第265話 死者の都⑩ 死の国の女王
〈半壊したクルケアンで〉
赤光が放たれた日の翌朝、瓦礫と化した神殿でモレクはダゴンの体を引き上げた。エルシード、イルモート、サリーヌの力を受け、互いによくも形を残していたものだと、皮肉気に笑う。
「モレク、お主、笑ったのか」
「そう見えましたか?」
「珍しい事もあるものだ。広寒宮でもお前が笑ったことなど見たこともない。ヒトと交われば神も変わるのかもしれんな」
モレクはダゴンの顔を見た。ダゴンこそ笑っているのだ。傷ついた魂の割れ目をヒトの魂で補ったせいだろう。もっともそれが良いのか悪いのかは分からない。
「……どうやら私たちの計画は半分成功といったところです。クルケアンのヒトは魔獣化しておらず、ハドルメのみにとどまった」
「ラシャプは王妃の方へ歩み寄っていった。それで光はハドルメ寄りになったのだろう。まったく、そのラシャプはどこにいる」
「兄の体としてふさわしいものがありましたので、奥の院の廟堂にて儀式を行っている最中です」
「ほう、どんな体だ。ハドルメも死に絶えた今、このクルケアンに適合する強い肉体があるとは思えんが」
「トゥグラト。イルモートの転生した体です」
ダゴンは驚き、そして納得した。弱まったとはいえ、神であるイルモートとエルシードはその魂の全てを費やして赤光を防ぎ切ったのだろう。その抜け殻である体は神の憑代として理想的である。
「エルシードはどうなったのだ?」
「イルモートが最後に彼女を海に弾き飛ばしました。神としての肉体をもって降りてきているため、死ぬことはないはずですが、魂を癒すには時間がかかるでしょう。それと……」
「何だ、もったいぶらずに言え」
「兄の呪いは、王妃達に反転され我らにもかかってしまいました。いずれゆっくりと記憶がなくなるものと思います。もっともそれはこの数十年の記憶ではありますが。王の記憶を失うのは痛手であるものの、致命的ではない」
「それは困る。我はバルアダン王に復讐したいのだ。復讐の相手が誰か分からぬのではどうしようもない」
「……ダゴン、貴方は神としての魂と精神、それに人の肉体が限界に来ています。王との戦いの傷は思ったより深かったようですな。王と戦う以前にその体ではもちません」
ダゴンは、やはりそうか、と自らの体を擦る。再び眠りにつくしかないのか、しかし天と地を支配するには回復するだけではなく、力が欲しい。あのメルカルトがヒトにとりついているのも力を求めての事だ。ならば奴に倣ってみるのも一興か。
「モレク、我は記憶を保持するため、しばらくヒトの精神の中で過ごそうと思う。この体はカフ家というクルケアンの大貴族だそうだ。この一族に呪いをかけ、体が死ねば適当な子孫として生まれ変わり、時を待つ。王と戦う時に覚醒させてほしい」
「ヒトの子孫として蘇るとは、やはりあなたは変わりましたな。しかしいいのですか? ヒトの魂に呑み込まれるかもしれませんよ」
「ふん、ヒトなぞに呑み込まれるものかよ。お主ら兄弟こそどうするのだ」
「今の体が滅べば、その時代の強者の体を乗っ取り、それを繰り返しながらこのクルケアンを支配していくつもりです。大規模な儀式はもう無理でしょうが、魔獣を増やし、天に攻め上がるための階段をヒトに作らせます。……では、その時にでもお会いするとしましょう」
ダゴンは立ち去ろうとするモレクを呼び止め、少し迷った後に問いかけた。
「眠る前に教えてくれ。何故、ラシャプは最後に王妃を助けたのだ」
「王妃は兄の呪いの前に力尽きて死にました。助けてはおりませんが?」
「確かに王妃は死んだ。しかし、ラシャプは王妃の名と記憶は奪わなかった。何故だ?」
「もしかしたら、ヒトの身で神を追い詰めた王妃に敬意を表したのではないでしょうか」
「ふん、お前がそう言うのならそうかもな」
ダゴンがその目を閉じてがれきの上に崩れ落ちる。しばらくの後、情けない声を上げて騒ぎ始めた。
「なんだ、ここはどこだ? 何故、大神殿が崩れているのだ。おい、そこの神官、事情を説明しろ!」
