第401話 異界


「まずは通信装置の設置だな」

 ベルトポーチから円盤状の装置を取り出すと、部屋の中央に設置されているリング状の『門』に近づいた。どのような原理なのかは分からなかったが、まるで『空間転移』の為の『門』を開いているときのように、装置の内側には異界の領域が広がっていた。

 門に近づいたからなのか、装置の周囲に多数の警告表示のホログラムが投影され、天井に収納されていた自動回転砲塔を備えた攻撃タレットが二基、展開してゆっくりと私に砲口を向けた。銃器には詳しくないが、その砲口を見る限り、商人の搭乗する大型ヴィードルぐらいなら簡単に破壊できる火力がありそうだった。


「カグヤ?」と、その場にピタリと立ち止まりながら私は言う。

『考えも無しに装置を焼こうとしたからだよ。レイはシステムによって危険人物に指定されてる』

「何とかならないのか?」

『待って……ん、これで大丈夫。もう変なことはしないでね』

 自動攻撃タレットが天井に収納されたのが確認できると、私はホッと息をついて、それから装置の前に立った。

「それで、どうすれば良い?」

『門の側に通信装置を設置して』

 手に持っていた円盤状の装置を床に置くと、円錐型の通信装置に変化する。

『その通信装置の差込口に、このケーブルを繋げて』

 ドローンの機体から伸びてきたフラットケーブルを、通信装置に繋げる。その際、ドローンに繋がっていたケーブルは切り離される。

『切り離したケーブルの尖端を、もうひとつの装置に繋げて』


「出来たよ」と、私は手に持っていた円盤状の装置を引っ繰り返しながら言う

『地面に接触した際に自動的に装置が起動するように設定しておいた。だから異界の領域に向かってその装置を適当に投げ入れて』

 カグヤの言葉に頷くと、荒廃した大地が何処までも続く領域に向かって円盤状の装置を放り込んだ。こちら側の通信装置とケーブルで繋がっていた銀色の装置は、空間の歪みを通過する際に、特に何かの抵抗を受けることもなく、ざらざらとした赤茶色の砂の上に落ちた。そして熔けだすように銀色の液体に変化すると、円錐型の通信装置に変化していった。


「カグヤ、通信状態はどうだ?」

『今のところは問題ないかな……信号はちゃんと送られてきている。あとはドローンを侵入させて、リアルタイムに操作指示を受けつけてくれるのか確認するだけ』

「大丈夫なのか?」

『ドローンに影響がでないのかってことなら、問題ないよ。でも操作を受け付けなくなって、落下する可能性があるから、コードを握ってて』

 機体から細長いコードが飛び出すと、私はそれを手首に巻いた。

 重力場を使って浮遊していたドローンが、門の内側にある空間の歪みに入っていく。しかし機体に変化が生じたようには見えなかった。相変わらず機体は浮遊し続けていた。


「状況に変化は?」

『問題ないよ。タイムスケールにも変化はないみたいだね。ドローンからの情報はリアルタイムに受信できているし、問題なく機体の操作が行えている』

「それは良いニュースだな」と私は素直に喜んだ。「それで周囲に敵対的な生物は確認できるか?」

『敵対と言うより、この荒野では生物の存在がまったく感じられないんだ』

「見た目通りの世界ってわけか……」とイーサンが言う。「環境の方はどうだ?」

『大丈夫。酸素もあるし、危険なガスも発生してない。人間が問題なく生きられる環境だよ』

「それなら、俺たちもさっさと仕事を片付けよう」イーサンはそう言うと、リング状の装置から伸びる太い根に躓かないように注意しながら、装置に近づいてきた。

「そうだな」と私も頷く。「カグヤ、警備用ドローンはこの場に残していくから、門の周囲を警備させてくれ。天井に攻撃タレットがあるから、人擬きの襲撃くらいなら何とかなると思うけど、この奇妙な根に反応しないことが気になる」

『了解。攻撃タレットのシステムにも侵入したから、私の操作で手動射撃が行えるように設定を変更しておく』


「行こう、ハク」

 根を突っついて遊んでいた白蜘蛛が隣にやってくると、私はハクと共に空間の歪みを通って異界の領域に向かう。装置の内側で発生している歪みを通過する際には、まるで水中に落ちていくような僅かな抵抗と共に、服を通して肌に冷たい膜が触れる感覚がした。しかし痛みは無く、身体に違和感を覚えるようなことも無かった。

