第280話 ウェルとザハグリム⑥ 子がいない家

〈ウェル、ピエリアス家にて〉


 さぁ、第一段で言いたいことは叫んだ。アジルや団員の想いは伝わっただろうか。

 団員のみんなは家族のために剣をとったのだ。自分のためだとか、刺激が欲しいだけで戦場に出られるわけがない。誰かのためだとすれば、それは愛する家族のためでしかない。

 親たちだってそれは分かっているはず。彼らが子に絶縁か、それとも元の生活に戻るかの二択を迫ったのは神殿の脅しから子を守ろうとしただけのことだ。でも、ぼろもうけ団はまだ戦うんだ。


 だから、お願いだよ、みんなのお父さん、お母さん。

 一緒に来てちょうだいよ。三つ目の選択もあるんだよ。

 一緒に戦うっていう選択がさ。

 

 エパドゥン裁判長が充血した目であたしを睨み付け、怒りで震える手で木槌を机に叩きつける。

 

「平民めが知った風な口をきくな! 私のかわいいアジルを死なせおってからに。あの子は死ぬはずではなかったのだ。そう、死ぬべきは……」

「私だったのでしょう?」

「ザハグリム!」

 

 いつの間にかザハグリムが横に立って私の手を握っていた。心配しないでください、というように彼の優しい熱が手を通して伝わる。

 

「イルモートの復活のために捧げるべきであった始まりの八家の血は、本来は私であったはずです」

「貴様、なぜそれを知っておる!」

「あなたの息子から聞いたのです」

「ば、馬鹿な……」

「あいつは私を助けた。いや私だけではない、みんなと家族を救うためにイルモートの許へ赴いたのです。それに彼はこのウェルを愛していた。愛する者のために命をかけた息子を否定するのですか、そしてその一人であるこの女性も殺すのですか」

「ちょ、ちょっとザハグリム……」

 

 筋書きと違うぞ。……握った手が震えているじゃない。仕方ない、緊張しているのならあたしが導いてあげる。第二段、あたしとザハグリムは悲劇の恋人を演じるのだ。

 

「そして私も彼女を愛している。平民だとか貴族とか関係ない。ただのザハグリムがこの女性を愛したのだ。彼女を殺すというなら私も殺せ! そうすればまた、死者の国で彼女を巡ってアジルと喧嘩ができる」

 

 お、だいたい筋書きに戻ったね。よしよし、やればできるじゃないか。

 

「貴族の婚姻は家の名誉と義務だ。正式に婚姻したのならともかく、ただの情欲でお前を連座するわけには行かぬ」

 

 エパドゥン裁判長がそう冷たく宣告する。よし次はあたしの出番だ。

 

「婚姻は義務だって? ではここにいる貴族の夫婦は愛し合っていないのですか。それが人の営みとして正しいと思っているのですか」

「何を言う、家族として連れ合った年月が愛を育むのだ。若い者には分からぬだろうが、そういう愛し方もある」

 

 アジルのお父さん、なかなかいいこと言うじゃないか。でも新しいクルケアンにはさ、いろいろな愛の形があってもいいんじゃない?

 

「命を賭しても家族を守ろうとするのであれば、それも愛でしょう。でもあたしは知っている! 戦場の一日は、日常の百日にも匹敵する。仲間を守り、守られてきた。ぼろもうけ団のみんなを家族として愛している。命をかけて、ね。それに……」

 

 さぁ、ここからだ。あたしがザハグリムに愛の言葉を告げて、互いに認められぬ愛を嘆いて身を投げるのだ。もちろん、この下層には飛竜を待機させてある。身分違いの愛の美しさに、みんなは涙してくれるに違いない。

 

「あぁ、ザハグリム! あたしはあなたを、ふがっ」

 

 ザハグリムがあたしの口を押さえつける。そしてぎゅっと抱きしめたのだ。

 

「ちょ、ちょっと!」

「ウェル、少しだけ筋書を変えます。ついてきてくださいよ」

 

 耳元で優しくそう呟くと、ザハグリムは傍聴席に目をやった。

 

「父上、母上、長らくお世話になりました。私は今日限りで貴族を止めます」

「馬鹿なことを言うな!」

 

 叫んだのはザハグリムの父親か。って、あんたが貴族を止めれば元老院の票が消えるじゃない。

 

「その代わり、生き方を貴族らしくするつもりです。クルケアンを守り、愛する人を守り、市民を守る。父上、母上、ここまで育てていただいてありがとうございました。愛してくれてありがとうございました。……裁判長」

「何だ」

「アジルは私の恋敵で親友です。たとえ、私が死んだとしても、この場にアジルは立って同じ事をしたでしょう。見届けてくださいますか」

 

 ザハグリムがカフ家の赤い外套を外し、アジルが着ていた黒い外套を身につけた。そしてあたしに跪き、手の甲に口づけをする。

 

 え?

