庇護の対象

 相手を自分と同格と認めていない目。同じ生き物ではなく、玩具としか見ていない目。

 どうしてそんな目をモイラがしているのかはわからないけど、彼女はライアーと――魔族と同類だ。


「私が怯えているですって? どうしてあなたに怯えないといけないのかしら」


 そうとわかれば怖がる必要はない。大丈夫、そんなのはあいつらで慣れている。

 棒読みだろうと大根役者だろうと関係ない。精一杯虚勢を吐いて、それを自分に信じ込ませるだけだ。


「……あらまあ、ずいぶんとお可愛らしいこと」


 ねっとりとした視線が身体を這う。本当に、なんなんだ、この子は。


「彼女を無遠慮に見ないでくれるかな」


 ただならぬ様子を察したのか、ルシアン様が私とモイラの間に割って入った。視界を遮られ、モイラの表情はうかがえなくなったが、ルシアン様にもあの、玩具を見るような目を向けているのだろうか。


「あら、可愛い方を可愛いと思って見てはいけませんでした?」

「……ああ、そうだね。私以外がレティシアを見るというだけで妬けてしまうんだよ」

「まあ、そうでしたの。それは配慮が足らず申し訳ありませんでした」


 ころころと笑う声が聞こえる。申し訳ないとは微塵も思っていない声。


 いや、おかしいだろう。他国の者だとしても、一国の王子に対して取っていい態度ではない。人のことは言えないが。


 アドロフ国とミストラル国の情勢について詳しくはないが、少なくともローデンヴァルト国のように敵対しているわけではないはずだ。

 学園では平等であるという教えを忠実に守っているのか、あるいは別の理由があるのか。後でルシアン様に聞いてみよう。



「とりえず、買う気がないのなら店から出ていただけますか?」


 従業員の鋭い眼差しを受けたクロエの一声によって、私は何も買うことなく店を出ることになった。



 後は寮に帰ってごろごろ過ごすだけ、なのだが、何故かルシアン様がちらちらと私を見ている。ちらちらの域を超えてじっと見ているときもある。なんだ、一体どうしたんだ。


「では私たちはこちらで――」


 店から大通りに出たところでクロエがそう切り出すと、ルシアン様がわずかに目を伏せた。その様子を見て取ったのか、クロエがそっと私の背中を押した。


 冗談じゃない。あんな金銭価値の高そうな集団の中に放り込まれたくない。私は今日、クロエと一緒だからということでいたって普通の服を着てきた。見劣りするなんてレベルではない、居心地に悪さで蒸発してしまう。


「大丈夫ですよ。モイラは危害を加えたりはしませんから」


 違う。そうじゃない。たしかにモイラは少し怖いが、そこが問題なのではない。

 助けを求めてパルテレミー様を見たら、あからさまに目を逸らされた。


「いや、いいんだ。レティシアも久しぶりに出かけて疲れただろうから」


 少し寂しげに頭を振るルシアン様に心の中でずるいと叫ぶ。

 そんな殊勝な素振りを見せられたら私が悪者みたいではないか。私はただ、金銭価値の高そうな集団に囲まれたくないだけだ。


「お疲れでしたら、どうぞゆっくりご自愛くださいな」


 にこにこと笑うモイラが天使に見えてきた。心の底からしっかり休んでと労わられているような気がしたせいだ。多分気のせいだけど。


 さすがにクロエにお膳立てされれば、恋愛力の低い私でもルシアン様が何を言いたかったのかはわかった。

 私と一緒に出かけたいけど、疲れてるだろうから言い出せないとか、そんな、健気な話なのだろう。


 しかし少し出かけただけで疲れると思われるほど、私は病弱に想われているのか。全力で走ってぶっ倒れたときにルシアン様はいなかったはずだけど、ちょっと定かじゃないけど。

 でもあの陰険魔族が私を拾ったぐらいだから、多分いなかったのだろう。もしもあの場にいて、捨て置かれたのだとしたら、陰険魔族に嫌な魔法をかけられていたとはいえ、少しもやもやっとしてしまう。


