第249話 王の帰還① 星を見る者
〈天文台とその職員達〉
「ご苦労だった、アバカス。君の観測結果のおかげで魔獣の発生原因とその外的要因について本格的な調査を開始することができる。聞けば魔獣討伐もしたそうじゃないか。いやはや、君のような勇ましい観測官がいて私も鼻が高い」
「いや、ルガル館長、魔獣の件は僕ではなく乗騎のハノンが調子に乗って突っ込んだもので……」
言い淀むアバカスの前にオシールが一歩進み出て、ルガル館長ら天文台の職員に向けて大仰な口調で話し始めた。
「アバカスは俺から見ても勇ましいものでした。竜を見事に御して三体もの魔獣を倒したのです。ハドルメ騎士団に欲しいくらいだ。なぁ、シャマール」
「ええ、その通りです。彼はこの天文台の素晴らしい守り手となるでしょう」
二人の言葉に天文台の職員は一様に頷き、アバカスを褒めたたえる言葉が湧きたっていく。
「……これは何の茶番だ」
遠巻きに見ていたロトが、呆れたように呟いた。オシールの虚言に、ルガル達は分かっていて合わせているのである。臆病な観測官であるアバカスが戦闘で活躍できるはずもない。それなのに彼らが持ち上げる理由は何なのだ。
その時、職員の子供であろう、幼い女の子がアバカスに近寄って決定的な言葉を投げかける。
「良かったね、アバカス兄ちゃん! 魔獣をやっつけるなんて王子様みたい。これでフェリシアお姉ちゃんに自信をもって告白できるね。みんな待ってたんだよ?」
「ティ、ティムナちゃん、いや、それはね……」
無邪気でいて、真実を告げるその発言は不純な大人達を硬直させた。彼らは冷や汗と首が軋む音を感じながらその目をフェリシアに向けた。我々はいささか、わざとらしすぎたのだろうか。しかしこうなっては結果に期待するのみだ。
「オシール様、ルガル館長、みんな……」
フェリシアは感極まったように俯いて肩を震わせる。職員達が動揺から安堵と期待に転じ始めた瞬間、天文台は人為的な落雷に襲われたのである。
「いい加減にしなさい、アバカスを甘やかさないで!」
魔獣を倒した英雄も、名誉ある天文台の職員達も一様にフェリシアの説教を受け、自らの企みが失敗したことを反省と共に受け入れたのである。只一人、渦中の人物であるアバカスだけは呆然と立ち尽くしていた。
「ねぇ、ティムナちゃん」
「なあに」
「僕はどうしたらいいんだろう?」
「とりあえず、真っ赤になってるお姉ちゃんを外に連れ出せばいいんじゃないかな」
「……はい」
オシール達は騒ぐ天文台から逃げるように、バルアダン王に報告すべく飛び立った。ロトは先程のアバカスのフェリシアのやり取りや、そして負傷した恋人のシルリを労わるシャマールを見て、やはり恋だの愛だのはわからないな、と頭を振った。王の養子である自分に見合う女性というものは存在するのだろうか。いや自分に合わせてくれる女性こそ希少なのだ。王子でもなく、ハドルメの騎士でもなくただのロトとして接してくれる女性がいれば考えるとしよう。ロトは天文台の職員達が肩を組みながら騒ぎ、アバカスとフェリシアをからかっていた光景を思い出しうらやましく思う。竜だとて翼を休める場所も必要なのだ。俺にはそういう場所があるのだろうか。普通の友人や気になる女性と口喧嘩をするような日常と場所が……。
「丘の上でまどろむ小竜のようにその翼を休めていて……」
「ロト、また懐かしい歌を口ずさむ」
「ふと口に出しただけだ。何の歌だったかな」
「子守歌よ。ハドルメの母親が子を寝かしつける時に歌う。お主の母のイスカ様もよく歌っておられた」
「母か、オシールから見てどんな方だった?」
オシールは竜の手綱を引いてロトの近くに寄せ、何かを探るように少年の瞳を見た。思えばこの子も不憫な事だ。父母の顔を知らず、王の養子として大切に育てられたものの、王と王妃の存在が偉大過ぎて距離を測りかねているのだろう。戦士としての天稟に恵まれ、騎士見習いとして活躍していても、帰る場所が軍しかないのでは不憫なことだった。
「そうだな、サリーヌ王妃は気品もあり、優しいが意外と怒りやすいだろう」
「あぁ」
