第487話 作戦開始


 道路の先に不自然に立っている壁が見えた。外壁が剥がれ落ちて、今にも倒壊しそうになっている壁は、路面標示を断つように並べられている。その高い壁の前に立って左右に視線を向けると、崩れた建物の瓦礫や放置車両の有無にかかわらず、防壁が一直線に並べられている様子が確認できた。

 防壁の周囲は静かで、人擬きや昆虫型変異体の姿を見ることはなかった。私は防壁の側を離れると、半壊した建物の陰に停車していたウェンディゴの近くに向かう。建物入り口にはホログラム投影機が設置されていて、私が側を通るとアニメ調にデフォルメされた機械人形のアニメーションと、日本語で充電ステーションと書かれた標識が投影された。


 その色彩豊かなホログラムをぼんやりと見ながら、私はカグヤに訊ねた。

「攻撃部隊の準備はできているのか?」

『うん』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『部隊はすでに所定の位置について、攻撃命令を待っているところ』

「ミスズとトゥエルブの遊撃隊は?」

『以前、私たちが通信妨害装置を運び込むのに使用した崩れた防壁の側にいて、侵入開始の合図を待ってる』


「ワスダたちの状況は?」私はそう言うと、胸の中心に吊り下げていたライフルを手に取り、ストックに頬をつけるようにしてしっかりライフルを構えた。それから照準器を調整しながら、ライフルのシステムチェックを行う。

『ワスダはすぐにウェイグァンの部隊と合流したあと、前哨基地まで後退したよ。今は傭兵部隊の増援に備えて待機してる』

 コンテナ内で待機していたカラスがトントンと跳ねながら近づいてくると、私はカラスの艶のある綺麗な翼に触れながら、異常がないか確認する。

「その傭兵部隊の動きはわかっているのか?」

『姿なきものたちの襲撃で多くの死傷者が出たから、目立った動きはないよ。戦場から逃げ出した人もいるみたいだし』


 ライフルのシステムチェックが終わったことを知らせる通知が視界に表示されると、その通知を消してカグヤに訊ねた。

「ワスダたちに敵傭兵の増援部隊と戦えるだけの余力があると思うか?」

『連日連夜の戦闘で、ワスダの部隊と愚連隊には負傷者が出ている。もしも戦闘慣れした傭兵団が来たら、戦闘の継続は難しいかも』と、カグヤは率直に言う。

「それなら、すぐに撤退させたほうがいいな」

『そうだね。陽動作戦はすでに充分な成果が出ているし、これ以上あの場所に留まっている必要もない。戦闘で集まってきた人擬きに警戒させながら後退させよう。鹵獲した機械人形を使えば、無事に輸送機のピックアップゾーンまで撤退できるはずだよ』

「了解、ワスダと通信をつないでくれ」

 私はすぐにワスダと連絡を取ると、輸送機と合流できる回収地点を送信した。

 

 輸送機が主翼の回転機構を使ってエンジンの角度を調整して、徐々に高度を上げながら離れていくのを見守っていると、輸送機を遠隔操作していたウミの声が内耳に聞こえた。

『レイラ様、これより輸送機は部隊の回収に向かわせます』

「頼んだよ、ウミ」私はそう言うと、索敵に特化した多脚型ドローンに視線を向けた。「ところで、ウェンディゴとワヒーラの準備は?」

 ヴィードルにも似たドローンは、機体上部に設置されていた円盤状の装置をゆっくりと回転させていた。

『システムの異常は確認されていません。ワヒーラはすでに索敵を開始していて、周辺一帯の情報が更新されています』


 ウミの言葉のあと、拡張現実で視線の先に表示していた地図が更新されて、動体検知センサーによって確認された複数の動体反応が、広範囲にわたって視認できるようになる。やはりというべきか、防壁の各所に検問所のように設けられている監視所には、多くの人間の反応があった。ちらりと地図の右端に視線を向けると、タイマーが二つ動いているのが確認できた。


「ウミ、このタイマーは?」と、数字が変化していくのを見ながら訊いた。

『爆撃機が鳥籠の上空を通過する時刻です。ひとつは監視所の破壊に、もうひとつは鳥籠への直接攻撃に使用されます』

「監視所の爆撃まで猶予がないな」

『はい』と、ウミの凛とした声が聞こえる。『懸念すべきことはございません。すでに攻撃目標の座標、つまり経度と緯度は設定されていて、迎撃の恐れもありません……ですが、レイラ様は犬がお好きですか?』


