第104話 神の鉄槌⑦ 征旅空しく

〈黒き大地にて〉


 クルケアン側はその数を百騎まで減らしていた。幹部ではラメド、フェルネス、バルアダンを除く全ての竜が失われた。ラメドは歩兵に命じて落下した団員の救出を指示し、後方に下げさせる。


「ラメド団長、私に飛竜騎士団の半分をお任せください。歩兵と騎兵を合わせて地上からハドルメを攻撃します」

「そうだな。バルアダン、飛竜騎士団五十騎を以て地上の兵の隊列を整えよ。私は残り五十騎と神獣騎士団とで奴にあたる」

「では戦おう、クルケアンの民よ。ハドルメ騎士団、三騎で編隊を組み攻撃せよ。目標は兵だ。出来る限り竜は傷つけるなよ」


 ハドルメ騎士団の騎兵五十人を含む魔獣二百体、飛竜六百体はたちまちのうちにクルケアン軍を包囲する三段の陣を空中に作った。背後の城と同じ大きさに広がったその陣形は、兵たちを一掃恐怖させた。


「うろたえるな! あちらには騎乗する騎士の数は足りていないのだ、こちらは三百騎に足りずとも抗することはできる!」


 ラメドが飛竜騎士団とアナト連隊を中央に、そしてフェルネスとアサグの連隊をやや後方の左翼と右翼に展開した。数で包み込むハドルメ側に対して、中央を突出し、背面から逆に包囲するというクルケアン側の陣であった。


 静止した状態からぶつかり合う以上、包囲を突き破るためにラメドはアナトにその突進力を期待したのだ。アナトは頷き、危険な任務を引き受ける。


「飛竜、神獣騎士団突撃、相手の陣を食い破るぞ!」

「ハドルメ騎士団、相手に合わせて後方に下がりつつ包囲!」


 アナトとラメドは違和感を感じていた。数の上でこちらが劣勢だとしても、やたらと相手をする数が多いのだ。後方を見た二人は愕然とした。左翼と右翼で展開しているはずの神獣騎士団がハドルメ騎士団に押されて、中央の本体とかなりの距離を離されていたのだ。


「まずい、これでは中央が包囲されるぞ!」


 ラメドは焦り、アナトは怒りを感じていた。オシールはアナトに、神殿は研究の成果を譲ってもらった、神殿とは休戦となっている、そういったのだ。これはもしやフェルネス、アサグ両連隊は奴らと通じていて本気を出していないということか、アナトはそう考えて拳を握りめる。


「卑怯な!」

「気持ちは分かるがな、しかし、アナトよ。無知であるお前が悪いのだ」

「貴様さえ斃せば!」


 アナトはオシールに向かって、渾身の力を込めて槍を投げ放った。その剛槍は剣で払い除けようとしたオシールの剣を砕け散らせ、白く輝く兜に命中する。兜が割れ、側頭部から血を流したオシールが、歓喜の声を上げる。


「素晴らしい! やはり貴様には資格がある。あぁ、資格があるのだアナトよ! だが今日はおとなしくしていてもらおう」


 オシールが突撃槍をアナトに向かって繰り出す。アナトは長剣を構え槍を防ぐが、結果は先程のオシールと同じく自分の剣が砕け散ることになった。


「得物は無くなったな。妹ともども降伏してもらおうか。安心しろ、お主達だけは殺しはせぬ」

「兄さん、退却を!」


 アナトは近くでニーナの声を感じた。理性では妹たちを守って退却をしなければならない。しかし、感性では逃げきれぬと警鐘を鳴らしている。なによりここで自分が退いたらこれまでの犠牲が無駄になるばかりか、妹を守ることができない。

 根源たる意識が感性と理性を支配し、アナトは内なる衝動に飲まれて思考を放棄した。


「グァァ!」

「兄さん!」


 アナトの左手が赤く光る。それは移植されたべリアの腕であった。禍々しいその手には魔爪と称するべき凶器が赤く伸びていた。アナトは自らの騎獣からオシールの騎乗に飛び乗る。瞬間、オシールが槍で突き刺そうとするが、アナトは左手で正面から受け止めた。そしてその穂先を握りつぶしたのだ。


