第145話 神代② ハドルメの廃城
〈ガド、神殿前の広場で〉
「ガド、飛び出しちゃだめよ」
「分かっているよ、ゼノビア。こうなるとセトの姿をした神もどこかにいるんだろうな」
「おい、エルの奴が何か話をし始めるっぽいぞ」
熱狂をもって迎えられたバァルの時と違い、兵や民は静かにエルシードの名を讃えていく。畏敬と崇拝、それがエルシードに向けられた民の気持ちだった。
「慈愛の神よ」
「水の祝福を与えし者よ」
「エルシード、我らに恵みと安寧を与え給え」
民を制するように手を軽く上げると、少しためらった様子で演説を始めた。
「皆、よく聞いてほしい。バァルもだ。この争いの末に、どれだけの犠牲が出るのでしょうか。イルモートとの戦いは熾烈を極めるはずです。貴方達の覚悟、そして私とバァルについてきてくれるその心情を、とても嬉しく思います。しかし、ヒトの命には代えられない。まず私がイルモートに話し合いを呼びかけます。それが決裂した時点で軍を進めてほしいのです。……決戦を待てとは言いません。総攻撃が明後日ならば、明後日の朝まで私はイルモートを鎮めるために全力を尽くしましょう」
「エルシード、お主はイルモートをまだ諦めてはおらぬのか。私とて残念に思うが、広寒宮から知識、神器や権能杖を持ちだし、ヒトに神の力の行使をさせたことが重罪に値するのは、貴方とて知っているはずだ。また、イルモートに与したヒトも禁忌を破った者として裁かねばならぬ。このまま放置すれば、我らの力すらもヒトは吸い尽くしてしまうだろう」
「バァル。私の家族よ。それも理解しているのです。しかし、イルモートも家族なれば、せめて言葉をかけるくらいは許してほしい」
「……分かった。人の肉体に宿ってお前は頑固になったな。しかし神の姿と同じとは、よほど肉体に恵まれたと見える」
「兄様こそ、人の依り代に宿ってから御変わりになった。焦っておられる」
「……護衛隊をつけよう。騎馬兵を一隊ほど預ける故、従者のアッタルと共にイルモートの許へ赴くがよい」
「ありがとう。兄様」
「ゲバルの民よ、そして兵よ。慈愛深きエルシードの返答を待って、明後日の払暁、総攻撃を行う。勝利の暁には、我らは汝らに武の祝福を、水の祝福を与えるだろう!」
大歓声の中、一番端にいた俺たちの列がエルシードの護衛隊に選ばれた。興奮冷めやらぬ広場を後にして、兵舎に移動し、上官の指示があるまで待機する。
「なぁ、ガド。飛竜がどこにもいない。厩舎を少し回ってみたが馬だけだ」
「そうね、しかもここの町、クルケアンと同じくらい大きいけれど、高い建物がないわ。飛竜が好む高い場所もなさそうだし…」
「五百年以上前には飛竜は存在しない? いや、お伽噺では飛竜は魔人との戦いで必ず出てくる。どうにも時代がわからないな」
「ねぇ、シャンマ、文字が読めるのなら、何かそのあたりに本でも売っていないの?」
「おいおい、本屋なんて印刷本が出回り始めたクルケアンでもまだまだ高い値段だぞ。数百年前に売っているはずがないだろう?」
「え、ミキトさん、でもそこの看板、書林って書いてあります。恐らく本屋だと思うのですが」
「ゼノビア、小金貨を一枚渡すので、それで何か本を買ってきてくれ。歴史の本がいいのだが、とにかく任せる」
「きっと買えないと思うよ。印刷技術がない昔では、本なんて大金貨一枚でも足りないだろうしね」
「それでもいい。金の貨幣価値の比較くらいにはなる。シャンマ、俺とミキトは呼び出しに備えてここで待機しているので、少し買い物に行ってこい」
兵舎で待つことしばらく、二人が息をきって駆け込んできた。
「どうした、早かったじゃないか。やっぱり買えなかったのか、それともクルケアンの金貨じゃ怪しまれたのか」
「違う、違う、隊長。よく聞いて。金貨一枚と本一冊では交換できないって……」
「やっぱり買えなかったんじゃないか」
二人は忙しく首を左右に振って、十冊もの本を突き出した。
「代わりに金貨一枚でこんなに本が買えたの! 一冊買うのに金貨一枚では釣銭は出せないって」
「何?」
二人から本をひったくると、本の大きさ、装丁、挿絵、その文字の書き方を調べていく。大きさはかなり小さい。クルケアンに流通しだした本と同じくらいだ。装丁は華美でなく、書見台が必要な大基本にありがちな仰々しさはない。庶民の為の本ということだ。挿絵の印刷も見事で、その文字と共に印刷で制作されていた。