「で、エリシェ殿は溌溂として、これまた優しいが、口が悪く、手が早いだろう」
「そうだな、よく拳骨をくらったよ。それと母にどんな関係がある?」
「皆美しいのはもちろんだが、イスカ殿は気品もあり、それでいて優しかった」
「……つまり、王妃とエリシェ殿と違い、寛容で、上品で、お淑やかな女性だったと」
「そういうことだ。お前もそんな女性を探すといい」
「……」
「それよりも次はアスタルト、ハドルメ、クルケアンの軍を出しての魔獣討伐となる。それまでアドニバルを連れてエリシェ殿の許へ行ってくれ」
「なぜだ、それよりも軍務を!」
「シャマールがシルリの護衛をするように、お前にはエリシェ殿、そして神殿長を辞したトゥグラト殿の護衛を命ずる。魔獣や魔人の襲撃もあるかもしれない。アドニバルとクルケアンの要人を守ってくれ」
「護衛なら承知した。だが、魔獣との決戦には従軍するからな」
オシールは、エリシェの笑顔を思い浮かべる。恐らく今も昔も変わらないあの溌溂さで、ロトやアドニバルを笑顔にしてくれるはずだ。護衛という名目でロトの羽を伸ばさせてやろうとオシールは考えたのだった。
オシールたちが王に報告をしている頃、天文台ではルガル館長が職員を集めて、魔獣の発生について討議をしていた。湖と月の位置、星の運行について侃々諤々(かんかんがくがく)と議論が進んでいく。特に工房で人と魔獣の成り損ないを発見したという報告は一同の心胆を寒からしめた。ルガルは手を上げ全員の視線を自分に集めると、アバカスを指さして彼に水を向けた。魔獣の次に皆が関心を持っているのはアバカスが見た未来の世界についてであったのだ。
「アバカス、お前は未来のクルケアンの何を見た」
「少年と少女、そして彼らの後ろに
「そのクルケアンの大きさを測れるか」
「はい、現在基礎工事が進んでいる下層部分の構造が数か所一致していました。角度により二百五十アスク(約千八百メートル)ほどだと思われます。それは巨大な階段の形状でした」
「二百五十アスクだと! 石材や木材では到底支えきれない。建材に魔獣石を使えば別だが、膨大な魔獣を殺して石に加工せねばならん」
観測官主任のラピドが石板に石筆を叩きつけて数式を書き、予想されるクルケアンの大きさから必要な魔獣石の数を計算する。それは、人々がどれだけ魔獣を倒してきたのか、そしてどれだけ多くの人が魔獣へとなり替わったのかを数字で示すためだった。
「……館長、館長! 概算です、概算ですが、仮に今の土台からそこまでの階段都市を建設しようとすると、魔獣石が十万個以上必要です。つまりこれは……」
「人が十万人以上、魔獣にさせられ、殺されることとなるな。未来のクルケアンは人々の墓標か。なんともおぞましい」
「アバカスを信じないわけではないのですが、幻覚ではないのですか。今のクルケアンとハドルメの人口を合わせた人口の三分の一が魔獣となる計算です」
ラピドの計算と考えを受けて、職員達は十万人を魔獣化するような魔力を発生させることは不可能であり、魔獣化は食い止められると楽観論に傾いた。それは願望でもあったのだが、それを打ち破るようにアバカスが自身の仮説を議場の大石板に書きだしたのである。自分達の世界の月、湖、そして未来の月をつなげ、それを一つの大きな魔力の通り道として描いていく。そこには入り口と出口はなく、今と未来の月から出る魔力がぶつかり合う様子が見て取れた。
「励起、励起なんだ! 魔獣化に必要な魔力をただ未来から取り出しているんじゃない。魔力の塊がぶつかり、その質が高まってさらにぶつかっていく。この連鎖反応こそが莫大な魔力を生み出している原因なのです。あの夜も数十体の魔獣がいきなり出現しました。それほどのエネルギーをあの場所は生み出すのです」
「……しかしそれでも数十体だ。数万にははるかに及ばない」
「館長、人を魔獣に変化させる魔力、つまり月の祝福者の力が最も増す時期はいつでしょうか?」
「月が我々に一番近い場所にくる近地点の時だ。次の満月がそうだな」
「その場合、月の祝福はどのくらい増幅するのでしょう」
