第234話 クルケアン動乱① 四つの勢力
〈動乱直前のクルケアンにて〉
「エドナ、タファトはまだ目を覚まさないのか?」
「はい、フェルネス様。ただ……」
「ただ?」
「寝顔はとても血色よく、穏やかな笑みさえ浮かべておられます」
「そうか、ならば時の狭間とやらで想い人と会えたのであろう。メルカルトめ、頭の固い武神かと思えば、存外に細やかな配慮をするものだ」
「……良かった」
エドナの心底安堵している様子に、フェルネスは彼女の戦士以外の側面をみたような気がして胸を痛めた。自分を王子と信じ、従ってきた部下たちに対して、これまで何も報いずにただ戦場を駆けてきた。本来の記憶が戻れば、彼らの心情をもっと推し量ることができるのだろうか。部下ではなく友として……。しかしフェルネスはそれを惰弱として頭の隅に追いやった。
「どうした、友を求めないのか」
メルカルトが精神の内でフェルネスに囁いた。
「忠実な部下がいれば問題ない。友など足かせに過ぎぬ」
「大切なものを失うのは怖いのだろう? フェルネス、お主は自分が一人で苦しみを引き受ければよいと思っておるな」
「誤解だ、愚かな神め」
「貴様の父はお主の為に神さえも打ち倒した。最強を目指す我としてはそれが強さへの道かとも思ったが……。ふむ、まぁいいだろう。道は何本あっても良いのだしな」
「……」
「フェルネス様、いかがなされました」
「いや、何でもない。トゥグラトからハドルメ討伐の依頼が来た。俺は神獣騎士団第一連隊を率いてそこに向かう。エドナはサウル、メルキゼデクと共にタファトの保護を名目にここに残り、神殿が手薄になった隙に脱出し、合流しろ」
「了解です。しかし第一連隊は大廊下の戦いでほとんどが全滅したはずでは?」
「打ち倒された連隊員に魂を補充したとタダイから連絡を受けた。市民を扇動し志願者を
フェルネスはそういい終えるとタファトの穏やかな笑顔をみて、その髪を手で優しく梳いた。
「タファト、イグアルを頼んだぞ。お前が選んだ男はクルケアンで一番弱くて強い男だ。何しろ剣で貫かれながら俺を殴るんだからな」
友の心臓を刺し貫いた感触が手に甦る。フェルネスは震える腕を寝台に押し当て、いつの間にか祈るように手を組むと静かに目を閉じた。あの時、友人は凶刃を振るった自分に臆すことなく叱りつけたのだ。自分の命よりも、道を外した愚かな男を正道に戻すべく拳を振り上げたのだ。
「……痛かったぞ、イグアル」
剣から振動が伝わり、心臓の鼓動が弱っていくの感じ取った時、二つの願いをかなえれば、その身を神に渡さなければならないにも関わらず、フェルネスはメルカルトにイグアルの命を救うよう願ったのである。
「ありがとう、イグアル。お前のおかげで自分が何者か分かった。やはり俺は世界を変えるイルモートの力を使って過去を、ハドルメが魔獣になる前からやり直す。バルアダンのように新しい未来をつくるわけでもない。オシールのようにハドルメを現在に復活させるわけでもない。所詮、過去に捉われた俺が願うのはやり直しをすることだけだ」
前を見て、お前たちといる未来を想像するのは眩しすぎる。俺の背後には魔獣で苦しんだ、あの時のハドルメの民がいるのだ。そうフェルネスは呟き、寝室を後にした。
夕刻、クルケアンの西門で市民たちは北壁から半信半疑の視線をフェルネスに向けていた。先の大廊下の戦いや、バルアダンらを行方不明にした大森林の戦いでクルケアンを裏切った男、その男が神殿によって、ハドルメによって操られていたと喧伝され、赦免されて彼らの眼下にいるのだ。個人としてのフェルネスの信望と、昨日と今日の敵味方が入れ替わる目まぐるしさに、誰しもが正常な判断ができないでいた。
