『さあ来い、待ちわびたぞ』
剣の柄をいじりながら不満そうに口を尖らせるクリスに、もはや何度目になるかわからない溜息を零す。
「お前の進む道を認めてやったが、お前はまだ騎士ではない。ただの令嬢にすぎないお前を戦場に連れていけるわけがないだろう」
「それを言うならお前だってまだ騎士ではないだろう。それなのに私は留守番など……ずるいではないか」
「ずるいとかそういう次元の話ではない。非戦闘員を戦場に連れていって非難を受けるのは騎士団だ」
「だが話によると、非戦闘員が何人か……いや、何十人も選ばれているそうだな」
誰だこいつにいらん話を吹き込んだのは。
アドルフの件といい、口の軽い者が騎士団にいるようだ。近々内部調査をしなければならない。
戴冠式より三日。聖女の存在が公表され、同時に一部の者に御使いの出現と魔王と名乗る痴れ者が戦いを挑んできたことを知らされた。
御使いは女神の仇敵を払うための存在だ。そんな緊急事態に戦を仕掛けてくるとは、のんきなのか危機感がないのか。
だがどんな輩が相手だろうと宣戦布告を受けたのなら応えねばならない。
そういうわけで騎士団に所属する者や有用そうな者に声がかかり、声をかけられなかったクリスが不満を抱いているのが現状だ。
俺も不満がないわけではない。今回の戦いでは何故か非戦闘員まで人数に入っている。しかも、それが――いや、考えないことにしよう。
まさか戦いの場でそのようなことをどうするかに王が気を回したとか、そういうことではないはずだ。きっと何か、やむにやまれぬ事情か、あるいは崇高なお考えあってのことだろう。
クリスが不満を抱いているのは非戦闘員が選ばれたからだけではない。御使いと発表されたのが、共に学ぶ間柄の相手だったからだ。
クリスは彼女と戦いたがっていた。しかし御使い相手に剣を向けるわけにはいかない。クリスが彼女と戦える日は、もう二度と、永遠に来ないことになる。
ならばせめて戦場に降り立ち剣を振るいたいのだろう。
「いいか。王都を守るのがお前の役目だ」
だがクリスの願いを叶えるわけにはいかない。
国境付近に敵対者の姿が確認されているが、それがすべてとは限らない。王都に侵入しようと目論む者もいるかもしれない。
王城にいる王を狙うかもしれない。
だからクリス、お前は王都を守れ――耳障りのよい言葉でクリスを説得した。
クリスは知らないことだが、王は城には残らない。
◇◇◇
城にいる父から届いた文に視線を巡らせる。
そこに羅列される魔道具を城に持ってきてほしいと書かれている。思い出すのは、去年『勇者が生まれるようなことがあれば、助けてあげてください』と言っていた、御使いだと知らされた彼女の姿。
仇敵の存在については伏せられていたが、御使いと仇敵は対になっている。どちらかだけが現れることはない。混乱を防ぐためなのか、御使いの存在は王都に滞在する貴族――その中でも国の中枢に近い者にだけ知らされた。
「マドレーヌ。材料と光石を用意してください」
「はい!」
意気揚々と部屋を出るマドレーヌの背を見送りながら小さく息を吐く。
父は戴冠式の日から帰ってきていない。貴族街にある屋敷に出向く暇もないぐらい忙しいのだろう。だから魔道具の準備を文を通して私に指示した。
再度文に書かれている魔道具を確認する。
殺傷用でもなんでもない魔道具の数々。傾向はわかるが、なんの役に立つのかは見当もつかない。
だが、必要ならば用意するだけのこと。それに数も多ければ多いに越したことはないだろう。
彼女と特別親しいわけではない。だが、迷惑をかけたのは事実だ。助ける――とまではいなかくても、協力ぐらいはしてやろう。
◇◇◇
「クラリス様……!」
「なんですの、騒々しい」
「ああ、よかった! 本日もご無事ですね」
ほっと胸を撫で下ろしながら、向けられる冷たい視線によって身体の奥深くから快感が身体の奥深くからこみあげてくるが、気づかない振りをして目を逸らす。今はクラリス様の視線を堪能しているだけの時間はない。
魔王の軍勢――というには少数すぎて微妙だが――彼らは国境付近や僻地などの七か所で発見された。王都から遠く離れたクラリス様の領地にも一人いるので、クラリス様の耳にも届いているはずだ。
いつクラリス様が飛び出していかないかと不安で不安で、一日三回は安否を確認しに来ている。