「犬……?」と、私は首をかしげる。「変異していなくて凶暴な野犬じゃないなら、犬は大歓迎だよ。でもどうしてそんなことを訊くんだ?」

『映像を表示します』

 先ほど大空に向かって飛び立っていったカラスから街の俯瞰映像を受信すると、拡張現実で浮かび上がるディスプレイに監視所の様子が確認できる映像が表示された。解像度の低い映像だったが、そこには警備隊のあとについて歩く犬の姿が確認できた。数匹の犬は機嫌がいいのか、尻尾を振りながら隊員と遊んでいた。


「それは知りたくない情報だったな……」

 私がげんなりしながらそう言うと、ウミはカラスに指示を出してすぐにその場から離れさせた。

『知りたくないことも、やりたくないことも、これからは沢山でてくると思います。ですが、レイラ様にはそれを知る必要と、責任があると思っています』

「わかってる。この作戦は自分たちが外敵に脅かされないように、この世界で平穏に生きられるためにやるんだ。そこで生じる犠牲の責任を誰かに押し付けるようなことはしたくないし、自分が仕出かしたことから目をそらすような卑怯者にもならない。でも、ウミはどうしてそう思ったんだ?」と、私は率直な疑問をぶつける。


『レイラ様が感情をもった人間だからです。あなたは人を殺し過ぎている。そして犠牲者はこれからも増えていきます。ですが同時に、レイラ様は人類の希望でもあります。そのことを忘れてはいけません』

「希望? なんのことを言っているんだ?」

『不死の子供たちは、人類の希望として誕生しました。その能力は本来、人類の脅威に対してのみ向けられるものでした……と、データベースに記載されています』

「記載されている? なんのことを言っているんだ?」と、私は困惑する。「不死の子供たちに関する情報を閲覧する権限は俺たちにないはずだ。旧文明期について、ウミは何か知っているのか?」


 タイマーの数字が真っ赤になると、ウミは私の質問に答えることなく言った。

『各部隊に通達、これより侵攻作戦を開始します。ミサイルの着弾を確認した後、各部隊は事前に決められていた交戦規定に従い、作戦行動を遂行してください』

 タイマーの数字を確認したあと、ふと上空に視線を向けた。が、そこにあるはずの爆撃機の姿を見つけることはできなかった。

『ミサイル発射準備完了』と、ウミは続ける。『これより、貴方たちは戦争の犬になります。戦場を駆け、主人のためだけに働きなさい』

 照準ロック完了の文字が視界に浮かび上がると、タイマーが一分を切るのが見えた。私とワヒーラはウェンディゴの陰に身を隠すと、これから発射され、極超音速で飛んでくるミサイルが生み出す衝撃に備えた。


 粘度の高い液体金属で頭部を覆うと、マスクの視界を通して着弾地点を確認する。と、視界が真っ白になるほどの閃光に続いて衝撃波に襲われ、身体の芯まで震わせる爆発音が連続して聞こえた。その衝撃波は凄まじく、金属片や瓦礫、そして小石までもが恐ろしい銃弾のように飛んできて、ウェンディゴの装甲に次々と叩きつけられた。そのたびに車両を覆うシールドに青い波紋が発生するのが見えた。


 爆発の余韻が耳に残るなか、イーサンとカグヤは各部隊に攻撃開始の合図を出した。今この瞬間から我々は後戻りのできない戦闘に身を置くことになる。我々が鳥籠を占拠して相手が降伏するまで、あるいは我々がのっぴきならない危機的状況に陥らない限り、攻撃は昼夜続けられることになる。


 衝撃波を避けるために戦場から遠ざけていたカラスが上空に戻ってくると、壊滅した複数の監視所から黒煙が立ち昇る様子が確認できた。

『レイラ様、作戦開始です』と、ウミは言う。『すぐに防壁内に侵入し、通信妨害装置が設置されている戦闘前哨基地まで移動してください。装置が起動したら、敵は真っ先に通信を妨害している装置を破壊しにやってくるはずです。レイラ様はアーキ・ガライの狙撃部隊と共に装置の安全を確保してください』

「どうして敵に通信妨害装置の位置が分かるんだ?」

『通信の妨害は特殊な電波を発生させて、広範囲にわたって通信障害を引き起こします。ですが装置は鳥籠の機器、そして警備隊と傭兵団に支給されている端末にのみ作用するように設定されています』

