第63話 守りたかった景色
〈べリア、バルアダンと対峙しながら〉
騎士団長のベリアはバルアダンが向ける怒りの目を羨ましく思う。自分もかつてはこのように純粋な思いを抱いて剣を振るっていたのだろう。だが、そこに余分なものが混じった時、自分は弱くなったのだ。いや、弱くなったからこそ何かが自分に入り込んだのだろうか。
「私は何も裏切ってはおらんよ。全てはこのクルケアンのためだ」
「この恐ろしい実験がこの階段都市のためになると?」
「魔獣を倒し、やがて復活する神を打ち滅ぼす。十分すぎる理由とは思わんか?」
「まさか団長ともあろう御方がそんな世迷言をおっしゃるとは」
「教皇やアサグから奥の院の知識を聞いた。やがて地下からイルモートが復活する。我らはイルモートを神だと崇めていたが、その神に人が滅ぼされるのだ」
ベリアは教皇から聞いた話を淡々と語りだす。神殿がイルモートを崇めているのは表向きで、人々の信仰心を大神殿に集め、その力を持って地下のイルモートを封印し続けているという。だがバルアダンはその話を信じようとしない。なぜなら最初が間違っているのである。ベリアが教皇と接触をしたのは裏切った後のはずであり、今の話はベリアの動機を後付けで補強したものに過ぎない。
「そうだな、こういう言い方は卑怯だった。だが教皇から聞いたことは事実だ。しかしそれが真実かは怪しいものだがな」
「怪しいと思うなら、裏切ったのは何故です!」
「民を守る力が欲しかった。魔獣を全て殺し尽くす力がな」
「団長なら自力で叶いましょうに!」
「お前のせいだ、バルアダン。お前が現れたせいで私の武の祝福は弱まったのだ――」
魔獣との戦いで義足となってもベリアの戦意は衰えなかった。さすがに全盛期の強さを失ったものの、彼より強い者はフェルネスだけであったのだ。もっともフェルネスにしてみれば最強の座が勝手に降りてきただけであり、団長の負傷さえなければとベリア以上に悔しがっていたのであるが。
増え続ける魔獣被害の根を断つべく、北伐を主張していたベリアだったが、年々強くなる魔獣に危機感も抱いていた。もし飛竜騎士団が全滅すればクルケアンが滅んでしまうのである。だが戦士として座して状況を見ることもできず、シャムガル将軍と相談して軍全体の増強を目指したのだ。シャムガル将軍からは何を焦っておるか、と叱責されるもベリアは黙々と軍備を進めていった。
ベリアが焦るのにはもう一つ理由があった。彼の武の祝福が弱まったのである。恐らくクルケアンにもう一人の祝福者が現れたのだろうと思っていた。ベリアはその若者を飛竜騎士団に入隊させ、次代へ繋ごうと祝福者を探し始める。幸いなことに、その若者は簡単に見つかった。兵学校のラメドに鍛錬を任せ、いざ入隊させてみると、その姿にベリアは心の中で膝をついたのである。自分の全盛期よりも強く、若く、可能性に満ちた存在であるバルアダンを見て、暗い嫉妬の炎が胸に宿った。そのベリアに対してアサグが甘く誘惑するように耳もとで囁く。
「ベリア団長、クルケアンを救うのはバルアダンではなく貴方こそふさわしい。なるほど力は優れてはいるが、貴族育ちの彼は万事に甘い。せっかくの武の祝福を使いこなすことはできないでしょう」
それでもベリアが眉間に皺を寄せ、苦悩し続けていると、アサグは平伏して救いを求めるのだ。
「我が兄のトゥグラトはあなたに助けて欲しいとのことです。来るべきイルモートとの決戦でヒトを率いて欲しいと。神に挑むにはよほどの胆力が必要でしょう。貴方なら全ての兵がついてくる。ですが、まだ若いバルアダンにはそれができないのです」
甘い果実をアサグはもぎ取り、私事を公事に変えて誘惑をする。ベリアが暗い目でアサグを見下ろした時、アサグは彼が堕ちたことを確信した。
