第447話 墓地


 ミミズクにも似た鳥類型の変異体が発する甲高い鳴き声が、不気味な残響となって大樹の森に広がっていく。不吉な前兆のように、それはいつまでも耳に残る嫌な鳴き声だった。

『レイ、集中して』

 内耳に聞こえるカグヤの声にうなずくと、上空から次々と急降下してくる化け物に貫通弾を撃ち込んでいく。化け物は凄まじい速度で飛行していたが、直線的な攻撃だったので、偏差射撃を行うのはそれほど難しいことでは無かった。貫通弾を受けて地上に落下してきた鳥類型の化け物は、蟲使いたちが指揮する黒蟻の群れによって動きが封じられ、その隙に無数の銃弾を近距離で撃ち込まれて処理されていった。


 けれどミミズクにも似た変異体の群れの中には、他の個体よりも大きく、三メートルほどの体高を持つ化け物が混ざっていて、それらの恐ろしい化け物には貫通弾ですら致命傷を与えることができなかった。至近距離で貫通弾を撃ち込めれば、あるいは勝機があるのかもしれないが、飛行している生物に近づくことは困難だった。


 接近してくる中型の個体に気を取られていると、上空を飛行していた大型の変異体が翼を広げ、騒がしい鳴き声で威嚇したあと、私に向かって何かを投げつけてきた。私は咄嗟にハガネを操作して、身体の全面を覆い隠せるほどの大盾を液体金属で形成し、向かってきた物体に備えた。

 鈍い音と共に液体が飛散する音が聞こえる。どうやら化け物が投げつけたのは、引き千切られるようにして下半身から切断された蟲使いの上半身だった。無雑作に散らばった臓器と血液が、盾に絡みつき、足元の真っ白な雪を赤黒く染めていく。


 大盾に絡みついた腸を嫌って、考え無しにハガネを操作して大盾を装甲に戻したときだった。私に向かって急降下してくる大型の化け物と視線が合った。翼を折り畳んだ状態で接近してくる化け物と私の間には、数十メートルほどの距離しか無く、攻撃を避けることは不可能に思えた。が、大樹の幹から飛び下りてきたハクが化け物の翼を切断すると、タイミングを合わせるようにしてマシロが高い場所から降ってきて、化け物の頭部に強烈な蹴りを叩き込んだ。化け物の頭部は衝撃で破裂し、コントロールを失った身体は急降下の勢いのままに地面に衝突し地面に埋まった。脚を上にして地面に埋まった化け物の遺体は、まるで前衛芸術のような奇妙で斬新なオブジェに見えた。


 ペパーミントの護衛に残してきたマシロが、どうして前線にいるのかは分からなかったが、ハクとマシロはそれからも協力しながらミミズクの化け物に対処して、その数を順調に減らしていった。けれどしばらくすると、何処からともなく鳥類型の化け物が飛んできて、あっという間に数は増え、攻撃の手が緩むことは無かった。

『レイラ、大変です!』と、ミスズの慌てた声が内耳に聞こえた。『周辺偵察を終えて基地に帰還していたテアさんの部隊が、化け物から襲撃を受けています!』

「彼女たちの位置は分かるか?」

『はい! すぐに情報を転送します』


 ミスズから情報を受信すると、カグヤはワヒーラが作成した周辺地図に位置情報を重ねて、素早くテアたちの現在位置を割り出した。

『移動経路を指示する』とカグヤが言う。

「了解。ミスズたちには引き続き化け物たちの対処を任せる。事態が手に負えなくなったら拠点まで後退して、そこで敵を迎え撃ってくれ」

『分かりました』とミスズが答える。『救援にはレイラがひとりで向かうのですか?』

「ああ、ハクとマシロはこの場に残していく。ミスズが指示を出してくれ」

『でも――』

「大丈夫だ」と、私はミスズの言葉を遮る。「向こうにはテアたちがいる。彼女たちと合流できれば、問題なく化け物たちに対処できるはずだ」


 ミスズとの通信を終えると視線の先に拡張現実で矢印が表示される。私はその矢印に沿って薄暗い森を全速力で駆けた。ハガネの鎧が身体の動きをサポートして、身体を保護していた装甲の適切な制御を行う。そのおかげで恐ろしい速度で駆けても、動きの邪魔にならなかったし、身体にかかる負担も驚くほど少なかった。

 時間をかけること無く目的地に到着すると、うっすらと雪の積もる倒壊した建築物の陰に隠れながら、ミミズクの化け物に応戦していたテアたちの姿が見えた。上空にいる化け物の数は多く、地面に埋まる建築物の上を旋回しながら攻撃の隙を窺っているように見えた。


