第319話 イルモート討伐戦⑥ 飾りたい絵

 最後の太陽の祝福者であるタファトが外宮に向かった今、魔道具の灯はクルケアンを照らすことはない。そのため、日が沈み暗くなった上層ではオシールの指示によって篝火を焚いていた。大貴族の当主達が外宮に続く階段と化し、その加護を失った上層には強い風が吹きつけている。その炎は兵達の影を大きく照らし、まるで魔獣のように揺らめく影を見せつけているのであった。一部の兵が影をイルモートと誤認し叫び声をあげ、駆け付けて見れば自身の影であったなどと笑えない話も出る始末である。オシールはため息をついてシャマールに愚痴をこぼす。


「ハドルメにしろ、クルケアンにしろ、魔人の兵がうろたえるなどみっともないことだ」

「誰もが兄さんのように強いわけではないのです。それに今から戦うのはあのイルモート神なのですから」

「兵士として、戦士として願ってもない大舞台だと思うのだがな」

「ええ、魔人達もこの戦いを求めています。イルモートを倒すことで化け物となった自分達の命にも意味があったのだと」

「だがそれは死を選ぶのではなく、行き場がなくなっての見栄えある死を選んだだけだ。だから影にすら驚く」

「……その通りです」


 オシールは半壊した元老院の議場の縁に足をかけて下方を覗く。イルモートの赤い目がゆっくりと動いており、そしてだんだんと大きくなっていくのだ。あと四半刻でこの二百五十層に到達し、戦いは始まるだろう。

 ベリアのおかげで布陣のための時間が稼げたことにオシールは安堵していた。この上層では飛竜も神獣も空に留まることはできても、飛び回ることはできない。魔人も獣も壊れかけた議場を足場として戦うしかないのだ。廃墟の中でようやく布陣を終えたとはいえ、動きがままならない戦場で、どれほどの意味のある死を兵に与えることができるのだろうか。

 眉間に皺を寄せて悩むオシールを皮肉るようにフェルネスが声をかける。いや当人は思いやって声をかけているつもりだが、戦と訓練のみに明け暮れたフェルネスにとっては励ましは叱咤となるのであった。


「らしくないな、オシール。ハドルメの将軍たるお前が兵の死に場所と意味を考えるのか?」

「ふん、お前も将軍や王になればこの苦労も分かる。まったく一戦士として戦えた方がどんなに気楽なことか」


 フェルネスはオシールの皮肉に直接の言葉で返さず、オシールを鞍に乗せてハミルカルを議場の最上段へと向かわせた。空気と魔力が薄いこの上層では強靭な肉体を持つタニンとハミルカルのみが自由に空を飛べるのだが、それだけにフェルネスの立ち回りはこの戦いで重要なものとなっている。

 やがてフェルネスは背負っていたベリアの遺骸を議場を見下ろす豪華な席に座らせた。そしてオシールは偉大な敵将でもあり、最後は盟友でもあったベリアに敬意を込めて剣を掲げた。


「オシール、ベリア団長の大剣を受け継いでくれないか。ダゴンの戦斧は消え去ったが、団長の剣はまだ刃こぼれ一つない。お前なら使いこなせるだろう」

「助かる。俺の大剣も下層での戦いでただの鉄塊になっていたところだ。クルケアンの勇者の大剣なら満足できる戦働きができそうだ」


 フェルネスは大剣をオシールに渡すと、より上層で待機している魔人の様子を見るべく飛び立っていく。オシールは戦場へ向かおうと踵を返そうとした時、不快な声が頭の中に響くのを感じた。だが剣を構えて周囲を探っても誰の気配もないのだ。


「俺に声をかけるのは誰だ? 姿を現すがいい!」

「不遜な奴め、しかしベリアの剣を受け継ぐ者なら赦してやろう。我が名はダゴン、水竜の王である」

「ダゴン!? 貴様、地下の戦いで死んだはずでは!」

「然り、地下でそこのベリアに止めを刺されたわ。だが、奴は我を取り込み、魂のかけらだけは残ったのよ。奴が亡き後はこの大剣を憑代にしておる」

「ほう、ならばこの大剣を折ればお主は死ぬということだな」

「そうだ、お主が望むならいつでも叩き折るがいい」


 オシールは驚いた。あの悪逆な神であるダゴンがその自身の生殺与奪を人に委ねたのだ。ならばその目的は何なのだろうか。


「お主に力を貸してやろう。ベリアには我の武具を貸してやったが、あれは宝物であって、我が力そのものではない。このダゴンの力がイルモートに届くか試してみたいのだ」

「……その代わり、俺の体を寄越せとでもいうのかな?」

「以前は憑代として人の体を欲したが、今の我には不要だ。ただ天に連れ帰って欲しい」

「神でも望郷の念があるのか。だが月の宮殿とやらにはもうアスタルトの家がタニンと共に向かったぞ。貴様を返そうにも手段がないではないか」

「手段ならある。この魔人達の力と、それにあの黒い竜がいれば可能なのだ」

「ふん、仲間を犠牲になどできん。諦めて死ぬことだ」

「浅はかな奴め。誰が殺すといった?」


 ダゴンは刀身を震わせ、自分をイルモートに突き立てることができれば、その力を吸い上げて魔人達を在るべき状態に戻してやろうと伝えたのである。混ざり合った複数の魂は元に戻らないが、力を吸い上げることによって魂の大きさを元に戻すのは可能であり、その力をハミルカルに預けて飛び立てばよいのだ、というダゴンの誘いに、オシールは逡巡する。


