第461話 寄生生物


 教団によって祝福された戦士との邂逅から数日、私はイアーラ族のペクェイ・ララを連れて山梨県に広がる大樹の森に来ていた。目的は混沌の生物の調査をしていたペパーミントに会うことだったが、境界の守り人たちの砦で、混沌の領域を監視する任務に就いているイアーラ族を視察することも予定に含まれていた。


 森の民に豹人と呼ばれていたイアーラ族は元々人間たちとは敵対していなかったが、排他的な蟲使いたちが彼らにどのように接しているのか知る必要があった。

 ちなみにワスダたちの処遇についてはまだ決まっていなかったので、取り敢えず拠点の近くにある建物を貸し与え、諜報活動を行っているイーサンが戻るまで、そこで生活してもらうことになった。建物は拠点を覆うハクの巣で守られているので、教団も彼らに対して無謀な攻撃はしてこないだろう。


 久しぶりに訪れた大樹の森は、生命の気配に満ち満ちていたが、不思議なことに生物の姿を見ることはなかった。私は周囲の様子を気にかけながら、猫にしか見えないペクェイ・ララが機嫌よく尻尾を振って歩いている姿を見ていた。

 枯れた大樹の根元にできた樹洞の側を通ったとき、洞のなかに漂う薄闇に妖しく発光する複数の眼があることに気がついた。しかしその生物からは敵意のようなものは感じられなかった。むしろその生物が何かに怯え、大きな身体を縮こませて脅威が去るのを待っているように見えた。


 私は肩に止まって翼を休めていた鴉型偵察ドローンに指示を出すと、周囲の索敵を手伝ってもらうことにした。鴉が肩を離れると、私は肩の調子を確かめるように肩を回して、鴉から受信する映像を確認する。網膜に投射されているインターフェースには、樹木の間を歩いている私とララの様子が映し出されていたが、周囲に立っている大樹が作りだす不思議な景色と相まって、まるで巨人の森に迷い込んだ小人のようにも見えた。


 しばらく静かな森を歩いていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『鴉の眼からは脅威になるような生物の姿は確認できなかったよ』

 赤や紫色の毒々しい縞模様をもつ背の高い茂みに視線を向けながら、私はカグヤに訊ねた。

「森の雰囲気がいつもと違うのは、どうしてだと思う」

『あまり考えたくないけど、混沌の領域から未確認の生物がこちら側に侵入してきた可能性がある』

「他の生物が怯えるほどの化け物が侵入してきたのか……」と、私はうんざりしながら溜息をついた。「防壁の建設が追いついていない証拠だな」

『うん。建設人形のスケーリーフットは頑張ってくれていて、作業も順調に進んでいるけど、防壁の建設予定範囲は広大だからね』

「建設人形がもう何台かあれば、作業効率はずっと良くなりそうなんだけどな」

『廃墟の街で探す?』

「そうだな……建設人形の設計図があっても、巨大な重機を製造する設備は持っていないからな。何処かで見つけてきた方が早いのかもしれない」

『五十二区の鳥籠にある地下施設で製造するのは?』

「あの施設は色々と問題を抱えているからな。あまり製造工場を――」


『ねぇ、レイ』と、ララが小走りでやってくる。『こっちに何か来るみたい。注意して』

 ララが私の足元に来たときだった。ナス紺色の茂みが揺れて、カバにも似た大きな生物がのっそりと姿を見せた。鴉で存在を確認できていたので驚くようなことはしなかったが、生物の異様な姿には興味を惹かれた。その生物はサイのように硬い体表に覆われていて、頭部の側面には水牛の頭に生えているような三日月形の大きなツノがあった。しかし私の存在には無関心なのか、小さな瞳でちらりと私を見たあと、枯草の茂みに入っていった。この場から一刻も早く離れることを優先しているような、そんな慌てた様子だった。


 それに生物は子連れだった。私は親子を刺激しないように、ある程度の距離ができるまで待ってから生物の子供に注目した。親と違って大きなツノは生えていなかったが、親と同じように桃花色の硬い皮膚で全身が覆われていた。大型犬ほどの体長を持つ子供は、短い尾を揺らしながら一生懸命に親のあとについて歩いていた。

