第213話 魔神の軍勢⑤ 魂の記憶

〈トゥグラト、ティムガの草原の高台で〉


「兄さん、アサグ兄さん、見ましたか、王が魔人を!」

「見事だ。依り代とはいえ、あのダゴンを打ち倒すとはな」

「ダゴン? やはりあの霊廟に眠るという悪神が関係しているのですか」

「……いや何でもない。そのような気がしただけだ」


 ダゴン、兄さんは間違いなく確信を持ってそういった。両親が殺された奥の院の廟堂、悪神が人の血肉を以ってその魂を入れる器を作っていたというその場所で何があったのか、兄さんは多く語らない。

 兄さんは何か知っているのだろうか、そしてなぜ弟である僕にまでも打ち明けてくれないのか……。救いを求めるようにエリシェを見る。そこには美しい幼馴染がオシールと共に兵たちを鼓舞していた。過去に悩む僕が馬鹿らしく思われるほど彼女は今と未来を考え、前向きに生きている。

 僕は戦場にも関わらず、エリシェの横顔を見つめてしまう。

 そうだ、あの時も苦しい戦況下でエリシェは兵に話しかけていた。そして元気のいいオシールを見ていると、あの少年を思い出す。どんなに強い敵の前でも敢然と立ち向かっていった勇敢な少年を……。なぜかガドという名前が思い浮かび心を揺さぶった。


「ガド、それは一体誰だ?」


 自問しながら目を瞑って不思議な記憶を辿っていく。どこかで見た風景にエリシェがいる。少年たちがいる。そしてバルアダン王だろうか。そして僕たちは王に戦いを挑んでいるのだ。


「トゥグラト、トゥグラト! しっかりしなさい。何かあったの?」

「……エリシェか、何でもない。少し疲れていただけだよ。さぁ、魔獣を討ち滅ぼそう」

「まったく、戦場で呆けるなんて。アサグが床弩しょうどの発射を命じたわ。さぁ魔獣を引きつけ、王の軍勢と挟み撃ちにするよ!」

「仰せのままに。姫将軍」

「うむ、では家来としてついてくるがよい」

「ふふっ、クルケアンで悪戯をするような雰囲気じゃないか」

「そうよ、これでも淑女なのだから、剣で勝つよりも頭で勝つの。ティムガの水を城壁に沿って一気に流しこむ!」

「乱暴な作戦だな、君の魔力は大丈夫か? 急造とはいえ城を作ったんだ。そろそろ限界に近いはずだ」

「だ、大丈夫よ。うん、あと一回くらいの力はあるわ。……その代わり動けなくなると思うからトゥグラトがしっかり守ってね」


 エリシェは神童といわれクルケアン一の魔力の持ち主だった。アサグ兄さんがエリシェの力が利用されるのを防ぐために、普段はその力を押し隠すようになったが、それでも今日の彼女の力は異常すぎる。しかもまだ力を振るえるというのだ。

 ……アサグ兄さんもエリシェも、僕に何かを隠しているような気がして、ずきり、と頭に痛みを感じる。


「なんだい、情けない神殿長だな! エリシェ姉ちゃんは俺が守るから、お前は引っ込んでいろよ」

「オシール、このお兄ちゃんは情けなくないのよ。少し臆病で考えすぎるだけ。だからいじめないでね」

「……エリシェ、それ、助け舟を出してくれたつもりかい?」

「勿論! では家来二人に改めて命ずる。オシールは魔獣が壁にとりつく寸前で合図を頂戴、わたしが水攻めを行うので、トゥグラトは合図を待って印の祝福でこの城を元の草原に戻してほしいの」

「城を元に戻してどうやって魔獣を防ぐんだ」

「トゥグラト、防ぐんじゃないよ。わたしたちは勝つの。水攻めを行った後に、この高台の土を低地に戻せばどうなると思う?」

「弱った魔獣は生き埋めになる。あとは床弩で動けない敵を狙い撃ちにするだけだし、王の軍勢が草原を一気に駆け抜けて応援にくるだろう。なんてこった、滑って、転んで、穴に落ちて、か。神殿の意地悪な先輩によく仕掛けていた落とし穴じゃないか!」

「仕掛けて仕損じなし。かつてのクルケアンの神童を信じなさい」


 困った。オシールが崇拝の目でクルケアンで一番の悪童を見つめている。彼に伝えた方がいいのだろうか、悪戯の最後は決まって怒ったアサグ兄さんの説教を受けねばならないことを。

 

「さぁ、家来よ、配置につけ!」


 弾かれたようにオシールは城壁にとりつき、距離が縮まるのを大声で叫んでいく。アサグ兄さん達の床弩を受けて激昂した魔獣が全速力で突っ込んできて、城壁を崩そうと体当たりをしてくる。


