30話 社会が生まれ始めたぞ
ヤギ人の子供たちを迎え入れ数日。
彼らの家も整い、アシュリンの織物を手伝ってもらうことにした。
ヤギ人は獣の毛を紡ぎ、衣服を作る文化があるらしい。
狩りや漁よりもヤギ人の得意を活かしやすいだろう。
「すごいな! こんなに早く糸
新しい作業場でアシュリンが声を出して喜んでいる。
これはヤギ人の子供――モリーとフローラといったか。
彼女らが画期的な糸紡ぎの道具を持ち込み、作業効率を劇的に向上させたためらしい。
まあ、俺は織物は分からんから『らしい』くらいの理解だが、それは
いままで、アシュリンは木の繊維を指に巻いて
だが、ヤギ人が持ち込んだ紡錘に繊維を結びつけ回転させると、どんどん捻れて糸になっていくのだ。
これの作業効率は手紡ぎとは比べ物にならないらしい。
また、織物の作り方も違うようだ。
アシュリンは重りをつけて垂らした縦糸に横糸を通して大きな布を作る。
だがヤギ人は細い棒を器用に使い、ちまちまと糸を編んで衣服を作るのだ。
いまもウシカの子供たちに簡単な上着を作っているらしい。
「き、器用に作るな。織物を作るよりも便利かもしれないな」
「そんなことありませんよ。小さいものなら編み物が便利かもしれませんが、大きいのを作るのは大変です。それに木の皮の糸は固くて編みづらいです」
アシュリンとモリーという娘はすっかり打ち解けたようだ。
モリーは積極的にこの地に馴染もうとなんでも積極的にやるし、そういう態度をアシュリンが好ましく思うのは当然だ。
だが、フローラという娘の方はイマイチ親しもうとしないらしい。
いまも不満げな表情で糸を紡いでいる。
控え目な女ウシカは一歩引いたかたちであまり会話には参加しないようだ。
なんというか……ちょっと心配になる。
「女のまとめはアシュリンに任せ、様子を見てやることだ。女の関係に男が割り込まず、群れから脱落しそうになったときに声をかけよ」
「難しい話だな……よく分からんぞ」
スケサンは俺にアドバイスをくれるが、よく分からない。
考えてみれば女が増えたものだ。
アシュリン、女ウシカ、モリー、フローラ。
4人もいれば色々あるのかもしれない。
少し離れたところではピーターがウシカの子供らと遊んでいる。
まだ幼いピーターはウシカの畑を手伝うこともあるが、基本的には子守だ。
ウシカの子供たちも新しい遊び相手に夢中である。
「スケサン、子供たちをとられて寂しいか?」
「バカなことを。子供らは色々な相手と遊ぶのがよいのだ。ピーターとて畑仕事ばかりではいかん。それに私からみればオヌシもアシュリンも子供と変わらぬよ」
スケサンはクククと皮肉げに笑い「早く孫の顔を見せよ」とからかってくる。
「毎日励んでいるがな。こればかりは授かり物だよ」
「数ばかりが能でもあるまい。工夫するのだな」
くだらない話にもつき合ってくれるスケサンはありがたい。
何だかんだで仲間がいない俺はスケサンが話し相手だったりするのだ。
アシュリンは妻だが、こういうのとはなにか違う。
ふと、ここで気がついた。
スケルトンとはどのようにして数を増やすのだろう。
まさか交尾をするわけでもあるまい。
「なあ、スケルトンてどうやって増えるんだ? 古戦場とかにいるだろ?」
「うむ、前提としてある程度の知性ある生物の骨が必要だ。完全でなくてもよいのだが、揃っていないと難しい」
知能があって骨が揃っているのが条件なら土葬ならスケルトンになりそうなものだが、不思議な話だ。
「無論、まだ条件はあるのだが――こればかりは
スケサンは棒を拾い、地面にガリガリとなにかを描き始めた。
格子状の図形にも見える。
「話は戻るがな、ヤギ人の娘らが編み物ができるのであれば、このような網を作ってみるのはどうだ?」
なるほど、格子状の図は投網のようだ。
鬼人も投網は武器として使うので馴染みがある。
少し強引に話を変えられた気がしたが、スケサンにも話したくないことくらいあるだろう。
「いいんじゃないか? 悪くない武器だ」
「ふむ、私は漁に使うつもりだがな……武器になるのは間違いない」
投網とは鉤針などをつけた網を投げつけて敵の動きを封じる武器だ。
