第191話 草原の国

〈バルアダン旅団、天と地の結び目ドゥル・アン・キの内部にて〉


 バルアダンとその旅団は黄金の紐に導かれながら、地面なき床を歩いていく。彼らの頭上には星々のような光が煌めいていた。やがて彼らは前方から同じ規模の兵達が行軍してくることに気づいた。しかし姿は見えてもその軍靴の音や甲冑の響き、馬の嘶きが聞こえないのだ。やがてその距離が指呼の距離まで迫った時、先頭のサリーヌが驚いた声を上げた。


「バル、あなたがいる!」


 一同は目を凝らして前方の軍隊を見た。そして自身の顔を見出したり、見出せなかったりして騒いでいくのだ。触れようとしても叶わず、その指はただ幻像を貫くだけであった。

 バルアダンは静かに自分の顔を見つめる。今より十年程、歳を重ねたのだろうか。自分が恥ずかしくなるほど目の前の男は自信と決意に満ちていた。


「そうか、クルケアンに戻るのだな。セトたちを頼んだぞ」


 奇妙なものだ、バルアダンはそう思った。未来の自分に願うのだ、これはそのまま自分に跳ね返る、いわば誓いと同義だった。


 やがて両者がすれ違う時、未来の旅団が過去の旅団に向けて剣を掲げたのだ。それは過去の自分たちがこれから味わうであろう困難と、そしてこれかの覚悟を伝えたかったのかもしれない。


「総員、剣を掲げよ!」


 バルアダンの指示の下、全員が剣を掲げた。決して交わることない両軍は、静かにすれ違い、それぞれの目的地を目指して行軍を続けていった。


 やがて黄金の紐の先端はやじりに姿を変え、前方の光に向けて飛んでいく。旅団は質量をもたない光のように矢と共に飛翔し、光の中へ吸い込まれた。


「ここはどこだ?」

「バルアダン、俺が物見にでる。いくぞ、ニーナ」

「はい、兄さん」


 アナト率いる神獣騎士団約七十騎が大空に展開していく。アナトは飛び上がってすぐにここがティムガの草原であることに気づいた。川の左岸にはギルアドの城が聳(そび)え立っており、一見、自分たちの時代と変わらぬように見える。


「兄さん、河が、カルブの河が流れている!」


 アナトは妹の手の指す方を見やると、川面に夕陽を反射し、滔々と流れる大河をその視界に収めることができた。


「何と見事な……」

「これが本来のカルブ河なのですね。海へ続き、豊かな草原を育んでいく偉大なる河。これが今のクルケアンにもあったならば、どんなに豊かになるでしょう」

「そうだ、クルケアンだ、クルケアンはどうなっている?」


 アナトは東から西へ確認をするように神獣を回頭させる。ギルアドの城、ティムガの草原、そしてカルブ河へと目を転じ、遂に欲するものを見た。


「クルケアン!」


 はるか遠くに煙るクルケアンは、彼らの時代における、三百層に達する天まで届くような階段都市ではなかった。しかし、それでもアナトにしてみれば一番身近なものがそこにあったのだ。クルケアンの中心に位置する、五十層の大神殿の姿がそこにあった。


「まだ階段都市を建設する前の時代でしょう」

「そうだな、五百年前の建国、そこからあの大神殿を建設、四百年前には魔獣の襲撃で北壁ができていたというから、俺たちはその間の世界にいるらしい」

「こんな豊かな草原や河があるというのにやはり人は争うのでしょうか?」

「豊かなものがあるからこそだ。クルケアンとハドルメ、その中間にこれほどまで肥沃な大地があれば奪い合いになろう」


 アナトは指を北方に指し示した。そこには距離を置いて大きな砂塵が二つ上がっており、その砂塵は近づいていっているのだ。


「戦争よ! 兄さん、はやくバルアダンさんに!」


 アナトとニーナがもたらした急報は、バルアダン旅団に緊張をもたらした。兵たちは無論、過去の世界で悪逆を振るうつもりはない。自分たちが現在に帰る方法を探し、その間共存できればよいのだ。しかし、戦争に巻き込まれたらどうするのか、知らぬ存ぜぬでは通用しまい。千名の兵がバルアダンの下知を待つ。バルアダンの判断で彼らのこれからのこの世界への関わり方が決まるのだ。自分たちの上官にかかる重圧はよほどのものだろう。


「この時代に来ても我らの姿勢は変わらぬ。クルケアンと、ハドルメを守るのだ。皆、欲張りな上官で済まないが、眼前の戦いを止めようではないか」


 あっさりと宣言した上官に、兵たちは笑い声をあげる。勝手に緊張したお前が悪いのだ、いや、お前こそだろう、など肩を叩き合って軽口をたたき始める。そうだ、自分たちは何も変わらなくてよいのだ、そういった安心感がたちまちに兵士に広がっていった。


「バルアダン、ひとつ喜劇を演じてみないか?」

「何か良からぬことを企んでいるな、陰謀家め。それはいいが、アナト、演じるならお前もだぞ?」

「あぁ、勿論だ。後でどちらの演技が下手か、ニーナとサリーヌに判じてもらおう」


 こうして未来から来た友好的な軍隊は、平和裏に眼前の戦争を止めるべく非友好的な策を以ってクルケアンとハドルメの両軍に襲いかかるのであった。それからの悪童じみたバルアダンとアナトの会話を、女たちはため息をつきながら聞いていた。そしてあまりにも場末の芝居を思わせるその内容を兵には伝えず、彼らが何とかするから、とだけ伝えたのである。兵の上官に対する敬慕を損なわないように配慮した賢明な判断であった。