「神獣騎士団第一連隊、および神官兵、これより行軍を開始する。我らはイズレエル城に籠り、ハドルメを迎え撃つ!」
タダイやナブーの暗示によるものか、熱狂的な兵の歓呼をフェルネスはその身に受ける。国境に位置するイズレエル城を拠点に、飛竜を擁するオシールのハドルメ騎士団と正面から戦い、タダイ率いる鉄塔兵と挟撃する手筈であった。勢力は互角であるならば戦局を決するのは指揮をする者の力量となる。自分はオシールに将として、個人として勝てるのかとフェルネスは自問する。
「メルカルトよ、魔人として目が覚めた時、オシールは俺の事を弟分だといったのだ」
「そうだ、幼き日のお主は王とオシール、シャマールを見て兄らに追いつこうと必死だったぞ」
「ならば奴も超えなければ最強とはいえんな」
「うむ、彼の者に勝利し、バルアダンを超える力を早く身につけるがいい。ん?」
「どうした?」
「時空が振動しておる。この魂の波動は‥‥、面白い、あの大神官がいよいよ戻ってくるのか!」
「大神官?」
「お主の父の喧嘩相手だ。アナトとかいったな」
「……奴は俺の神獣騎士団の後輩でな、奴にも負けられん」
「父と同じく、お主も喧嘩相手がいなくて困ることはないらしい」
メルカルトの愉快そうな声が精神の内で響くのを聞きながら、フェルネスは全軍に号令を発した。彼はいずれトゥグラトを裏切ることを決めており、オシールも、バルアダンも、アナトとも敵対し、最後に最大の勝利を手に入れるつもりだった。
「未来をつくるのではない、現在を変えるのではない、過去こそを変えねばならんのだ」
自らの乗騎であるハミルカルの鞍に飛び乗って、フェルネスは自身にそう誓った。
フェルネスの出立から五日後、オシールは大使アバカスからの急使により、討伐軍が迫っていることを知らされた。オシールはハドルメ騎士団に招集をかけ、ギルアドの城の上空で六百もの飛竜を整列させる。魔獣から複数の魂を掛け合わせて魔人へと転じた竜騎兵は五百人であり、その騎獣以外はそれぞれの竜の判断に委ねることとした。ギルアドの城の防衛を五百人の女たちに任せ、戦場となるイズレエル城を目指し、進軍を開始する。
「オシール将軍、城や遺棄された天文台の地下に封じられている魔獣をなぜ魔人化しないのです。フェルネスの神獣騎士団は戦力を増大し百五十騎に迫ると聞き及んでおります。それに続く神官兵が五百人、クルケアンに残る百五十騎の飛竜騎士団や、イズレエル城に拠る千人と合流されると少々厄介ですぞ」
「王がな、魔獣からであれば人に戻す手段があるといっていたのだ。魔人となり、人外の存在になるのは少ない方がよかろう。……すまぬな、お主らにはハドルメの復活のために犠牲となってもらった」
「弱気な事を、ハドルメの民であれば、人であることを捨て民を守ることなどどうして臆しましょう」
「ほれ、そのような輩が多いから困るのだ。放っておけば全員が魔人となって守る民がいなくなるではないか」
それはその通りだとハドルメらしい戦士たちの哄笑が起こった。
「ハドルメの兵、僅か五百と雖も不安になる必要はない。もう少しだけ持ちこたえればいいのだ。いずれ王の帰還が成れば、この世界において抗しきれる者などいないのだからな」
オシールの言葉に全員が頷いた。彼らの魂に刻まれた王との約束こそが、希望であり、命を懸ける理由でもあったのだ。
「俺にフェルネスが斬れるのか?」
オシールは飛竜の手綱を握りしめながらそう呟いた。魔獣と化す前、既に強い魂を持っていた自分やシャマールはともかく、幼かったフェルネスには真名のロトとしての記憶はおぼろげであろう。しかし、最強を目指す父ヤバルの意思だけは受け継いでいるのが面白い。そして気質はロトの時のままである。遠い昔、何度勝負を挑まれ、そのたびに叩きのめしてきたことか。そして勝負の後にロトが叫んでいた、次こそはお前に勝つ、との言葉も幾度も聞いてきたのだ。
