『ならばそう、見守るとしよう』

 さすがにあんな逃げ方をしたせいか、一週間ほど経っても王子様は何も言ってこなかった。ダンスの授業も勉強会も、王子様と言葉を交わすことなく終わった。

 廃品もいまだに詰め込まれているらしい。それだけの廃品を持ち合わせていることが逆にすごい。一体どこから仕入れているのだろう。


 教室の前で王子様に睨まれていたこともあり、私がしらばっくれているようだという噂も流れている。そのせいでクラリスはぴりぴりしているし、焼き菓子ちゃんはおろおろして、アドリーヌは苦笑している。

 ちなみにこの三人にどうして噂を信じていないのかと聞いたことがある。


「部屋からほとんど出ることのないあなたが、廃品などという代物を入手できるとは思えませんもの」


 というのがクラリス談だ。アドリーヌはクラリスと同意見で、焼き菓子ちゃんは私は優しいからとか言っていた。本当に、焼き菓子ちゃんの目に私はどう映っているのだろう。

 宰相子息も気にしてくれているのか、日に一度は声をかけてくる。大丈夫かと聞かれる程度だが、心遣いが嬉しい。


 しかし、不思議なことに私はこの悪評が気にならなかった。元々悪役を志していたのだから、この程度の噂のひとつやふたつ流せなくてどうする、というのもあるけど、身近な人が信じてないならそれでいいかと片付けている。

 噂が流れる前から話しかけてくれる人はほとんどいなかった。今更遠巻きにされようと、何も変わらない。表立って抗議してくる人がいたら話は別だったかもしれないが、豪胆な精神の持ち主であるクラリスが噂を信じていない。

 他に私に何か言えるような人間は、教師か王子様ぐらいだろう。


 ヒロイン曰く、教師は噂程度で糾弾はできないという方針らしい。王子様が何を考えているのかは知らないが、何も言ってこないということは、信じてはいないのだろう。

 

「ただ、この噂変なんですよ」


 休日に遊びに来ていたヒロインの言葉を不意に思い出す。


「発信者が誰かわからないんです。いいところまでは行くのですか、最終的には誰に聞いたか覚えてないと言われました。しかも何人にも」


 神妙な面持ちのヒロインに、廃品騒ぎの犯人の可能性はないのかと聞いたのだが、首を横に振られた。


「それも調べてみましたが、噂は流していないようでした。なので、それとは別にあなたに悪意のある人がいるということになります」


 だから気を付けてください。そう締めくくられたけど、何をどう気をつければいいのかわからない。

 休み時間にひとりでふらふら歩いていても、危害を加えられたことがない。何かしてきてくれたら、こちらとしても対処のしようがあるのに噂程度ではどうにもできない。


 がっと来てぱっと解決できたら楽なのに。

 犯人が降ってこないかなぁという気持ちで、今日も昼休憩を利用してひとりでふらついている。


 私は今、禁断症状に悩んでいる。いや、禁断症状は少し違うかもしれないが、似たようなものだ。どうにも悪役語録を封印してから落ち着かない。口をついて出そうになる嫌味を必死で押し込めるのにストレスを感じている。

 だから犯人に一気にまくしたてたい。悪意のある相手に棒だなんだと罵られようと痛くも痒くもない。


「降ってこないかなぁ」

「何が?」


 ぽつりと漏れた独り言に思わぬ反応が返ってきた。警戒心をフルに働かせて飛びのこうとして――できなかった。

 腕を引っ張られ、教室に連れ込まれる。よし、敵襲か、と犯人の顔を拝もうとしたら、私の腕を掴んだ先にいたのは王子様だった。


「ひぅ」


 扉の閉まる音に情けない声が出た。これならまだ敵襲の方がマシだ。まてよ、王子様じゃなかったら腕を掴まれた時点で駄目だったかもしれない。

 しかし噂という回りくどいことをする犯人だ。一瞬で息の根を止めにくることはないはず。それならまだやりようはある。

 なにしろ詠唱を省略できるというのは、十分武器になる。相手がひとつ放つ間にふたつ放てばいいだけだ。


「私がいるのに思考にふけらないでほしいな」


 逃避しかけていた意識が渋々と戻ってきた。

 王子様の目を見ないようにそっと視線を外して、これ以上情けない姿をさらさないように努める。


「……何かご用でしょうか」

「どうして用がないと思えるのか不思議だよ」


 腕を掴まれているので逃亡は不可能。

 ならばいっそ潔く、ここで話をつけるべきか。多分この調子だと、逃げてもまたすぐ同じ目に合いそうだ。教室でぎゃんぎゃん泣くよりは、人目のないこの場所で泣く方がまだマシだ。泣くことが決定事項になってしまっているのが我ながら情けない。


