最後の三週間2

 退屈でしかたなかった眠りの週が終わり、戦いの週が始まった。窓から陽の光が差し込んで部屋の中を照らしている。空気はまだ冷たいが、日差しがあるのとないのでは気のもちようも変わる。


「退屈だったわ……」


 ぐっと体を伸ばして日差しを堪能する。折角だから今日はどこかに出かけようかと計画していたら、慌ただしい音が聞こえてきた。走っているようなどたばたという足音に、朝っぱらから騒がしいと眉をひそめる。



「お、お待ちくださ……!」


 マリーの声が聞こえたと思ったら、ノックの音もなく扉が勢いよく開かれた。

 扉に手をつくようにしながら騎士様が息を切らせながら立っていた。ぎらぎらとした目つきに乱れた髪、普段とは違う出で立ちに何事かと目を見開く。

 どう見ても異常だ。真面目で堅物な騎士様が礼を欠くようなことがあったのだと察して、私はゆっくりと口を開いた。


「どうされましたの?」

「……で……ん……でん」


 はぁはぁはぁはぁと、絶え絶えになっている息のせいでまったく言葉になっていない。


「でんでんむし?」


 ただでさえ赤くなっている顔がさらに赤くなった。

 さすがの私でも照れからではなく怒りのせいだということがわかる。少しでも気もちを和らげてあげようとしたのに失敗だったようだ。


「でん、か……」

「でん、か……殿下?」


 私が首を傾げると騎士様は深く深呼吸してから頷いた。


「ああ、殿下が、いないか」


 少しずつだけど呼吸が整ってきた騎士様はようやっと文章で喋ってくれた。


「いえ、いらっしゃいませんけど、どうされましたか?」

「いや、いないなら良い。邪魔したな」


 俊敏な動きで踵を返す騎士様。こんな朝早くからやって来てそれだけで帰すのは癪だ。

 私はマリーに目配せして、騎士様の行く手を阻ませた。


「殿下がどうされたのかと聞いてるのですけれど」

「時間が惜しい。邪魔をするな」

「殿下をお探しになられているということは、行き先も告げることなくどこかに行かれましたの?」


 王子様大好きな騎士様が顔を真っ赤にさせながら私のところに来たということは、誰にも何も言わずに王子様は城から抜け出したのだろう。

 ぴくりと動いた騎士様の眉が、私の推測が正解だと物語っていた。

 


「眠りの週で退屈されて、どこかに遊びにいかれたのではございませんか」

「いや、それはない」

「では私のところに来るのもおかしな話ですわね」


 喋らないと時間を無駄にするだけだぞという脅しをこめながら睨むと、騎士様は深いため息をついてから肩の力を抜いた。


「痛ましいことがあって、殿下は行方をくらませた。遊びに行こうなどという気にはなれないはずだ」

「……それでも私のところにいらっしゃる理由はないと思いますけど」

「婚約者だろ」


 さも当たり前のようにさらりと言われたが、嫌なことがあって逃げこめる場所ではないはずだ。

 私と王子様は、よくて喧嘩友達ぐらいの仲だと思う。嫌味の応酬はするが、慰めたり癒しを求めたりするような関係ではない。


「……まあ、事情はわかりました。お引止めして申し訳ございません」

「いや、良い。少し頭が冷えた。殿下の行き先に心当たりはないか?」

「心当たりですか……これといったものはありません」


 あの王子様が行きそうな場所なんて私が知るはずない。いつも話すのは花についてとか、王妃様についてとか、王妃様についてとか、王妃様についてとか、八割王妃様についてだった。後たまにだけど城であった面白話ぐらいか。


 うーんと首をひねっていると、今度こそ騎士様は去っていった。

 頭が冷えたとは言っていたけど、敬語を忘れていたことを考えるとまだ冷静にはなりきれてないのだろう。

 寝起きで寝衣姿の私に謝罪も何もなかったし。



 朝食の準備ができているとのことで、マリーに着替えを手伝ってもらってから食堂に向かうと、本来ならいるはずのお父様の姿がなかった。

 どういうことだろうかとマリーを見ると、マリーは「先ほどお出かけになりました」と教えてくれた。

 テーブルの上に食器だけは用意されているので、出発したのは本当についさっきのだろう。とすると、騎士様と一緒に出かけた可能性が高い。

 

 この家のしきたりとも言えるルールを破らないといけないほどの何かが城で起きている。

 王子様が姿を消したというだけなら、わざわざお父様を呼ぶ必要はないはず。王子様の捜索はそれこそ騎士の仕事だ。文官としか思えないお父様にできる手立てはほとんどない。おそらくは騎士様の言っていた痛ましいことが関係している気がする。


 騎士様が私のところに来たということは、王子様を探すだけの人手が足りていないのだと思う。そしてさらわれたという可能性も低い。その場合は騎士団の人が派遣されるはずだし、そうでなくても朝早くから訪問するのではなく書状から入るのが普通だ。


 王子様が抜け出したことを知らない、あるいは知っていても何もできない状況に王城が陥っている。

 王子様にまで気が配れないほどの何か。最近出没頻度の多くなっている魔物については、関係ないと思う。それが理由なら、なおさらお父様を呼ぶとは思えない。

 他国と何かあったのか。それなら文官っぽいお父様の出る幕はあるかもしれないけど、王子様が抜け出すほどの何かがあるとは思えない。




 思考を巡らせる。


 最後に会ったのは命の月だったけど、そのときの王子様の様子は普段通りだった。

 いや、少し違ったか。そわそわして、たまににやけて。何かあったのかと聞いても「秘密」としか教えてくれなかった。

 抜け出すほどの悲惨な何かが起きるようには見えなかった。


 秘密といえば、私の誕生祝で王子様が言っていた盛大な祭。

 盛大だと王族である王子様が言うほどの祭なら、おそらくは国を挙げての祭になるだろう。国を巻きこむほどの、喜ばしいこととは何か。

 

 そして今回の 痛ましいと言うほどの何か。何が王子様にとって悲しいのか。


 王子様にとって一番大切なのは何か。

 

 当てはまったのは、ゲーム時点との齟齬。




 ――ああ、王妃様が亡くなったのか。


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