第192話 神殿長トゥグラト

〈アナト、クルケアンの大神殿に降り立つ〉


「アスタルトの民の神官、アナトだ。指導者を出してもらおう」


 自分でも演出過剰だとは思ったが、クルケアンの大神殿の前で十騎の神獣を降下させ、人々を驚愕させた。飛竜ならぬ、神々しい魔獣に乗った自分たちを神の御使いではないかとひれ伏す者までもいた程だ。おずおずと神官兵が進み出てきて権能杖を突き出しながら警告の叫び声を上げる。


「無礼者め、い、いきなり現れて何を要求するか! 神殿長も八家もお前のような得体のしれない……」


 成程、この時代のクルケアンの最高統治者は神殿長と貴族らしい。手間を省くべく、神獣に同乗して目を回しているハガル将軍に目で催促をする。


「私の責任で急ぎ会談の準備を行ってほしい。また、アスタルトの一行の控室を準備せよ」

「ハガル将軍、貴方はハドルメとの決戦に赴かれたばかりのはず!」

「ハドルメとは休戦となった。このアスタルトの民による武力でな。さぁ、急げ!」


 慌てた神官兵によって部屋まで案内をされることになり、神殿内を歩きながら様子を見る。建物の様子は変わらない、中央の神殿とそれを囲む回廊も全く同じだ。違うのは神殿の上に都市が建設していないことだ。空を見れるということは存外と気持ちがいい。隠すものなどないような気がして身も心も軽くなるのだ。


「兄さん、あそこにいる神官兵、ずっとこっちを睨んでいるわ」

「まぁ、歓迎はされんだろう。すこし悪役を演じすぎたかな」

「悪というより悪ふざけと思うけど。よくアスタルトの民なんて出まかせを言えたわね」

「バルアダンがそう提案したんだぞ?」

「王の事も?」

「あれはおれの独断だ。だが、悪い話ではなかろう?」

「そうね、バルアダン王と共に兄さんが神殿を率いたらもっとクルケアンがよくなると思う。バル様には気の毒だけど」

「バル様?」

「バルアダン王に敬意を表して。兄さんにもアナト猊下と呼んだ方がいい?」

「やめてくれ、寒気が走る」


 俺は両手を上げて降参する。馬鹿げた会話だがニーナは久しぶりに笑ってくれた。最近は俺の体調が悪く、薬の調達でかなり心配をかけさせていたのだ。そして大廊下での戦いの後、ニーナが薬の手配を頼んでいたエラムとトゥイによってさびれた薬草園に連れていかれた。


「アナトさん、この神の二つの杯イル=クシールを処方すればきっと大丈夫です」


 俺は驚いた。それは人血を求め魂が軋むこの病状について、あの警戒心に強い妹がこの少年に話していることだった。


「兄さん、勝手に話してごめんなさい。でもこのエラムは信用できる仲間よ。もう私達だけでため込んでおく必要はないの」

「いや、いいんだ、ニーナ。少し驚いただけだ。エラム君、ありがとう」

「いいんです。ただ、妹さんから聞いた処方量だと今は六十日分しか用意できません。アバカスさんとアナトさんの分、そして栽培用の種としての分が必要ですから」

「エラム、それではあなたの分がなくなってしまう! トゥイから聞いているわ。私たちが助かってエラムが倒れたら意味はないのよ。……トゥイもエラムに何かいって!」

「いいのよ。ニーナ。私とエラムはこの一年に賭けている。この間に栽培を成功させるわ。それにエラムは以前に処方された薬効が後一年続くの。あなたから聞いた限りでは魔人化した人の理性を保つには一月単位で処方しないと無理だわ。……優先順位をエラムと二人で話をしたの。だから心配しないで、ニーナ」


 そういってエラムとトゥイは笑ったのだ。

 何と強い子供たちだ。俺は年少である彼らに尊敬の念を覚えた。いったい自分は神官としてここまで他人のために奉仕できるのだろうか。バルアダンの奴がアスタルトの家を自慢するのが分かったが、同時に不安も覚える。それはニーナと彼らの強い繋がりだ。大廊下での戦いの後、ニーナは俺に対して何かを伝えようと悩んでいる。俺はすべて受け入れるつもりだ。しかし、妹が悲しむようであれば知らなくてもよいのだ。今の環境で満足しているのだから。しかしバルアダンとアスタルトの家、そしてニーナは知っていて、俺が知らないというのも寂しいではないか。

