第45話 家族① レビが欲しいもの

〈レビ、百二十層の工房に向かいながら〉


 ダレトと共に大塔の浮遊床に乗って百二十層の魔道具の工房へ向かう。到着するまでの間、隣で落ち着きなく爪を噛んだり、顎に手を当てて考えたりしているダレトに軽く蹴りを入れておく。あたいをここに連れてきたことをまだ後悔しているらしい。悪ぶるなら最後まで貫き通して欲しいものだ。でもそんな情けない彼だからこそ、支えてあげねばとも思う。……いや、支えることであたいが傍にいたいんだ。


「レビ、よく聞いてほしい。あの日、君の祖父が魔獣に襲われたのは僕のせいだ」


 あの時、訓練場の高台でダレトはあたいにそう言った。しばらくの間、気を落ちつかせるために周囲を見渡す。風が強く吹き、空を見れば雲が川のように流れていく。それはあの日、お爺ちゃんを失い、家が燃え落ちた日から今日までの時間を示すかのようだった。


「僕は神官だが、神殿を信用していない。いや、神さえも信じていない。妹のニーナを見捨て死に追いやった神が存在するならば殺したいくらいだ」


 だから神なんていないと、それが真実だと証明するのだとダレトは俯いたままでそう呟く。


「……そのためにセトに近づいた。あの子の祝福は失われた歴史を暴き出し、神殿の存在を揺るがすだろう。その調査の一環で俺はヤム長老を訪れたんだ」


 ダレトは苦しそうな顔で言葉を絞り出す。彼は気づいているのだろうか、自分のことを僕から俺と言い始め、素の表情を見せ始めたことを。そしてあたいがその顔をずっと興味深く見ていたことを。


 初めての出会いはあの貧民街だった。

 悪を懲らしめる素敵な騎士様と、悪ぶるのが下手な神官様との出会い。これが巷で流行る恋物語ならばきっと騎士様に夢中になっていただろう。でもあたいは不器用な神官の方が気になったのだ。


 どうして自分を悪く見せようとするの?

 どうして弱い人々を見捨てないの?

 どうしてその強さを隠すの?

 どうしていつもそんな申し訳なさそうな目をしているの……。


 炎の中で崩れ落ちる家、あたいはそこでお爺ちゃんの死を目の当たりにした。熱いはずなのに体が氷のように冷たくなっている。そんなあたいをダレトは抱きしめ、泣きそうな顔をして怒鳴るのだ。生きろ、と。矛盾だらけのその表情を見て、あたいの体に熱が戻る。

 

 ねぇ、気づいている?

 ダレトはね、あたいにもう一度命をくれたんだよ。

 孤児のあたいを拾ってきたお爺ちゃんと一緒なんだ。

 あたいに生きてくれって願ってくれたこと……。


「レビ、俺を恨んでくれていい。その上で選んでくれ。俺とバルアダンと一緒に行動するか、それともどこかで普通の暮らしをするか」


 普通ってなんだろう?

 家があって、食卓には美味しい料理があって、それを囲む家族がいることかな。なら、今の家は三十三層のあの家だ。前みたいにみんなと美味しい料理を食べて、楽しい話をいっぱいして……そうだ、あそこがあたいの家なんだ。


 でもまだ少し足りない。

 そこに本当の家族が欲しい。

 寒い日には暖炉の火の前で体を寄せ合うような、そんな熱が欲しいんだ。


 だからあたいは選んだ。ダレトと共に生きる道を。

 それは命がけかもしれない。

 でもあたいにとっては隣にいる人の、その熱を感じることのできる道なのだ。


「レビ、レビ! 何を呆けているんだ。もう百二十層に到着したぞ。目的の工房は中央より北側にある。何かあった時のために道を覚えながらついてこい」


 覚悟を決めたのだろう。ダレトは油断なく周りを警戒しながら工房に向かって歩き出す。その背中を慌てて追っていくと、神殿の工房区に入った。来訪を告げると豪華な一室に案内され、清貧とは真逆の脂ぎった神官が出迎えてくれた。ダレトは慇懃に頭を下げて挨拶をする。


「神殿から派遣されたダレトです。こちらは兵学校兼神官訓練生のレビ。よろしくお見知りおきを願います」

「教皇猊下の使者から話は伺っております。技術官のナブーと申します。こちらへどうぞ。しかし、訓練生は聞いておりませぬな」

「猊下には解明に関する権限をいただいたので、私の判断で例のあの少年と共に学んでいるこの娘を同行させました。私が魔獣を撃退した時も目撃しております。印の祝福の解明の一助になるかと」


 ……相手が敵であれば、ダレトは自然な嘘をつく。教皇には調査を命じられたものの、権限はもらっていないのだ。その上、教皇がナブー神官に期待していたと伝えると、ただの使い走りのはずが、あっと今に賓客扱いとなる。


「おお、なんという光栄。このナブー、猊下の期待に応えて見せましょう!」


 高価そうな菓子やお茶が出され、しばらくナブー神官の研究の自慢話が始まる。聞いていても退屈だったので、お菓子を頬張るのと、茶で流し込むのと、適当に相槌を打つことを繰り返していく。流石に飽きてきて三つを同時にしてしまうと、ダレトがひきつった顔で笑いながらあたいの太ももを思いっきり抓った。


