第190話 時を超えて
〈バルアダン、サリーヌの膝の上で〉
「あぁ、バル、意識は戻っていて、私が分かる?」
「サ、リーヌ……」
「月の祝福で傷をふさぎはしたわ、今は血を補っているの。しばらくは動かないでいて」
起き上がろうとすると腹部に激痛が走り、眩暈に襲われる。自分では分からないが、さぞ大量の血を失って青い顔をしているのだろう。サリーヌが咎めるような眼をして私の肩を引き寄せ、そのまま抱きしめてくれた。
「サリーヌ、戦況は? フェルネスやあの疫神は……」
「フェルネスはべリアさんが抑えてくれているわ、疫神はオシールさんと、応援に来たアナト連隊長が迎撃に向かったわ。きっと大丈夫」
私は震える手で子供をあやすように彼女の髪を撫でた。部下に気を遣わせる上官で本当に申し訳なく思う。サリーヌ、ともう一度声をかけると、彼女は私の手を握りしめ、頬に寄せた。
「戦況はやや不利。疫神のまき散らす瘴気は致死性ではないけれど、兵たちには吐血している者もいるわ。アナトさん達が来てくれなければ危なかった。でももうじき、敵兵が迂回して私達の後背に現れるわ。そうなれば逃げ場のない私達は負けるしかない」
「すまない、サリーヌ」
「ううん、何もできない私がいけないの、サラ導師ならすぐに治癒することもできたはず」
剣戟の音が次第に近く聞こえるようになってきた。味方は私を中心として後退を余儀なくさせられているのだろう。それを示すようにオシールの飛竜が慌ただしく私の目の前に降り立った。
「バルアダン、飛竜と神獣の騎士だけでも撤退すべきだ。負け戦と認め、撤退戦を指揮すべきだぞ」
「そうだな。オシール将軍、貴殿に頼みたいことがある」
「何だ?」
「クルケアンではなく、アスタルトの家と新しくできる総評議会と誼を結んではくれまいか?」
「馬鹿者、お主も共に逃げるのだ! その後であれば喜んで誼でもなんでも結んでやろうぞ」
「兵を置き去りにできるものか。
「それは指揮をするお前の仕事だ。サリーヌ、お前も何とか言ってくれ」
「私はバルと共にいます。ごめんなさい、オシール将軍」
怒りで拳を戦慄かせ、唇を噛みしめたオシール将軍が、なおも私たちを止めるべく半歩歩み寄った時、一体の飛竜が地に叩きつけられたかのように着地した。
「情けないことだ。トゥグラトの奴に背後から一刺し受けてしまった」
「べリア団長!」
「バルアダン、いい顔になったな。もう一度お主に会えるとは、生き永らえてよかったというものだ」
「サリーヌ、団長の傷を!」
「よい、すでにサリーヌには月の祝福をこの大剣に宿してもらっている。まだ力が残っている故、気にするな。それよりバルアダンよ、状況を見るからに撤退しかあるまい。殿は私が務めよう。それが順番というものだ、そこの異国の将軍もよいな」
「異存はない。こんなところでバルアダンを失うわけにはいかぬ」
その時雷鳴のような音が鳴り響いた。血が揺らぎ始め、鉄塔兵もクルケアンの兵も地に手をついて地鳴りが収まるのを待つ。その奇妙な休戦の時間はウェルとザハグリムの叫びによって瞬く間に終了を告げることになった。
「神獣が高台より向かってくるよ、あれは……、あの神獣に乗っているのは敵兵だ!」
「後方から敵兵が迫ってきていたぞ、騎兵、馬を降りて槍衾を組め!」
それは退路を失ったことを意味する悲痛な叫びだった。痛みを押さえつけ、剣を杖代わりにして私は立った。
最後の抵抗をしよう。敵兵を可能な限りここで殺して、クルケアンやハドルメにしばらくは手を出せぬようにするのだ。
私の許に次々と幹部が集まり、最後の命令を受け取るために跪いていく。いつもなら私が慌てて止めるのだが、この時は自然に彼らの態度を受け入れていた。自分が十年近く歳を取ったかのように余裕が生まれていく。
べリア、ガムド、メシェクは死を覚悟して爽やかに笑っている。
ウェル達の目は諦めておらず、ここからの逆転を考えている。
オシールは何やら昂るものがあるらしく、呼吸が荒い。
サリーヌは私の横にあって、静かに言葉を待っている。
アナトとニーナだけが私の正面に立って怒ったように私を見ていた。
私が最後の命令を下そうとすると、オシールが慌ててそれを制止した。
「ひとつ全員が助かる道を提案したい」
「何だと、そういう道があるのかオシール将軍?」
彼は
「この穴を辿って違う時代に向かうのです。そこで再起をお図りください」