漁に使えるとは信じがたいが、物知りのスケサンがいうのならば使えるのだろう。
「網の目を細かくして、水に沈むように重りをつけるのだ。これをフローラに作らせよ」
「ん? 俺がか? 詳しいスケサンの方がいいだろ」
スケサンは「そうではない」と首を振る。
「人は社会的な生き物だ。自分が他から必要とされていると感じることが大事なのだ。里長のオヌシから頼むことに意味がある」
「なるほど、なら思いきって織物はヤギ人に任せるか。もともとアシュリンは得意ではないし、彼女たちは畑を少し手伝わせて織物をやればいいんじゃないか?」
スケサンは満足げに「うむ」と頷いた。
なんだかんだでスケサンはよく見ているし、頼りになる。
住民が増え、拠点が一気に賑やかになったのはよいことだと思う。
だが、当たり前だか人が増えればいままでなかった人間関係も生まれる。
人が集まれば色々あるのだ。
(しかし、あの中に入るのかよ)
新しい作業場を見てため息が出る。
なんというか、女の集まりは本能的に怖い。
理解できないからだ。
チラリ、とスケサンに視線で助けを求めたが「早くいけ」と追い払われた。
いい気なもんだ。
「あー、アシュリン。ちょっといいかな?」
楽しげな会話に割って入り、先ほどの話をする。
多少まとまらないが仕方ないだろう。
「え? へへ、そ、そういえば最近ベルクとは狩に行ってなかったな」
アシュリンがなぜか喜び、モリーがうつむいているがよく分からん。
「ここは基本的にモリーとフローラに任せよう。なにを作るかも含めて任せるが、とりあえずフローラは投網を完成させてほしい」
「はい、わかりました」
素直に返事をするのはモリーだ。
フローラは「作ったことがなくて自信がない」ようなことをいっている。
(なるほど、ひょっとしたら不満なのではなくて、失敗して立場を悪くすることが不安なのかもしれないな)
スケサンのアドバイスを受けてみれば、感じるところもある。
彼女に必要なのは他から頼られることかもしれない。
「フローラができないなら俺たちにもできん。任せたぞ」
それだけを伝え、俺は立ち上がった。
「べ、ベルクは私以外の女が苦手なんだ。き、機嫌が悪いわけじゃないぞ」
背中の方で勝手なことをいうアシュリンの声が聞こえた。
☆★☆☆
数日後
里ではモリーが編み込んだ
「いい出来だ、任せたのは正解だった」
「ありがとうございます。シッポが難しかったですけど、2つ目は簡単でした。いまは大きな織物を完成させて、戸の代わりに玄関に垂らしたらどうかと思ってて――」
モリーは実に嬉しそうだ。
自分の働きがかたちになる喜びを感じているのだろう。
「フローラも頑張っているな、少しずつ改良すればいい。初めて作るものだからな」
フローラは無言で少し頭を下げる。
あまり懐かれていないが、これが彼女の距離感なのだ。
「よし、頑張ってる2人にいいものをやろう」
俺がカンの実を2人に手渡すと、彼女らは遠慮してモジモジとしている。
「どうした? 食っていいんだぞ。そうか、フローラは苦手だったか」
「は、はい。いいえ、私がいただきます!」
モリーがフローラのカンの実を奪うようにして皮をむく。
彼女はがんばり屋ではあるが、すこし食い意地が張っているようだ。
「んっふ、酸っぱ……おいしいです」
「そうか。だが、フローラのものを奪うのは感心せんな。これからは気をつけるようにな」
俺が注意をするとモリーは「すいません」と大げさなほどにしょげかえり、フローラは「ふん」と鼻で笑った。
なんだかここにも色々ありそうだ。
■■■■
スピンドルのこと。
軸の長いコマのような形をしている。
引っかけた繊維を地面に向けて長く垂らし、紡錘を使い回転させる。
すると、ねじあげられた繊維は糸へと撚り込まれるのだ。
回転力を利用して繊維を糸にすることは世界各地で古くから行われ、日本でも弥生時代には使われていたらしい。
いまでも手紡ぎの風合いを好む愛好家に需要があり、手紡ぎの糸は生産され続けている。
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