「魔人が獣のように変わるのは、精神と肉体からあふれ出た魂の力によるもの。その魂の量を減らせば人として暮らせようぞ」

「魔人が人に戻れるというのか!」


 オシールは呻いた。自分達魔人は巨大な力を持ってはいるが、戦いの中でその力を使えば精神と肉体に軋みが生じ死に至るのである。もちろん戦いを避け、力を使わなければ常人よりも長生きできるだろう。だが騒乱の時代が終わりかけている今、力を持った存在こそが人々から疎まれる可能性もあるのだ。


「よかろう。この戦いの最後に魔人を解放することができれば王もお喜びになる。だが、まだ目的は聞いていないぞ? ダゴン、何を企んでいる?」

「……ラシャプとモレクも天を目指しておる。この上層から空を仰げば奴らの魂の軌跡がはっきりと見えるのだ」

「ラシャプらがアスタルトの家と同行しているのか!」

「安心するがいい、我と同じで魂の欠片よ。復活するにしても数千年はかかろう」


 そしてダゴンは独り言のように呟いたのである。子供に縋ってまで天に帰ろうとするとは、やはり人と交わり何か変化したところがあったのだろう。そしてそれは自分も求めている変化ではないのか、と。


「ふん、神の考えていることは分からんが、イルモートに突き刺す前に折れないことだな」

「あの勇者の剣だ。イルモートごときに折れさせる我ではないわ」


 オシールは階段を降りながら思う。面白いことだ、どうやらあのダゴンがベリアに敬意を持っているらしい。他の神々が変化したというが、どうやらこの神も何かが変わりつつあるのだろう。ならばそれを見届けるのも一興ではないか。

 そしてオシールは自分自身のことについて考え始める。思えば自分にとっての変化はあの時に始まったのだ。親を亡くし、孤児となったあの日から……。


「兄さん! ハドルメ騎士団に入るって本当?」

「そうだ、そうすればご飯がお腹いっぱい食べられるだろう? ……でも追い返されたんだよなぁ」

「兄さんは騎士になりたいの?」

「う、うーん……そうなんだ、騎士になりたいんだ」


 懐かしい記憶だとオシールは目を細めた。オシールは精神の回廊に刻み込まれた、数少ない記憶の絵画を歩みを進めるごとに立ち止まり、暫し眺めていく。

 ……恐らくあの時の嘘は、シャマールにはばれていたのだろう。どうにかして弟を空腹から救いたいと考え騎士団に志願したのだ。だがあの時、自分が今の立場であっても同じことをしただろう。十二歳の子供が騎士になるのは、当人にとっては理想でも大人にとっては夢想として笑うか、妄想として迷惑がるしかない。それにどちらであっても追い出すしかないのだ。絵画の中のシャマールは励ましてくれるのだろう。肩を落とす自分に寄り添ってくれている。

 オシールはこの記憶の絵画を見て苦笑した。やれやれ、これでは兄貴面をしていても恰好が悪いではないか。兄として誇れるような記憶はないものだろうか。

 やがてオシールは階段を降りるようにして次の絵画へと足を運んだ。


「俺が王の近侍に!」

「そうよオシール。ぜひあなたを近侍にって推薦があったの」

「ええとサリーヌ様? それならお金がいっぱいもらえるんだよね」

「ええ、もちろんよ。どのくらい欲しいの?」


 母というより姉らしいとも感じていた王妃は優しく笑った。その時自分は何と答えたのだろうか。そうだ、確かお腹いっぱい芋を食べたいから、そのくらいは欲しいと言ったような気がする。王妃が笑い、なら私の手作りの料理を毎日あげましょうと頭を撫でてくれたのだ。おぼろげに王が慌てていたような気もするが、王妃は料理が下手だったのだろうか? でも思い出という味付けを施された料理は、これまで食べたどんな料理よりも美味しく温かさで満ち溢れていたのだ。

 隣に掲げられた絵には、行宮の食卓でシャマールと二人で王妃に甘え、料理を取り合っている光景が描かれている。自分にとって彼女が母代わりというだけでもなく初恋でもあったのだろう。膝の上に座り、喜ぶ幼い弟を羨ましく思う自分の姿がそこにはあった。年長として我慢をしているのだと、強がりをするので精いっぱいらしい。

