ローデンヴァルト8
戴冠式より一ヶ月。ようやくミストラル側からの親書が届いた。中身までは見てはいないが、予想はできる。あの様子からしてそう簡単に受け入れることはないだろう。
妹は断固拒否の姿勢を貫き、静養しているはずの兄もまた問題が片付くまではと城に留まり、王の監視を続けている。
だがこちらには同情的な視線を向けてくるのだから不思議なものだ。
無理強いされていると思われているようだが、話を持ちかけられ即座に頷いたのはこちらだ。同情されるような謂れはない。
現王は先王に悪感情を抱いており、どうにかして見返してやれないものかと虎視眈々と狙っていた。そこで目を付けたのが、先王が成し遂げられなかった聖女の子を迎えるというものだった。
だが生半可な相手では民からの反感を買う。そのため、民からの信頼厚い自分に話が回ってきた。
無論、断る理由はない。妻を娶る気は毛頭なかったが、彼女となれば話は別だ。
「やあ」
私室に入り、そこで待ち受けていた銀髪の男に眉をひそめる。自由に出入りできるほど城の警備は緩くない。そうなれば直接ここに現れたということだろう。
おそらくは、あれらの手を借りて。
「来月そちらに伺うと連絡したはずだが」
「それでは遅いかと思ったからね」
我が物顔で長椅子を陣取る男の前に腰かける。用件があるのならば手短にすませてもらおう。
こちらも暇ではない。
「レティシアから手を引く気は?」
「あれは元々俺の妻だ。引くも何も、横から掠め取ろうとしているのはそちらだろう」
男の口調が前会ったときよりも気安いものとなっている。隠し立てなしの会話を望んでいるということだろう。
生憎ながら自分は元々何かを隠しているわけではない。事実を事実のまま話している。
「愛のある夫婦ではなかったのに?」
「夫婦となるのに愛が必要か?」
「執着するのには必要だろう」
「執着に値する感情が愛だけとは限らない。恨み、怒り、憐憫、心を動かす大きな感情でさえあれば十分だ」
「彼女になんの恨みが?」
「それはそちらには関係のないことだ。質問することだけが目的なら、日を改めてもらおうか」
私的な時間を割くほどの理由がないのならば、付き合う意味はない。
お帰り願おうと立ち上がろうとしたところで、紙の束が机の上に放り投げられた。
「これは?」
「脅迫材料。レティシアから手を引かないのなら、これをばらまこうかと思ってね」
「ずいぶんと明け透けな脅迫だな。そもそも、俺には脅迫されるような落ち度はないはずだが」
「そうだね。確かに君には悪い噂ひとつなかった」
含みのある言い方に、一枚目の紙に視線をすべらせる。そこに載っているのは孤児院を経営している貴族の名前だった。
「だが君の支援者はそうではない。君のせいで失脚したとなれば、どうなるだろうね」
「こちらに害が及ぶよりも先に、噂をばらまいた者に怒りが向くだろうな」
「私が広めたという証拠を残すつもりはない」
「俺が証言すれば信じる者も出てくるだろう」
「そこまでの信頼関係が残っていればね」
この男がどういう人物なのかは聞いている。聖女の子をこよなく愛し、大切にしていると。
今いる支援者がどうなろうと関係ない。また別の資金源を得るだけだ。自らを白く見せたい者はいくらでもいる。
「この情報をどうやって仕入れた」
「耳のいい男がいるんだよ。……だから、こちらの情報源を潰すことはできない。君ならわかるだろう?」
「あれらが何をできるのか聞いているのならば、直接的な方法にも出れるだろうに、ずいぶんと回りくどいことをする」
「人格者と名高い男を一方的になぶったとなると、彼らの立場が悪くなるからね。さすがにそれは頼めないよ」
彼女も甘い人間だった。
国を割るためにあれを用いたのだから、魔族に対する悪感情を払拭させることも、双子が不吉ではないと広めるのもあれらを使えばいいだろうに、こちらの言い分を簡単に信じた。
ああ、そういえば一度聞いたことがあったな。
どうして自らの思い描く理想郷を作るのに回りくどいことをしているのか、そう問いかけた。彼女はあのとき、なんと言っていただろうか。
「愚かな女に現を抜かし危ない橋を渡ろうとするとは……それほどの価値があの女にあるとでも?」
「私はレティシアを手に入れるためならなんでもするつもりだよ。それに、馬鹿なところも可愛いじゃないか」
緩んだ頬に、別の男の姿が重なる。
「相も変わらず男をたぶらかすのが上手い女だ」
愛する女を侮辱された怒りからか、男の眉間に皺が寄る。だがこちらに傷一つでも負わせることはできない。
侵入し王族に傷をつけたとあっては、国同士の争いは避けられないだろう。
無論、この場で人を呼んでも同じことだ。連絡もなく侵入して許されるような道理はない。
だが争いが起きれば民が苦しむことになる。血を流すような戦ではないにしても、兵を募り維持するだけの資金が必要となる。金銭にうるさい兄ではないが、余計なことに金を使う気はない。
「そういえば、君の妻だった女性のことだけど……彼女の暮らしていた村は彼らに燃やされたそうだよ」
「それがどうした」
