帰還
新年に入って私を取り巻く環境は急激に変化していた。リューゲが色々兼業しながらそばにいるようになったし、王子様との交換日記をしたり――そしてお友達ができた。
私の友達になったのは、クラリスと焼き菓子ちゃんとお母様が選んだ、王子様の誕生祝で出会った大人しそうなアドリーヌだった。彼女たち三人を呼んでの茶会が我が家で行われ――クラリスの本心はどうあれ――友人になれて光栄ですと言ってもらえた。
いまだ外出の許可は降りないが、それ以外はこれといって不自由なく過ごしている。リューゲの王子妃教育は厳しいが、匙を投げられていないので多分問題ないだろう。
そして今日、お兄様が帰ってくる。光の月になったらすぐ戻ってくると思っていたのに、色々忙しかったらしく結局土の月に入ってしまった。
「お嬢様、少しは落ちついてください」
いつ帰ってくるかと朝から楽しみでしかたなかった私に、リューゲの呆れたような声がかかる。すぐお出迎えできるように、自室と玄関とを延々と行き来していたせいかもしれない。
「だってお兄様が帰ってくるんだもの。落ちつけるわけがないでしょう」
「帰ってきたらすぐ呼びますから、お部屋でお待ちしましょう」
リューゲからしてみたら人の目のある場所に長居したくないのだろう。
「もうすぐ帰ってくると思うから、あと少しの辛抱よ」
「どんな根拠があってそんなことを言ってるんですかね」
深い溜息が漏らされたのと、玄関の扉が開かれたのは同時だった。扉を開けて入ってきたのは、お兄様の従者――そしてその後ろにお兄様の姿があった。
「お兄様! お帰りなさいませ」
「わざわざ待っててくれたのかな? ありがとう、レティ」
柔らかく微笑むお兄様に飛びつきたかったが、ここは淑女らしく微笑み返すだけに留める。
「それで、そちらがレティの新しい護衛かな?」
「お初にお目にかかります。リューゲ・ロレンツィと申します」
ちらりとお兄様が視線を向けると、リューゲは恭しく頭を下げた。
「評判のよい男だと聞いているよ。確か――愛妻家だとも」
「そのような評価をいただ.けて光栄です」
愛妻家!? 奥さんいたの? それともそういう設定? 一ヶ月近く一緒にいたけど妻のつの字も出なかった。もしもそういう設定だとしたら、私が何か言うとまずいかと思い、固く口を閉ざす。
「問題が起きないことを願っているよ」
「問題の起こりようがありませんのでご安心ください」
お口にチャック状態のまま、リューゲの言葉に同意するようにこくこくと頷く。リューゲに見張られている状態で抜け出せるはずがない。親切にしてくれた天使にお礼を言いたいとかは思うけど、無理なことぐらいはわかっている。
「それじゃあ、レティ。また後でね」
お兄様の後から入ってきた大荷物を抱えた従者たちを引き連れながら、お兄様は自分の部屋があるほうに向かって歩いて行った。
私もまたお兄様を見送った後、自室に戻る。
「愛妻家!?」
「声が大きいよ」
部屋に入って扉を閉めて、お口のチャックを外した私は開口一番そう叫んでいた。
「え? 奥さんいたの? 奥さんいるのにこんなところにいていいの? それとも設定?」
「口調が崩れてるよ。あと愛妻家って言っても、亡き妻を思ってずっと独り身でいることにしたっていう設定だから問題ないよ」
「誠でござるか?」
「それ武家言葉。まあ実際人間をかったことはあるし、まるっきり嘘ってわけではないよ」
買った? 飼った? 狩った? 当てはまる単語をいくつか頭の中に浮かべる。発音的には飼ったな気もするけれど、恐ろしい想像をしてしまいそうなのでこれ以上は触れないでおくことにしよう。
「もう少し厳しくしないといけないかな」
「とんでもございませんわ。今のはちょっとしたお茶目ですのよ」
うふふと笑うと、リューゲは呆れたような眼差しを向けてきた。リューゲの王子妃教育は少し、いや大分厳しい。立ち振る舞いから口調、表情、指の先までできていないと合格点が貰えない。
それが普通なのかもしれないけれど、王子妃教育何それ状態だった私としては、もう少し優しくしてほしい。最近ではゆっくりと本を読む時間すらとれない。
