勇者とは


「第十三回、ローデンヴァルト王をいい感じに退位させる方法を話し合おうの会を開催します」


 リュカの宣言に部屋の中にいる面々が思い思いの表情を浮かべる。素知らぬ顔でお茶を飲むアーロン先生と、疲れた顔をしているディートリヒ。

 ディートリヒがこの会合に加わってからもうひと月が経つのに不満そうだ。それでもちゃんと顔を出しているのは、リュカの勢いに圧されてか、ひとりで考えても煮詰まるだけだとわかっているからかもしれない。


 もうすぐ後期が終わり、学園を一度出ないといけない。僕は合宿もあるから、この会合に参加できるのは今回が最後になる。できれば今回で案を出して議論したいところだけど、多分難しいだろう。


「さて、第二王子がお前によくしてくれているというのは聞いたが、王としての資質はどうだ」

「しらねぇよ」


 だってディートリヒ本人が乗り気じゃない。アーロン先生が嫌いなのか、いつも先生に対してだけ辛辣だ。たまにリュカにも辛辣だけど。

 僕に対してはそこまでではないので、今では呼び捨てしあうぐらいの仲にまで進展している。アーロン先生とリュカともそのぐらい仲良くなってくれたら、話し合いもはかどると思うのに。


「なあ、今更聞くのもどうかと思うんだけど」

「ん? どうしたの? なんでも聞いていいよ」


 視線を向けられたリュカがにこにこと明るい笑顔を返す。ディートリヒは言葉を選ぶようにわずかに視線を逸らし、自嘲するような笑みを口元に浮かべた。


「なんでお前は俺らを助けしようとしてるんだ? 困ってる人を放っておけない――なんて綺麗事を抜かすなよ。どうせ得があるからやってるんだろ」

「うん。そうだよ」


 あっさりと返されたのが意外だったのか、意表を突かれたような、少しだけ傷ついたような顔をディートリヒは浮かべた。もしかしたらディートリヒは僕が思っていたよりも純粋だったのかもしれない。無償の奉仕を望んでいた――なんて、馬鹿なことはないだろうけど、それに近いものを望んでいたのかもしれない。


 僕も得があるなんて知らなかったけど、ディートリヒほど驚いてはいなかった。アーロン先生にいたってはのんびりお茶を飲んでいる。


「もしもリュカが死んだときに、私を助けてほしいの」

「はあ?」


 その、ちょっと意味のわからない言葉に目を瞬かせる。リュカが死んだのに助ける、というのは一体どういうことなのだろう。

 リュカは僕とディートリヒを見て、小さく微笑んだ。


「ええと、リュカは多分、学園を卒業したらいらなくなると思う。だけど私は死にたくないから、こっそり死んだことにして……ローデンヴァルトか教会に置いてくれたら嬉しいなぁって」

「……死んだことになってる相手を匿えって? それがどれだけ大変なのかわかってるのかよ。誰かに見られたらすぐにばれるから、部屋から出ることもできなくなるぞ」

「あ、それについては大丈夫だよ。私の見た目は今のままじゃなくて……ええと、催眠魔法と幻覚魔法と認識阻害の魔法をかけているから、それを解くだけで私だとはわからなくなると思う」




 ――それからは慌ただしかった。王が死に、戴冠式の準備に追われ、そんなやり取りがあったことは頭の片隅に追いやっていた。


「サミュエル君」


 もうすぐ戴冠式で、参列するために支度をしていた僕のところにリュカがやって来た。


「お話したいことがあるんだけど、今いいかな?」

「え、えと……少しだけなら」

「ありがとう。人目につかない部屋ってある?」

「ええと、今は色々な人がいるから……あ、でもひとつだけあるので、そちらなら」


 珍しく神妙な顔つきをしているリュカを放っておけなくて、物置になっている部屋に案内した。戴冠式まではまだ時間があるから、長引かなければ大丈夫なはず。

 リュカはしっかりと扉が閉まるのを確認すると、僕の方に向き直って真剣な顔を浮かべた。


「教会を私にちょうだい」


 そう言った彼女の姿が変わっていく。

 黒い髪に青い目、かつて聖女と謳われた者にそっくりな――髪の長さ以外はレティシア様によく似た姿が、僕の前に現れた。


「私はかつて聖女と呼ばれ、女神の声を聞くことができた人の生まれ変わりです」


 落ちついた声色と、穏やかな微笑み。レティシア様と似ているのに、違う。レティシア様はもう少し、こう、慌ただしい

 その出で立ちに呑まれそうになるが、すんでのところで踏みとどまる。リュカにはお世話になったし、恩を返したいとも思っていた。

 だけど、教会は駄目だ。誰かに簡単に渡せるようなものではない。


 それにリュカ自身が、催眠魔法と幻覚魔法と認識阻害の魔法を使えば外見を変えられると言っていた。これが本当にリュカ自身の姿なのかの確証はない。


「……そう言われても、それが本当かどうか、確かめようかありません」

「では女神様からの言葉を授ければわかってくれますか? 女神様は仇敵を倒すために、御使いに加護を授けました。私は御使いを手助けしないといけないのです。――そう女神様に言われましたので」