 私は走っていた勢いのままに跳び上がると、大樹の幹を足場にして化け物に向かって跳んだ。突然、何処からともなく現れ、自分自身に組みついた人間にミミズクの化け物は驚き、そして体勢を崩してしまう。私は暴れる化け物と落下しながら、左腕の前腕に形成した銃口を化け物の羽毛に押し付けると、容赦なく貫通弾を撃ち込んでいった。衝撃で化け物の身体がズタズタにすると、私は次の標的を求めて化け物の身体を蹴って空中に跳び上がる。しかし次の標的を仕留める前に、大型のミミズクの突進を受けて吹き飛び、大樹の枝に身体を叩きつけられてしまう。


 化け物は凄まじい速度で飛行し、弧を描きながらこちらに狙いをつける。しかしそれは私も同じだった。立ち昇る雪煙の向こうで化け物が翼を折り畳み、私に向かって一直線に急降下を始めると、私は左腕を持ち上げ、弾薬を重力子弾に切り替えた。すると化け物に向けていたハガネの腕に複雑な幾何学模様が浮かび上がり、それは青白い光となって、前腕から手首に向かって移動して銃口に向かう。天使の輪にも似た青白く輝く輪が銃口の先に出現する。その輪はやがて収縮して輝きを帯びた球体に変化する。


 フルフェイスマスクを通して見ている視界の先に、重力子弾の発射が可能だと告げる表示が現れると、私は化け物に向かって重力子弾を放った。銃口から発射された銃弾は、銃口の先に浮かんでいた球体に触れると、融合するように青白い光を纏い、目もくらむような閃光となって空間を突き進んだ。閃光が通ったあとには、まるで陽炎を見ているような空間の揺らめきだけが残された。


 重力子弾を受けた化け物の身体は融解し、瞬く間に蒸発して跡形も無く消えた。化け物の後方、射線上あった大樹の幹には、閃光が貫通したことを証明するように、着弾地点の樹皮が赤熱し、溶け出しながら燃えているのが見えた。

 ちなみに重力子弾は空に向かって発射されていたので、森に大きな被害を出すことは無かった。そしてその一撃が決定打となったのか、我々の上空を飛行していた化け物が次々と逃げ出していくのが確認できた。


「終わったのか?」

『うん。取り敢えず脅威は去ったみたいだね』と、カグヤが答える。『ミスズたちと戦闘していた化け物も戦場から離脱してる』

 ワヒーラから受信する情報を確認すると、地図上に表示されていた敵の反応を示す赤い点が四方に散らばっていくのが確認できた。

「でもまだ安心はできないな……」

『うん』

「ミスズたちにも拠点まで後退するように言ってくれ」

『分かった。レイはどうするの?』

「テアたちと合流してから戻る」


 液体金属を操作して腕を普通の状態に戻すと、雪の積もっていた枝の縁まで歩いて行く。そして覗き込むようにして数十メートル下にある地面を確認した。それから覚悟を決めると、何も無い空間に向かって跳んだ。落下しながらベルトポケットに手を入れ、円筒型のグレネードを取り出すと地面に放り投げた。耳に残る金属音が足元で鳴り響くと、グレネードの落下地点を中心にして重力場の膜が生成されるのが確認できた。私はそこに向かって落ちていった。すると水中に潜っているときのような、柔らかい何かに包まれる感覚がして、限定的に発生した重力場によって着地の衝撃が相殺される。


 地面に足をつけると安堵感から溜息が出た。

「随分と無茶をするんだな」と女性の声が聞こえた。

 顔を上げると、モコモコとした毛皮に包まれた浅黒い肌をもった美女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

「大丈夫か、テア?」

 私の言葉に美女はうなずいた。

「いくつか問題がある」

「教えてくれるか」

「さっきの戦いで負傷者が出た。彼女たちを歩いて連れ帰るのは難しいだろう」

「救援を要請するよ」と、私は言う。「それに、オートドクターも必要だな」

 テアはうなずいて、それから私を見つめながら言った。

「仲間が二人、あの化け物に攫われた」

 テアの言葉に私は驚いて、言葉の意味を理解するのに少しばかりの空白ができた。


「あの化け物が人間を攫ったのか?」

「間違いない」テアはうなずくとライフルを肩に下げて、それから森の奥を指差した。「仲間を攫った奴らはあっちの方角に飛んでいった」

「すぐに追わないとマズいな……」

『彼女たちには指輪型端末を支給していたから、端末の信号を直接追えるかもしれない』とカグヤが言う。

「不幸中の幸いだな」私はそう言うと負傷者の確認に向かう。

 ミミズクに似た化け物の脚には、ダチョウのように太い指が二本ついていて、それらの指には太くて大きな鉤爪がついていた。その鉤爪による裂傷が女性の肩口に確認できた。恐らく彼女を連れ去ろうとした際に、彼女の肩に鉤爪を突き刺すようにして引っ掻けたのだろう。鉤爪によって肉が大きく削られていて、皮膚がパックリと開いた傷口ができていた。