 

「ウェル。私は勇気のない男だった。でも君が私を変えてくれたのだ。そして今の私には大勢の友がいる。全て君のおかげだ。でもまだ勇気が足りない、困ったものだ」

「ザハグリム?」

「でもね、アジルと約束したんだ、君を必ず幸せにすると。あいつのおかげでようやく最後の一歩を踏み出せる」

 

 愛を誓うのは台本通りだ。でもそれはあたしからだったはずだ。なんとか立て直さないと。でもザハグリムの砂色の瞳を見た瞬間、顔に血が上って何も考えられなくなってしまう。

 

「ちょうどここにいるみんなが証人だ。ウェル、私は君を愛している。クルケアンに平和が戻ったら所帯を持とう」

「え、これって、演技、それとも……。い、いや、大事なのは貴族の説得で」

「ウェル、今、私にとって大事なのは君なんだ。この瞬間は、世界よりも、親よりも君の事しか考えられない。返事を聞かせてくれ」

 

 世界が再び真っ白になって、その中にはあたしとザハグリムがだけがいた。

 彼が差し出す手を掴めば、あの温かな、美味しい夕食の匂いがする家に住めるのだろうか。

 ううん、ちがう。

 あたしとこの人でその家を作るのだ。

 だって、まだまだ頼りないし、いまだって心配そうな顔で私を見ている。

 

 この世界で、この二人で思うように色を塗っていこう。

 私達の家もそうだ。

 みんなの家はこうだ。

 で、貧民街の弟妹達の家はああで……。

 

 世界が鮮やかに色づけされ、私とザハグリムはその中心にいる。

 あぁ、そうか、彼とならこういう未来が描けるんだ。 

 

「……うん、こんなあたしでいいのなら」

「そんな君がいいんだ」

 

 私達は笑顔で唇を重ねた。そして世界は冷たい目を向ける群衆へと姿を変えていく。

 

「茶番だな、貴族の立場を捨てようと、愛が結ばれようとそのウェルの罪は変わらん」

「裁判長、前提が違うのだ」

「前提だと?」

「ウェルがそそのかしたのではない。私と仲間が彼女をそそのかしたのだ」

 

 ザハグリムと私を警備の兵が取り囲む。露台への道も塞がれて身を投じて逃げ切ることもできない。めでたし、めでたし、なんてうまい話はないらしい。さて、筋書きと大きく変わった物語、一体どうしたらいいものか。

 

「私、ザハグリムはここに宣言する。悪辣なぼろもうけ団の副団長はこのウェルという善良な市民を誘拐し、貴族も攫って本意を遂げる。忘れるな、ぼろもうけ団は団長が望む全てを手に入れるのだから!」

 

 瞬間、露台にいた警護の兵が悲鳴を上げて逃げ去った。夕焼け空があるはずのその空間には無数の飛竜達によって埋められていて、その鞍上には団員と、飛竜騎士団が笑顔で手を振っている。

 

「ぼろもうけ団の全員、計画通りに参上しました!」

「飛竜騎士団、ぼろもうけ団との友誼により手助けに参った」

 

 後で聞いたことだが、団員と騎士達はあたしを助けるために百九十層の詰め所で作戦を練っていたらしい。その騒ぎを聞きつけたバルアダン中隊長のお父様であるラバン将軍が怒鳴りつけたそうだ。お前ら、ちゃんと親に反抗をしろ、と。それも真正面からだと。反抗もせずに良い子でいたとしても、いずれ子供は親から離れるのだ。そんな陽が翳るような別れをせず、真っ向からぶつかり、喧嘩をするほうが親孝行なのだと言ったらしい。恐らく良い子であったはずの息子のバルアダン隊長を想っていたのだろう。そして飛竜騎士団の全てを出動させて、親と子の喧嘩の舞台を作り上げたのだ。騎士団が警護の兵を取り押さえ、団員たちが広間に降り立った。

 

 最初は舌戦からだった。

 団員がそれぞれの親を見つけて批判する。俺を子供とみるな、と。

 親が子を批判する。青二才が、親の心を知らず、好き勝手をするな、と。

 

 次は殴り合いだった。

 父と子の殴り合いを、悲鳴を上げながら母が止める。いったんは拳を収めるが、二、三句の問答の後また殴り始めるのだ。

 

 最後は親子で泣いていた。

 自分の思いは伝わらない。いや、伝わっているのだけれど受け入れてくれないもどかしさに親と子で泣き合う。それは美しい光景ではなくて、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった汚らしい光景だった。