「ハガル将軍、報告です! 南方より所属不明の軍がこちらに向かってきております!」

「何だと、クルケアンからの援軍ではないのか? 少し早いがタダイ率いる騎兵が合流するはずだ!」

「いいえ、クルケアンの軍ではございません。空を飛ぶ魔獣と百騎程の騎兵が突入してきます。その背後には千近い兵が布陣をしているようです」

「魔獣?」


 クルケアンのハガル将軍は、最近被害が増えてきている魔獣の姿を想像するが、彼が目にしたのは白く美しい獣だった。


「何だあれは……!」


 両軍が睨み合うその目の前に、矢のようにバルアダンとアナトは割って入った。そして神獣に猛々しい咆哮を上げさせ、両軍の足を止める。


「聞け、我らは北方の大森林より来たアスタルトの民だ。これよりこの豊かな草原は我らのものだ。もちろん異論もあろう。我らアスタルトの民は武勇の民、剣を以って解決しようではないか!」


 驚いた両軍は、それでも打算を巡らして使者を派遣した。大森林に人が住んでいたということは知らないが、それでも千を超す兵を敵に回してはならない。クルケアン、ハドルメともほぼ同数の千近くの兵を率いており、もしこの異形の軍隊が相手に味方すれば負けることは必至だった。


 クルケアンからはハガル将軍が、ハドルメからはシャプシュ将軍がバルアダンの許に駆け込んだ。仲の悪い両者はお互いを面罵しながら、代表者であろうバルアダンへと近づいていった。


「バルアダン王の前で不敬であろう、跪かぬか!」


 アナトが大声で使者を罵倒した。王、王だと? それを名乗るだけの力がこのバルアダンとやらにはあるのかと、仲の悪いはずの両将軍は顔を見合わせて弁解を始める。それぞれの国の最高責任者ならともかく、ただの将軍であるはずの彼らには一国の王に立ったままではまずいのだ。目の前の王を見ていると、なにやら苦虫を噛み潰したような顔をしている。不興を買えば、相手の陣営につくかもしれない、そう捉えた彼らはバルアダンを前にしてその膝を折る。


「し、失礼をいたした。私はクルケアンのハガルと申します」

「おお、北方の王よ、私はハドルメのシャプシュと申します。クルケアンの粗暴者が失礼をいたしました」

「何をいうか、ハドルメの田舎者が。王に対して失礼なのはその方であろう」


 外交とは関係のない舌戦をバルアダンは手を上げて制止した。そしてそれが些事であるかのように、横に侍る神獣のたてがみを撫でながら話す。


「お主ら、なぜ戦争をしている」

「は、ハドルメがこのティムガの草原を我が物にしようと戦いを仕掛けてくるのです」

「いえ、クルケアンが我らの草原を奪い取ろうとしているのです」

「この草原がないとお主達は生きていけぬのか」

「い、いえ、そうではありませぬ、しかし肥沃なこの草原は多くの実りをもたらしてくれるはずです」

「竜たちのえさ場なのです。ハドルメの友人である竜の住処を確保せねばならないのです」

「ならば簡単だ。我らアスタルトの民がこのティムガの草原を管理する。クルケアン側には農業を、ハドルメには飛竜のえさ場を保証しよう。このカルブ河を境としてな」

「王よ、何の権利があって!」

「王の決定に不服か!」


 アナトが神獣から降りて剣の柄に手をかけながら脅しをかける。彼の怒号と、身に纏う黒い甲冑の不吉さに使者たちは怖れを抱いた。


「大森林では疫病が流行ってしばらくは暮らせぬ。そのために我がアスタルトの兵がこの地を実力で以って間借りさせてもらおうというのだ。何、長い間ではない。それに戦争が起きぬようにそれぞれの抑止力となってやろう。その代わりある程度の見返りは求めるがな」

「無体な!」

「おや、クルケアンの将軍は不服の様子、ハドルメはどうだ?」

「カルブの河から西を保障してくれるなら構いませぬ。しかしクルケアン側は不服らしいですぞ。なればハドルメのみと協定を」

「これ、ハドルメの、こちらも不服なぞないわ! 王よ、クルケアンは文明国なため議会の許可が必要です。今しばらく時間を頂きたく存じます」

「よかろう、わが神獣騎士団を使者に送る。その間、不服あらばいつ襲ってきても構わぬぞ」

「い、いえ、そのようなことは」

「……王よ、我が国は力と友誼を重んじます。その証明のために飛竜に騎乗していただけませぬか」

「王を試すというのか!」

「よい、我が神官よ。さぁ、シャプシュよ、その飛竜を連れてくるがよい」


 シャプシュは一体の飛竜を連れてきた。なるほど、気性の荒い竜を連れてきたか。しかし暴れ竜のタニンと比較するとほとんどの竜はおとなしいものだ、そうバルアダンは苦笑して、竜の手綱をとった。先の戦いでの痛みを堪えながら完璧な動作で竜を制御し、また、竜の意思を汲みながら大空を飛んでいく。再び地上に降りた時には竜が懐いていたほどだ。王者の威に打たれたシャプシュは心の底から敬意を示し、跪いたのである。


 アナトとニーナがクルケアンへの使節として飛び立つ前、バルアダンは友人に苦情を言った。バルアダンは王ではなく、将軍として振舞う筈だったのだ。それに対する友人の返答は簡潔だった。


「諦めろ、バルアダン」


 そういってアナトは飛び立っていった。

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