「何!」


 オシールの鎧をその爪で掴み、空へ掲げたその時、上空からシャマールが突進してくる。


「兄上!」


 シャマールの突撃槍がアナトの肩を砕く。しかし貫くことはできなかった。化け物め、そう叫んだシャマールは、そのままアナトと共に地上に落下する。意識を失った二人を追ってオシールとニーナが駆け寄っていく。


「あぁ、兄さん、早く、早く薬を……!」


 ニーナは用意していた薬を水と共に飲み込み、口で咀嚼する。そして倒れているアナトの頭を抱き寄せ、口移しで薬を飲ませた。アナトの左腕が元に戻っていくのを見て、オシールは、ほう、と頷く。どうやら神殿は他にも色々な秘密を抱えていそうだ、改めて彼は確信したのだ。


「シャマール、起きろ」

「……すみません、兄上。不覚を取りました」

「これは誰でも不覚を取ろうよ。俺も殺されるところであったわ」


 戦況はハドルメ騎士団優勢に進んでいく。戦意があるのはラメドの中央の部隊だけであった。地上のクルケアンの兵は戦意をなくし、もはや敵ではないはずだ。オシールが勝利を確信したその時、空に走る雷撃を彼は見た。彼の眼前でハドルメ騎士団の魔獣が次々と地上に落下していく。


「何ということだ!」


 バルアダンが五十騎の飛竜と共に空を駆けていた。


「各員、騎乗している魔獣に絞って攻撃をかける! それ以外は無視しろ!」


 バルアダンが空を裂く鎖のように魔獣の群れに穴を空けていった。タニンの咆哮は騎手のいない飛竜を怯えさせ、バルアダンの槍は相手の騎士を震え上がらせたのだ。上空から下方の魔獣に対して突撃槍を投げ放つ。投槍用ではないその重い突撃槍は、魔獣を二体串刺しにして、そのまま地面に突き刺さった。


「おのれ、我らの邪魔をするか!」


 敵が槍を失ったと判断した、勇敢だが愚かな騎士はバルアダンに向かって槍を突き出した。


「タニン!」


 老竜が応えるように吼えると、むしろ竜はその穂先に突っ込むかのように速度を上げた。穂先はバルアダンの鎧をかすめ、通り過ぎざまにバルアダンは長剣で騎士を両断した。騎士は自分に何が起こったのか理解できないまま空中で絶命した。そしてハドルメ騎士団にとっての災厄は続いていく。タニンがその勢いのまま次の魔獣の頭を咥え、その牙で頭蓋を咬み砕いたのだ。

 圧倒的な人と竜のその武威に、ハドルメ騎士団は後退を始めた。しかし、その後退はバルアダン達の突進によってすぐに埋められ、再び魔獣と騎士が地に落ちていくのだ。


 数ではなく、力によって戦況は逆転したのである。


「シャマール、あの男を止めろ!」

「承知」


 シャマールの部隊がバルアダンの部隊に向けて飛び立った。バルアダンは遥か上空で隊を漏斗状に編成し、そのまま急降下した。


「全員、槍を打ち下ろせ!」


 投擲用ではない突撃槍を投げ捨てるという、後の攻撃を考えないその指示にシャマールは慄然とした。奴らはこの後の戦闘を考えていないのだろうか。疑問は眼前に迫った危機に追い払われ、シャマールの部隊は散開を開始する。数騎が槍に貫かれ地上に落下し、シャマールは苦虫を噛んだ。そして振り返ったシャマールは、抜剣したバルアダンたちが、速度を落とした自分たちに向かってくる光景をその目に捉えてしまったのだ。

