第111話 それは祝福ではなく
〈ギデオンとヒルキヤ、夜のクルケアンにて過去を想う〉
街灯の光が石畳を照らしている。二人の老人が平服に帯剣しているだけの軽装で、その光を避けるように暗がりを歩いていた。
「ギデオン、祝福者がやられたのはここか?」
「そうだ。ヒルキヤ、水の祝福者がここで斬られた」
そこは大塔近くの裏通りであり、先日殺人事件が起きた場所でもあった。クルケアンの九人いる水の祝福者の内、一人がこの付近で、もう一人は自宅近くで同じように切り捨てられていた。
「これで北東と南西の大塔は使用不能になった」
「しかし、中小の塔は祝福者でなくとも使用できるのだろう?後は外縁部の階段を使えばいいのではないか?」
「お主のように元気のいい老人ばかりではないのだ。またセト君のように元気な子供だけでもない。階段のみで百層以上へいく物好きはそうおるまい」
「惰弱者が多くなったことよ。大塔の管理は誰が引き継ぐのだ?」
「距離的に近いイグアルが南西を、そしてエルシャが北東の塔を管理すると諜報部より聞いた。一人は複数管理を強いられ、一人はまだ未熟だ。動きはするが負担が大きい。八大塔の物流は二割近く落ち込むだろう」
「エルが? まぁ、工房やサラ導師から北東の大塔は近い。めったなことは起きぬと思うが」
「水ならず太陽の祝福者までが殺されておる。こちらの方が取り返しがつかない。階段都市内部に光が無くなれば生活ができぬ」
「まったくだ。せめてあと三十年あればセトたちがこの階段都市を変えてくれただろうに。一体だれがこの都市を崩壊させようとしている?」
「恐らくは天の
苦み走った顔でヒルキヤはそう断じた。あの集団は都市そのものを変えようとしている。改善や補修なのではない。セトたちのように都市の在り方を変えるものでもない。それは都市を破壊して新たに創造するという、神のように驕った集団だ。ヒルキヤは十年前の経験により、彼らの本質をそう認識している。
天の設計者達を構成しているのは、ヤムとアバカス、フェルネスとその部下のガルディメル、テトス、サウル、メルキゼデク、エドナ、その八人の内、旧フェルネス隊は北伐の征途にある。残ったヤムとアバカスのどちらかが今回の襲撃者ではないか、そうヒルキヤはギデオンに語った。
「次の犠牲者はこの東塔か、北東だろうな」
ギデオンはそう予想していた。これまでの魔獣襲撃といい、黒き大地への北伐といい、クルケアンの災害は常に北東からくる。都市としてその方面の機能が失わればその崩壊も早まるだろう。
彼らは闇に紛れて怪しい者を探していた。しかし周囲から見れば彼らこそが怪しい者であっただろう。しかしそれは事実でもあった。ヒルキヤは都市追放の身であり、捕縛されれば死刑となる立場である。そんな老人たちがクルケアンを守るべく夜を徘徊している。
「その設計者共が探している王の祝福だが……、ニンスンが死んだとき、その祝福は誰に渡ったのだ?」
ギデオンはヒルキヤの妻の名を口にした。十年前、ニンスンがその左目から赤光を発した時、彼らの運命は大きく狂いだしたのだ。
その日は普通の日であり、いつものようにニンスンはヒルキヤとギデオンに飲みすぎないように注意をしながらささやかな酒宴をして談笑と共に終わるはずの日であった。
「ヒルキヤ、ラバンの奴だがな、父であるお主と同じで軍で偉くなりすぎた。外へ連れ出そうにも困ったような顔で任務がありますので、というようになった。なぜ出世させたのだ?」
「この出世を妨害する親が何処にいる。だがもう少し待て。私が引退すればニンスンとお主と共に飽きるまで旅ができるぞ。あぁ、バルアダンの奴も連れていきたい。きっと喜ぶぞ。私が言うのもなんだが、あれは儂に懐いておる」
ヒルキヤはそう言って目を細めて笑った。