 そういえばルシアン様の中であのときのことはどう処理されているのだろう。パルテレミー様は元凶が何かわかっているけど、ルシアン様はそうではない。


 私の前に跪いてあんなことはもうしないと誓ったのは、何もわかっていないからだ。

 だからルシアン様の中では私に怒っていたのは本心で、クロエと過ごしていたのも本心で、だけど今は――今はどうなのだろう。

 一度本心だと思っていたことが晴れることはあるのだろうか。私はあの陰険魔族に洗脳されたことがないので、洗脳が解けたときにどんな風に感じるのかを知らない。


「レティシア?」


 ぽんと肩を叩かれ、逃避していた思考が戻る。

 そうだ、今はこの金銭価値の高そうな集団に囲まれるか否かを考えないといけないのだった。あまりにも嫌すぎてうっかり現実逃避してしまった。


「……ルシアン様」


 呼びかけると、期待に満ちた眼差しが向けられた。もの凄く断りにくい。


「…………ご一緒しても、よろしいでしょうか」


 そもそも小心者な私に断れるはずがなかった。

 

「私は嬉しいけど、レティシアはそれでいいの?」

「ええ、はい。腹を括りました」


 蒸発してしまったらそれはそれで仕方ないと思うことにした。

 人間はそう簡単に蒸発できる生き物ではないから、多分大丈夫なはずだ。


「……腹を括らないといけないほど嫌なら、やめておいたほうがいいんじゃないかな」


 なんだかルシアン様がめんどくさいことになっている。

 もしかして、私がこの間泣いたせいで無理強いしたくないとか、そんなことを考えてしまったのだろうか。少し前のルシアン様だったら、じゃあ一緒に行こうとふたつ返事で頷いていたはずだ。


「る、ルシアン様と一緒が嫌というわけでは、ないので……いえ、ルシアン様と一緒にいられるのは嬉しいので、腹を括るのはまた別の部分で……」


 どうして衆目観衆の中でこんなことを言わないといけないんだ。ヴィクス様なんて顔を背けて肩を震わせている。あれは絶対笑いを堪えている。


 どこかの陰険魔族に素直になれ、と言われたからこうしているわけではない。断じて違う。

 ただルシアン様が寂しそうにしていたのにいたたまれなくなっただけだ。


「それは、本当に?」

「ええ、はい」


 頷くと、ルシアン様の口元が嬉しそうに綻んだ。

 どうしよう、帰りたい。なんで一緒に出かける程度のことでこんなに嬉しがられないといけないんだ。日頃の行いのせいか。絶対にそうだ。

 いや、もう本当に申し訳ない。


 顔が火照りかけるのを、自己反省することによって抑え込む。


「クロエはご一緒してくださらないの?」

「私はパルテレミー様を送らないといけないので」


 モイラが物欲しげに言ったが一蹴され、クロエに庇護対象と認定されたパルテレミー様は顔を引きつらせた。

 アリエルの子孫ということで陰険魔族にちょっかいをかけられたということは、他の魔族にもちょっかいをかけられる可能性が高い。

 学園内に陰険魔族以外の魔族がいるとは思えないが、守られておいて損はないだろう。


「では私たちはこのあたりで失礼させていただきます」


 頭を下げるクロエに続いてパルテレミー様も別れの挨拶を口にした。


「それじゃあ私たちも行こうか」


 挨拶を済ませたところでルシアン様が私の横に並んだ。今日の主目的は案内ではなかったのか。


「モイラ様はよろしいのですか?」

「……セドリック、モイラ嬢を頼むよ」

「かしこまりました」


 案内とは一体。


「案内をするのでは?」

「先導するのも案内だよ」


 学園都市には色々な店がある。そのため案内するにしても、対象を絞らないといけない。主に使うかもしれない店を回っていたと言っていたから、この後はモイラの気になるお店に立ち寄ったりするほうがいいはず。

 私としては後ろをついていくのが楽なのだが、ルシアン様はそれを許してくれる気はないようだ。


「それじゃあどこに行こうか」


 私ではなくモイラに聞いてほしい。


「モイラ様の寄りたいところで」


 後ろを振り返ってヴィクス様の横に並んでいるモイラに声をかける。やはりこの並びは案内に適していないと思う。

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