 ゆるく微笑む彼女がリュカ本人には思えない。まるで別人のようで、一体誰を相手にしているのかわからなくなる。

 僕が言葉に窮していると、彼女は音を立てて笑った。


「私だって真面目にやろうと思えばできるんだよ。教会だってちゃんと治められるし、聖女らしく振る舞うことだってできるんだから」

「……リュカ?」

「んー、リュカはね、別の子の名前なの」


 気の抜けた笑みを浮かべる姿はいつも通りのリュカだった。


「リュカじゃなくなった私のことは……フィーネって呼んで」


 学園はかつての聖女様の名前にあやかってリフィーネと名付けられた。

 白い花の名を持つ娘として語り継がれている聖女様はリリアかフィーネ、そのどちらかの名前を持つのだろうと言われている。


「私が聖女様かどうかは信じてもらうしかないかな。証拠の出しようなんてないし……大勢を一度に癒せば信じてくれる?」

「え、あ、それなら、いや、でも」

「だけどそんな一気に怪我人が出るようなことってないよね」


 リュカの悩む声と同時に遠くで鐘の音が鳴った。

 ああ、どうしよう。戴冠式が始まってしまう。でもリュカを置いていくわけにはいかない。


「……リュカは、匿ってほしかったんですよね。なのになんで、聖女様を……匿うだけなら、聖女様でなくても」

「御使いは――」


 静かな声に空気が張り詰める。のしかかるような圧に息をすることすら苦しくなる。

 青い目がどこか遠くを見るように細まり、悲し気な笑みを浮かべた。


「勇気ある人じゃなくて、勇気を与える人なんだよ」


 彼女が本当に聖女様なのかどうかはわからない。


「だから、誰かが助けないといけないの」


 だけど、彼女が普通の人でないことと、心の底から御使いのことを思っていることは伝わってきた。


「僕は、僕には、答えられません。教皇は父なので、僕に決定権はありません」

「あ、それもそっか。ごめんね、付き合わせちゃって……予定があったんだよね? 大丈夫?」

「それは、えと……」


 多分駄目だ。戴冠式が始まったら途中で入ることはできない。

 僕が言葉を濁していると、リュカは眉を下げてもう一度「ごめんね」と謝ってきた。


 彼女が聖女かどうかは、今決めていいことじゃない。父と話して、それからしっかりと確認して――すべてはそれからだ。


「出てくる人たちの中に紛れたら、実はいましたみたいに装えないかな?」

「それは、その、難しいかと」

「物は試し、とりあえずやってみよう!」


 いつも通りの姿に戻ったリュカが僕の手を引いて、戴冠式が行われる広間の前に走った。


 ――どうしてリュカは広間の場所を知っているのだろう。リュカが教会に来たことはないはずだ。


「……あれ?」


 ぴたりと止まったリュカの視線を追うと、開け放たれた広間と、跪く人々、そして堂々と立つ見慣れない恰好の人がいた。

 

「我らの王はこの国にいる災厄を振りまく女神の仇敵と勇者――いえ、女神の御使いを望んでおります。返事は一週間後……色よいお返事がいただけない場合、この国を壊します」


 その高らかな宣言にリュカが頭を抱えた。僕も抱えたくなるような言葉だったけど、それ以上にわけがわからなくて思考が追いついていなかった。

 だからその変な人が広間を出てきたのに気づいたときには、色々と手遅れだった。


「……こんなところに鼠がいるだなんて」


 赤い瞳が僕とリュカを捉える。リュカを背に庇おうと踏み出そうとした僕の腕が引かれた。首を少しだけ動かすと、不満そうに口を尖らせるリュカが僕の腕を掴んでいた。


「ねえ、さっきの……どういうこと? なんで魔王が勇者を欲しがるの?」

「……あら、え? ちょっと待て……まさか、フィーネ? 生きて、いや死んでたから……生まれ変わって? ふたり揃ってるとか……嘘だろ、聞いてない」


 先ほどまでの威圧感はどこに消えたのか、目に見えてうろたえる変な人にこちらがどうすればいいのか悩んでしまう。


「ああもう、これじゃああいつが暴れる……いや、私は何も見なかった。よし、それでいこう」

「ちょっと、さっきのことは――」

「幻覚だ。幻聴だ。何も聞こえないし、何も見えない」


 そう言って、変な人は忽然と姿を消した。

 しばらくして、広間から出てくる人の中にディートリヒを見つけ、そういえばレティシア様と会う約束をしていたことを思い出した僕はリュカと別れた。


 ――そして戴冠式に参加していたディートリヒからあの変な人が魔族と呼ばれる生き物だということを聞いて、魔王とかいう人が宣戦布告を仕掛けてきたことを知って、レティシア様の首に浮かぶ御使いの証を見た。


「そ、それは……僕はどうすれば……」


 ひとつひとつ頭の中で整理していく。仇敵と御使いが現れたということは、この世が危機に瀕している可能性が高い。

 そして同時に魔族とかいう変な人の集団が国を襲おうとしている――つまり、クラリス様が危ない。

 クラリス様は愛国心溢れる方だから他国に亡命しようと誘っても頷いてはくれない。それどころか国を守ろうと動くだろう。

 それに仇敵がいたら安全な場所なんてどこにもない。仇敵は世界を脅かす存在だ。


「どうやってクラリス様を守れば……」

「もっと他に心配するところがあるんじゃないかしら……世界とか国とか家族とか」

「そんなもの、クラリス様に比べたら塵芥です……!」


 戴冠式のためにクラリス様も王都に滞在しているはずだ。安否を逐一確認しないといけない。

 とりあえずレティシア様のことはフレデリク様に任せて、リュカのことは父に丸投げしよう。


 父にレティシア様のことは伏せて、魔族がリュカのことをフィーネと呼び、生まれ変わりと言っていたことだけ報告して、脇目も振らずクラリス様のもとに急いだ。

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