「ならいいけど。外では絶対しないようにね。ボクの教育が疑われるんだから」
「わかってるわよ。人の目がないところぐらいいいでしょう? あなただって私に砕けた口調で話してるんだから」
「キミの場合は他でもやりそうだから怖いんだよ」
着々と淑女として育っている私に対して失礼な。
ぷくりと頬を膨らませたら、思いっきり頬を掴まれた。空気の抜ける情けない音がする。
「今年で十一になるんだから、子供じみた真似はしない」
頬を掴まれているので頷くこともできない私は、目線だけで了解と送った。
「それで、今日は魔法講座が予定として入ってるけどどうする?」
「そういえばそうだったわね」
光の月は何かと忙しいので、毎年土の月になってから魔法講座が行われる。今日は先生がやって来る日だ。お兄様が帰ってくることが嬉しすぎて忘れていた。
「もちろんやるわよ。リューゲも一緒に見るの?」
「そりゃあね。基本は座学だと聞いているけど、何が起きるかわからないから席を外すことはできないよ」
この調子で他の勉学の時間にも彼は同席している。算術講座で一体どんな危険があるのか、詳しく教えてほしい。
「――ということで、魔力は女神様から賜ったお力です。そのため魔法を発動させるためには女神様に対する敬愛が何よりも必要となります」
最初の一日目はいつもおさらいから始まる。この先生は女神様にとても傾倒しているので、ことあるごとに女神様の素晴らしさを語っている。
この話も最初の年から聞いているので、もう何回聞いたかすら覚えていない。
「何よりも大切なのは女神様のお力をどう使うかです。悪しきことに使おうとすれば、女神様はお力を奪うことでしょう」
魔法の勉強というよりは宗教論を聞いているような気分になってくる。
「去年までは基礎となる火、風、土、水、光の魔法と派生魔法について教えましたが、今年は呪いについてを教えるつもりです」
「はい」
「呪いは悪しきものが使う魔法とされていますので、私が教えることができるのはそれを解するための理論です」
悪しきもの、というところで魔族であるリューゲのほうを見かけたが、なんとか首を動かさずにすんだ。ここで見ていたら後でどんな嫌味を言われるかわかったものじゃない。
「有名なのは眠りの呪いです。これはお伽話などにも載っているため、呪いと聞いて真っ先に連想されることでしょう」
お伽話では、王子様の口付けで目覚めることになるわけだけど、さすがにそういう話ではないだろう。
「一番簡単な手段としては、呪いをかけた者に解かせることです。それができない場合は、呪いを構成している属性と同系統の属性をぶつけることで解呪可能となります」
ふむふむと聞いていたら、カツンという何かを叩く音がした。
「どうやって属性を割り出すかは、まだ次回にしましょう」
「ありがとうございます」
先ほどの音はリューゲが終わりの合図を送ったものだったらしい。私は先生に一礼すると広げていた手帳を片づけていく。
先生もまた広げていた教本を片づけ、最後にまた後日と別れの挨拶をすると部屋から出て行った。
座学のときには私の部屋で、実技の場合は中庭で授業を行うことになっている。私は片づけた手帳を私物入れと化している引き出しにしまった後、何やら考えるようにして椅子に座り続けているリューゲに声をかけた。
「どうしたの?」
「あれ必要?」
開口一番辛辣だ。
そりゃあちょっと女神様の話が長すぎるかなとは思うけど、そこまでひどくはないはずだ。
「お父様が選んでくれた方よ。必要に決まってるじゃない」
「あれならボクが教えるほうがいいよ。ボクは呪いも教えることができるし」
さすが悪しきものの筆頭である魔族。治癒魔法どころか呪いすらお手の物か。
「魔族と人間だと色々勝手が違うかもしれないし……」
「じゃあ空いた時間にボクも教えてあげるよ。どちらのほうが合うかはキミが考えればいい」
私の自由時間がさらに減った。
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