「……それで私は何をすればいい」
「バルアダンを殺すのです。それだけで武の祝福はあなたに返ってくる。あとは魔人化の研究に付き合っていただきたい」
「魔人だと? いったい何を企んでおるのだ」
「ヒトに魔獣の魂を注ぐのです。もともと魔獣は人の魂でできております。原始の時代のかつての姿を魂が思い出し、再現しているのです。貴方のような強者にその魂を注げば神に立ち向かうだけの力を得ることが叶いましょう」
「もし私がバルアダンを殺したくないと言えばどうするのだ」
「ベリア団長とあろう御方が、部下に対して残酷なことをするものですね」
アサグは語る。魔獣の魂を注ぐという事は他の人間の意識が入ってくるという事である。壮絶な意識の喰らい合いが始まり、魂が弱ければ自我が残らず廃人となってしまうのだ。
「そんな残酷なことを部下にさせるので? 神殿は強い貴方だからこそ魔人化を勧めるのです」
その時、二人がいる部屋には特殊な香木が焚かれていたのだが、その臭いが徐々に強まってきていることにベリアは気付かなかった。クルケアンのために、そしてバルアダンのために。自分が悪鬼となって力を得るのだ。犠牲となった者には使命を果たした後で死んで詫びるしかない――。
「よかろう、お主らと手を組もう」
こうして魔人となったベリアは、ともすれば本能にしたがって行動するようになった。教皇にもっと魔獣の魂を寄越せと要求し、その力は肥大化していく。それはバルアダンを殺さなくても良いように力を得ようとしていたのかもしれない。もしくはフェルネスや他の隊員たちに自分は健在だと示したかったのかもしれない。
荒ぶる他の魂を力でねじ伏せ、次第に彼そのものが獣に近づいていく。そして、バルアダンと対面している今、彼が思うのは部下を殺し、力を手に入れることだけであった。
「バルアダン、お前を殺して武の祝福の全てを奪う」
上官の大剣から人脂の匂いを嗅ぎ取った時、バルアダンは悼むように目を細めた。そして打ち倒さない限りこの人の悪夢は冷めないのだと知り剣を構える。
べリアが獅子の唸り声をあげて踏み込み、大剣を横薙ぎに振り回す。剣の先にある全てのものを消し飛ばすような一撃を、バルアダンは全身の力を使って受け止めた。激しい刃鳴りが響き渡り、バルアダンの上体がわずかに崩れた時、べリアはその隙を逃さず、肩口を狙って剣を振り下ろした。しかしバルアダンに刃が触れる寸前、ダレトが剣で軌道を逸らしたのである。
「二対一だ、卑怯とは思うなよ」
「ダレトか、貴様もここで死ぬがよい!」
火花が三人の顔を照らし、一閃ごとに死を予感させる斬撃が双方を襲っている。手数ではバルアダン達が多いものの、一撃の重さや威力はべリアが圧倒的に上回っていた。既に打ち合うこと三十余合、ついにダレトの剣の一撃が軽くなり防戦一方に追い込まれていく。
「神官であったことが貴様の敗因だ。次に生まれ変わる時は職業を選び直してこい」
「……残念ながら予約済みだ。次に生まれ変わるのなら教師だと決めている」
ダレトはかつて妹が自分に向いているとした職業をそのまま口にしただけなのだが、なぜかベリアの大剣が一瞬止まる。何かを思い出そうと逡巡したのだろうか、その隙のおかげでダレトは剣で受け止めることができ、命を長らえたのである。だが、運命の神は命の代わりに彼の左腕を奪っていった。ベリアの大剣は受け止めたダレトの剣ごと、彼の左肘から下を斬り飛ばしたのである。
ダレトは血を吹き出しながらベリアに寄りかかり、そのまま崩れ落ちた。ベリアはバルアダンに見せつけるようにダレトの頭を踏みつける。
「ベリア、貴様っ!」