 

「アナトさん、だから気にしないでこれをお持ちください。処方はあの鳥仮面のお医者様にならできるはずです」

「しかし好意をただで受け取るには申し訳ない。何かできることはないか?」

「なら! あのお医者様に薬草栽培の事をお聞きしたいのです。ぜひ面会をしたい。つなぎを取っていただけますか?」

「む、しかし旅の薬師であるからな……」


 エラムの縋るような眼に拒否することもできず、俺は頷くほかなかった。


「ありがとうございます。是非あの方やアバカスさんと一緒に魔獣や魔人を元に戻せるように研究をしていきたいのです」

「しかし君は薬師とは違う。いささか範囲が違うのではないかね?」

「いいえ、僕やトゥイにもできることがあります。アバカスさんの精神に入った時も医療というより魂の観測、魂との対話でしたから」


 人に戻れるのか! 俺は驚いてニーナの顔を見つめるが、そこには悲しい妹の顔があったのだ……。



「兄さん、兄さん、大丈夫?」

「あぁ、すまない。ちょっとエラム君のことを思い出していてな。すごい子たちだった。あの子達が今のような空が見えるクルケアンで、どう都市をつくるのか想像していてな」

「ふふ、暢気な兄さんね。そこで兄さんは何の役割を演じるのかしら?」

「まぁ、一応神官だからな。おとなしく祝詞でもあげているよ。あぁ、バルアダンの婚姻の儀を主宰をしなければな」

「そうね、サリーヌもエラム達の式を見てその気になっているっぽいし」

「これは楽しみになってきたな。あいつが王で、俺が神殿、民が笑って暮らせるクルケアンにしてみせる。ニーナ、お前はどうする」

「勿論、前にいったように兄さんと一緒にいるわ。……兄さんが望めば、の話だけど」

「ならずっと一緒だな」


 敵地に来て談笑をする俺達を神官兵は困惑顔で見守っている。やがて彼らは控室の扉を開け、しばらくお待ちください、と儀礼上の笑顔を浮かべ去っていった。


「さて、神殿はどう出るか……」

「ちょっと、神官服に着替えてどこへ行くの?」

「幸い服は今も昔もさほど変わっていないのでな、ちょっと散策だ。すぐに戻る」

「兄さん!」


 妹の抗議を背中に受けて、月の祝福を使って天井に穴をあける。そして頭巾を深く被り、神殿の探索を始めた。数百年前の真実に興味が湧くのは何故だろうか。それはきっと俺がダレト、と呼ばれていた時の魂の想いなのだろう。自分が自分でないような不安を押し殺して通路を歩く。そして謁見室の前で大勢の神官兵に囲まれた一行を見つけた。近くの神官に者慣れぬ新任の振りをして声を掛ける。


「すみません、何か物々しいのですが、なにかあったのでしょうか?」

「何だ、知らんのか。ハドルメとの戦の最中に北方の野蛮人が介入してきたのだ。大森林に国があるとは知らなかったが迷惑な事よ。それで神殿長や評議員の貴族たちが集まっているのさ」

「何と、ハドルメだけでも面倒なのに違う国まで! あぁ、すみません。新入りの為、取り乱してしまいました」

「まぁ、こんな事態だからな。俺達も何をしていいかわからん。結局は偉いさんが決める事さ」

「そうですね、すみません、あの方々の名前を教えてくれませんか?」

「呆れた奴だな、ほら、神殿長のトゥグラト様は流石に知っているだろう。横にいるのが神官代表のアサグ様、タダイ様、そして貴族代表で評議員の八家の当主だ」

「トゥグラト、それにアサグだと?」


 大声を上げて怪しむ神官を無視して神殿代表の三人を見つめた。老人であるトゥグラト、そして爬虫類のようなアサグの印象はない。タダイという名の神官はいた記憶がある。確か奥の院の調査に回された見習いのはずだが面識はない。奴らも時を超えたというのか、しかしあまりにも別人に過ぎる。


 歴史そのものが誰かに誘導されている恐怖を感じる。俺たちがここにいるのも歴史の必然だというのか。それこそ神によって粘土細工のように作られた人の歴史であるというのか。そんなものは俺が叩き壊してやる。人の歴史は人が作るものだ。


 そう考えた俺は、トゥグラトらの正体を暴くべく謁見室への潜入を決心した。


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