 周囲を見回すと、机が理路整然と並んでいる。空き教室、にしては整いすぎている。王子様はここで私が通りかかるのを待っていたのだろうか。話をするためにわざわざ――そう考えるだけで身震いしてしまいそうになったので、私は考えることを放棄した。


「でも、お話はもうおわったでしょう?」

「終わってないよ。続きを話そうって、言ったよね」

「……断られたのだから、それで終わりでは?」


 自分の言葉に胸が詰まる。もう終わりでいいじゃないか。私を責め立てたところで今は涙ぐらいしか出てこない。

 できれば泣きたくはない。だからもう、棒だろうと大根だろうとかまわない。自分は悪役だと奮い立たせて、震えそうになる体を必死に抑える。


「殿下のお気に召さない提案だったことは、理解しましたもの。これからはそのような馬鹿なことを言うつもりはありませんわ。ですから、もう放っておいてくださらないかしら」


 私は王子様にひどいことをしてきた。それはわかっている。償わないといけないことだってわかっている。だけど、しばらくの間はそっとしておいてほしい。断られてからまだ一週間しか経っていない。

 そんな短時間で気持ちを切り替えられるほど、私の心は強くできていない。むしろガラスでできていると言ってもいいぐらい繊細だ。


「レティシア」


 地を這うような声と共に、掴まれた腕に痛みを感じた。目を見なくてもわかる、王子様はこれ以上ないぐらいに怒っている。


「私、これでも申し訳ないとは思っておりますのよ。ええ、殿下とは長い付き合いですもの。ですから殿下が怒るのも仕方ないと、ちゃんとわかってますわ」


 知り合ってから十年、ずっとぞんざいな扱いをしてきた。見限るには十分すぎるほどの時間を過ごしてきた。むしろここ最近まで怒らなかったことの方が不思議なぐらいだ。

 私があの日、誕生日の贈り物を届けたときに不用意なことを言わなければ、王子様はここまで怒らなかったのだろうか。あれが引き金となって、これまでの鬱憤を爆発させてしまったのだとしたら――ああ、でもその前に逢引疑惑と盗人疑惑があった。もはや何が引き金になったのかわからない。色々やらかしすぎているし、やりすぎた。



「ですが、今は時間が欲しいのです。落ち着きましたら、改めて謝罪いたしますので、今だけはどうか――」


 顎を掴まれ無理矢理に顔を上げられる。笑うことすらせず、ただ無表情に私を見下ろす王子様と目が合う。

 こみ上げそうになる何かを押しとどめる。私は悪役だ。悪役はこの程度では折れない。悪役は泣いたり震えたりなんてしない。


「ねえ、口付けでもしてみようか」

「は?」

「そうすれば私は君のその顔を崩せるのかな」


 待って王子様、話が飛躍しすぎてついていけない。

 

「で、殿下、そのような冗談をみだりに口にするものではございませんわ」

「冗談かどうか、その身で確かめてみる?」


 これは本気だ。どうしてそうなったのかはわからないが、王子様は本気だ。そして多分、この間のように手や指にすることを差しているのではない。

 体を強張らせて硬直する私の腕を離す。だが拘束が解かれたわけではない。すぐに背に手が回され引き寄せられた。


「もしも口付けだけで終われなかったらごめんね?」


 そっと耳元で囁かれ、瓦解する。


「でん、か……お願い、だから……」


 ごめんなどという気軽さで人の貞操を奪わないで。そう言いたいのに、震える唇では上手く言葉を紡げない。


 ああそうか、王子様にとってはその程度のことで、私は気軽く奪ってしまってもいい相手だと、そういう扱いをしてもいい相手だと、そう思われてしまったのか。

 堪えていた涙が溢れ、悪役だからと支えていた体から力が抜ける。だけどへたりこむことは許されない。私を拘束する腕の力が増し、どこかうっとりとした表情の王子様が頬を伝う涙を指先でぬぐい唇をなぞった。