怒りに咆えたバルアダンが強烈な横撃を放ち、ダレトとべリアを引き離す。剣を受け止め損ねたベリアは手甲に亀裂が入ったのを見て、この力が自分のものになるのかと卑しい笑みを浮かべる。
「そうだ、怒るがいいバルアダン。もっと貴様の力を見せてみろ!」
少しずつ圧され始めたべリアは、魔獣の力を解放していく。最後の理性と引き換えに彼は魔人と化した。顔も体ももはや人のそれではなく、ただバルアダンを殺すことだけを考え、涎を垂らして大剣を振りかざす。剣と剣が再び火花を散らし、体そのものも武器としてぶつけ合っていく。両者の渾身の一撃は、ベリアの左腕と両者の剣を両断する結果に終わった。魔人はその膂力を生かしてバルアダンを地に投げ飛ばし、そのまま締めあげていく。その時、片腕のダレトがよろめきながら立ち上がり、背後から魔人の首を突き刺し、喉を貫いたのである。
「ぐがぁぁぁあ!」
魔人の苦悶の咆哮とともにバルアダンはその
「伏せろ、バルアダン!」
ダレトはべリアに寄りかかった時、赤光の魔石を甲冑の隙間に仕込んでおいたのだった。彼が自分の魔力と魔石に干渉させた瞬間、赤い光がべリアを覆う。逃れられぬその赤い光を見て、獣となったベリアは本能で死を悟った。だが死を前にして彼は大事な何かを心の内で探していく。それは自分が生きた証を、意義を欲したのかもしれない。
なぜ自分は強さを求めたのか。
畢竟、強さは手段である。
では部下を殺そうとして、
人を捨ててまで得たいものは何だったのか。
やがて精神の回廊でベリアは一つの絵を見つけた。それは彼がただ一人愛した女性の絵であったことを思い出す。貴族の家に生まれたにも関わらず、貧民街出身の自分を愛してくれた、笑顔の似合う女性だった。自分の故郷の惨状を憂い、孤児達の家と学校を作るのだと光を与えくれた女性だった。思えば、彼女が教師として子供達に歌や文字を教えている景色を自分は守りたかったのだろう。
そしてベリアは、もう一つの絵を見つけ出す。小さな学校が燃え、魔獣によって食い殺された女性と子供達の姿がそこにあった。
「すまぬ、エステル。結局私は何もできず、何も守れなかった」
ベリアは愛する女性に許しを請うように這いつくばり、涙を流す。赤い光がベリアを慰めるように広がり、やがて苦しみから解放する。
「――さよならだ、人外の化け物」
ダレトは握った手を解放し、赤光の魔石が爆発した。魔人の上半身が吹き飛んだかのように辺りは赤い霧に包まれる。再び倒れ込むダレトにバルアダンは駆け寄るが、ダレトは一つになった腕で出口を指し示す。
「俺の剣を持って外に急げ、バルアダン! ベリアが内通者なら、他にもまだ裏切った騎士がいるはずだ」
「馬鹿なことを言うな、重症のお前を放っておけるか!」
「魔力で血止めをしてからすぐに追いかける。頼む、俺たちの弟妹を守ってくれ」
「……分かった」
バルアダンは外へと飛び出した。外壁につくった通路で彼が見たのは、北壁にできた通路での戦いだった。一人の騎士と五人の騎士によって仲間が挟撃を受けていたのだ。すでにサラが負傷し、タファトがそれを支えており敗北は時間の問題と見えた。
バルアダンの感情はその光景を否定している。だが彼の眼は現実を認めていた。彼の仲間を挟み撃ちにしているのは、見知った同僚達だったのだ。そしてその内の一人は自分が憧れ、そして近づきたいと思っていた人物でもあった。
「フェルネス隊長!」
「べリア団長を倒したのか? やはりお前は早々に殺しておくべきだった」
ベリア亡き今、名実共にクルケアン最強となった男がバルアダンに剣を向けた。
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