教皇子息の凶行


 衝撃的なサミュエルの告白のせいで授業がまったく頭に入ってこない。元々地理は得意ではないけど、頑張ろうと思ってからは熱心に聞いていた。

 だけど今は教師の話が右から左に流れていく。


 そして終業の鐘が鳴り、教師の挨拶が済み今日の授業はすべて終了した。ざわざわと教室内が騒がしくなる。話の内容は、やはり先ほどのサミュエルの告白についてだ。


「教会の私物化ってできるのか……?」

「本人が言っているならできるんじゃない?」


 そんなやり取りがあちらこちらから聞こえてくる。クラリスに対する告白云々よりも、教会のやり方について疑問視している人が多いようだ。


 告白を受けた張本人であるクラリスは完全に放心している。嫌っている相手に領民を人質に取られているのだから、魂のひとつやふたつぐらい抜きたくなる気持ちはわかる。


 従姉として私も頭を抱えてしまう。サミュエルにクラリスを紹介したのは私だ。この騒動を巻き起こしたのも私ということになる。


「クラリス様」


 響く声に一同の視線が扉に向いた。授業が終わって走ってきたのか、肩で息をしたサミュエルがおどおどとした様子で教室の中を覗き込んでいる。

 集中する視線にぴくりと体を震わせる姿は、いつも通り気弱で小心者のサミュエルだ。でももうよくわからない。

 本当にサミュエルは弱気で小心者なのだろうか。


「あ、あの、先ほどのお話の続きをしにきました」

「話すことなんてないわ」


 さすがはクラリス、毅然とした態度でサミュエルに立ち向かっている。サミュエルはおろおろと視線を彷徨わせてから、眉を下げた。


「でも僕はあなたを妻にしたいです」

「わたくしはあなたのような夫なんていらないわ」


 しゅんと肩を落とすサミュエルにクラリスが視線を逸らした。もはや視界にも納めたくないと、そういうことなのだろう。


「とりあえず、ここで話すようなことじゃないから……場所を移動しようか。クラリスには悪いけど、教会についての話を無視するわけにはいかないからね」


 ルシアンがふたりの間に割って入った。クラリスが拳を強く握りしめるのを見て、思わず「私も一緒に行くわ」と名乗りを上げてしまった。

 この展開が私のせいなら、知らぬ存ぜぬを貫くわけにはいかないと、そう思ってしまったから。



 ルシアンに連れてこられたのは、王族にだけ与えられた件の一室だった。たしかにここなら誰かの邪魔が入ることはない。

 机を挟んでサミュエルとクラリスが対面するように座り、私がクラリスの横に、ルシアンは少し悩むようにしてから私の横に座った。そこはサミュエルの横じゃないのか。


「……それで、アンペール領に修道士を派遣しないという話だけど」

「僕が教皇になったらそうするつもりです」

「そんなことをしたら教会の権威が地に落ちる、ということはわかっているのかな?」

「教えには必ず救済せよとはありません。治癒魔法を施すのは教会からの善意です。教会のやり方に口を出すのであれば、世界中の修道士を下がらせなくてはいけなくなります」


 悲しそうに目を伏せる姿に、もはや笑いすら浮かばない。サミュエルは本気で言っている。クラリスが手に入らないのなら、世界すべてを敵に回してもいいと思っている。


「命を大切にせよというのが女神の教えだろう?」

「命を奪うわけではありません。教会の助けが失われて死ぬのであれば、それは女神様が望まれたことです」


 ついて来たはいいけど、完全に口を挟む余地がない。


「それに治める者が変われば方針も変わるのは、国も同じことですよね。ルシアン様も言ってくれていたではありませんか、教皇は教会という国の王だと」

「言ったが……しかし、国と教会は違う。教会の頂点にあるのは女神のはずだ。違うかな?」

「はい。女神様が神罰を下されるのであれば、僕は受け入れます」


 はっきりとそう言い切る姿に眩暈がしてくる。

 女神様は神罰なんて下せない。精々人の夢に出てくるぐらいだ。しかも別の世界から来た魂限定で。


 だからサミュエルが何をしても、女神様は指をくわえて見ていることしかできない。もしかしたらまた誰かの夢に出てどうにかしようとするかもしれないけど、サミュエルがそれを女神様の言葉だと納得するとは限らない。


「サミュエル」

「……なんでしょう?」


 突然私に呼ばれて、サミュエルは不思議そうに首をかしげた。


「私はあなたを可愛い弟だと思っているわ」

「あの、僕は弟では」

「だからこそ言わせてもらうわ。無理矢理誰かを妻にするなんてやめなさい。相手の意思を尊重して、それではじめて婚姻関係は成り立つのよ」

「え、と……だからこうして、説得を」

「あなたのは説得じゃなくてただの脅しよ。それでクラリスがあなたを受け入れたとして……恨みを抱えた人生を愛している人に背負わせるつもり?」

「恨み以外も抱いてくれたら嬉しいですけど……無理ならそうなりますね」


 あ、駄目だ。これ話が通じないやつだ。


 いや、諦めるな私。恨みを抱いた一生がどんなものかを知っているのは、この場に私しかいない。頑張らないとクラリスがリリアみたいな人生を歩むことになる。


 陰険魔族を頼って実力行使――なんて手段が頭に浮かんだが、サミュエルのこれを愛だと認識したら全力で応援しそうなのですぐにかき消した。


「……わたくし」


 これまで黙って成り行きを見守っていたクラリスが呟くように声を漏らした。


「自分よりも背の低い方は好みではないの」


 サミュエルの身長はクラリスよりも低い。サミュエルは小柄で、クラリスは女性としては背が高めだ。

 どうにもできない問題を突きつけられたサミュエルが肩を落として、縋るような目でクラリスを見つめた。


「伸ばします」

「貴族としての振る舞いができない方を夫には添えられないわ」

「学びます」

「わたくしの横に立つのに相応しくなれたら、そのときは考えてあげるわ」

「本当、ですか?」

「二言はないわ。わかったのなら、精々精進なさい」

「はい。あ、あの、僕がクラリス様に相応しくなるまで、どなたとも結婚しないでくださいね?」


 クラリスはサミュエルと視線を合わせることなく頷いた。喜色に満ちた笑みを浮かべて「では、失礼します」と足早に立ち去るサミュエルを見送った後、深い溜息がクラリスから漏れた。