「私のためだけに泣いて、私だけに笑いかけて、私の名前だけを呼んで。君に触れるのも私だけでいい」


 甘く囁くように言われ、歯噛みする。こんな状況なのに、執着としか思えないその台詞に縋りそうになる自分が嫌になる。

 もしも王子様が私に執着しているのなら、そこに僅かでも愛があるのではと期待してしまっている自分が情けない。愛は執着でも、執着が愛とは限らないというのに。


 ああ、もう、何も考えたくない。


「レティシア、私はね――」


 何か言いかけた王子様が、扉の勢いよく開く音に眉を寄せた。首をわずかに動かして、不快そうな眼差しを乱入者に向けている。


「レティシア……に、ルシアン殿下、何をしているんですか」

「何とはずいぶんな言い様だね。ただ婚約者らしく語らっていただけだというのに」

「ならどうして彼女は泣いているんですか」

「さあ、どうしてだろうね」


 煙に巻くような台詞に宰相子息が小さく舌を打つ。王子様は王子様で私の後頭部に手を回し、自らの体に押し付けるようにして抱きしめている。苦しい。


「ルシアン殿下、彼女があなたの婚約者であることはわかっています。ですが、同時に彼女はマドレーヌの友人でもあります。彼女が泣いているとなれば、マドレーヌが悲しみます」

「なるほど、自分の婚約者のためだと、そう言いたいのかな」

「ええ、そうですね。悲しむ顔は見たくはありませんから」


 王子様は袖で乱暴に私の顔をぬぐい、腕の力をゆるめた。窒息寸前だった私は、そこでようやく王子様から解放された。


「私の言ったことを、よく覚えておいて」


 最後にそう囁くと、王子様は宰相子息を一瞥してから出て行った。

 靴音の遠ざかる音をどこか呆然としながら聞いていると、宰相子息が心配そうな声色で話しかけてきた。


「……大丈夫ですか?」

「え、ええ。大丈夫よ」


 そうですか、と言ってちらりと私の顔を覗き見る。


「その顔では授業には出られませんね。医務室にでも行きましょう」

「……医務室の場所を知らないわ」

「案内しますので、ついてきてください」


 まだ鐘の音は鳴っていないが、時間は大丈夫なのだろうか。宰相子息が遅刻してしまうのではと心配になったが、さっさと歩きはじめてしまったので仕方なく後を追うことにした。 

 

 一階の突き当りに医務室はあった。宰相子息がノックをすると、中から声が返ってくる。そして扉を開け、私に入るようにと促した。

 机と寝台、そして棚が置かれただけの簡素な部屋の中で、私は椅子に座らされた。有無を言わさぬ勢いに従うしかない。


「落ち着くまでこちらで休ませてもらえますか」


 宰相子息が何やら医務室の先生と話している。窓から差し込む光が先生の髪をきらきらと輝かせていた。とても綺麗な金髪だ。

 このぐらい綺麗な色をしていたら、ローデンヴァルトの王様もよしと頷くのかもしれない。問題はこの先生が男性だということか。


「……それでは私は戻りますが、本当に大丈夫ですか?」


 こくりと頷くと、宰相子息は惑うような表情で視線を彷徨わせる。一巡、二巡したかと思えば私にぴたりと止まり、何故かその場に跪いた。


「このようなときに言うべきではないとはわかっています。ですが、聞いてください」


 ならば言わない方がいいのでは、と言いかけたが真剣そのものな表情を見て口を噤む。


「レティシア・シルヴェストル。私はあなたをお慕いしております」


 一瞬その言葉の意味がわからなかった。


「私はあなたを想い、焦がれています。そして、泣いているあなたを慰めることのできない我が身が恨めしいのです」

「わ、私は殿下の婚約者よ」

「ええ。ですがそれは、あなたが望めばいつでも解消できる婚約です」

「焼き菓子……じゃなくてマドレーヌは」

「父の決めた婚約ですので解消することはできませんが、一番に想うのはあなただけだと誓いましょ」

「それは――」

「何も今すぐ答えを出す必要はありません。ただ、考えておいてほしいと……それだけです」


 私の返事を待つことなく、宰相子息は医務室を後にした。完全に言い逃げだ。

 医務室の先生だってどうすればいいのか困っているに違いない、と思って申し訳ない気持ちで医務室の先生を見ると、微笑ましいものを見たかのように笑っていた。

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