『怯えているみたいだね』とカグヤが言う。『やっぱり危険な生物が近くに潜んでいるのかもしれないね』

「ああ、周囲の動きに注意して移動しよう」と、私は茂みの向こうに消えていった生物を視線で追いながら言う。「ララも危険な生物の気配を感じたら教えてくれ」


『わかってるよ。それより今の見た?』とララは興奮しながら言った。『大きな生き物だったね。イアーラの世界ではあんなヘンテコな生物は見たことないよ』

「俺もあの生き物は初めて見たよ」と私は言う。「ところで、イアーラ族の世界にはどんな生物が生息しているんだ?」

『そうだな……私が暮らしていた城郭都市の周りは、危険な生物の生息地にもなってるから、動物はほとんど見かけないんだよ。大きな魚は見るけど』

「そういえば、あの白い砂漠には湖にも見える不思議な水溜まりが幾つもあったな。魚はそこで捕れるんだろ?」

『うん。すごく大きな魚がいて――』

 そこでララは急に黙り込むと、小さな耳をピクピクと動かして茂みを見つめた。

「どうしたんだ?」

『何か来るみたい』


 腐臭が混じる嫌な風が吹くと、茂みの中から人影がゆっくりと出てきた。動物の毛皮を身に纏っていたので、砦からやってきた蟲使いだと考えたが、その頭部は内側から破裂したようにぱっくりと開いていて、血液に濡れたそれは花が咲いているようでもあった。

「人擬きなのか?」

 私はすぐにライフルを構えて、グロテスクな頭部を持つ生物に銃口を向ける。生物の割れた頭蓋のなかには、フジツボに似た奇妙な生物が蠢いているのが見えた。それは吐き気を催す臭いと、膿のような液体を絶えず噴き出していた。


 ハガネを操作してフルフェイスマスクで頭部を覆うと、正体不明の化け物の胸部に銃弾を三発、立て続けに撃ち込んだ。肉が抉れて骨が砕けたが、それでも化け物はこちらに向かって歩き続けていた。痛みに対して無関心な化け物の姿は、廃墟の街を徘徊する人擬きを思わせた。けれど目の前にいる正体不明の生物は、腐りかけた不死の化け物などではなく、身長が二メートルを優に超える筋骨たくましい大男だった。しかし灰に塗れた赤黒い肌は、人間のものとはとても思えなかった。


 銃弾を胸に受けた大男は、それまでのぼんやりとした動作とは打って変わって、素早い動きで突進してきた。私は後方に飛び退きながらフルオート射撃で銃弾を叩き込むが、体勢を崩し血液を流すだけで、銃弾に効果があるようには見えなかった。

『頭に寄生している生物を狙うんだよ!』と、大樹の根に隠れていたララが言う。

 私はララの言葉に反応して、タクティカルベストの胸元に差していたナイフを抜くと、組みついてきた化け物の割れた頭部に向かって刃を振り下ろした。フジツボのような見た目をした生物は硬く、深く突き刺さったチタン鋼の刃は途中で折れてしまう。が、生物に致命傷を与えられたのか、赤黒い肌を持つ大男は激しく痙攣すると、その場に倒れて動かなくなった。


「死んだのか?」私はそう言うと、足先で化け物の肩を揺すった。

 するとララがやってきて、死体の背中に乗る。

『死んだというより、これはすでに死んでいたんだよ』

「この生物について何か知っているのか?」

『私たちの世界に『ペレーワ』って化け物がいたでしょ?』

「確か、妖精族の穢れた血族とか何とかって生物だな」

『そう。ペレーワは自意識を失うほど混沌に深く魅入られた生物で、知恵も無くて、全ての生命に対して憎しみを抱いている。洞窟や暗い森に潜んで誰彼構わず襲うから、穢れた毛皮をもつ獣とも呼ばれている』

「こいつはペレーワと違う姿をしているけど、何か関係があるのか?」

『混沌に魅入られた全ての妖精族が錯乱して自意識を失う訳じゃない。自らの意思で混沌の神々に仕えるものたちもいる。そういったものたちは、身体が獣のように変異することが無いんだ』

 私は足元の大男を見て、それから言った。

「もしかして、こいつは混沌に魅入られた妖精族なのか?」

『そうだよ。イアーラ族と敵対している種族でもある』


 カグヤの操作するドローンが何処からともなく姿を見せると、大男の頭部にレーザーを照射して、フジツボのような生物をスキャンしていく。それらのデータがどのように活用されるのかは知らないが、混沌に由来する生物の情報は全て、拠点のデータベースに記録されて、ペパーミントとサナエによって研究が行われることになっていた。


『それなら、これはなに?』とカグヤが言う。

 端末を所有していないララは、カグヤの声を聞くことができない。だから代わりに私が訊ねる。

『死体に寄生する生物だよ』とララは欠伸しながら言う。『混沌の領域から吹く風に運ばれてきた植物の胞子みたいなものが、荒野や森に残された生物の死体に付着すると、そんな風に成長して宿主の肉体を操ることがある』

