第76話 六根清浄とはいかずとも

 いずれは自身も望郷の念が強まっていくのだろうかと、日本のそれより葉っぱが大振りな西洋紅葉もみじを眺めて物思いに耽る。


(確か、ニーナ・ヴァレルは自世界への帰還を諦めないとうそぶいていたな……)


 ただ、平行世界を渡る方法は不明きわまりなく、魔術師長のブレイズに頼んで調べて貰った範囲でも、稀人まれびとが現世界から帰還した明確な記録など存在しなかった。


 故に天寿が尽きるまで生き抜いて騎士国に骨を埋めるか、若しくは戦場で力及ばず朽ち果てる覚悟は決めたものの、秋空の如く人の心は移ろいやすい。


六根清浄ろっこんしょうじょうには程遠いな……」

「クロード、何か気掛かりや迷いでも?」


「例え現状は不惑ふわくでも、先の事なんて断言できないと思っただけさ」

「それで良いのです、実に人間らしいじゃないですか」


 きゅっと絡めた細腕に力を入れたイザナの温もりや色香のせいで、舌の根が乾かぬ内に戸惑いながらも左手に掴んでいた革水筒を傾け、やや渋みのある香草茶で喉を潤す。


 乾燥させたレモングラスとペパーミントに加え、適量のローズマリーを独自ブレンドしたというフィーネ特製の逸品には深い味わいがあり、程良く気分を落ち着かせてくれた。


「イザナも飲むか?」

「はい、ありがとう御座います♪」


 上機嫌で手渡した革水筒に口付け、艶やかな黒髪の少女が御茶を含んだ直後…… 何故か、少しだけ残念そうな表情になってしまう。


「うぅ、甘くない…… 蜂蜜が入ってません」

「こっちの方が嗜好に合うからな、抜いて貰ったんだ」


 苦笑しつつも馬車の客席後部に置いてある荷物を漁り、蜂蜜仕立ての香草茶が入っている革水筒を差し出せば、丁重に両手で受け取った少女は少しずつ中身を啜り始めた。


 その小動物のような愛らしい姿を何気なく観察していると、不意に綺麗な翡翠色の瞳と視線が絡んで微笑みを向けられる。


「中核都市レイダスでの音楽祭、凄く楽しみです」

「あぁ、良い機会だから堪能させてもらおう」


 王と名の付く立場上、芸術関連の造詣ぞうけいも必要になるため、個人的な興味が薄いからと避けては通れない。


 それに “これって二人の新婚旅行だよね?” と言い出して王都に居残った相棒の為にも、有意義な時間を過ごしたいと願っていたら、少し目を細めたイザナが言葉を重ねてくる。


「時に帝国領と言えば、巨大騎士ナイトウィザードを生み出したニーナ様が御高名ですね。とても聡明で蠱惑的な御令嬢と聞き及びますが、実際の印象は如何いかがでしたか?」


「そうだな、同盟国全体の利にこだわり過ぎて身内の帝国貴族から警戒されているが…… 心根は義に厚く情け深い淑女だ」


 同胞たる稀人まれびと達にとっては善き領主であり、彼らを差別的に扱う皇統派から反感があると理解した上で、敢えて救いの手を差し伸べる姿勢には危うさも覚えた。


 などと主観に寄った意見も踏まえて女狐殿の人となりを伝えれば、黙して聞いていたイザナは少々不満げな様子を見せる。


「思いのほかべた褒めですね。クロードはニーナ様に特別な感情でも……」

「あくまで同盟国の領主に対する評価だよ、悪感情を持ってたら組めないだろ」


「むぅ、それは本当ですか?」

「察してくれ、無骨な俺に彼女の相手は荷が重過ぎる」


 良いようにあしらわれる姿が容易に想像できたので、思わず自傷気味に口端を歪めてしまうものの、依然としてジト目は向けられたままだ。


 この場合はどういう対応が最良なのか、隻眼の魔術師サリエルより教授された色恋沙汰の知識を総動員しても、同一人物から薫陶を受けているイザナが相手だと一筋縄にはいかないだろう。


「私の旦那様は無為むいに人を惹きつける部分があって、心配なのです」

「いや、寧ろ騎士王の絡みで誘引されているだけでは?」


 此方こちらに迷い込むまで、幼い頃の過酷な修行時代を除けば至極平凡な人生を送ってきた記憶しかない。つもりではあるが…… 似たような事を折に触れて友人や同僚から言われていた気もする。


 僅かばかりの魅力でも備わっているのかと頭を捻り、当時の状況を思い出してみても肯定する材料など皆無だ。そもそも日常生活での経験則に従うなら、周囲の耳目を集めるのは何かしらの失敗をやらかした時と相場が決まっている。


(単に粗忽そこつだから悪目立ちしていただけか、情けない話だ)


 そう思い至って伝えると不思議そうな表情でイザナは小首を傾げ、城内の侍女達や騎士団員が口にする王の評価を教えてくれた。


 実際のところ、彼らが騎士王と斑目蔵人まだらめ くろうどを完全に分離して考える事は難しく、職務上の理由により批判的な態度を控えるため、聞かされた言葉の全てを鵜呑みにはできない。


 されども、純真無垢に育てられた少女は自身の猜疑心さいぎしん不埒ふらちだと切り捨てる傾向があり、胸裏に負の感情が蓄積されないよう思慮しているので、無粋なことは言わずに合わせておく。


 そんな風に会話を交したり、護衛役の月ヶ瀬家ルナヴァディスの兄妹や琴乃なども加えて食事を取ったりしながら数日間の旅路を順調に進み、俺達は帝国民を中心に近隣の人々が集まっているフォセス領の中核都市まで辿り着いた。 

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