葉の応酬を続けながら彼は考えていた。

 ルティを助ける方法。

 更に、を奪い取る方法も。


(ルティはやっぱり弱ってる。アスのお札を使わないと逃げる事も難しそうだ)


 見ればぐったりと、触腕に絡め取られたまま寝そべっている。

 サンドスターを多く吸い取られ、ただ解放するだけでは逃げられないだろう。


 そんな中、『カシオペア』はそろそろ痺れを切らし始めた。


「さあ、そろそろ渡せ」

「ルティを解放するのが先だよ」

「面白い冗談だ、よりによって此奴の手綱を先に外せと?」

「こんなに弱った状態で、転移なんて出来ると思うの?」


 キョウシュウの結界を破壊するための鍵だ。

 彼女に封印を明け渡す訳にはいかない。


 だが、それはそれとして彼女と交戦するのも良くない。

 突破口を思い付くまで僅かでも時間を稼がなくては。


「少なくとも解放してくれる気があるのなら、輝きを吸い取るのをやめてあげるべきじゃないかな」


 道義に沿う心が微かに残っていたのか。

 或いは此方が正しそうだが、面倒になったのか。


 彼女は口に手を当てて思案し、ソウジュの言い分を呑み込みかける。


 ほんの一瞬。


「―――いや、待て」


 しかし彼女の脳裏に過った。

 雪山で交戦した際の記憶が。


「そういえば、貴様も同じようにエネルギーを吸い取ってやった筈だ。それにしてはこんなに早く、やけに元気そうに歩いてきたじゃないか」

「……」

「何かあるな?」


 アスの治癒を悟られたか。

 ソウジュの額に汗が浮かぶ。


「吐け。若しくは、明け渡せ」


 いや、詳細は知らない。

 ただ怪しまれているだけ。

 だが、状況はとても悪い。


 どんどんと周囲の空気が重く淀んでいく。


「さもなくば…」

「…っ!」


 とうとう、火蓋が切られる一寸前。

 『カシオペア』は自らの軍勢を使役するべく杖を出した。


(あの杖。かつてスピカが持っていた…!)


 おうしゃく座。

 幻の星座の一つに相当し、セルリアンを操る力を持つ。

 手にした者に巨大な権力を与えてしまう、悍ましい輝き。


 彼女がそれを取り出したということは最早臨戦態勢ということで、正面きっての戦いが始まるまで一刻の猶予も残されていないということ。


 普通、十分な戦力を持たない彼の目には絶望的な現実として映るだろう。


 だが。

 今ばかりは。


 ―――だ。


「だったらお望み通り」


 ざり、と音を立ててお札を破る。


「待て、貴様…っ!」

「見せてあげるよ」


 その動きを危惧し、『カシオペア』は杖を向けてソウジュに迫る。

 傍に控えていたセルリアンもそれに倣い、飛び掛かって来た。


 だが、遅い。


 ソウジュの瞳孔が、薄く桃色に光った。



 言霊が響き、甘言蜜語の魔力が周囲に服従を強制する。

 重苦しい空気が吹き荒び、靄は晴れて、横薙ぎに渦巻く。


 千切れたお札もその風に乗って、ルティの所に向かっていった。


「ぐう…っ!?」


 『カシオペア』とその配下は凄まじい風に圧されて、全く身動きが取れなくなっていた。小さいセルリアンは姿勢を保つことができず、空中に思いきり投げ出されてしまっている。


 おとめ座の輝きを交ぜた彼の言霊は、やはり『カシオペア』をも黙らせる。


 しかし彼の側にも決定打がない。

 抑え込んでも、唯の時間稼ぎ。

 だから今日、彼はターゲットを変えることにした。



 そう優しく声を掛けた先は、杖。

 僭主の杖、セルリアンを効率よく使役するための道具。


 それを奪い取ることにしたのだ。


「や、やめろ…っ!」


 もちろん抵抗するが、今の言霊は絶対。

 必死に握りしめるのも虚しく杖はソウジュの手に渡っていった。


 だがそこで、『カシオペア』の身体が軽くなる。


 言霊の対象が自分ではなく杖に向かったことにより、行動に制限を受けなくなったのだ。


「其の杖は、返してもらうぞ…っ!」

「いいや、無理だね」

「っ!?」


 素早くソウジュに肉薄した『カシオペア』。

 それでも彼女の手が届く前に、ソウジュは目の前から姿を消してしまう。


「……この、生まれ損ないがッ!」


 ソウジュの代わりに、目の前に残った扉。

 ルティが彼を転移させて、女王の攻撃から守ったのだ。

 一瞬で暗転した状況に彼女の苛立ちが最高潮に達する。


(ちゃんと届いてよかった)


 セルリアンをと同時に放ったアスのお札が、しっかりとルティの所に届いてくれた。


 そのお陰で今はほぼ完全に回復し、元気に能力を使うことさえできる。


「ルティ、この辺りでいいよ」

「~~?」


 ソウジュは火山の半分ほど、『カシオペア』の居場所からそれほど遠く離れていない岩肌に降り立つことにした。


 此処に来る前に考えた通り、結界を破壊するためには『本物の女王』を抑え込んでいるを利用する必要があるからだ。


 その準備の為に彼は真正面から『カシオペア』と対峙した。


 そしてルティを助けるのみならず、セルリアンを操ることの出来る杖を奪い取ってきたのだ。


「……」


 しかしソウジュはこの杖の使い方を知らない。

 教えてもらったところで、呑気に使っている余裕はないだろう。


 では、なぜ奪ったのか。

 

 それは。

 謂わば一種の賭けだった。


「スピカ」


 三枚目。

 最後のお札。

 それに手を掛けて、呼ぶ。


 ここにいない少女の名前を。


「もしも聞こえているのなら、応えてほしい」


 アスのお札。

 彼女の力がそのまま籠ったこれは、どんな傷や病気でも一瞬で治癒することができる。


 ソウジュの胸の中にはおとめ座の宝石がある。


 リウキウでの戦いの中、自らが長くないことを知ったスピカが埋め込んだ。罅割れた宝石が砕け散ってしまう前に。


 今もそのまま取り出せば、嘗て辿らなかった運命を再現することになるだろう。

 だから、アスの力を使う。


 彼女を甦らせるために。


「この結界を破って、外からの助けを得る為に、少しの時間セルリアンを抑え込んでおく必要がある。それには、この杖を使って奴らを操ることが出来る君の力が必要になるんだ」


 お札に手を掛けながら、ソウジュは思い出す。


 彼女の執着と凶行、そして末路を。


 此処でスピカに救いを請って、その後に何を返せるのだろう。

 差し出せないものはあまりにも多い。


「何も、約束はできない。……だけど、助けて欲しいんだ」


 それでも此れが最善の方法なのだから。


 やるしかない。

 願うしかない。

 お札を破る。


 そして、呼ぶ。



「……スピカ」



 視界が、緑色の光に染まる―――

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