「ニンスン、お主の旦那はそう言っているが、バルアダンは真面目ないい子だからな、そういう風に気を遣っているのではないか?」
「残念ながら本当ですよ、ギデオン。私が嫉妬するくらいにあの子はヒルキヤに憧れていてね。まったく祖母としては孫がもっと私に構ってくれればねぇ」
「ギデオンはそういって、ラバンと同じように結局はバルアダンの心をつかむのだろうな。いやはやザイン家三代、お主にいいように転がされておる」
「ラメドの奴も誘うかの。あいつもそろそろ後進に道を譲りたいといっていたぞ」
「あいつは偉くなったといってもサラ導師に頭が上がらないからな。本音は後進に上司の酒の相手をしてほしいというところではないか?」
「儂たちの間ではサラが一番酒が強いからな。あいつも儂たちが旅に出れば一緒についてきそうだ。うまい酒を旅先で飲めると知れば飛んでくるぞ」
「ラメドが翌日また倒れてそうだな」
二百層以上の貴族の家で、彼らはそう談笑しながらすごしていた時、家政婦が突然の来客を告げた。
「こんな夜に客人とは、評議会で何かあったのか」
そうヒルキヤ自身が客人を玄関に迎えると、一人の老人がそこにいた。
「お主がヒルキヤだな。私はサラの師匠でヤムという。じつはヒルキヤ殿に相談があって参った」
「ヤム様ですか、サラ導師からその高名をうかがっております。どうぞこちらへ」
応接室へ案内しながらヒルキヤは思う。この老人は百歳を超えると言われているが、年齢に比してその足取りは力強い。体格もよく、気力体力共に充実しているように見受けられる。何よりその足取りは軍人のそれを思わせた。
ニンスンが酒杯と肴を出した後に自室に下がると、ヤムとヒルキヤ、ギデオンだけが応接室に残った。
「実はな、祝福のことだ。月の祝福は儂とサラの二人だけになってしまった」
「先日、月の祝福者が不審死を遂げたこと、伺っております」
「結果、儂の力は増幅された」
「!」
「恐ろしいことよ。後継者がいなくなると祝福はその生き残りに力を注ぐらしいのだ。少し前まではその力はクルケアンのどこかに生まれる赤子に宿り、それで力の総量が保たれていたのだが、それが崩れていっているらしい」
「評議会に報告しておきます。力の魅力に取りつかれた愚か者が同じ祝福者を殺さぬように。しかしそれなら元老のサラ導師にお伝えをすればよいはず。なぜ私に?」
「儂は隠遁する。だからこそ弟子とは縁を切るのだ。余生は自分のために使いたいのでな。サラは儂を止めるだろうしの。さて、それとは別にもう一つお主に頼みたい」
「承りましょう」
「この手紙を預かってほしいのだ」
「巻手紙? 雄牛の封蝋がありますな」
「そうだ、開封してみるがよい」
ヒルキヤは封蝋を外そうとするが、武人の彼を以ってもその封を解くことはできなかった。ギデオンも試すが結果は同じであった。
「一体どういうことでしょうか?」
「クルケアン創設に関わる手紙と聞く。評議会に預けたい。資格を持つものが封蝋を解いたとき、祝福の真の意味が分かるとも聞く。隠遁する自分が持つには恐れ多いものだ。後進に託そう」
「了解いたしました。評議会にて預からせていただきます」
「夜分に邪魔をしたな。では私はこれで失礼させてもらう」
「大塔までお送りします」
そして大塔から戻ったヒルキヤとギデオンは、玄関にあって応接室からの悲鳴を聞いた。
「ニンスン!何があった」
「あ、あなた……」
二人が見たのは左目から赤光を放つニンスンと、封蝋が解かれた巻手紙であった。応接室は赤い光で満たされ、呆然とヒルキヤとギデオンは立ちつくす。王の祝福。印の祝福と対をなす、クルケアン最後の祝福がニンスンにもたらされた瞬間だった。
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