「祝福者からは十倍ほどと聞いておる。だがそれでも数百体ではないか」
「では、もし未来のクルケアンも近接点であったとすればどうでしょう。互いの月が地上に一番近い位置にあるのです。これを単純にかけ合わせればいいのでしょうか? いや違う、二つの世界が交わる時の魔力の励起増幅量など未知の領域です! 最低でも数千体、下手をすれば数万、数十万の人が魔獣となるのではないでしょうか」
天文台の職員は凍り付いたように動きを止めた。そこに竜のハノンが誰も食事を持ってきてくれないことに腹をたてて議場に入り込む。そして職員の沈んだ顔を見ておろおろと歩き回り、やがて哀しそうに鳴き声を上げた。
その日の夜、アバカスは
「アバカス、観測員はあなただけじゃないのよ。交代で体を休めることも必要だわ」
「うん」
「あなたが全て背負い込むことはないのよ。ルガル館長や、私だっているんだからね」
「うん」
「聞いているの?もう、いつだって私のいうことは聞きやしない」
「うん」
フェリシアは自分を見ずに観測器を覗き込むアバカスを軽く睨む。そして仕返しついでにからかってやろうと、悪戯な視線をアバカスに向けた。どうせ聞いていないのだから、普段言えないことをいってやるのだ。
「アバカス、あなたはわたしの事が好きでしょう?」
「うん」
アバカスの変わらぬ返事に、フェリシアは恥ずかしさと空しさを覚え、頬を膨らませた。そして次の瞬間、アバカスが急にフェリシアに顔を向けたことで、彼女の鼓動は急激に高まることになる。もしかして聞こえていたのだろうかと、フェリシアは手を握りしめて言葉を待った。
「ねぇ、フェリシア。子供は好きかい?」
「え、子供? も、勿論好きよ。将来は二人ほど……」
「フェリシア、僕が言っているのは一般的な子供であって君の子供ではないんだよ。はっ、もしかして君、既に誰かの子を……!」
頬を叩く大きい音が天文台の屋上に響き渡り、アバカスは目に涙を浮かべて仰向けに倒れこんだ。フェリシアが拳を握りしめ、アバカスは次の覚悟を決めたのだが、フェリシアはため息とともに拳を下げ、眼下の恋人未満の男と同じく仰向けに転がって空を見上げた。
「突然どうしたの、子供が好きって」
「未来の世界の少年と少女がね、この時代と同じくとても可愛い子だったよ」
「遠い未来といっても、子供は変わらないのね。そこは安心するわ」
「その子たちが泣きながら僕に言ったんだ。ごめんなさい、って。そして未来で待ってるって」
「どういうこと?」
「わからない、でもあの子達を助けなきゃって思った。変だよね、自分の子でもないのに、あの泣き顔を見ると助けてあげたくなる」
「……だからこんな深夜にまで観測をしているのね。未来の子供たち救おうとするなんて、普段のあなたからは信じられないわ。いつだってできるものはできる、できないものはできない、人には向き不向きがある、って諦観していたでしょう?」
「うん。でも何か変わった気がする。変だな、あの子たちの顔を見ただけなのにどうして僕は変わったんだろう」
「その子達に出会えたからよ。星を見て世界を知るように、あなたは未来を見て自分の役割を知ったのかもね」
アバカスは星を見ながら思う。自分が見つけたんじゃない。あの子達が自分を見つけてくれたのだ。神の奇跡というものではなく、彼らの会いたいという意思がそれを為したのだ。だから次はこちらから見つけ出そう。そして出会えた喜びを、嬉しさを誰かと共有したい。だから自分は彼女に聞いたのだ。子供は好きかい、と……。
「ねぇ、フェリシア」
「ん?」
「次の満月の時にもう一度彼らに会うんだ。その時は一緒にいてくれるかい?」
「勿論よ。私もあなたを夢中にさせた子供たちに興味があるわ。でもどうして?」
「あの子達に紹介したいんだ。この人が僕の最愛の人ですって」
満天の星空の下、仰向けになった二人は暫し無言で空を見上げていた。やがてアバカスがフェリシアの手をぎこちなく握ると、フェリシアは優しく包み込むように握り返した。
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