「次こそは、か」
オシールは憧れていたヤバルの姿をフェルネスに重ねた。王は超常の存在であり、人として彼が目指していたのはヤバルの強さであった。オシールはあの勇ましかったヤバルに挑もうとしてもその機会が得られなかったのを内心悔しく思っていたのだが、次の戦場こそはその機会が得られるかもしれないと身震いをする。兄として弟の成長を確かめ、また、ハドルメの男としてヤバルの後継に挑むことができる喜びに、オシールは戦場の凄惨さを忘れほくそ笑む。
「さぁ、行こう、ハドルメ騎士団。王の帰還の前にティムガの草原の大掃除をするぞ!」
こうして、騎士団は槍を空に突き上げ、竜と人の歓声と共にイズレエル城を目指したのである。
クルケアン、ハドルメの両軍がそれぞれの城を背後に、ティムガの草原において戦陣を敷いた時、ギルド長のリベカによる書状がそれぞれの陣営にもたらされた。その書状の中で、ギルドはその勢力下である交易都市ゲバルの中立を宣言し、ゲバルに逃げ込んだ兵は武装解除し、戦いが終わるまで捕虜とする旨を両国に通告したのである。守銭奴よ、日和見者よと詰る神殿の使者に対して、リベカはサラの真似をして、腕を組み、しかめ面で毅然として答えていく。もっとも彼女の横に座る、車輪のギルドの長であるカムディにしてみれば、リベカは笑顔こそが怖いのに、と口中で呟いたのであるが。
「クルケアンの元老院の召集は未だされず、これはいわば神殿とハドルメの私戦であるとみなします。なればこそギルドは中立を宣言するのです。もし、二十日後に開かれる元老院及び総評議会において承認が得られるのであれば、勿論クルケアンの市民として従いましょう。それが遅いとおっしゃるのであり、ギルドに行動を求めるならば積極的な中立を行います」
「積極的な中立?」
「ギルドは先の和平協定を破る全ての存在と敵対しましょう」
「神殿、ハドルメ双方に敵対すると? そんな無茶な!」
「そうなると、私の目の前には敵であるあなたがいるということになりますね」
「……リベカ殿、このこと、いずれ正式に神殿から召喚があると覚悟なされよ。異端審問にかけられるかもしれませぬぞ」
リベカは抗議に来た司祭を正論と脅迫で追い返した。使者は逃げるようにイズレエル城に走り去ったが、彼女の横に侍る、ガムドら武装した
こうしてティムガの草原の西には神殿勢力、東にはハドルメ、南にはギルドがその勢力を背景にして
「さぁ、落伍者は置いて行くよ! 魔獣に喰われたくなければあたしについてきな!」
「先輩、いきなり彼らを戦場に出すのは無茶ではないでしょうか?」
「戦場には出るけれど、戦うとは言っていないでしょう? 大丈夫、あたしに任せておきなさい!」
「すべてお任せします。さぁ、みんな、「ウェルのぼろもうけ団」の初仕事だ、気張ってついてこい!」
「……なぁ、ザハグリム、もっとましな団名はなかったのか」
ピエリアス家のアジルが先頭に追いついて苦言する。ザハグリムは何故か赤くなった顎を擦りながら答えた。
「止めはした。止めはしたんだよ。アジル、お前も異存があるなら団長に直接いえばいい」
「……異存はない」
こうして、ウェルとザハグリムを中心とした若い貴族の一団が第四勢力として名乗りを上げたのである。
それは誰もその存在を気に留めない、軍事的には吹けば飛ぶような勢力であったが、支配者階級の子弟たちという点で無視できない政治的な勢力ではあった。
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