「あいったぁ!」

「レビ訓練生、どうなされた?」

「……この娘は、あ、そうだ、と言ったのですよ。この権能杖に込められた力をお見せせねば、と思ったのでしょう」

「おお、そうだ。つい話し込んでしまいましたな」


 百二十層北壁に面するこの工房は一見、普通の部屋と作業場があるだけだ。だが、通された部屋の奥には細い通路があって、鎖でつながれた、血の匂いがする扉がある。それは不審者が入るのを防ぐためだろうか。それとも何か恐ろしいものが飛び出さないようにするためか。

 ナブー神官が小さな斧のような魔道具を鎖に近づける。そして何やら呟くとその斧は淡く光を放ち、鎖は自然にその鎖鑰さやくを解いたのだ。ナブーはその斧を警護の神官兵に渡し、その兵は横の詰め所へ入っていった。


「この権能杖は強い力を持っていると伺っております。ダレト殿、この場で試すには危ないので結界を施してある奥の広間で確認をしましょう。あぁ、レビ訓練生はこの部屋で待っていてください。後ほど私から話を伺いましょう」


 待つことしばらく、軽い振動が部屋を揺らしたと思えば、ナブーが満足げな顔で戻ってきた。


「これほど破壊に特化した祝福は見たことがない! ダレト殿、詳しい解析は明日より始めるとして、まずは実戦での様子を聞かせてくだされ」

「私の話は明日にでも十分に出来ましょう。まずはこの訓練生のレビの話を先にお聞きください。彼女も訓練で忙しい身なので」


 ……ダレトめ、あたしが今後も同行するのをまだ反対するか。だがそう思うようにはいかせないよ。だってあたいは側にいる道を選んだんだから。


「ナブー神官、レビの話が終わるまで表の工房に寄せてもらっても? 解析に権能杖を置いていくので、替わりのものをお借りしたいのです。詰め所には報告しておきますゆえ」

「あぁ、良いですとも。ただそのあとで君の話もきかせてもらいますぞ」


 ダレトがわざわざ詰め所に挨拶に行ったのはあの斧のありかの確認だろう。あきれるほどの自然さだ。

 あたいもダレトに倣って当り障りのないことをナブー神官に報告をする。……少しダレトの活躍を大げさに言ったかもしれないが、まぁ仕方のない事だろう。


「ナブー神官、ありがとうございました。それでは私の話をいたしましょう」


 ダレトが戻り、ナブー神官と魔獣との闘いの報告をしていく。時折こちらを睨むのは、私が話を盛りすぎたせいで会話が時折噛み合わなくなっているためだろう。


「ありがとうダレト殿、おかげで解析もはかどるというものだ。いやぁ、魔力実験など久々だ。最近魔力持ちが少なかったんだが、ようやく人員配置がなされてね。そうだ、レビ訓練生も魔力の適性があるなら――」

「……権能杖の解析と伺っていましたが、魔力を持った者に何をさせるので?」

「い、いやそれは何でもない。そう、ただの助手という意味なんですよ」


 瞬間、ダレトの眼が血走る。ナブー神官、いやナブーはダレトとバル様が追っている行方不明者の関係者だ。それも被害者ではなく加害者の方の。あたいはダレトの背中にそっと手を当てながら立ち上がり、目の前の犯罪者に一礼をして退室しようとする。


「今日はもう遅いようですし、これで失礼いたします。あた――私はダレトの補佐もしておりますので、今後も報告に参りますね」


 ダレトが激高する前に、その手を引いて工房から連れ出した。周りの神官が目を細めて非難の視線を向けるがそんなことどうだっていい。自分の熱がダレトに伝わるように必死で握りしめる。大塔まで来たとき、ダレトはようやくあたいの存在に気付いてくれた。


「……すまない、俺はもう大丈夫だ。心配をかけたな」

「まったく、感情くらい抑えなさいよ。あたいがいなかったらどうなっていたことか」

「一人でも大丈夫だったさ。今回はたまたまだ、信用しろ」

「実績を見せてからね。それよりあたいも役に立ったでしょう?」

「見直したよ。なかなかやるじゃないか」

「へへっ、ありがと。でもどうしたの? 素直に褒めてくれるなんて」

「あんなに菓子を口に詰め込めるんだ。お祭りで大食い大会があればレビに賭けるとするよ」


 ダレトと軽口を言いながら、夕日のクルケアンの小道を歩いて自分達の家へと帰っていく。上機嫌で鼻歌を口ずさむあたいを見て、ダレトが不思議そうな顔をする。その理由は二つあって、一つはナブーがあたいを実験者にしようとした後、ダレトが我を忘れるくらい怒ったから。もう一つは……さて、この男はいつ気づくのかな。あたいと手を握ったままだってことを。


 間の悪い彼のことだ。きっとどこかで知り合いに会ってからかわれるに違いない。それにこういう時はきっとあの人が待っているはずだ。帰りを待ちわびている心配性な騎士様が。


「……レビに対して素直になれたのはいいことだが、もう少し人目をはばかったらどうだ? こちらは心配して待っていたというのに」


 家の前で立っていたバル様が繋いだままの手を見て笑う。ようやく事態に気付いたダレトは手を振り回して引き離す。言い訳をするダレトと珍しくからかい始めるバル様、二人の背を押してあたいは家に入るのだ。ただいま、と大声を出しながら。


 だけど、あたいはこの時勘違いをしていた。ダレトが我を忘れたのはあたいのためではなく、他の誰かと重ねていたためだ。魔力を持ち、神殿に連れられて行った妹に。そこで死んだ妹のニーナに――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る