「クラリス……本気?」

「そんなわけないでしょう」


 冷徹な眼差しを向けられて、思わずのけぞってしまう。


「あの方が相応しくなるまで待つなんて、時間がいくらあっても足りないわ」

「……じゃあどうするの?」

「学園にいる間によさそうな方を捕まえて、卒業と同時に結婚するわ」

「でも、それだとアンペール領は……?」


 もしもクラリスがさっさと他の誰かと結ばれたら、サミュエルは言っていたことを実行するはずだ。

 クラリスは決意に満ちた目をしながら、私の手をがっしりと掴んだ。


「治癒魔法のやり方を教えてくれるかしら」

「……え?」

「あのように性根の腐った方が女神の奇跡を得られるのなら、他の誰でもできると思うのよ」


 それは合っている。そもそも治癒魔法は女神様の奇跡ではない。魔族ですら使えるような代物だ。


「治療を教会に頼らなければ、あの方が何をしたところで痛くも痒くもないわ」

「でも……」

「教会育ちじゃないあなたにしか頼めないのよ」


 お願い、と懇願されても困る。クラリスひとりが治癒魔法を使えるようになっても、できることはたかが知れている。教会から派遣される人数分をひとりで補うのは、まず無理だ。


 そもそも治癒魔法がどういうものなのかを説明してもいいのだろうか。


「レティシア……君は治癒魔法のやり方を知ってるの?」


 ――そんなことを考えていたら、横から地を這うような低い声が聞こえてきた。


 おかしい、私はルシアンを怒らせるようなことはしていない。


「え、ええと……」


 私が言い淀んでいると、クラリスがはっとしたような表情で慌てて手を離した。


「シルヴェストル夫人に聞いていないかと、そう思っただけですわ」

「そのわりには確信に満ちた言い方をしていたよね。それで、レティシア? どうなの?」


 ルシアンの方を向くのが怖い。クラリスが視線を逸らしているあたり、絶対怖い顔をしている。誤魔化すのが正解か、肯定するのが正解か、わからない。


「レティシア、こっちを向いて」


 油の切れたブリキのようなぎこちない動きでルシアンを見ると、意外にも彼の顔に怒りはなかった。それどころか、縋るような、悲壮な表情を浮かべている。


「治癒魔法のやり方を知ってる?」


 こくりとひとつ頷く。


「使えるの?」


 そしてまた頷くと、ルシアンは張り詰めていたものを吐き出すように、深く長い息を吐いた。


「……クラリス、君には悪いけどその案には乗れない」

「他言は致しません」

「そもそも君が治癒魔法を使えるようになっても同じことだろう? 大義名分を与えるだけだ」

「……それは」

「ねえ、話が見えないのだけど……どういうことかしら」


 思わず口を挟むと、ルシアンもクラリスも信じられないものを見たとばかりに私を凝視した。

 教会の常識とか貴族の常識を私が知っていると思うな。


「……治癒魔法を使える者は教会に所属している者だけというのは知っているよね?」

「ええ、それぐらいなら知っているわ」


 それぐらいしか知らない。


「治癒魔法は女神から与えられた奇跡の力だということは?」

「知っているわ」


 よかった。他にも知っていることがあった。


「教会の外で治癒魔法が使える人がいたら……女神が直接奇跡を与えた人ということになる」

「そうなの?」

「そうだよ。かつての聖女がそうだったから」


 リリアのせいでそうなったということか。ものすごい曲解にもほどがあるけど、理に適って……はいるのか? よくわからない。


「だからね、君やクラリスが治癒魔法を使えるとなると……聖女として教会が迎えようとする、かもしれないということだよ」

「……でも、クラリスはそうなることを知っていたのよね? それでも私に頼んだということは、抜け道があるということじゃないの?」


 クラリスを見ると視線を逸らされた。そして少し気まずい顔をしながら「焦ってましたの」と呟いた。

 抜け道はない、ということか。


「私はレティシアを教会にやるつもりはないし、クラリスも教会には行きたくないだろう? だからその案は却下させてもらう」

「……そうですわね。それが賢明ですわ」

「私も何か手段はないか探るが、もしものときは……」

「ええ、わかっております。わたくしは貴族ですもの……望まぬ相手との婚姻に嘆くほど、軟弱ではありません」


 気丈な台詞とは裏腹に悲壮な表情を浮かべるクラリスに私は何も言えなかった。

 気づいたら私の手を握っていたルシアンには、離してと言えたのに。



 結局サミュエルのことが何も解決しないまま、私は寮に戻った。自室の寝台の上で、どうすればクラリスを逃がすことができるのかを考えるが、いくら考えても妙案は出てこない。


「リューゲ」


 こんなときにリューゲがいてくれたら、何か言ってくれるのに。


「リューゲ」


 だけどリューゲはもういない。


「ライアー」




 ――嘘つき、呼んでも来てくれないじゃないか。

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