第214話 階段都市クルケアン

〈トゥグラト、時の狭間に足を踏み入れて〉


 炎を抜けた先に巨大な階段状の都市を見た。その都市に人は誰もおらず、生き物の気配もない。そして城壁の外は月の広寒宮から仰ぐ空のように黒く深い。世界の終わりに都市だけが残されたかのようだった。


「クルケアンか? いやそれにしては巨大すぎる……」


 僕は無人の都市の階段を登っていく。案内するかのようにランプが灯り、やがて三十三層に辿り着いた。誰もいないはずの都市で一つの家だけが淡く光っている。


「捨てられた学び舎、いや工房か……」


 その家に足を踏み入れると、魂が震えるような感覚を覚えた。その家の机には多くの学問の本や設計図があり、どうやら階下には工房があるようだ。椅子の数からさぞ多くの仲間でにぎわっていたのだろう。大きな樫の木の机を擦ると、脳裏に体験したはずもない思い出が再現されていく。今よりも少し幼いエリシェが僕に向かって頬をつねっているのだ。


「もう、またいらずらをして! この設計図に落書きをしたでしょう!」

「ち、違うよエル。ここに抜け道を造れば面白いとは思わない? ねぇ、エラム」

「いや、機能的には全く意味がないんだが……。トゥイはどう思う」

「うーん、これって何処へ繋がっているのかなぁ。あ、外門だね。何かあった時の近道だ!」

「そうだよ! そうすれば外門にいるガドたちのところに遊びに行きやすいよね。サリーヌ達は空から飛竜で降りてくればいいけれど僕たちは自分の足しかないし。ほら、僕もちゃんと考えているでしょう、エル?」

「ま、まぁ、いい考えじゃないかしら」

「……褒めるのと頬をつねるのを同時にしないで欲しいんだけど」


 エラムとトゥイと呼ばれた子供たちが僕とエリシェを見て楽しそうに笑う。僕達の賑やかな声に誘われて多くの仲間が設計図の周りに集まりあれこれと論議を始める。

 エリシェだけでなくサリーヌ王妃やガドもいるなんて、何て素敵な幻想だろう。人として、このような時間を僕は過ごしたかった。


「エルシャ、騒がしいぞ。評議会へ提示する資料ができたのかい」

「ごめんなさい導師、まだです! セトが面白い考えを追加したものだから……。きっと明日の朝までには形にして見せます!」

「まったく、評議会を控えて暢気なことだ。セト、責任を以って設計図を仕上げるのだぞ」

「勿論だよ、サラ婆ちゃん」

「婆ちゃんというでない!」


 続く幻想に手が震えた。いや、これは幻想ではない。セト、エルシャ、サリーヌ、ガド、サラ……、これは未来の光景ではないのか。呆然として机から手を放し、倒れるように椅子に座り込む。

 巨大な都市、信頼できる友人たち、そしてエリシェの笑顔。素晴らしい未来は、しかしこの廃墟が示すように滅んでしまうのだろうか。



 その時、軋んだ音が鳴り響き、外壁に面した奥の扉が開いた。そして露台から女性が手招きをしているのが見えた。

 一人は太陽の女神タフェレトだ。もう一人は死んだはずのサラ導師だった。タフェレトと並び立つ彼女を見て僕は改めて思う。サラ導師は月の女神ナンナの生まれ変わりであったのだ。


「見知った仲であるが名を聞こう、青年」

「我が名はイルモート。サラ導師、いやナンナ。なぜここにいるのですか?」

「……その名を名乗ったか、イルモートよ」


 ナンナは虚空を見上げ、やがて俯いて嘆息した。


「そうだの、昔話をせねばなるまいて。タフェレト、よいな」

「はい。ナンナ様のお考えのままに」

「イルモートよ、ここは世界の果てよ。次のクルケアン暦五百年の最後の月を以ってこの都市は世界から切り離され終わりを迎える。神も、人も、すべての生き物もだ。我らは天と地の結び目ドゥル・アン・キ、存在すら不確かな空間を抜けてこの場所に辿り着き、世界を救う為の物見としてこの都市を利用しておる。ここからなら過去、現在、そして未来が見えるのだ」

「今は八十四年ですよ。なぜ四百年後のことが分かるのですか」

「未来は過去であったからの。世界は繰り返し存在しつづけている。しかしそれももうたないのだ。お主の肉体を封じてから後、我らは違和感を覚えていた。神殺しの力を持つとはいえ、優しい性格であるお主があのように暴走するとは考えられぬ。何かの悪意があるのではないか、と」

「そして私たちは下界に降りて調査を始めたの。そして災厄の全てがモレク神たちの暗躍に基づくことが分かったわ」


 タフェレトはそのようにいった後、僕の頬に手を当て謝罪した。


「ごめんなさい、イルモート。あの時、バァルがいったように貴方の肉体の封印を思いとどまっていたら、貴方をみんなで守っていたら、世界は滅ばずに済んだのかもしれないのに。いずれ時が来れば、悪神は貴方の肉体を復活させ世界を滅ぼすわ。そして絶望した貴方は時間を巻き戻すの」