「彼女の姉からの伝言だよ。復讐だろうとなんだろうと好きにすればいいけど、同じ怒りを抱いていた子に八つ当たりするな……ってね」
かつての聖女の生まれ変わりともてはやされている女の顔が浮かぶ。
そして同時に、かつての情景が頭の中に描かれる。
明るく笑う彼女と、その後ろで控えめに笑う彼女の姉。
「来月、こちらに来るときにまだ同じ姿勢だったら国と教会を敵に回すことになる。よく考えておくといい」
あれらの横で無邪気に笑う姿は腹立たしかった。
和解しようと王と話し合っているのもまた、苛立たしかった。
あれらと手を組むことが許せず、あれらに殺されることも許せなかった。
だが結局は彼女は俺を殺さず、俺を殺したのは別の者だった。
そのときのことだけは鮮明に思い出せる。
治しては潰し、治しては潰し、それを愉しそうに見下ろす顔。ぐちゃぐちゃと体を踏みつぶされる音。
そのときの痛みも音も光景も、頭から張りついて離れない。
そのような相手と共に歩こうなどと、思えるわけがない。許せるはずがない。
「ずいぶんと、甘いことだ」
聞き慣れない声に顔を上げる。いつの間にか、前に座っている男が変わっていた。
かつて仕えていた王とよく似た顔に、頬が引きつるのが自分でもわかった。
「なるほど、お前が彼を運んできたのか」
「ああ、そうだとも。他の奴に任せたらお前が殺されるかもしれんからな」
「ならばお前は俺を殺す気がないと?」
「殺すほどの価値がお前にあるとでも?」
悠然と足を組み笑む姿に、小さく息を零す。
魔王と謳われた男と顔を合わせるのはこれが初めてだ。ミストラル国では絵姿が出回っているとは聞いていたが、わざわざそれを見る気はおきなかった。
「双子の王か」
「今にして思えば、我らが双子であると知らしめたほうが早かったのかもしれんな。そうしていればあれは魔王と人間の戦いではなく人間と人間の戦いになっていただろう」
「だが結局使ったのは魔物と魔族だ。人間同士の戦いにはならない」
「使える駒を使うことに変わりはないだろう。それに手心も加えてやっていたのだがな。魔物をすべて使えば、人の世など簡単に蹂躙できる」
「俺が頷かなければ同じことをするつもりか」
「人の世と女一人の婚姻相手では釣り合っていないだろう。これでも我は人の営みを好んでいる。それに人の世が失われれば悲しむ者がいるからな」
魔王に抱えられた童女に視線を向ける。縄で巻かれているが、まさかそれが悲しむ者とでも言うつもりだろうか。
悲しませたくないと言うのならば、まずは縄で縛るところからやめたほうがいいだろう。
「我はこれが大切でな。悲しませたくはないのだよ」
「ならば解放してやったらどうだ」
「これはお前に配慮してのことなのだがな。解けば切りかかるかもしれんぞ」
「人を野蛮人扱いしないでください。心外です」
ここまで黙っていた童女が、据えかねたのか口を挟んできた。
かつて魔王を討つために旅に出たというのに、結局は魔王に懐柔された軟弱な勇者。
旅に出た当時は俺の父親が教皇を務めていたため、旅立ちの場を見ていたわけではない。
だが子どもだからと侮られていたことは聞いている。女神が采配を間違えたのだろうとされ、旅の供をつけられなかったとも。
当時の王もまた幼く、それに口を出せなかったと後悔していたことを覚えている。
「親族の情と後悔ゆえか」
「それは我と手を組むと決めたことに関してだろうか。ならば外れと言うしかあるまい。我の弟は賢い子だ。争い続けたところで益はなく、いずれは負けが見えていたため手を組むと決めたにすぎない」
「では情はなかったとでも言うつもりか」
「無論。我を知ったのは和睦を決めてからのことだ」
もしも当時の俺がそれを知ったとして、どうしただろうか。
――きっと、何も変わらなかっただろう。あれらと手を組めるはずがない。
「まあ、そんなことはどうでもいい」
膝の上で指を組み悠然と笑む魔王に眉をひそめる。
「直接介入するのは、女神の後始末をするようで気がすすまんのだがな」
「……結局は実力行使か」
「らちの明かない相手と話したところで無駄だろう? 意の合わん相手と諍いが起きるのは、人の世も変わらん」
「だがお前たちを罰することはできない。人同士の争いであれば、罪には罰が与えられるのが当然だ」
咎められることもなく好き勝手行動し、命をなんとも思わない相手とどうして共に歩めると思うのか。
そんなものはくだらない妄想にすぎない。夢想するだけに留めておけばいいものを、愚かにも実行に移そうとする。
「だがそれはお前自身の考えではないだろう。なにしろお前はまだ何もされていないのだからな」
「俺の父はお前らに殺され、俺自身も殺されたというのにか」
「だから言っているだろう? お前自身のことではないと」
感情を伴わない紫色の瞳がこちらを見据え、細められる。
金縛りにあったかのように動かない身体に顔をしかめるも、ゆっくりと動きはじめる魔王をただ睨みつけることしかかなわない。
「益にならん記憶など忘れてしまえ。それは本来あるべきものではない」
そして、視界が暗転した。
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