第134話 偽りの和平③ 敵国の想い人

〈オシール達の精神の回廊、過去の記憶〉


「ハノン、お前興奮しているのか?」


 アバカスは落ち着かせるように乗騎のハノンの首を撫でる。ハノンはそれを受けて首を振り向け、短く鳴いた。


「あぁ、僕もだ。大変なことになったなぁ。ハノン、北壁に着いても僕たちは戦わないからな。僕の実力は知っているだろう? なにしろ、フェリシアにさえ喧嘩で勝ったためしはないからなぁ」


 戦場に向かうのに暢気なことだと、ハノンは首を振った。

 やがて彼らの前に北壁が見え、大神殿とそれを囲む北壁が次第に露わになった。オシールの指揮の下、前衛が油を壁にかけ火を放つ。

 火炎と共に警鐘が鳴り、クルケアンの兵士たちが応戦し始める。オシールを先頭に騎士団は次々と兵士を蹂躙し始めた。


「シャマール、北壁は俺が抑える。お主は神殿へ突入しろ!」


 兄の命令を受け、シャマールと十騎の騎士が北壁を飛び越え神殿へ突入した。アバカスはその時のシャマールが見せた苦渋の表情が気になった。敵の本拠地に向かうのに、なぜそんな顔をするのだろうか。


「シャマール様?」


 気になったアバカスはシャマールの隊に続いて神殿に飛び込んだ。シャマールは苦笑を浮かべてアバカスを神殿へ連れていく。まったく、この男は一旦、好奇心を起こせばフェリシア以外止めることはできないのだ。シャマールは次々と神官兵を蹴散らし、神殿の最下層にて地下に通ずる道を発見した。禍々しい鉄門を開くと、そこから強い魔力が流れ出ていた。その魔力に心当たりがあるように、シャマールは迷わず飛竜を降りて地下に進んでいった。


「シルリ、ここで何をしている?」

「……シャマール!」


 広い石室の中で、アバカスはシャマールと抱き合うシルリと呼ばれた美しい女性を見やった。彼女は月の祝福者であり、クルケアンの市民でありながらシャマールと想いを通じ合った女性であった。オシールは弟のことを思い、北壁ではなく神殿へ突入させたのだとアバカスは納得した。


「私達の目的は教皇の捕縛だ。教皇の居所を教えてくれないか。‥‥あなたは弟のカルミを連れて早くここから去りなさい」

「カルミは……。いえ、貴方には関係のないことです。早くここから去ってください。すぐに兵が来ます」

「カルミに何かあったのか?」

「魔獣の工房で魔獣にされました。あぁ、可哀そうなカルミ。優しくて臆病なのに、あんなに恐ろしい魔獣となって!」

「人を魔獣にだと? 神殿は魔獣を人に戻す実験をしていたのではないのか!」

「私以外の月の祝福者達によるものです。神殿はその力を、より強い魔獣を作り出す方を選びました」

「事情は後で聞く、それよりもここから共に出るぞ」


 シルリは鎖で縛られた足をシャマールに見せた。


「神殿の仕業か!」

「シャマール、神殿に反対した私は既に呪いをかけられました。あぁ、あんな力を祝福と呼びたくはない。私はもうすぐ魔獣となるでしょう。その前に最後の力を使って石となるつもりです」

「何か方法があるはずだ、あきらめるな、シルリ!」

「さようなら、シャマール。もしかしたらこのまま石にすらなれないかもしれない。……貴方にだけは魔獣になった私を見られたくないの。さぁ、その扉を閉めて出ていって、シャマール!」


 打ちひしがれたシャマールは覚束ない足取りで廊下に出た。そして迫りくる兵に当てつけるかのように剣を振るう。熟達した技で他者を圧倒する、いつもの彼らしくない力に任せた乱暴な一撃を次々に兵にぶつけていく。シャマールは捕縛ではなく殺害に目的を転じて教皇を探すものの、ついに彼を発見する事は出来なかった。


「シャマール、アバカス、撤退するぞ!」

「何故ですか兄上、まだ戦える!」

「ハドルメからの急使だ。ギルアド城が魔獣の大群に襲われている」


 アバカスはこの時理解した。魔獣の出現数と最近のハドルメの行方不明者の数がほぼ一致するのだ。もしかしたら教皇はここには居らず、祝福者を連れてハドルメに侵攻しているのではないだろうか。そしてハドルメの民を魔獣に化して、ハドルメに襲撃を仕掛ける……。これは人ではない。悪神の所業だ。