「つまり専用の装置を所持していれば、敵はその特殊な妨害電波の発生源を追うことが可能なのか?」

『おっしゃる通りです』


「了解、前哨基地の防衛に向かうよ」私がそう言うと、ウェンディゴは人工筋肉の詰まった脚を動かして車体を持ち上げて、私をまたぐようにして壁の側に向かう。そして車体上部に収納されていた二メートルほどの細長い角筒が出現するのが見えた。何の特徴もない白色の角筒だったが、それはウェンディゴに搭載されていた強力な電磁砲だった。その砲身がゆっくりと動いて、道路の先にある防壁に砲口が向けられると、電磁砲に向かってエネルギーが集中的に供給され、角筒の周囲に放電による電光が発生するのが見えた。


『音に注意してください』

 ウミの声が聞こえたあと、高密度に圧縮された鋼材が撃ち出され、轟音と共に防壁の一部が粉々になって吹き飛んだ。ウミの操作するウェンディゴとワヒーラは、立ち昇る砂煙の向こうに消えていく。私もすぐに破壊された壁の瓦礫を乗り越えて、防壁内に侵入するが、思い立って立ち止まる。

「カグヤ、ハクはどこに行ったんだ?」

『ハクなら、さっきまでそこにいたけど……』

 私はすぐに地図を表示してハクの位置を確認する。しばらくすると、カグヤに呼ばれたハクが姿を見せる。私はハクに頼んで破壊された防壁を糸で塞いでもらうことにした。五十二区の鳥籠は汚染地帯と隣接しているため、先ほどの爆撃で多くの人擬きが集まってくるだろう。そして壊滅した監視所を通って防壁内に侵入することになる。その数を少しでも減らすために、この穴は塞ぐ必要があった。


「行こう、ハク」

 網のように広がる糸で倒壊した壁の隙間を塞ぐと、私とハクは前哨基地に向かって廃墟の街を進んだ。その道中、警備隊の巡回部隊に遭遇したが、多くの場合、彼らは同行していた機械人形の奇襲を受けて壊滅することになった。それらの警備用ドロイドは、以前、防壁内に侵入したときにカグヤがシステムを掌握していた機械人形の部隊だった。侵攻作戦が開始されるのと同時に、警備隊は機械人形によって予期せぬ奇襲を受けることになったのだ。


 騒がしい銃声と破裂音があちこちから聞こえるようになる。常に更新されていく戦局をインターフェースに表示される情報で確認していると、ヌゥモが指揮していたヤトの主力部隊が、警備隊の本隊と会敵したのがわかった。想定していたよりもずっと早いペースの進軍だったが、入場ゲート付近で動きが止まっているようだった。

 どうやら鳥籠を囲む防壁の向こうから、迫撃砲による集中攻撃を受けているようだ。そのもうひとつの防壁は、施設を防衛するために旧文明の技術で築かれているものなので、ウェンディゴが先ほど破壊した壁とは比べものにならないほど強固だった。強引に突破することができないので、入場ゲートを制圧する必要があったが、我々が考えていたよりも本隊の練度は高く、隊員は精強だった。


 私は空爆の影響で瓦礫が転がる足場の悪い地上を離れると、ハクと共に近くに立っていた建物の屋上に向かう。そして建物屋上から、となりの建物に向かって跳びながら目的の場所に素早く移動する。

「前哨基地の防衛よりも、ヌゥモたちの援護に向かったほうがいいんじゃないのか?」

 私がそう呟くと、ウミの声が内耳に聞こえた。

『ダメです。あちらの指揮はヌゥモとイーサンにまかせていれば問題ありません。レイラ様はこのまま前哨基地に向かってください』

「基地の周辺にはアーキの部隊が展開しているんだろ?」

『私を信じてください、きっと処刑隊は動きます』

「ウミのことは信頼しているよ。でも――」

 そう言いかけたときだった。頭部に凄まじい衝撃を受けると、私は足を踏み外して道路に落下していく。それからすこし遅れて、乾いた銃声が聞こえた。


 ハクは落下していた私を捕まえると、廃墟のなかに飛び込んだ。

「……狙撃だ。どこから狙われたんだ?」と、私は頭を振りながら言う。

『わからない。でも複数の反応が接近してきてる。気をつけて」

 カグヤの言葉のあと、黒ずくめの戦闘服に身を包んだ集団が廃墟に姿を見せた。

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