第112話 望ましくない波乱の始まり

 レガルド領から続く森林地帯を抜けた先、大量の褐炭かったんが堆積した肥沃な低盆地に広がる田園風景の中を進み、ゼファルス領主体の混成旅団が中核都市ライフツィヒまで十数キロの地点に迫っていた同時刻、その報告を居城にて衛兵隊の将校より聞かされたハイゼルは精気のない表情で頷く。


「分かった、出迎えの準備を進めろ」

「………… 宜しいのですか?」


 遠縁にあたる騎士長ヴァルフを含む、多くの騎士や魔導士達を討ち取られて落胆し切った領主に問い掛け、すぐに麾下きかの将校は愚かしさを自覚した。


 本来ならば怒鳴られてしかるべきだが、著しく覇気の欠けた相手は忌々しそうに歯ぎしりするだけで、怒りの感情を呑み込んで冷静に答える。


「もはやリグシア領の巨大騎士ナイトウィザードは帰投したキャノンディールを数えて三体のみ、片や女狐と騎士王の保有する騎体は三十七体だ、もない」


詮無せんなき事を聞いてしまい、申し訳ありません」


 深く頭を下げた将校が退出すると執務室には重苦しい空気だけが残り、会談に備えて同席していたアルダベルト老は肩をすくめる他になかった。


 それでも無為むいな時間を過ごしたくはないので、少々言葉を選んでから既知きちの侯爵に向け、気遣きづかいながら言葉を掛ける。


けいに不本意な和睦の条件を承諾させたのは私だ、隠居後に爵位を息子へ継がせる件は任せておけ、頼られたなら知恵も貸そう」


「感謝する、老翁ろうおう殿。重ねて無理を言うようで心苦しいが……」


 躊躇ためらいがちにハイゼルが切り出したのは隣国へ投降した者達の話であり、本人が望むのであれば身柄を取り戻したいという主旨の内容だ。


 騎体適性の都合上、実戦に投入可能な水準の人材は得難えがたいため、自領に留めたい意図があるのかと勘繰かんぐれば、やや逡巡してからハイゼルは首を左右に振った。


「命令を下した為政者の義務だ、それでもでもない」

「ふむ、騎士国にくだった連中は家族同伴の亡命が確約されているらしいぞ」


「進退きわまった状態での選択は本心とかぎらんだろう」

「確かに… の若造に掛け合ってみよう。しかし、けいの性格も中々に難儀だな」


 凝り固まった貴族主義ゆえ、異世界より迷い込んだ稀人まれびとが帝国領を治める事に我慢できず、排除を画策した挙句に自滅しているのだから致し方ない。


 手勢の軍備増強に加え、他国への技術供与を敢行する女狐の行動に疑念はぬぐえなくとも、大半の同胞はらからが経済的支援に留めて軍勢を出さなかったあたりで、時期尚早と判断すべきだったのだ。


(後悔先に立たず、というのは大和やまと言葉だったか)


 “血気にはやるハイゼルをいさめてやれる機会もあったのでは?” などと、くだらない仮定が一瞬だけアルダベルト老の脳裏を過り、耄碌もうろくしたなと内心で自嘲する。


 他に先んじて打ち合わせておく事は無いか、会話の途切れた合間に考えをまとめていれば… にわかに名状しがたい悪寒が老翁ろうおうの背筋をはしり抜けた。


 直後、前触れなく生じた強震によって室内の窓ガラスはことごとく砕け散り、壁際の書棚も倒れたのに続いて、外壁や天井が崩落するような重低音まで響いてくる。


「ッ、地震だと!?」

「こ、これがそうなのかッ!!」


 アイウス帝国に限らず西方諸国の地盤は安定しているので、数年に一度くらいしか起こらない現象に二人して戸惑うが、十数秒ほど経過すると揺れは次第に収束していく。


 領主のさがで市街地の被害を気に掛けたハイゼルが割れ窓へ歩み寄り、この時間帯は人出が多いであろう中央広場に視線を向けて、そこに存在してはいけないモノを見てしまった。“輝く鈍色の浮遊多面体”、つまりはである。


「馬鹿なッ、あり得ない!!」

「まさか、存命の内に拝見できるとは… 冥途の土産にしてもたちが悪い」


 年の功だけ達観しているアルダベルト老は距離的に近い広場より届く微かなざわめきを聞き流し、初動の遅れた人々に空間の揺らぎから飛び出した小型種の異形が次々と喰らいつく様子を見遣みやる。


 早くも十数名が双頭の魔獣オルトロスや、梟頭の熊オウルベアに惨殺される最中、老翁ろうおうが懐へ片手を忍ばせたところで、建付けの悪くなった扉が小さく叩かれた。


 返事を待つことなく入室して一礼したのは見目麗しい二人の侍女で、リグシア領の騎体開発や資材調達を担う白狐ことファウ・ザゥメルの従者である。


 ただし、彼女達の外見は若干変貌しており、病的なまでに白い肌とエルフ種特有の笹穂耳も相まって、清廉な人外の雰囲気など醸し出していた。


「我が主の伝言を預かっています、心して聞きなさい」

「“さようなら、もう会うことはないでしょう”」


 手向たむけられた離別の言葉にかすかな殺意を感じ取り、即座にアルダベルト老が握りしめたままだった短距離転移の魔封石を励起させる。


 瞬時に姿をき消した老翁ろうおうの逃走先は隠れ家セーフハウスの二階であり、階下に私服の精鋭数名が控えているも…… 厳選した護衛達と合流すること無く、比較的長い人生に想定外の終止符を打たれてしまった。


「ぐぶッ、て、転移、先を… 辿った、のか?」


 追いすがるように空間跳躍してきた風刃の直撃で、斜めに両断された身体の上半分がずるりと崩れ落ち、ぶちまけた臓腑と血の海に沈んでいく。

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