「何てこった。古代の方が文化的じゃないか!」
「ガド隊長、荷物になってすみません。この調査が終わったら必ず翻訳します。剣よりも本が好きなもので、つい買ってしまいました」
「シャンマを責めないでね。私も舞い上がってしまったから。あぁ、金貨は珍しがられたけれど変な目では見られなかった。小都市がたくさんあるようで、このゲバルの都市の金貨以外は重さでその価値を計られているとのことよ」
釣銭の銅貨を受け取り、その図像を眺める。恐らくバァルとエルシードの肖像だが、数字のようなものが彫られている。
「シャンマ、これは数字か?」
「そうですね、ゲバル暦百十二年と書かれています」
「クルケアンの暦とは違うし、まぁ、サラ導師に分析は任せよう」
その時、隊長らしき兵士が現れ、俺たちに整列を命じた。
「整列、これより貴様たちはエルシード様の護衛の任につく。補充兵も何名かいるが、私に遅れないようについてこい。イルモートは、このゲバルの町があるティムガ平原の北方、旧時代の遺跡に籠って抵抗を続けている。敵意がないことを示す黒旗を掲げるが、万一の時はエルシード様を守り退却せよ」
騎乗の号令と共に、あてがわれた馬に乗って、城壁の屯所まで移動する。エルシードとその近衛兵らしき兵士が城門で待機しており、俺たちの合流を待って城門を出た。
「ガド隊長、ハドルメの城です! ハドルメの城があんなに崩れて!」
「ミキト、ここはティムガの草原だよ、な……」
「あぁサリーヌが出現させた草原にそっくりだ」
ハドルメの城の崩壊具合から見ると、四百年前よりも時代は後なのかもしれない。そうなればクルケアンがこの南に見えるはずだ。この町の反対側に、故郷のクルケアンが……。もう少し、町から離れて南を見上げれば、あの階段都市が見えるかもしれない。
「何をしている、はやくエルシード様の護衛につかんか!」
「す、すみません」
慌ててエルシードの左側面に馬をつけ、並走する。ミキトは右側面、ゼノビアは後方だ。シャンマは俺の横について必死に馬を御そうとしている。
「すみません、私のわがままで敵地に赴くことになってしまいました」
「エルシード様、ヒトに対して謝る必要はありませぬ。奴らが増長しましょうぞ」
「アッタル、口を慎みなさい。これは神のしでかした騒擾。私達にその責任があるのですよ」
「……エルシード様のお言葉と雖も、承服しかねます。イルモートとヒトの所為で御身が悲しんでおられるのですから」
「だから決着をつけましょう。そして共に広寒宮へ帰りましょうね」
「はい、エルシード様」
アッタルと呼ばれた従者は崇拝する女神の言葉に熱心に頷いている。人に対する蔑みは馬上からでもその視線で察することができた。
ハドルメの城壁が間近に迫り、その崩壊した異様さが、ハドルメに降りかかった災厄の巨大さを感じさせる。
「シャンマ、大丈夫か?」
「……過去だと思えば諦めはつきます」
「速度を緩めろ」
隊長の号令で馬の速度を落とし、城壁に向かって隊長が呼び掛けた。
「イルモートよ、エルシード様がお主らに慈悲を授けるとのことだ。さぁ、城門を開け、そして女神の言葉を拝聴するがよい!」
城壁が騒がしくなり、壊れかけた城門が軋んだ音を立てて開いていく。兵たちの姿が城壁から見えるが、魔人という外見ではない。あのアサグは魔人化した時には人の姿だった。もしやそれぞれの意思で自由に魔人化するのだろうか。
やがて兵たちが列となって跪き、その間を一人の少年が歩いてきた。隊長の下馬の指示に従い、こちらも跪く。そのため少年の顔を観察することができない。違う。顔を見るのが怖かったのだ。きっとイルモートも友人の顔をしているのに違いないから。
「エルシード、僕の家族よ。なぜここに来た」
「あなたを止めるためです。イルモート。話ができないほど私達が憎いのですか?」
「憎しみも覚えたか……。魂がその依り代になじむほど、君は苦しんでいくだろう。こちらも話したいことはたくさんある。エルシード、今日はこの廃城で休んでくれ。せめて使える部屋を用意しよう」
イルモートの後ろ姿にエルシードが続く。護衛の俺たちもその列の後方に続いてハドルメの廃城に足を踏み入れた。
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