第226話 約束された再戦
〈べリアとフェルネス、神殿地下、奥の院にて〉
「ティドアル、穴に落ちたイグアルを追え。こちらはフェルネスに用があるのでな。どうせお主の目的はあの大穴なのだろう? そうでなければここまで真っすぐ来れるはずがない」
「……かたじけない」
ティドアルが大穴に向けて走り、そうはさせじとタダイ、フェルネスの部下のサウル、メルキゼデク、エドナが立ちはだかる。ティドアルがタダイの剣を受け、べリアは残る三人の正面に回り込み、大空洞に剣戟の音が鳴り響いた。
タダイはティドアルと数合撃ち合った時、心中で首を傾げる。以前、どこかでこの剣士と戦ったような気がしたのだ。そしてその一瞬の隙を逃さずべリアが両者の間に割って入った。タダイは瞠目してべリアの周囲を見やると、そこには三人の魔人が地に這って呻いていた。なるほど、彼らは元飛竜騎士団であり、その団長であったべリアに子供扱いされるのも無理はない。タダイは先ほどまで撃ち合っていた剣士が大穴に飛び込むのを見て大げさに頭を振った。
「やれやれ、中位の魔人を歯牙にもかけぬとは、やっかいな御方です。しかし、強い魂を持つ貴方と雖も、そろそろ魂と精神が軋みだしているのでは? 何せトゥグラト様が貴方に注いだ魂は十を超えるはず。戦いで傷ついた精神に少し傷を入れるだけで破裂してしまうでしょうよ」
「もとより長く生きる気もない。しかし寂しがりやでな。道連れが欲しいところだ。どうだ、死出の旅につきあわんか」
「……殺していただけるなら、是非ともお願いしたいものですな」
べリアの剛剣に抗しきれず、タダイは一歩、二歩と後退していく。しかし後ずさりをしながらも巧妙にべリアをフェルネスに向けて誘導していた。
「さぁ、フェルネス殿、二人でかかればこの最強の戦士とて打ち破れましょう」
勝利を確信したタダイの笑みは、次の瞬間には凍り付く。当の連携相手のフェルネスがタダイに向けて斬りつけたのだ。それは牽制でも警告でもなく、急所を狙った一撃だった。
「何を!」
「タダイ、貴様は魔獣工房へ用があるはずだ。この戦場は私のもの、邪魔をするなら切り捨てる」
タダイは兜の隙間から見える死者のような眼に気圧されて、忌々し気に舌打ちをして闇に消えた。
「フェルネスよ、タファトを人質にとり一方的に斬りつけてきたお主が、今更一騎打ちを望むのか」
「もはや、騎士としての名誉も誇りも穴に投げ捨てたわ。だがな、べリアよ。悔しいが貴様にはまだ勝っていない。今ここで決着をつけ、その大穴に蹴落としてくれる」
両者は至近の距離から踏み込み、眼前で互いに刃を叩きつけた。火花がそれぞれの顔を照らし、引き際に返す刀で兜を打ち払う。ともに兜が跳ね飛ばされ、べリアはフェルネスの顔を見て愕然とした。目の前の男の暗い双眸の下に、涙の後を認めたのである。
「馬鹿者めが!」
べリアは叫ぶ。この誇り高い男をそこまで追い込んでしまったのは上官の、いや養い親としての自分の責任であると悔悟したのだ。それでもクルケアン最強と謳われた男は戦意を失うことはなく、せめて自分のこの剣で打ち倒してくれようと、隻腕に力を込めて斬撃を放つ。余人の介入を許さない元上官と部下との戦いは、しかし一人の女性によって止められたのである。
「馬鹿な真似はよせ、タファト!」
べリアが大穴の淵にたつタファトの姿を認め、叫び声をあげる。
二人の剣士が同時にタファトに向かって走り、女が淵から身を投げ出す寸前、それぞれが片腕を掴み引き寄せた。時間の流れが定かではない大穴に在ってタファトの魔道具の
二人の行為は同じであったが、それは一方にとって決定的な差となった。隻腕のため、剣を捨てタファトを掴んだべリアに対して、フェルネスは残る片方の手でべリアを斬りつけたのだ。フェルネスは気を失ったタファトを抱き寄せ、うずくまるべリアの肩に足を置いた。
「……やれ」
「べリア、三日しか待たぬ」
「フェルネス、お前は!」
フェルネスはべリアを穴へ蹴り飛ばし、ついでとばかり大剣を投げ捨てた。そしてタファトを
