第290話 天国への階段⑩ ガドの夢

〈ガド、時計塔の前で〉


「ガド小隊長、エラムの演説を聞きにいかないの」


 広場の外壁で物見をしていた俺にゼノビアが声をかけてきた。


「ここからでも十分に聞こえるさ、それにあそこにはタファト先生もサラ導師もいる。なら俺や小隊が守るべきはここなんだ」


 城壁から見上げれば、遠くでエラムの声が聞こえる。市民の頭越しに聞くこの場所の方が聞きやすいのかもしれない。それに小さいが顔も見えやすい。トゥイが俺に気づき、小さく手を振る。


「すごいわね、みんなエラム君の話に聞き入っている。祝福者の減少により都市が機能しなくなること、新しい都市づくりのこと……」

「あいつは優秀な技術者だった。それにまじめでいつも人のことを気にかけているからな。当然さ」


 部下の一人でもあるティドアルがからかうような目つきで俺を見る。


「なんで小隊長が威張っているんですか? それにニヤニヤして」

「そうか?」


 さて、なんでだろう。

 でも自分のことのように嬉しいのは確かだ。

 そうだ、これは幼い日の自分がしたかったことなんだ。

 隊員の中で幼いシャンマが、目ざとくエラムが手を挙げたことに気づく。


「小隊長さん、何か始まるようだよ!」

「ちょっと違うな、ここからやり直すのさ」


 その言葉と同時に、俺は城壁と連結していた水道橋の堰を開ける。上水道とは別に動力用の水が時計塔に向けて流れていく。アルル母さんが、ダルダ父さんが作った水道橋の、その本来の目的が達せられようとしている。

 今やクルケアンには水の祝福者はイグアルさん一人しかいない。おかげで大塔は一つしか使えず、浮遊床など都市の運搬・移動手段が従来の一割にまで低下してしまっていた。階段都市ゆえの高低差が市民を苦しめるのだ。都市を上に上にと発展させていくため、工房などの生産拠点は中層にある。資材をどうやって人力で運ぶことができるだろう、そう絶望していた市民が今、次々に歓喜の声を上げていく。この時計塔に集まった水は、エラムの操作を通して必要な大塔に流し込まれ、百層までとはいえ瞬く間に半分の機能が回復したのだ。それどころか、職人の遊び心によって小さな噴水も途中で設けられていた。


「すごい、都市中に水があふれている……」

「いいなぁ、みんな水遊びをしだしたよ」


 ゼノビアが参加したそうなシャンマをさりげなく押さえつけている。シャンマの額を指で小突きつつ、俺は城壁に肘をついてみんなの楽しそうな顔を眺めていた。


 そうだ、これが父さんと母さんのしたかったことだ。

 そしてあの時の自分がしたかったことだった。



「ねぇ、大人になったらさ、父さんの工房に入ってもいい?」

「ん、ガドは建築に興味があるのか。もちろん父さんはかまわないぞ」

「あなた、頬が緩んでいるわ。素直に息子と一緒で嬉しいって言えばいいのに。ねぇ、フェンディ?」

「うん、お父さんの顔って単純!」

「フェ、フェンディ、そこは素直っていうところだぞ? 父さん傷つくなぁ」


 そう言って家族みんなで笑ったものだ。

 でもやりたかったのは建築じゃなかった。

 照れくさくて言えなかったけれど、両親と一緒に働きたかったんだ。


 父さん、母さん、フェンディ。

 あれからいろいろあったよ。

 俺は何と飛竜騎士団の小隊長だ。

 フェンディはびっくりするんじゃないかな、

 お前、騎士様にあこがれていただろう?

 どうだ、兄ちゃんがその騎士様だ!


 そうそう、タファトおばさんは相変わらずきれいで、優しい先生だよ。

 母さんの心配事だった、イグアルさんともやっと結ばれた。


 それに楽しい仲間たちと出会えて、とうとう都市が変わっていくんだ。

 どうだ、すごいだろう、俺の友人達は!



「……ド、…ガド!」

「おお、すまん、少し考え事をしていた」

「もう、しっかりしてよね。……下でミキトが呼んでいるわ。ウェルがまだふさぎ込んでいるの。小隊長に任すって」

「わかった、ゼノビア、ティドアル、ここをしばらく任せるぞ」



 なぜかついてくるシャンマを、階段から落ちないように手をつないで下階に降りる。そこの小さな詰め所には泣きもせず、かといって諦めもせずに座っているウェルがいた。彼女と同じスラム街出身のミキトがため息をついて駆け寄ってくる。


「ガド、すまん。おとなしいだけに心配なんだ。このままぼろもうけ団を率いて元老院に突撃をしそうでな」

「……とりあえず話をしてみるよ」


 俺の姿を見て、部屋に詰めていた団員たちが一斉に敬礼をする。やれやれ、百人の部下を持つ小隊長なんて気苦労しかない。


「ウェル、任務につけ。そこで座っているだけなら、なんの役にも立たないぞ」


 ミキトや団員が息をのむ音が聞こえる。期待に反して悪いが、優しい言葉をかけられるほど器用じゃない。それぞれの環境、それぞれの不幸もある。それを利用しての慰めなんて傷の舐め合いでしかないんだ。共有するとしたら、勝ち取る未来しかない。