「……カフ家のアドラム様ですね。先日、クルケアンを襲った大災害で大神殿は倒壊しました。記憶を失っている者も多く、復興と都市建設の為には、貴方様のような強い指導者の力をぜひお借りしたく存じます」
「そうか、そうであろう。始まりの八家のなかでも我がカフ家しかそのような大事業は達成できぬだろうしな。お前は見込みのある神官だ。名を何という?」
「アサグと申します」
「アサグ? どこかで聞いたような……」
「大災害の後遺症でございます。頭が痛いでしょう、無理に思い出されるな」
「まぁよい。アサグよ、我を手伝う栄誉を与える。他に役に立ちそうな者はおらんか?」
「我が兄、トゥグラトを推薦します。きっとアドラム様を満足させるでしょう」
「よし、ではついてこい。まずは貴族の館の復興を行うぞ!」
再び神に利用される愚かなアドラムの愚かな言葉を受けてモレクは笑った。笑う自分に気づくほどに大声で笑ったのだ。なるほど、ヒトは愚かだが、神を笑わせることはできるらしい。何度でも何度でも滑稽なほどに同じ過ちを繰り返す。この獣は諦めるということを知らないのだろうか。朝日の中、廃墟と化したクルケアンでは意気軒昂なアドラムの声と、アサグの笑い声だけが響いていた。
数日後、クルケアンは都市の復興のために多くの人が資材を、職人をかき集めて家や公共物を建設し始めていた。大災害の後でも無秩序な復興にならなかったのは、貴族と神殿の代表者を中心とした寡頭政治による権力集中と、車輪のギルドと呼ばれる技術集団によるものだった。彼らは時折クルケアンの北壁に現れる、群れからはぐれた魔獣を討伐し、魔獣石に変えて少しずつ都市を階段状に建設していく。指導者たちは階段都市建設の理由として、市民に衣食住が保証できるように祝福者の力を効率的に都市設備に供給するためだと説明していた。
多くの市民が記憶の欠如で苦しんでいたものの、名前や家、職業については覚えていたため、ぎこちないながらも家族と生活することはできた。しかしそれも時間が経つにつれて笑い話となるだろう。車輪のギルドの長、ラザロはそのような日々の生活の中で、自室の天井裏に武器と甲冑があることに気づく。弟子たちに聞いても果たして同じようにあったという。しかもそれらは自身の体格に合わせてあるのだ。何か、自分達はするべきものがあったのではないか……。
「ラザロ様、西側の城壁の一部が破損し、そこに竜が住み着いているようです。工事関係者の誰もが近づけません」
「竜か、それは仕方ない。俺が現場を見よう」
ラザロはせめて気休めにと、その甲冑を着て城壁に向かう。巨大な竜が城壁の割れ目に寝そべっており、人を威嚇している。恐るおそる近づくと、意外にもその竜は一瞥の後、道を譲ってくれたのである。
「竜は宝物を隠すと聞く。これはもしや、財宝があるのでは?」
期待と不安を胸に内部に入り込むと、そこは大きな隠れ家であった。出入り口は祝福を用いねば入れぬようになっているのだが、壁ごと壊れてしまえばこのように侵入を許してしまう。奥には小さな机があり、巻物が数巻安置されている。手に取れども開くことはできず、ラザロは机の上に放り投げた。保存状態の良い菓子袋を見つけ、これはありがたく腰にさげておく。
「何だ、神殿関係の部屋だったのか。おや、奥にまだ部屋があるのか」
そこには見たこともない武器があった。火器だろうか? 壊れているようだが大砲を小型にしたような武器が無造作に置かれている。そして取り扱い方法や戦術書、都市建築の技術書などが大量に積みかさなっていた。ハドルメという国や民について記述された本もあるのだが、そんな国があったとは聞いたこともない。奇妙なことに、壁にはさぼっていないで勉強しなさい、と子供を叱るような文字が残っている。
「技術書は車輪のギルドにとっての宝物だな」
喜色を浮かべて本を手に取り、読み進んでいくうちに、ラザロの記憶がおぼろげに蘇っていく。
そうだ、自分たちはクルケアンを守らなければならない。
……誰から?
それは悪しき神々だ。
……どう戦う?