〈神殿、謁見の間にて〉
「……と、まぁ、このような仔細でございます。遠目のため、確とは分かりかねますが、重傷を負ったイグアル、そして飛び込んだ愚かな剣士、フェルネスに蹴落とされたべリア、いずれも生還の見込みはないでしょう。生きていたとしても月の祝福者がいるわけでもなし、世界の狭間から出られずに死に至るでしょうな」
タダイは神殿の謁見の前でトゥグラトに事態を報告する。トゥグラトは誰もその場では死んでいないことに引っかかりを感じたのだが、タダイのいうように生還できるはずもなく、杞憂であると結論付けた。
「よかろう。それで、タファトは何処で監禁しておる」
「フェルネスの私室にて。フェルネスの部下であるエドナが監視しております。タファトの扱いについてはフェルネスがトゥグラト様に直接掛け合いたいとの由」
「タダイよ、フェルネスをどう見る?」
「トゥグラト様の御慧眼の通り、メルカルト神の魂はフェルネスの精神の内におられる様子。となれば、フェルネスはヤバルの子ロトに相違ありませぬ。思えばヤバルの死の際にあってその魂を赤子の精神の内に潜めたのでしょう。力量、立場と共に危険な存在です」
「……」
「トゥグラト様?」
「いや、なんでもない。流石にイルモートの肉体の復活が近づくとこの精神が揺れ動きおる。同じ神の精神を乗っ取ろうと蠢いておるのだろう」
「今少しで我らの大望が成就できます。それまではご辛抱ください」
「あぁ、その通りだ。メルカルトについては放っておけ。奴は強者との戦いのみを望む。バルアダン派を一掃させた後に、我が封じてやろう」
「御意。……ハドルメがフェルネスを王の子として擁立する可能性があります。少なくとも強い魂を持つオシール、シャマールはある程度の記憶を持ちこしているはず。放置しておいてよろしいでしょうか」
タダイは遠回しにフェルネスの扱いについて再考を求めた。ハドルメの民で警戒すべきはオシール、シャマール、シャプシュである。強い魂を持つ彼らであれば魔人となった時に他の魂を押さえつけ、自我を残しているはずであった。また、王の強烈な印象は全てのハドルメの魂に刻まれており、王の子の復活を知ればその士気は極限にまで高まるはずである。オシールらがフェルネスを担ぎ上げ、神殿への抵抗の象徴になるのは避けねばならなかった。そして今のところシャプシュの魂を持つ魔人は見当たらない。オシールの近辺をそれとなく探っているが、未だ魔獣として黒き大地にいるのか、魔人としてうまくその存在を隠しているのかのいずれかだろう。
「タダイよ、我らは四百年前に大きな過ちをしてしまった」
「……」
「三柱の神の完全な復活が間に合わず、王を殺すどころか帰還するのを阻止できなかった。次こそはバルアダン、そしてバァルにも完全に勝利するのだ。神や王に勝利してこそ我らの悲願も達成する。その意味では神への反逆においてフェルネスこそ同志に相応しい。……しかし挑んでくるのであればそれもよかろう」
「では王妃の件は過ちではないと?」
「無礼者め、二度とそのような差し出口をたたくな」
「……失礼いたしました」
タダイは主の不興を受けて慇懃に一礼する。いずれにせよ、この世界に戻り、再戦するであろうバァルとバルアダン、裏切り者のメルカルトを殺し、名実ともに世界を自分たちのものにしなければならない。そのために打てる手段は全て打っておく必要がある。タダイはおぞましい笑みを浮かべ、トゥグラトに進言した。
「貴族や市民の間でハドルメとの開戦を良しとしない意見が出始めております。ハドルメを罠に嵌め、元老院の決議に先立って、クルケアンと小規模な戦いが起きるよう手筈を整えておきます」
「よかろう。いずれ最後の戦いにおいてティムガの草原を血に染め上げねばならぬ。そのためにもクルケアンとハドルメの憎悪を煽っておけ」
深々と一礼し、タダイは謁見室を後にした。
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