「そんなに暇を持て余しているのでしたら陛下の役に立とうとは思いませんの」
蔑むような声に息をするのも忘れて震えるような喜びに身を任せ――そうになるのを、踏みとどまる。
「でも、もしもクラリス様の身に何かあったら……その、だから、落ちつくまで僕と一緒に来てくれませんか?」
手を取り握りしめると、クラリス様の顔が嫌悪に染まる。そんな顔も美しく愛らしくて、恍惚とした息を零しながらクラリス様の言葉を待った。
「ご冗談を。どうしてわたくしがあなたと共に逃げなくてはいけませんの。そもそも、わたくしの身が危ぶまれるほどの脅威なら背を向けるわけにはいきません」
凛とした声に掴んでいる手に力をこめる。
クラリス様は強情な方だ。民を守る貴族が逃げるなんてとんでもないと、そう考える方だ。
だけど僕はクラリス様に万が一にも傷つくようなことはしてほしくない。
だから、クラリス様が望もうと望まなかろうと関係なく、僕は――
「それに、わたくしの夫となりたいのでしたらあなたこそ民のために尽力なさい。貴族は陛下に仕える臣だということを、その身をもって証明すれば……あなたとのことを考えてあげなくもないわよ」
「え、そ、それは……」
クラリス様が珍しく僕との関係を前向きに考えることを言ってくれた。
熱に浮かされたような気持ちで何度も頷いて、クラリス様の夫として認められるように、僕がどんな役に立てるのかを見極めるために、教会に戻った。
◇◇◇
「――で、俺に用って? 聖女様」
前に座るリュカだった聖女に揶揄するような笑みを向けると、聖女はにこにこといつも通りの笑みを返してきた。
顔も何もかもがリュカとは違うのに、受ける印象は変わらないというのは、なんとも奇妙な話だ。
「ディートリヒ君。今日はね、あなたに機会をあげようと思って呼んだの」
「……機会?」
「ディートリヒ君は魔族が嫌いでしょ? それって、ほら、レティシア様に話していた……あのことが関係あるんじゃないの?」
顔が強張るのが自分でもわかった。
ああ、そうだった。あの場にはリュカもいた。俺が王の養子となるまでの経緯を、こいつも聞いていた。
「ロレンツィ家の悲劇について少し調べてみたの。全員が焼死体となって発見されたのに、絨毯の毛一つ燃えていなかった――そうだよね」
「……ああ、そうだ」
焼かれた人だったものと、その中で佇む水色の悪魔――あの日の光景を思い出して顔が歪む。雑念を振り払うように頭を振ると、青い瞳が俺を見つめているのに気づいた。
真剣な眼差しに、首をかしげる。
たとえ俺と魔族の間に何があったとしても、こいつには関係ない。
調べるにしても遠い他国での話だ。一朝一夕で調べ上げられるようなものじゃない。ということは、もっと前から調べていたことになる。
「それがどうしたんだよ」
「今回、魔王が御使いを求めてるのは知ってるよね」
「ああ」
「魔族が国内で発見されたから、対処しないといけないんだけど……ディートリヒ君も一緒にどう?」
眉をひそめ、言葉の内容を吟味する。
俺はこの国の人間ではない。王の指示なく動いていい立場でもない。
そして今回の騒動に関して、ミストラル国は他国に援護を求めていない。そんな時間がなかったというだけの話かもしれないが、要請なく動いて何かあれば国際問題にまで発展する危険がある。
「どうって言われて俺が頷けるわけないだろ。王に連絡して、指示を得ないと答えは出せない」
「退位させたい人にわざわざ聞くの?」
「まだ王子だからな。勝手なことはできないんだよ」
変なの、と呟きながら顎に指をあてて視線をさまよわせているのを眺め、小さく溜息を零す。
俺個人の意見としては、あのときの奴と直接会えるのなら会ってみたいとは思う。だけど敵わないことがわかっている相手に立ち向かうほど無謀ではない。
「じゃあ、教会からの要請ってことでどうかな。ローデンヴァルトの人は信心深いでしょ? お願いされたからって言えば、事後承諾でも大丈夫なんじゃない?」
「……そこまでしてあんたにどんな得があるんだよ」
教会がローデンヴァルトに借りを作る形になる。
それをわかっているのか――いや、多分わかっていない。こいつは思いついたままを口にする奴だ。
「それに、そうじゃなくてもあれとやり合えるわけないだろ」