「イルモートよ、お主の持つ力、物事の本質に戻すという力は再生と破壊を意味する。世界を滅ぼすこと、世界を元に戻すことは同義であるからな。……そして世界は四度繰り返された」

「なぜ、なぜ見てきたかのように仰るのです。出鱈目をいわないでください!」

「この天と地の結び目ドゥル・アン・キにあるクルケアンはな、お主によって最後に世界が滅ぼされた終局でもあり、漂白されて新しく始まった始点でもある。様々な人の想いが都市の魂として刻まれているため、それを覗き見ることが可能だ。この都市の様々な場所で手を触れるだけで都市の記憶が伝わってくるのだ。この悲しい都市の墓標によって歴史の真実を読み取ることができた」

「なら、ならば何をしても世界は元に戻ると?」

「いや、時はもう戻らぬ、これが最後だ。この都市には五度目の世界の記憶がないのだ。次にお主が時間を戻そうとすれば世界は滅びるだろう。世界は紐状の、始まりと終わりのない輪のようなものであったが、それを螺旋に捩じったことにより線となった世界には始まりと終わりが存在するようになった。じきに捩じれた世界は弾け飛ぶ。故にこの四百年で世界を救わなければならないのだ」

「……なぜ、前の僕は世界を元に戻そうと思ったのでしょうか」

「多くの仲間が目の前で血祭りにあげられたからだ。四百年後のお前には多くの友人がいた。この場所で、小さいが活気のある工房を開いてな」

「エルシードは、死んだ仲間にエルシードは含まれていましたか」

「……エルシードは生かされたのだ。永遠に悪神共にその力を吸われ続ける苗床として」


 あぁ、どの時代でもエルシードは泣いてしまうのか。辛い目に合ってしまうのか。それは神であることが原因ならば、彼女を神から人に落としてしまえばいい。そして魂のみで転生を繰り返せば、やがては普通の人生を送れるだろう。彼女の精神は天空の外宮にあり、肉体と魂のみが下界にある。その精神と肉体を壊せばいいのだ……。


「ナンナよ、僕は決めました。神としてのエルシードを殺し、人として転生させる。そして僕も共に死にましょう。僕とエルシードの魂の絆があれば、きっと生まれ変わっても一緒になれる。いつか普通の人として僕たちは幸せになるんだ」

「エルシードの肉体は魂と共に在るが、精神は天空に在るのだぞ? どうやって外宮に行くつもりだ」

「あぁ、ナンナ。貴女に感謝します。だって、僕に天まで届く都市を見せてくれたのだから。僕はこの魂に誓う! 数百年かかろうとも僕はこの階段都市を造りましょう。どのような犠牲が出たとしても僕は必ず天空の外宮に辿り着きましょう。そして何度生まれ変わったとしても必ずこの都市の頂を目指し、僕はエルシードを殺しましょう!」

「愚かなイルモート。それでは過去と同じではないか。お主はいつも最後にはクルケアンの頂上で愛するエルシードを殺せず、また、自死もできずに、魔神に全てを奪われ絶望し世界を漂白するのだ。それにお前がエルシードを殺すのを見たくない」


 そんなことはない、愛しているからこそ殺せるのだ、そう僕は反論した。しかも今の自分はナンナたちに出会ったことにより、これまでに失敗を繰り返してきた事を知っている。ならば今回はうまくいくはずだ。


「歴史は繰り返すが、これまで大筋は同じでも少しずつは人々の歩みは変わっていった。お主の最後の選択も変わるのかもしれぬ。我らも世界の終わりには魂を人界に送り、人として生まれ変わろう。その時にイルモートよ、お主の選択次第では敵となるかもしれぬぞ。さぁ、門を開いてやるので早く戻るがいい。同じ時代に帰るのであれば魂の負担は少ないのでな」

「さらばです、ナンナ、タフェレト。世界の終わりにまた会いましょう」



 僕が意識を戻した時、目の前には巨大な闘技場が広がり、魔獣と王の兵士が正面からぶつかっていた。ダゴンとサリーヌ、ニーナが戦い、勝敗はまだ決していない。時間はそれほど経っていないのだろう、しかし目に映る光景は激変していた。見方が変わったのだ。

 エリシェはエルシードであり、兄と信じていたアサグは、エリシェの態度から従者のアッタルだろう。そして養父母を殺した魔神たちの目的は自分の力を利用することだった。知っていたこと、信じていたこと全てが裏返ったのだ。何が可笑しいのか自分でもわからないが、戦場に在って僕は独り笑っていた。


「トゥグラト、しっかりして、まだ戦いは続いているのよ!」

「あぁ、エリシェ。愛する君だけは必ず守る」

「変なトゥグラトね。戦場で愛を囁いてくれるなんて。でも嬉しいわ」


 花のようなエリシェの笑顔を見ながら改めて思う。

 自分にはやらねばならないことがたくさんある。目の前の魔神を封じた後は、天まで高くそびえるクルケアンを建設するのだ。この体が滅んでも、魂に刻まれた強い思いは次の生でも自分を頂上へ誘うだろう。いつの日かエルシードの、天にある精神と地にある肉体を殺し、共にただの人として復活するために。


「さぁ、神殺しの階段を造ろう」


 僕は心中でそう呟いた。

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