地震7

 思わず漏れた本音に、王子様が傷ついた顔をする。今度はよろめなかったが、間近で悲しそうに眉を下げられるとさすがの私でも罪悪感がわいてくる。

 私はその罪悪感を誤魔化すように、話題を変えた。


「どうして殿下がこんなところにいらっしゃるの?」

「ルシアン」


 おかしい、私は質問したはずなのに何故か自己紹介された。


「地震が頻繁に起きる土地に殿下が滞在するべきではないと思いますけど」

「ルシアン」


 壊れた人形のように同じ単語を繰り返す王子様の向こうで、今度はクラリスが傷ついた顔をした。


「……殿下、お話される気はございませんの?」

「帰ったら呼ぶって約束しただろう」


 そんな約束した、ような気がするようなしないような。王子様とはもう何年も会っていなかったから、時効だと思っていた。王子様は頑なに私に名前を呼ばせたいらしい。期待に満ちた眼差しで私を見つめている。


「……今さらじゃございません?」

「これから先何年も一緒にいることになるのに、今さらも何もないよ」


 私としてはあと三年ほどの付き合いのつもりだ。学園を卒業したら、私と王子様の関わりも婚約もなくなる。そうしたら、名前を呼ぶ機会などないだろう。


「もしかしたら照れていらっしゃるのかもしれませんわね。愛しい方の名前を呼ぶのは、存外勇気がいりますもの」


 先ほどの意趣返しのつもりなのか、クラリスが茶々を入れてきた。危険な土地扱いしたのは申し訳ないと思うが、余計なことを言わないでほしい。

 これでは私が名前を呼ばないのは照れているからとか、王子様を愛しているからと思われかねない。



 いや、でも、悪役令嬢になるなら王子様を愛していると思われたほうがいいのかもしれない。なにせヒロインと王子様を取り合う間柄だ。よし、そちらの方向で話を進めてもらおう。



「……ええ、そうですのよ。殿下の名前を呼ぶだなんて、畏れ多すぎて」

「うん、そういうのいいから。約束したんだから、呼んでよ」


 乙女心の機微を理解してほしい。王子様は朴念仁だったのか。


「……ルシアン……殿下」


 手を握りしめて、名前を絞り出す。こうして名前を呼ぶだけで、ぐっと距離が縮まるような感覚に襲われる。身近にいて、関わりのある、親しい人――そう脳が誤認する前に、殿下、と突き放す。


「君と私の間に殿下はいらないと思うけど」

「殿下を呼び捨てにするなんて、とんでもありませんわ」


 私の精神によろしくない。一定の距離を置かないと、情がわいてしまう。恋慕とか愛情とは違う、子犬を拾ってしまったような、捨てることのできない情。

 責任を負いたくないから悪役になるのに、余計なものは拾いたくない。


「じゃあ、今はそれでいいよ。そのうち呼んでもらうから」


 きっと、そのうちは来ないだろう。




 カチャカチャと、金属音が聞こえてくる。懐かしい音と共に現れたのは全身を甲冑に包んだ置物の化身、アドルフだった。最後に見たときは甲冑を脱いでいたから、この姿を見るのは本当に久しぶりだ。


「殿下」

「わかった。すぐ行く」


 アドルフの短い言葉に王子様がこくりと頷いて返す。短いどころか用件を何も言っていないのに。状況とか、これまでの付き合いとかでアドルフの言いたいことが王子様にはわかるようになったのだろう。


「それじゃあ、レティシア。私はもう行かないといけないけど、安静にしているんだよ」

「言われなくても、無理はしませんわ」


 村の外にいるはずのリューゲが気になるし、今日中に家に帰らないといけないから安静にしているつもりはない。だがそのことを馬鹿正直に王子様に言うつもりもない。


「……ああ、君のご両親には伝えておくから」

「その必要はないと思いますわよ」


 家を出たことが両親にばれるのはまずい。お父様には怒られて、お母様には失望されて、お兄様には呆れられる。子ども扱いが加速するから、それだけは避けたい。


「彼らだって娘が倒れたと聞いたら気が気でないだろうからね」

「私が今日中に屋敷に戻れば、誰も気づきませんわ」


 はあ、と王子様が深い、それはもう深すぎる溜息を零した。


「やっぱり、安静にする気はないみたいだね」

「そんなことございませんわ。安静にしたのちに、速やかに帰るだけですもの」

「ここから王都まで、早馬でも五日はかかるけど」


 アンペール領はそんなところにあったのか。地図を昔見たことがあるけど、距離とかは書いてなかった。大雑把で虫食いまである古い地図だったから、書いてないのもしかたのないことだけど。


「そもそも、君はどうやってここまで来たのかな」


 これはまずい質問だ。転移魔法で来たと正直に教えても信じてはもらえないだろう。信じられたとしても、協力者を聞かれたら答えられない。リューゲですと馬鹿正直に言った日には私の首が胴体とお別れしそうだ。


 かといって馬車で、と嘘をつくことも難しい。ほんの二日前に王子様からの日記を騎士様から受け取ったばかりだ。私の家族に話を聞いたら、私が今日の朝まで屋敷にいたことはすぐにばれる。


「……殿下」


 どう誤魔化したものかと必死に考えていたら、アドルフが間に入ってくれた。

 カチャと金属音を鳴らして、王子様の肩に手を置いた。表情とかは一切わからないが、急げと言っているような気がする。


「……わかったよ。それじゃあ、今度会ったときにでも教えてもらおうかな」


 今度会ったときには忘れていてくれることを願おう。


 アドルフが私とクラリスに対して一礼し、王子様と一緒に家もどきから出ていった。


「食事を、何かもってきましょうか?」

「いえ、いいわ」


 クラリスの申し出を断る。家に帰れば食べるものはあるし、今の状況では食料は貴重なはずだ。ちょっと小腹が空いたから、程度で食べるのは申し訳ない。

 今日は二度も気絶したおかげか、時間感覚も空腹感もおかしくなっている。


「わざわざ、王都から来てくれてましたのね」


 ぽつりと、思わず零れたような言葉に私は首を傾げる。むしろ王都以外に、私がどこから来れるというのだろうか。


「てっきり、近くにまで来ていたのかと思いましたの」

「あら、私は滅多に王都から出ないのよ」


 王都から出たのは、森に行ったときと今回だけだ。物心つく前には出たかもしれないけど、覚えていない。


「……少し、昔話をしてもよろしいかしら」


 え、嫌です。


「今から、そうですわね……十年ほど前のことですわ」


 断る暇すら与えずにクラリスは語りだした。

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