「カルブ川の水源に大穴が出現しました! このままでは川は干上がってしまいます。恐らく水の祝福者の仕業かと」


 続けての凶報にハドルメの騎士団は、焦燥にギルアド城へ帰っていく。

 そして、魔獣の侵攻を何とか押し留めたものの、人口を大きく減らしたハドルメはクルケアンと屈辱的な講和を結び、偽りの和平を数か月だけ維持することになるのであった。そしてあの優しい王妃が目覚めた時、オシールとシャマールは再度、クルケアンに挑むのである。

 そしてその後は世界が赤く光った記憶しかなかったのだ。



 和平に関してオシール、シャマール、アバカスがそれぞれの思いを巡らしていく。今度こそ共存できるのだろうか、それとも四百年前と同じ結末になるのだろうか。


 アバカスは、リベカの顔を見ながら、このギルドの総長こそ民の架橋となってくれることを願った。あの時にギルドはなく、思いはあれども二つの国の市民を直接に結びつけるものはなかった。この四百年、変化があるとすればギルドの、市民の勢力の拡大だ。カルプ川の通行権ごとき、ギルドに呉れてやってもいいのではないか。それにバルアダンがギルアドの城に滞在するのであれば、彼を説得して第二の王としてクルケアンとハドルメを治めてもらってもいいのだ。アバカスは明るい未来を描くと、上司であるシャマールに向けて大きく頷いた。シャマールも頷き、リベカに向き合う。


「分かりました。リベカ殿、その提案をハドルメは受けましょう。そのかわり、カルプ川の河口に港を建設する事業にも参加していただきたい。北方の木材、西方石材を河口にて船に積み替え、交換していきたいと存じます」


 不満顔のオシールを説得し、シャマールがそう提案した。リベカも港湾事業について了承し、アバカスはこの機を逃さず、締結に向けてその起草を行う。


「では両国の代表、この協定書にお目通し願いたい。問題がなければこの場で署名していただこう」


 この日、クルケアンとハドルメは領土、軍事、経済の三分野において協定を結んだ。しばらくは民間の交流が中心となるだろう。しかし、これは不戦条約ではない。あくまでも自身の陣営が時間を稼ぐためのものなのだ。ラメドは心中で嘆きながら、オシールは揚々として協定書に署名した。


 ティムガの草原では参加者によるささやかな酒宴が始まっていた。サリーヌの周りをハドルメの警護の兵や飛竜が取り囲む。聖女といわれ、跪く彼らの前で、サリーヌは引きつった笑顔を浮かべ、その酒杯を増やすことで、幻想を霧散させようとする。ガド達が引きつった顔でそれを眺めている中、ラメドとウェル、ザハグリム、そして多くのハドルメの兵が酔い潰された。しかしサリーヌの意に反して、二日酔いに苦しむ兵達によって、全ての兵に酒を分かち合い祝福してくれる聖女としてもその名を讃えられたのである。

 バルアダンはオシールに絡まれてハドルメでの稽古を約束させられ、アバカスはギルドとの縁でリベカと事業計画を詰めていく。アナトとシャヘルはティムガの草原の木に寄りかかり、静かに祈りを捧げている。


 シャマールは喧騒の中、遥か向こうにそびえ立つクルケアンを見て思う。

 

 シルリの石像は今もあの奥の院にあるのだろうか。結局自分は逡巡しつつも彼女を探すことになるだろう。例えそれがあの女性が望まぬ事であったとしても。そして一言だけでいい、相手が何も言わなくてもいい。四百年前、終に言えなかった言葉をかけるのだ。そうすれば自分はクルケアンとの戦争のみにその意識を向けることができるだろう。


 

 この協定が破られるまで、おそらく一年もかからないだろうと列席者は感じていた。若者はその短い時間で変革を志し、為政者たちはその時間で戦争の準備を整えることになる。様々な陣営の思惑と欲に後押しされ、この日、ティムガの草原において両国の偽りの和平が成立したのだった。

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