 おや、また理想の兄とは違う光景だ、とオシールは首を傾げる。兄としての威厳というか、そういうものを見て最後の戦いに臨みたいというのに。


「兄上、ティムガの草原でまた魔獣が出現し、村を荒らしているようです」

「王が帰還された今、ハドルメの大地と王妃の行宮を守るのは俺達の務めだ。シャマール、行くぞ!」


 憧れのハドルメ騎士団に入り、実力をもって地位を上り詰め始めた頃、シャマールは公式の場では兄上と呼ぶようになっていた。入団当初は公私の別をつけるべきだと、シャマールはオシール殿と言っていたのだが、何とか妥協させてその呼び方になったのだ。

 騎士としてだけでなく、政治にも才能を発揮する弟は活躍の場を自分の側以外に持つようになった。弟の才能に嬉しさを感じ、皆に自慢しているのだが、距離を取られることに少し寂しがっていたのだろう。その証拠に絵画を見れば不機嫌な顔の自分がいる……。

 そしてオシールは螺旋のように続く階段を見下ろした。どうやら次が最後の絵画らしい、さて、どんな絵画であったか。自分が望む絵であればいいのだが。


「シャマール、お前は王妃と共に在れ。俺は騎士団を率いて北壁に攻撃を仕掛ける」

「……王妃には兄上がついていた方がよろしいのでは?」

「いかにハドルメ騎士団とはいえ、ラシャプ相手ではせいぜい囮にしかならん。ならば策など不要、力任せに突撃を繰り返すのみよ。むしろ王妃の周りこそ柔軟に対処する必要がある。シャマール、頼んだぞ」

「囮とおっしゃるなら、私達兄弟で――」

「戦場で迷うな! ただ俺達はその本分を全うすればいい。ハドルメ騎士団を統率するのが、そして共に死地に行くのが俺の役割だ。あれこれ考えるような細かいことはお前の役割だぞ?」

「……分かりました。必ず生きて会いましょう、兄さん」

「あぁ、みんなで一緒にな」


 ……本心を言えば王妃についていきたかったのだ。

 王がハドルメを救うために未来に帰ったということは、あの時代ではどうしたって良くないことが起きるに決まっているのだから。

 もしこれが最後なら、母と慕うあの美しい人と共にいたかった。そして何よりも弟と一緒にいたかった。だが、自分は恰好をつけていたのだろう。弟に王妃を託し、クルケアンの北壁に突撃していったのだ。


「さて、この回廊に最後に飾る絵はどうあるべきかな」


 オシールは最後の絵画の前で腕を組んで考える。魔人が人の幸せを得られるならば、シャマールと婚約者であるシルリにそれを望もう。それにあのシャンマというシルリの弟の魂を持っている幼子もだ。お腹いっぱいに料理を食べ、食卓で笑い合うような、そんな普通の幸せを手に入れられるし、きっと似合うはずだ。


「では俺自身はどうする? 戦うことしかできない俺が人並みの幸せを得ても持てあますだけだ」


 戦いの人生の果てに、少しだけご褒美があってもいいだろう。広寒宮へ赴き、魂尽きるまで王と王妃に仕えるのだ。その時は王妃の手料理を食べられるだろうか、王に稽古をつけてもらえるだろうか……。

 オシールは大きく息をすると再び階段を降り始めた。意識はすでに精神の回廊から現実の議場の階段へと向けられている。そしてその先にはシャマールが自分を待っているのだが、なぜか怪訝そうな視線で自分を見つめていた。


「どうした、シャマール?」

「いえ、兄さんが子供の頃の姿で階段を降りてきたような気がして」

「そうか、お前にはそう見えたのか」

「そのように見たかったのかもしれません。私達が一番幸せだった、あの頃の時代に戻ることができればと」

「そうだな、だが未来も捨てたものじゃないと思うぞ?」

 

 そう言ってオシールは笑った。人としての幸せと未来は弟らに託そう。そして闘い疲れた自分はしばし過去の幸せの中で休ませてもらおうか……。

 だが、そのためにはまだ力がいるのだ。アスタルトの家が祝福者やラシャプなどの神の庇護を受けて天へ向かったのならば、ダゴンだけでなく魔人の力も必要なはずである。ここに至ってオシールは自分以外の魔人を人に戻すと決心したのであった。


「ふむ、そういう絵なら飾り映えがするというものか」

「兄さんが絵を飾ると? 体調でも悪いのですか?」 

「……残念ながらすごぶる体調は良い。だが絵を飾るにしろ、まずは目の前の神を殺してからだ。行くぞ、シャマール!」

「ええ、行きましょう、兄さん。最後の戦いに!」


 兄弟は剣を抜いて笑い合い、議場に姿を現したイルモートに向かって駆け出していく。そしてその背後に多くの魔人が続いていったのであった。

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