「立て、ウェル。俺たちは兵士だ。剣を振るい、敵を倒し、大事な人を守る。それができなければ……」

「できなれければ?」


 緑の瞳に苛烈な意思を込めてウェルが俺を睨みつけた。そうだ、怒りでもいい、どんな感情だっていい、それをぶつける先が目の前であるほうがお前らしいんだ。


「大事なものを失う。だから俺たちは戦うしかないんだ」

「あいつが他の魔人と同じように魂が喰われたのなら殺すしかないんだ。ちくしょう、戦い、守る相手がその殺す対象なんだよ! ……でもこれはあたしがしなきゃいけない」

「戦うことが殺すだと? そんな簡単な逃げ道を作るなよ」


 ウェルの襟首を荒々しく掴み、強引に立たせる。


「次にあいつが現れた時、小隊の総力を挙げて叩き潰す。でもそれは殺すことなんかじゃない。アバカスさんを人間に戻したエラムやトゥイがいる。そして隊長だって戻ってくるんだ」

「でも魂が混ざればもう元には戻らない――」

「ならばその方法が分かるまで叩き潰せばいいんだ。殺して終わりだなんてそんな楽な道を選ぶな。正気を保っていた時、あいつは何を言っていた?」

「自分が敵になったらどうすると――」

「お前のことだ、そうなったらぶん殴るとでもいったんだろう」

「!」

「なら少なくともぶん殴ればいい。その後のことはみんなで何とかするさ。いいか、ザハグリムも含めて守り切るのが俺たちの勝利なんだ」


 シャンマが恐る恐るウェルの手を握る。


「お姉ちゃん、きっとそのお兄ちゃんはまだ魂を失っていないよ」

「シャンマ君?」

「お姉ちゃんにはっきりそう言ったんだったら、まだ魂は残っている。僕のように混じってしまったらもう誰の記憶か分からなくなるはずなんだ」


 だから、きっと会えるはずだよ、といってシャンマは笑った。魔人であり、あいまいな記憶を持たないシャンマは自分の身に起きた不幸さえ分からないのだ。だからこの子は笑うしかない。


「だからさ、その魂を強く揺さぶって呼び起こせばいいと思う」

「……ありがと、シャンマ君。ごめんね、ガド小隊長」

「アナトさんが来れば、俺たちは大空洞に潜る。ザハグリムも意識があればきっとそこに来るはずだ。だからそこまでは虚勢でもいい、部下の前ではちゃんとしてろ」


 意識して冷たい言葉をかける俺に、ウェルが彼女らしい笑いで応えた。


「厳しいなぁ、小隊長は。そんなこと言われちゃ、しっかりするしかないね」

「すまんな、さぁ、城壁に上がるぞ。みんな待っている」

「はいはい、っと。……でもね、ガド」

「ん?」

「泣きそうな顔できつく言われてもねぇ。こっちが気を遣うじゃない。ねぇ、シャンマ君」

「はい! でもそこがかっこいいと思います!」

「……」


 小隊長の威厳を保つべく後ろを振り返らずに階段を登っていく。明るい城壁の上ではゼノビアが心配そうに、ティドアルが安心したように俺達を出迎えてくれていた。そこにミキトやシャンマ、ウェルが加わり、第二小隊で楽しく騒ぎはじめた。


 俺は少しその輪から外れて塔の反対側の外を眺める。

 草原と小さな道、そしてここまで続く水道橋が遠くまで見えている。

 そしてそこは魔獣に喰われて家族を失った場所だった。


 大好きだったみんな、

 あの塔が、そしてこの仲間が見えていますか。

 俺は夢を捨て、復讐で兵士を目指しました。

 でも昔の夢は仲間が叶えてくれる。

 だから今は復讐ではなく、この風景を守るために戦います。


 もし、もし、もう一度会えたなら、

 父さん、誉めてくれますか。

 母さん、また頭を撫でてくれますか。

 妹よ、こんな兄をかっこいいと思ってくれますか。

 


「ガド、また呆けて! さぁ、第二小隊の仕事を続けるわよ」

「もちろんだ。ゼノビア、配置につくぞ。市民が浮かれている今が一番怖いときだ」

「了解!」


 上を見れば、階段都市が青空に届くかのようにそびえたっている。そしてこの階段を登ればサリーヌのいる死の国へとたどり着けるのだ。これまでは忌々しい権力の象徴として見ていたが、サリーヌや家族がこの先にいるのなら素敵な都市に見えてくる。


 その時、目がいいミキトが上空を指さした。


「おい、上空に白点が広がっているぞ、あれは神獣じゃぁないのか。それに黒い点がこちらに降りてくるぞ?」


 よく見ればその白い点は黒い点を追いかけている。アナトさんの神獣騎士団はこの広場に待機している。ならば上空のそれは敵であるはずだった。


「おいおい、ガド小隊長、あの黒い点は乗り物っぽいぞ?」

「乗り物?」

「それに乗ってこっちに落ちてくるのは――」

「アナトさんじゃないか!」


 なんてこった、時間通りではあるが、空から落ちてくるとは。


「ウェル、ぼろもうけ団を率いて飛竜で神獣に面であたれ、押し返すんだ! ティドアル、待機している飛竜騎士団とニーナの神獣騎士団と共にウェルの陣の外側につけろ、神獣を広場に入り込ませるな!」

「小隊長、私達は?」

「ゼノビア、ミキト、シャンマは背後からの攻撃に備えろ、この状況で魔人が東門から襲ってくれば市民が殺される。一番弱いところを守れ!」


 俺は剣を握って、城壁の一番高いところへいって声を振り上げる。市民のざわめきは大きいものの、飛竜と神獣が空へと舞いあがるのを見て少しは安心したようだ。ゼノビアの誘導を受けて、この日のためにつくられた下層にある総評議会の公会堂へと避難をし始めた。


 よし、あとは敵を防ぐだけだ。

 あの時は幼かった。だから家族を守れなかった。

 だから?

 ……だから俺は強くなった。

 今度こそ俺は大事な人を守り切るんだ。

 そして家族の夢だったこの都市も。


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