「エリシェ姉ちゃん、今だ!」


 エリシェが権能杖を振るい、小声で何かを呟いた。恐らく水の神エルシードに祈っているのだろう。


「……の名において命ず、水よ来たれ」


 聞き間違いなのだろうか。彼女は神の力を借りようとしたのではない、命じたように聞こえたのだ。彼女の祈りに応え、カルブ河の水が流れを変えて魔獣を襲う。清浄な水は刃となって魔獣を切り刻み、たちまち低地は魔獣の血によって赤く染まった。やがて泥濘の中で魔獣たちはのたうちまわっていくのだ。


「アサグ!」

「あぁ、神官兵、床弩斉射! 魔獣を大地に縫い付けろ!」

「トゥグラト!」

「みんな、高台の中央へ移動するんだ。城の土砂を以って魔獣を埋める!」


 エリシェは確かにあの時、自分の名でカルブの河に命じたのだ。ならば僕も命じてみよう。その方が力を出せるのかもしれない。


「我が名において命ず、高台よ、元の姿に戻るがいい」


 ティムガの草原にそう命じた時、あのガドという少年が頭をよぎった。そう、ここだ。ここで僕は彼と共に戦ったんだ。誰と? 誰と……。これまで放ったことのない赤い光が前方の草原に広がった。力が漲り、目が灼けるように熱く感じられる。


「トゥグラト、力を放出しすぎよ! 何てこと、この力は、この力は!」


 光が弾け、神官兵も、そして魔獣でさえも身動きをしない中、僕は低地の中央にいた。誰も彼も僕を見下ろしている。


 なぜ、魔獣は高台に在って僕を見下ろしているのか。

 

 なぜ、兄さんがダゴンと呼んだ魔人が僕の目の前に立っているのか。


 なぜ、低地に広大な闘技場が出現し、僕は石床に座り込んでいるのだろうか。 



「貴様のおかげだ。全てをあるべき姿に戻す貴様の祝福が我が身の封印を解いてくれたのだ。仮初の器でこれほどの力が沸き上がってくるとは素晴らしい。これが真体でなかったのが惜しまれる」


 そして、イルモート、見つけたぞ、とダゴンは涎を垂らしながら笑ったのだ。ダゴンは大剣を頭上にかざし、魔獣に向けて突撃を命じる。


「魔獣どもよ。イルモートを喰らい、そしてその魂を我がもとに連れてくるのだ。エルシードは殺しても構わん」


 魔獣が低地の闘技場へ向けて駆け下りてくる。

 方陣を組め、という神官兵に向けたアサグ兄さんの声が聞こえた。慌てる状況のはずなのに僕はやけに落ち着いている。迫りくる魔獣に腕を伸ばし、拳を開放するようにゆっくりと指を拡げた。赤い炎が瞬時に十体ほどの魔獣を焼き尽くす。初めて使うはずのその力に戸惑うこともない。


「だめ、炎の力を使っては!」

「何がだめなんだい。エリシェ。この力で皆を守らねばだめだろう?」


 目の前の魔獣に炎の力を開放しようとした時、歩兵が魔獣の群れに突撃していった。遂にサリーヌ王妃が兵を率いて到着したのだ。


「バルアダン旅団、魔獣に向けて突撃せよ! トゥグラト殿たちをお守りするのだ」


 しかし無理な行軍のためかその数は少ない。これでは魔獣に押されてしまうだろう。やはりここは炎の力を使うしかないじゃないか、そう思った時、地鳴りと共に白い獣たちが闘技場に現れた。


「神獣騎士団、旅団兵と共に魔獣を押し返すぞ。槍を構え、突撃!」


 王妃だけでなく、アナト殿の副官ニーナまでもギルアドの城にいた神獣騎士団を率いて現れたのだ。王妃はハミルカルに、ニーナは神獣に騎乗し、先頭に立って闘技場を駆け抜ける。


「我はダゴン、祝福者の娘たちよ、お主達の血と肉も我らに捧げてもらうぞ」

「悪神の贄なぞごめん被る。私は早く戦いを終わらせて、イスカ殿の生まれてくる赤子に襁褓むつきや衣服を送りたいのだ。邪魔者は排除させてもらう」

「こちらも。あいにく兄の世話で神になぞ関わっている時間はない!」


 こうして神に怖れを抱かぬ二人の女性はダゴンと闘技場の中央でぶつかった。人の身で神に挑むその勇気に感動しながら、やはりあの少年の背中を思い出す。バァルに対し臆すこともなく、立ち向かっていったガドという少年を。


「僕はいったい何を思い出そうとしている……」


 落日の最後の光が、闘技場を赤く染めていた。僕はその炎のような光の中を一人歩いていく。この炎の先に何があるのだろう。それは自分が望んだ結末なのであろうか。それとも踏み出してはいけないものだろうか。

 現実と幻想が入り混じり、世界は僕と炎だけとなった。そして炎の先には槍で串刺しにされた女性の姿が見えていた。知らず、その人の名前を呟く。


「あぁ、サラ導師、あなたはそこにいたのですね」


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