穴に落ちよというオシールの言葉にべリアが激高する。しかし私にはオシールの忠誠を捧げるような言葉の方が気になった。
「何を馬鹿なことを。貴様、気でも触れたのか」
「べリア、落ち着かれよ。オシール将軍、何か確証があっての事か?」
「はい、私は見てきたのです。四百年前にあなたの姿を。そして雷鳴と共に消えた王の姿を」
「何を馬鹿な」
「バルアダン、いや、我が王よ。あの時確かにあなたは時を超えて私と会ったのです。ならば状況は今しかない。あなたは歴史を導かねばならない。それが運命なのです、そして神が押し付けたこの運命を破っていただきたい」
私の横に立つサリーヌから黄金の光が放たれた。
一同が驚いてその光を追えば、それは彼女が持つ小さな黄金の矢から発せられていたのだ。
「サリーヌ、その矢は一体?」
「あなたとダレトが賢者ヤムから託された王の書、それが私の祝福で形を変えたのものです」
「お爺ちゃんの……!」
やがて矢は糸のようにほどけていき、私達を包んでいく。
「あぁ、バル、言葉が聞こえる。これはサラ導師の声? それとも神様なのかしら……」
「サリーヌ、その声は何と?」
「時を超えよ、と」
「クルケアンの兵よ、我がもとに集まれ!」
大勢の兵が集まりだしたのを確認し、皆の顔を見やって言葉をかける。
「べリア、ガムド、メシェク、私がいない間クルケアンを頼む。必ずここに帰ってくる。そしてセトやガド達と共にトゥグラトを倒す。その時まで持ちこたえてくれ」
「承った」
べリアが代表して返事をし、時間を稼ぐためガムドらと共に魔人狩り部隊を率いて離れていく。
「オシール、バルアダンが命じる、アスタルトの家と総評議会と誼を結べ」
「拝命いたしました、我が王。ご帰還お待ちしております」
そして私はガド小隊であるウェルとザハグリム、ティドアルに向きあった。
「ちょ、ちょっと隊長、あたしたちは最後まで一緒だよ、離脱しろなんて言わないでよ」
「そうですよ、私も先輩と同じ意見です、なぁ、ティドアル」
「隊長と離れたことをガドが知ったらどんなに怒られることか」
あぁ、ガドは本当に良い兵士を育ててくれた。だからこそ託すのだ。
「べリアやガムド、そしてハドルメと連携し、トゥグラトと対抗せよ」
「そんな、あたしだって!」
私は彼らの肩を組んで、顔を近づける。そして精一杯の笑顔で語りかけた。
「ガド達、そして私とその旅団が戻るための家となって欲しい。無事に戻ってくるためには家が必要だろう? 必ずお前たちの存在を感じて戻ってくる。だからこれは命令ではない。お願いなんだ。お前たちは此処にいてくれ」
「卑怯だよ隊長、命令でなくお願いだなんて……」
「ザハグリム、新評議会を頼むぞ。貴族代表としてトゥグラトに対抗してほしい」
泣きじゃくるウェルをザハグリムが抱き寄せ、一礼をした後、彼らはべリアの後を追っていった。そしてアナトが私の前に立って不満げに言葉をかける。
「俺には何かいうことはないのかい、バル」
「どうせ何もいわなくてもついてくるだろう、アナト」
途端に機嫌を良くしたアナトをサリーヌとニーナは苦笑して見守っている。
「兵よ、我がもとに集まれ! これより我らは時を超える。この紐を全員掴むんだ!」
兵たちはそんな私の言葉に疑いを持つ素振りすら見せず、次々と紐を握っていく。黄金の矢からほどけた紐は長く、旅団全員が掴むのに問題はない。アナトの神獣、そして馬にも紐を結びつけ、私たちは穴の縁に立った。相棒であるタニンを見れば、すこし悲し気に首を下げている。
「タニン、どうした?」
「……タニンは此処に残るって。ウェルたちをここで守ってバルを待つといっているわ」
そうだ、タニンがいればウェルたちは大丈夫だ。不甲斐ない主人、いや友ですまない。私はタニンに感謝の意を告げるべく、剣を掲げた。それに応えるかのように竜は再び吼える。
「ふふ、タニンたら、昔の自分を張り飛ばしておいてくれ、だって!」
そうか、オシールと同じくタニンも私が時を超えることを知っていたのか。流石は最古の竜だ。なんとなくおかしくなって笑い出す。
「さぁ、バルアダン旅団、お前たちの命は私が預かった。世界の為に使わせてもらおう。我らは生きるも死ぬも一緒ぞ!」
そして私達は黄金の光に包まれながら奈落の底に向けて飛び込んでいった。
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