 

 でもこれでいいのだ。美しくはないが、羨ましくもある。それになんだか温かい。

 そしてその騒がしい世界で、二組の夫婦がしょんぼりと立っている。

 アジルの父母と、ザハグリムの父母だ。

 私達は二人の前に歩み出て、片膝をついてその顔を見上げる。

 余計な言葉はいらない。ただちゃんと報告をしたいのだ。

 

「貧民街出身のウェルです。アジルとザハグリムの御両親に誓います。必ずクルケアンを救い、仲間と一緒に笑える世界にすると」

「カフ家のザハグリムです。貴族の地位は捨てましたが、それでも家族は捨てません。アジルの魂に誓います。新しい家族を幸せにすると」

 

 気づけば、喧嘩は収まって皆が私達を見ていた。そして団員が私達の後ろに並び、膝をついて親達に誓う。それは何でもない、普通の言葉だった。子供が外に遊びに行く時、大声で叫ぶ言葉。そしてそれは必ず帰るという意味でもあるのだ。

 

「いってきます」

 

 みんなと一緒にぼろぼろの顔でそう叫び、両親がうな垂れるように頷くのを見て露台の外の飛竜に飛び乗った。クルケアンの夜空をみんなで飛びながら、いつも通りに軽口をたたく。

 

「ザハグリム、劇作家の才があるんじゃない? 少し悔しいや」

「からかわないでください。私は私を演じたまでです。婚約を引っ込めるつもりはありませんから覚悟して下さい」

「うん、覚悟する」

 

 笑い合う私達に、周りの団員は口を曲げて抗議した。

 

「ザハグリム! 団長を守って撤収までは筋書き通りだが、団長に求婚するなんて聞いていないぞ!」

「そうだ、抜け駆けしやがって」

「美味しいとこだけ独り占めか。団長、こいつが嫌ならいつでも破棄して下さい」

 

 ザハグリムは後ろを振り返り、何か変な表情をしたようだ。団員がそれに過敏に反応して罵り始める。

 やっぱりこいつらといるのは楽しい。結局めでたしめでたし、で終わったじゃないか。『クルケアン愛の物語』、原作はあたしで、ザハグリムが修正をいれ、おそらくユディさんが監督したこの物語にあたしは満足をしていた。そして仲間同士のけんか騒ぎは、いつの間にか笑い声に変わっていく。


「さぁ、行くよみんな! この団長と副団長についてこい!」


 あたしの言葉を受けて、団員たちの歓声がクルケアンの夜空に響き渡った。 

 

 


〈親達、ピエアリス家にて〉

 

「さて、一同、何が起きたとてご家族の事。飛竜騎士団はこれ以上介入せぬ、だが、無法な私刑をしようとするのであれば武力を以って止める。よろしいな」

 

 飛竜騎士団長のラバンが鷲のような眼で貴族の親達を睨みつける。

 そして彼らの怯えつつも、何かを覚悟をしている様子にラバンは今回の騒動の背景を悟った。

 

「飛竜騎士団、突撃!」

 

 露台の柱を吹き飛ばしつつ、ラバンと騎士達は親達に襲い掛かろうとした処刑人を槍で串刺しにした。

 

「トゥグラトめ、親と子の命を盾に脅迫したか!」

 

 女たちの悲鳴が上がった。ラバンの予想通り、悲鳴の先には魔人と化した処刑人が血まみれで立っており、先刻と倍する体躯を以って襲いかかってくる。ラバンは親と子の情を弄ぶトゥグラトのやり方に怒りを抱き、魔人に向かって剣を振るう。騎士団が彼に続き、父親達も剣を抜いて魔人に立ち向かった。豪奢な広間はたちまち血の噴水と化した。

 

 最後の魔人をしとめ、ラバンはピエアリス家の当主エパドゥンに向き合う。その目に力強い輝きがあるのを確認すると、彼は護衛の騎士を残して帰営の指示を出した。

 

 夜も深まり、半壊した広間に座り込んで親たちは笑う。それは独り立ちした我が子を想ってのことで、半ば寂しそうでもあり、半ば嬉しそうでもあった。そして子離れできていなかった自分達をも笑ってもいたのである。なんだ、あいつめ、思いの外いい拳骨をするようになったではないか……。

 

 神殿に逆らった自分達をトゥグラトは許さないだろう。

 しかし、逆らうこともできないではまた子供に泣きながら殴られる。

 それはとても辛いことだ。

 まだまだあの子達は幼いのだから、

 それに、あの泣き顔は赤ん坊のころとそっくりだったのだから……。

 

 やがて親達は立ち上がり、力強い足取りで子のいない家へ帰っていった。

 



次回更新2021年7月中旬予定

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