 シャマールは背筋が凍りつくのを感じながら、その長剣を以てバルアダンの長剣を迎え撃つ。火花が飛び散り、シャマールは受け止めた剣にひびが入り、腕が軋むのを感じた。


「おのれ!」


 二騎共地上に衝突すると思われたが、それぞれの乗騎は寸前でその勢いを殺した。しかし完全に勢いを殺せず、シャマールは鞍上から転がり落ちたのだ。

 シャマールは痛む体の悲鳴を無視して剣の柄を握り立ち上がろうとする。急に地面が暗くなり、彼は顔を上げ前を見た。果たしてそこにはバルアダンが立っていた。敗北感で目の前が暗くなるが、兄のためにこの化け物だけは殺しておかなければならぬと、差し違える覚悟を固める。


「そこまでだ、シャマール。その男に免じて、今日のところは正式な休戦としよう」

「兄上、しかし、クルケアンの飛竜騎士団は剣しかありませぬ。この男の存在はともかく、戦況はこちらに有利ではないですか!」

「シャマール、その男の後ろを見るがいい」


 そこにはクルケアン地上軍が整然と隊列を組んで立っていた。飛竜を奪われ、絶望をしていた地上の兵達が、静かな決意と覚悟を以ってバルアダンの後ろで武器を構えている。


「見事だ」


 シャマールは思わず呟いた。いったいどうすればこれほどまでに兵の士気を高められるのだろう。目の前の男はただそこにいるだけで、全てを動かすことができるのか。

 彼の頭の中で四百年前に忠誠を誓った男の顔が横切った。人の頂点として民を支配し、神をも討つ事ができる存在を。人はそれを王と言う。シャマールは踵を返してオシールのもとに戻った。


「負けたという割には爽やかな顔をしよるわ」

「申し訳ありません、兄上。私は今とても楽しいのです」


 にやりと笑って弟を迎え入れると、オシールはハドルメ騎士団を城壁にまで下がらせた。そして降りてきたラメドに向かって、停戦を告げたのである。


「我がハドルメ国は、都市クルケアンに対して休戦を提案する。ここが貴殿らの土地でない以上、介入はできないはずだ」

「クルケアンは魔獣の被害を看過できぬ。なればこそ討伐に来たのだ」

「なら、その心配はない。魔獣は我らが抑えよう。もし、ハドルメ国から魔獣が逃げてきた場合は国家として補償をしようではないか」

「どうやってそれを信じろと?」

「こちらに監視を送ればよろしい。そこのアナトかバルアダンのどちらかが兵を率いて駐在してもらおう。ここからは外交だ。特使を派遣し、お互いの条件を確認するとしよう」

「正論だな」

「あぁ、正論だ。しかし武力を背景にした正論だ。それは否定せぬ。さぁどうだ。ここで殺し合うか、それとも休戦を受け入れるかだ」

「……休戦を受け入れよう。評議会から特使を後日派遣する。また、我らが築いた砦はそのままこちらが管理する。よろしいな?」

「勿論だ」

「神殿からもよろしいかな」


 責任者同士の会話にアサグが介入した。ラメドの渋面をよそにアサグは魔獣の遺骸の回収を要求する。


「神殿として砦付近の魔獣の遺骸はこちらで回収させていただく。浄化は我らの使命なのでな」

「構わない。が、それよりも北の遺骸はこちらで処理する。分かっているな?」

「勿論ですとも」


 フェルネスは決められたやり取りを見ながら、皮肉気に笑っていた。まったく馬鹿らしい。素直に事前の約束通り、と言えばいいものを。人は四百年経っても何も変わっていなかったのだ……。

 その時、フェルネスはアナトが不審な目で自分を見ているのに気付いた。

 あぁ、これでまた俺は可愛い後輩を失ってしまったのか。自分の生き方を間違ったとは思わないが、しかし今更変えられるものではない、そう自嘲している主人を心配するかのように、ハミルカルが首を寄せてきた。フェルネスはその首を軽く叩き、鞍上に飛び乗って自分の連隊を引き連れて砦まで引き返していくのだった。


 夕日が彼らの帰途を照らしている。戦死者約五百名、戦傷者約千名、失った飛竜約六百騎。ここにおいて飛竜騎士団と神獣騎士団の軍事力は逆転したのである。そのことに気付く兵は未だおらず、彼らは赤く照らされる道を、疲労からゆっくりと歩いてクルケアンを目指して行くのであった。

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