 彼女の横では、裂けた毛皮を脱がされ、その上に寝かされた女性の姿が確認できた。彼女は化け物の鉤爪で脇腹から背中にかけて切り裂かれていて、黄色い皮下脂肪の奥に臓器が見える状態だった。私は彼女の側にしゃがみ込むと、ベルトポーチからオートドクターを取り出して、素早く傷口を洗ってから注射を打った。

『基地の倉庫にもオートドクターを備蓄しないとダメだね』とカグヤが言う。『この場所は危険すぎる』

 カグヤの言葉に私はうなずいた。

「存在を知られるだけで騒ぎになる医療品だから、厳重に管理しないといけないけどな……」


 ベルトポーチから予備の注射器を取り出すと、切断されかけた腕を血塗れの手で押さえていた女性の側に向かう。彼女は負傷した際に大量の血液を失ってしまったのか、死人のように顔面蒼白だった。このまま放置したら出血性ショックで死ぬかもしれない。肩を負傷していた女性にしばらく我慢してもらうことにして、まず彼女に注射を打つことにした。

「基地も襲撃されたのか?」と、テアが私の側にしゃがみ込みながら言う。

「ああ。蟲使いたちにも死傷者が出た」

 私がそう言うと、テアは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


 蟲使いたちで編成された境界の守り人たちと、担架を担いだ黒蟻が救援に駆けつけると、負傷者たちの面倒を守り人たちに任せ、私とテアは連れ去られた女性を救うために森の奥に向かった。化け物からの更なる襲撃に備えて、ハクとマシロ、それにワヒーラは基地に残ってもらうことにした。


 冷たい風が吹き荒ぶ大樹の間を歩く。まるで小人になった気分がした。

「奴らからの襲撃は今回が初めてなのか?」

 私の問いにテアはうなずいた。

「この数日の間に、基地の周辺で頻繁に見かけることはあったけど、襲ってくることは無かったんだ。だから人が沢山いる場所には近づかないと思っていた」

「監視していたのかもしれないな」

「群れで行動して、知恵が回る化け物か……厄介だな」

 降り積もっていた雪の重みに耐えきれず大樹の枝が折れて落下すると、恐ろしい静けさに支配されていた森は、途端に騒がしくなる。が、それも一時のことだ。すぐに重たい静寂が森を支配する。ただでさえ不気味で恐ろしい森が、その内に抱える恐怖を我々に強く意識させる。


 ずっと高いところから差し込む光の帯に照らされるようにして、地面に倒れた人間の姿が見えてきた。赤黒く染まった雪に横たわっていたのは血塗れになった蟲使いだった。

『境界の守り人だ』と、カグヤが言う。『化け物が連れ去ったのは、テアの部隊に所属している女性たちだけじゃなかったんだね』

「そうだな……死傷者の確認で忙しいと思うけど、行方不明になった隊員がいないかミスズに確認してもらってくれ。他にも連れ去られた人間がいるかもしれない」

『了解』


 死体の側を離れてテアの姿を探す。雪に隠れた大樹の根に躓かないように注意して歩くと、視線の先に人間の姿を象った柱状の木造彫刻が数え切れないほど立っているのが見えた。それらの彫刻柱には薄っすらと雪が積もっていたが、確かに森の民の神話に登場する『最初の人々』を模してつくられた彫刻柱だった。

「これは死者の像だな」と私はテアに言う。

「この場所は墓地だ」と彼女は答えた。「それもずっと古い時代の」

「墓地? どうしてそんなものがこんな場所に?」

「近くに集落があったのかもしれない」


 私は二メートルほどの高さがある彫刻柱を眺めた。僅かに傾いた大樹の枝には、風化が確認できたが、それでも精巧な彫刻が施されているのが確認できた。しかし全ての柱が丁寧に彫られている訳ではなかった。幾つかの彫刻柱は雑につくられていて、大樹の枝を立てているだけのものもあった。

「急いで作ったのかもしれないな」とテアが言う。

「死者の像をつくっている余裕が無くなった?」

『大量の死者が一度に出たのかもしれない』

 カグヤの操作する偵察ドローンが何処からともなく飛んでくると、立ち並ぶ無数の彫刻柱の間を飛行する。

「この場所のことは?」

 私が訊ねるとテアは頭を振った。

「知らなかった。この辺りに来たのも初めてだ」

「混沌の領域の側で暮らしていた人間がいたみたいだな……」そう呟いたときだった。森の奥から獣の呻き声とも、女性の悲鳴ともつかない奇妙な叫び声が聞こえたてきた。

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