歴史をつづり、都市を造る。そして王の帰還を待つのだ。
思いだせたのはそれだけである。しかしラザロは天啓を受けたかのように行動し、この場所を車輪のギルドの裏の本部を置くことにした。部下に指示すべく外に出ると、竜が城壁の割れ目を前脚でしきりに叩き、何かを伝えようとしている。
「安心してくれ、この割れ目は俺達が埋める。この場所を守り、王を待つ。それでいいかな?」
竜は頷くとラザロの腰に提げた菓子袋を目ざとくみつけ、鳴き声をあげる。
「もしかして君のかい? いやそんなはずはないが……。まぁ、この場所を見つけてくれたお礼だ」
竜は菓子袋を口にくわえると、大きく羽ばたいて空へ舞い上がった。悲しい鳴き声を上げながら、どこまでも高く飛ぶ竜を見て、ラザロはあの菓子を誰かに届けたいのだろうかと考える。しかし天に人がいるはずもなく、いるとすれば死者の魂だけだろう……。
生者のクルケアンが層を上に重ね大きく変化していく中、月にある死者の都にも変化があった。クルケアンだけでなく、ティムガの草原、そしてギルアドの城までも出現したのだ。そのような状況で生者が一人、ここを訪れてきたのである。
「月の女神、ナンナの精神ですね」
「そうだ、よく来たなラメドよ」
「この身に宿るサラの魂から全ては聞いております。私の同行者は既に現世に帰ってもらいましたが、私だけは貴女にお願いがあってきました」
「私は神とはいえ、精神しか持たぬ。今の私はただこの死者の都を管理するだけよ。そんな私に何ができよう」
「貴女の精神を頂きたい。この身はナンナの生まれ変わりであるサラ導師の魂がわずかに残っています。そしてこの肉体はサラの祝福を受けたもの。あなたの精神さえいただければサラは人として現世に戻ることができるはずです」
「いかにも私の生まれ変わりの魂が考えそうなことだ。しかしそれではお主の魂がここに残ることになるぞ」
「構いません」
ラメドは、実はサラには怒られたのですが、ようやく説得ができたのです、といって笑う。そして子供たちにはまだまだサラの導きが必要なのだとナンナに語った。
「よかろう、この死者の都はちょうど後任が来たので、その者に任せよう」
「それは誰ですか?」
「あとでシャヘルがサラを案内しよう。あれは神の私より適任だ」
そう言い終わると、ナンナはラメドの体内に入っていった。神の精神がサラの魂を受け止め、肉体が変化していく。しばらくすると一人の老婆がクルケアンの頂上で立ち、空を見上げていた。歩み寄ったシャヘルが最上級の敬意をもって老婆に頭を下げる。
「サラ導師、お久しぶりでございます」
「シャヘルか、生きていた時より元気そうではないか。……さっそくあの子の許まで案内してくれ。あれは私の弟子でもあるしな」
「勿論です。ではこちらに」
サラはシャヘルと共にゆっくりとティムガの草原の中心にむけて歩き出す。そこには質素な行宮があり、美しい女性が横たわっていた。
尊大で知られたクルケアンの賢者は眠っている女性を見て涙を落とす。
「馬鹿者が、私がお前に月の祝福を教えたのは、生きて欲しかったからじゃというのに……」
「いえ、サラ導師、あなたのおかげでこの子はこんなにも幸せになったのですよ。彼女だけでなく、多くの民も幸せにしてくれた」
サラは行宮の外をのぞくと、ティムガの草原に多くの人が談笑しているのが見えた。その中に横たわっているはずのサリーヌ、そしてバルアダンや彼らの子供たちもいるではないか。
「死者は生者の夢を見て、魔獣となった魂は死者の国で家族の夢を見るというのか」
サリーヌの魂が見る夢は、魔獣の魂に安息の場所を与えているのだろう。
そして、バルアダンが彼らを救う時まで闇に震える魂を受け入れ続けるのだ。
死してなお美しく慈悲深い王妃の髪を、サラは愛おしく撫でる。
主神は世界を創ったのかもしれないが、人であるサリーヌは天の国を作ったのだ。
それも優しい夢の中に。
これこそ祝福であり、奇跡というものだろう。
「シャヘルよ、この偉大な死の国の女王を頼んだぞ。できるだけ幸せな夢を見せてあげてくれ」
「承りましてございます」
「また会おう、サリーヌ。何、長い時間ではない」
空には青い星が輝き、死の国の草原に柔らかい風が吹き抜ける。
夢の中のサリーヌは横笛を吹き始め、ハドルメの民の魂がその音を静かに、穏やかに聞いていた。
『階段都市クルケアン』 死の国の女王 完
次篇 「天国の階段 上」2021年4月末掲載
「天国の階段 下」2021年5月末掲載予定
最終篇「階段都市クルケアン(仮題)」2021年6月末掲載予定
最終篇終了後、2021年内に加筆・修正を行います。外伝は不定期となります。
イメージイラスト https://www.pixiv.net/artworks/84930201
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