第5章「白紙の手帳」その9


しかし次第に傷ついているようには見えてこなくなった。


文田は僕から離れるように軽快に歩き、椅子に座った。



「なにまじになってんのよ。まったく冗談通じないだから」



そう言った彼女は僕を見ずに、自分が寝ていたベッドを眺めていた。


こういう女の子は苦手だ。



男を手玉にとるような女の子は癪にさわるし、いちいち気をつかう。


僕の妹もそうだ。



それは平木とて同じことだ。



しかし、平木は文田と違い、相手が誠意を見せれば、



ちゃんと誠意をもって言葉を返せる人だ。



そんなに話したことは無いはずなのに、そう思ってしまう。



その原因は今の僕には理解しかねることだった。



「文田はどうして保健室にいるんだ?」



「久しぶりに教室に行ってきたからね。少し疲れちゃって」



久しぶり、という単語に違和感は感じなかった。



彼女はいわゆる昔から保健室登校をしている生徒で、



学校も昼休みあたりから、教室からいなくなっていた。



僕の見立てでは、授業日数の三分の一くらいしか出席していない気がする。



なんらかの事情があることは分かっている。



何の所以もなく、好きで保健室登校する人は少ないと思う。



しかしそこは他人が触れてはいけない、



つつけば簡単に割れてしまそうな領域である気がした。



それに今更であるような気がした。



だってそうだろ?



僕と文田は中学の三年間同じクラスで、友だちとまではいかないが


話す機会は多少なりともあった。



そう、僕の家の近所に住む栗松のおばちゃんくらいにはあったはずだ。


しかし、中学の僕は女の子という存在を意識し過ぎるあまり、



意識から離してしまっていた。文田もその例外ではなかった。



しかも、保健室登校ということもあってか、クラスでも異質の存在であった。



例えるなら、僕が以前に平木が来る前に感じた右隣の席と同じだ。



何か特別な事情を抱えている女の子に声をかけられるほど、



僕の小さめの心は何も感じずにはいられなかった。



今、このタイミングでその事情を聞くことはできそうにない。



違和感のある行動はしたくはなかった。


それでも、こんなに心の中で葛藤しているのは、彼女を助けたい、



という英雄気取りな思考があったからに他ならない。



それはあの部屋に訪れるずっと前から。



「なぁ、聞きたい事があるんだけど」



「何?」



「文田はどうして昔から、保健室に通っているんだ?」



僕はそう言った瞬間、血の気が引けた。



文田の無表情に近い顔がさらに無表情になったからだ。



まるで漫画のように、彼女の瞳がうす黒くなっているように見えた。



人は人に敵視するとき、こんなにも恐ろしい顔をするんだな。



「それってあんたに言わなきゃダメなの?」



文田はそう言い残して保健室を去った。


質問してから思う。



僕は馬鹿だった。



擦りむいたひざのことなどとうに忘れてしまい、一刻も早くこの場から去ることにした。

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