「そこは大丈夫。私がディートリヒ君を守るし……それに、ディートリヒ君に倒してほしいってわけじゃないから」
「はあ?」
「一緒に怒りにいこうって誘ってるの。ちゃんと怒りをぶつければ、前を向けるんじゃないかなって」
何かを思い出すように遠くを見つめ、それから小さく微笑むのを見て、俺は――
◇◇◇
戴冠式より七日。魔王側の定めた期日となった日、魔族が現れたと報告された場所には人だかりができていた。
騎士の鎧を身に纏っている者。どう見ても戦いに来たとは思えない装いの者。大荷物を抱えている者――それを見ながら私はそっと隣に立つモイラに視線を移す。
「モイラ。抜けはないな?」
「ええ、大丈夫ですよ。彼らの性格も嗜好も確認してあるので」
御使いとして公表される前日、レティシアと二人きりで会う機会があった。
私の首にある紋様を見て、レティシアは目を見開いてから不思議そうに首をかしげていた。
「ええと、どうしてクロエにも……?」
「女神にお願いをしました」
女神は私に一つ願いを叶えると言っていた。だからそれを、ここで使わせてもらった。
だけどあの女神の力はあまり強くはない。もしも本当に同時に二人の勇者を作り出せるほどの力があるのなら、自ら災厄を滅ぼせるだろう。
「これは見た目だけの代物です」
「あら、そうなの? でも……どうして」
凹凸もなく、触れると皮膚の感触しかない不可思議な紋様に加護の力が備わっているわけではない。いや、かろうじてあるが、それは加護といえるほどのものではない。
ただ私が望むときに取り外せると条件を付けただけだ。だから災厄の阻害をすることも、魔法が効かない体質になることも――人ではありえない力を持つこともない。
「あなたには災厄に専念していただきたいからです」
「……それは構わないけど……クロエはそれでいいの?」
「自分で選んだ道ですから」
力強く頷くと、レティシアは不安そうに瞳を揺らした。
「だけど、勇者だと……その、王太子、じゃないわね。陛下の妃になるとか、そういう話があったでしょう?」
「……心配されているのはそこですか」
「だって王妃になっちゃうのよ?」
レティシアにとって王妃とはなんなのか聞きたくなる。天上の存在ぐらいに思っているのではないか。
たしかに責任は重いが、王も王妃も人間だ。しかもあの、失敗だらけの女神が作り上げた世界の住人なのだから、完璧を求める方がおかしい。
「ええ、まあ、お話は聞きましたし、求婚もされました」
あれを求婚と言っていいのかは甚だ疑問だが、フレデリク陛下にしてみれば求婚、だったのだろう。
あれを求婚していると思ってしまうような人間性に、思わず哀れになってしまった。まだ甘い言葉の一つや二つ囁いてくれる方が断れた。
「クロエはその話を受けたの?」
「どうせ孫の顔を母に見せるつもりでしたから……性格には難しかありませんが、顔や能力は申し分ないですし、優秀な遺伝子を貰えると思えば問題はありません」
「……遺伝子」
「それにお目付け役がいないと、ふとした拍子に暴走しそうですので」
「……お目付け役」
たしかに私は母を慕っているし、幸せにしたいと思っている。
だが求婚においてそれを条件として出すのはいかがなものか――そう思って、察した。あれはフレデリク陛下が望んでいることなのだろう、と。
あの言葉の母を弟に置き換えたら、それはそのまま彼の願望になるのだろう。
王妃が亡くなり、王が使い物にならなくなってから、王太子の負う責務が増えたことは聞いている。愛する家族と触れ合う時間を奪われた少年の心は、色々とまずい方向に走っているように思えた。
そしてその元凶が魔族――引いては私にあるのだと思うと、いたたまれないし申し訳なくもなる。
「……そこに愛はあるのかしら」
「ありませんよ」
フレデリク陛下も私を愛しているわけではない。
私と彼の間にあるのは、最初から最後まで、利害の一致による協力者という関係だけだ。
「だけど――」
私がこの世界で幸せにしたいと思ったのは母とレティシア――そこに一人増えただけのこと。
「幸せにはしてやりますよ」
今回の騒動が終わったら彼が担っている仕事の一部を請け負って、弟と語り合う時間ぐらいは作ってやろう。
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