第80話 審問会の噂と古典音楽

「何故、皇統派の動向を此方こちらに?」

「もし陛下が知らない場合、少なく無い恩が売れるでしょう」


 “その様子だと御存じのようですが” などと飄々ひょうひょうとした態度でうそぶき、ヘイゼン候の次男坊は僅かに身体を揺らして、着座した姿勢のまま足を組み替える。


 やや硬さを崩した状態で語られた仔細しさいによれば…… 国境を越える過剰な技術供与や、“滅びの刻楷きざはし” との戦闘に派遣している騎体も含めたゼファルス領の現有戦力をかんがみて、皇統派主導の元老院はニーナ・ヴァレルを叛意はんいありと見做みなしたらしい。


「確かに戦力過多だが、異形の浸透を西方三領地で食い止めている現状だと軽々けいけいに呼び戻せないだろう」


「それでも矛先が向くことを恐れる者は多いのですよ。寧ろ外敵への対処で足元がおろそかな機会に乗じて、彼女を叩き潰したい気持ちも理解できます」


 中立派から選出された元老院議員の一部も審問会の開催に賛同しており、暗躍しているハイゼル侯爵の根回しもあって、翌週には領主令嬢の招聘しょうへいが僅差で議決される見込みとの事だ。

 

 だが、有力貴族として議席を持っているにも拘わらず、面倒な元老院とは距離を置いていたニーナに書状を送っても応じる訳がない。


 全ては茶番劇であり、元老院の命令に従わない事実で彼女の叛意はんいを確定させ、皇統派がゼファルス領に侵攻する口実を作りたいのだろう。


「最早、いさかいは避けられないか……」


「当家の領地は異形の支配域寄りなので、内紛など御免被ごめんこうむりたいものです」

「まさに内憂外患ないゆうがいかんですね、愚かしい」


 隣席で聞き耳を立てていたイザナが小さく溜息したものの、人は思っているよりも合理的にできておらず、良かれ悪かれ欲望などの感情に突き動かされる生き物に過ぎない。


 故に皇統派も一枚岩などでは無く、どう取り繕っても内輪の争いであるため、物資や騎体などの提供はあっても矢面に立つ者達は絞られる筈だ。


な話に感謝する、エルベアト殿。其方も聞きたい事があるんだろう?」


「御言葉に甘えさせて貰います。今回の件、首謀者のハイゼル候は内政干渉のそしりを受けてまで貴国が関与しないとたかくくってますけど、その様子だと横槍をいれますよね?」


 さも当然の如く確認してきた口振りから、此方こちらの関心度合いを測られていたと理解して、先ほど “有意義” という発言をした自身に呆れてしまう。


 今さら誤魔化しても仕方ないが、相手の自信ありげな表情が少しだけしゃくさわったので、暫時の逡巡を挟んで曖昧な言葉を投げる事にした。


したる労力を掛けず、我が国の利益になる状況であればな……」


「どちらでも良いがフォセス領を抜ける際は忍んでくれよ、騎士王殿。人目に付いてしまえば私も対処せざるを得ない」


 やや辟易とした声音のラドクリフが後部座席で零した暗黙の了解を受け取りつつ、平時へいじよりも着飾った人々で次第に席が埋まっていく劇場内を見渡す。


「陛下、そろそろ開演の時刻かと思われます」

「ありがとう、フィーネ」


 会話の区切りに乗じて、肩越しに小声で知らせてくれた亜麻色髪の少女に礼を述べ、話は此処ここまでだとばかりに肩肘の力を抜き、豪奢な貴賓席の背もたれに深く身体を預けた。


 自然な流れで軽く瞑目すると聴覚に意識が向き、皇統派貴族の次男坊に付き添う女騎士も開演間近を理由にして、そろそろ潮時だと助言するのが耳に届く。


「間もなく開幕のようです。小難しい話は終わりで構いませんか?」

「あぁ、無粋な真似は止めておこう」


「うむ、貴殿らの話はあくまでも演奏会のだからな」

「すみません、お二人とも。主人は音楽に目がないもので……」


 少々不躾ぶしつけにも聞こえる背後からの物言いを伯爵夫人が補うも、ラドクリフ自身は気に留めず、旧知のゼノス団長と言葉を交わし始める。


「今年は帝都ベリルのフィルハイム劇場より楽団を招いたから、大いに期待してくれても良いぞ」


けいがそう言うなら、腕は確かなんだろう。演目は……」


 何やら音楽を語り合う筋骨隆々なおっさん達に名状し難い違和感を覚え、思わず小首を捻っていたら隣のイザナが耳元に可憐な唇を寄せてきた。


 囁かれた事情によれば…… 数年前、初等教育をになう教会学校から軍校の魔術科に進学したフィーネが反抗期になった頃、義娘との会話が減少してきたゼノスは胃を痛めていたらしい。


 途方に暮れた挙句、年端もいかない魔術科の生徒達に騎士団長自ら頭を下げ、何とか聞き出した彼女の趣味趣向に音楽があり、それならばと当時から筋肉繋がりで親交があった隣国のフォセス伯爵を頼ったそうだ。


「結果、見事に毒されたと?」

「高尚な趣味で結構じゃないですか。私も好きですよ、音楽」


 微笑んだ伴侶の少女に促されてパンフレットを眺めたが、粗忽そこつな武辺者に音楽の見識など無いため、稀人まれびとが持ち込んだ自世界の楽曲があると教えてくれても理解できない。


 されども幕が開けて流れてきた管弦楽の調べは素晴らしく、その中には “G線上のアリア” を含むバッハの作品が数曲ほど混ざっていた。


(…… 確か、彼はピアノが普及してない時代の人間だったな)


 現世界に於ける楽器の構成だと、稀人まれびとの音楽家が名曲をアレンジするにしてもバロック音楽以前が限界なのかもしれない。


 やや無粋ながらも興味深く静聴している内に演奏会は幕切れとなり、伯爵邸に戻って皆で夕食を済ませてから、あてがわれた客室でイザナと一緒のベッドへ潜り込む。


 その翌日以降はグラウエン大聖堂にある重厚なパイプオルガンを伴奏にした讃美歌や宗教曲、中央広場で有志の音楽家により合奏される世俗曲なども御忍びで楽しんだ。


 勿論、必要最低限の衛兵しか同行させなかったので隻眼の魔術師サリエルを怒らせてしまい、誘い掛けてきたラドクリフ諸共に大目玉を喰らったは言うまでも無い。


 かく、次の戦場に備えて羽根を伸ばせた三日の滞在期間はく過ぎ去り、月ヶ瀬家ルナヴァディスの兄妹など郊外待機の騎士や魔導士らと合流した俺達は帰還の途に就いた。

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