『死体に寄生する生物?』とカグヤは疑問を口にする。『寄生対象と共生するためじゃなくて、死体を栄養源にする生物なのかな?』

「わからない」と私は頭を振って、それから言った。「俺は死体を相手にしていたんだな……どうりで殺せないわけだ」

『待って』とララが茂みを見ながら言う。『他にもいるみたい』

「分かった。ララは隠れていてくれ」

 ララが駆け出すと、私は茂みにライフルの銃口を向けた。


 妖精族を人と表現していいのか分からないが、そこに現れたのは三人の大男だった。いずれも鍛え上げられた肉体を持つ長身の大男で、赤黒い肌には白い灰のようなものが塗られていた。その異様な姿は、死者の灰を身体に塗るヒンドゥー教のアゴーリ派を思い起こさせるが、ひとりは首が無く、切断面には寄生生物が付着していた。他の二人も頭部を潰されていたが、フジツボに似た生物は異様に膨れ上がった宿主の腹部に寄生していた。腹にできた無数の傷口の奥に見えていた腸と黄色い脂肪の薄膜からは、じゅくじゅくとした膿が垂れ流されていた。


 私は大男に寄生していた生物に向かって小型擲弾を撃ち込むと、すぐに弾薬を火炎放射に切り替え、擲弾の爆発と共に倒れた生物を焼き払った。爆発した際に周囲に飛び散った身体の一部も念の為に焼却しておいた。穢れた妖精族の処理を終えると、鴉の眼をつかって周辺一帯の安全確認を行うが、我々の周囲には背の高い雑草が繁茂していて、敵対的な生物の姿は確認できなかった。


 悪意を感じ取れる自身の瞳を使ったが、そもそも相手は死んでいるので、意思を感じ取ることがそもそも不可能だった。私はララを抱き上げると、急いでその場を離れることにした。あの妖精族の死体が何処からやってきているのか分からなかったが、この場に留まり続けることは危険な行為に思えた。私は逃げるようにして目的の洞窟に向かった。


 環境追従型迷彩によって風景に溶け込んでいた巨大な隔壁が開放されて、重々しく開いていくと、洞窟内から数体の戦闘用機械人形ラプトルが姿を見せた。そのなかには、特殊な人工知能を搭載した『トゥエルブ』の姿もあった。ラプトルは鳥脚型の長い脚を音もなく動かして私の側までやってくると、周囲にレーザーライフルの銃口を向けながら私の警備を行う。まるで要人警護のような動きは、以前には見られなかった行動だった。もしかしたらトゥエルブの指示で行っているのかもしれない。


 洞窟内に入り隔壁が閉じると、ラプトルたちは本来の巡回警備の任務に戻り、トゥエルブだけが私の側に残ることになった。洞窟内は現在、混沌の領域からやってくる生物の調査と研究、そして兵器開発の拠点として使用されていたので、環境整備が優先して行われていた。洞窟入り口に設置された隔壁は、カモフラージュ効果のあるフィルムが貼られ、厚さ三十センチほどの旧文明の鋼材で造られていた。また入り口付近の天井には、ヴィードルくらいなら簡単に破壊できる重機関銃を搭載した自動攻撃タレットも設置されていた。もちろん警備のためのラプトルや、小型警備ドローンも優先して配備されていた。


 洞窟に頻繁に訪れていたペパーミントとサナエの安全に考慮した結果、洞窟の整備が進められていたが、ここまで厳重に警備しているのには幾つか理由が存在した。そのひとつは、洞窟が混沌の領域の側にあることだった。境界の守り人たちの砦が攻め落とされるようなことがあった場合、彼らの脱出経路になるのは、聖域に続く地下トンネルがあるこの場所だった。それに、トンネルは森の民の鳥籠にも繋がっている。我々はこの拠点を失う訳にはいかないのだ。


 トゥエルブのあとを追うように歩きながら、ララを地面におろすと、白い鋼材で覆われた洞窟の壁を眺める。旧文明の鋼材は、大樹の森に埋まる廃墟から比較的簡単に入手できる資材だった。その為、洞窟には惜しみなく鋼材が使用されていて、以前は氷が張り、ゴツゴツとした岩肌が見えていた天井や床も綺麗になっていた。地下トンネルに続く昇降機が設置されていたガランとした広い空間も整備されていて、高い天井や資材の倉庫として利用されていた建物も綺麗に整備されているのが確認できた。


 そしてどうやって運び込まれたのか分からなかったが、広い空間の一角には、砂漠地帯の拠点地下で発見して、そのまま拠点警備に使用していた多脚型無人戦車『サスカッチ』の姿があった。戦車は作業用ドロイドたちによって整備されていて、私がその様子に驚いていると、トゥエルブは得意げにビープ音を鳴らして、いずれサスカッチが自分のものになると自慢してきた。誰がそんな許可を出したのかは分からなかったが、それはとてもいい考えに思えた。

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