「不思議だな」そう言って振り返ると、円形のガラス板にも似た朧気な亀裂が、何も無い空間に浮かんでいて、こちらにやってくるイーサンの姿が見えた。


『ふしぎだな』ハクは私の真似をすると、空間の歪みに脚をいれ、空間を通過する際に生じる感触を楽しんでいた。

「本当にゴーレムを使わないで異界の領域に来られるんだな」

『ゴーレムって、兵器工場の地下にあったやつ?』とカグヤが言う。

「そうだ。混沌の監視者とか呼ばれていたゴーレムだ」私はそう言うと、荒野に視線を向ける。「それにしても、この世界はひどいな」

『うん。なにも無い』


 巨大な奇岩があちこちに転がっていて、大地は赤茶けた砂に覆われていた。そして乾燥した風によって舞い上がった砂が視界を悪くしている。空は青朽葉色で、低い位置に立ち込める灰色の雲からは、青白い光が筋のように差し込んでいた。

「確かに息はできるが、人間が生きるには過酷な世界だな」

 イーサンはそう言うと、フェイスマスクの設定を変更し、シールドの薄膜で頭部全体を覆うようにした。マスクに使用されている技術は、ペパーミントが指輪型のシールド生成装置を解析して得られた研究データをもとにしたものだった。マスクから発生するシールドの薄膜は、銃弾を弾くことはできなかったが、汚染物質や有害なガスに対して高い効果を発揮する。


 荒野に視線を向けると、視界の届かないずっと遠い場所から、空間の歪みに向かって真直ぐ伸びている根が確認できた。イーサンはその根の側にしゃがみ込んだ。

「この泥で出来た根に沿って歩けば、肉塊の化け物の本体に辿り着けるんだな」

『断言はできないけどね』とカグヤがイーサンに答える。

 ふと砂煙の向こうに現れた巨大な黒い影を見ながら私はカグヤに訊ねる。

「ひとつ気になるんだ」

『なに?』

「瀬口早苗が率いた探索隊は、恐竜の化石が転がる洞窟のような場所を数日の間、移動していたけど、俺たちはどうして何の前触れも無く荒野に立っているんだ?」

『門を発生させる場所を変更したのかも』

「変更? 誰がそんなことをしたんだ。まさか肉塊の化け物じゃないよな?」

『あの生物に機械を操作する知識があるとは思えない』


「瀬口早苗だな」とイーサンが言う。「彼女もこの世界に来ていると思うか?」

『うん。肉塊の化け物に追われていたからなのか、それとも何か他の特別な理由があったのかは分からないけど、でも彼女はこっちの世界にやってきている』

「やれやれ」

 イーサンはそう言って溜息をつくと、胸元から煙草のパッケージを取り出した。そしてマスクを装着していたことを思いだして、もう一度深い溜息をついた。


 直径が一メートルほどはありそうな太い根に沿って我々は荒野を歩いた。何処まで歩いても荒廃とした赤茶色の大地が続くだけだった。

 何も無い荒野にうんざりして、気を紛らわせようとしてハクとしりとりをしながら歩いていると、視線の先に昆虫の翅のようなものが数え切れないほど地面から突き出している奇妙な場所に辿り着く。まるで森の樹々のように立ち並ぶそれらの半透明の翅には、昆虫特有の翅脈までしっかりあった。

 イーサンは三メートルほどの高さがある翅を仰ぎ見ながら言った。

「大きな翅だな。地中に昆虫でもいるのか?」

「そうだとしたら、数千匹の得体の知れない巨大な昆虫が、俺たちの足元に埋まっていることになる」

「それは想像したくない光景だな」

 私はイーサンに同意すると、翅の森を迂回するように歩いた。

 翅の森を横断する泥の根に再会するには、それなりの時間が必要になったが、危険を冒す必要はなかった。


 そうしてまた一時間ほど歩くと、ずっと遠い場所に赤茶色の砂に覆われた石造りの建造物が悠然と建ち並んでいるのが見えた。それらの建築物の中には山のような巨大な城があって、それは息を呑むほど美しく、また圧巻だった。数百メートルほどの高さがある城の天辺には、たまねぎのようなドームがのっていて、雲間から差す光を浴びて金色に輝いていた。

 この地には確かに文明の跡があったが、それを残した何者かの姿を見ることは無かった。けれど奇妙なことに、遠くに見えるそれらの建物内には篝火が灯されているのか、ぼんやりとした明かりが建物の隙間から漏れ出ているのが確認できた。しかし触らぬ神に祟りなしだ。我々はその遺跡に近づくことは無かった。


 そして奇妙な行列にも遭遇した。それを最初に見つけたのはハクだった。砂色の奇岩が立ち並ぶエリアから、数百体の人型の生物が列をつくってこちらに向かって歩いてくるのが見えた。三メートルほどの体高を持つ象牙色の肌をした生物には、頭部が無かったが、確かに人間のように左右対称の腕と足がついていた。

 その人型の生物は、目の覚めるような群青色の布を身体に纏っていて、枯れ枝のような細い二本の腕には、磨き上げられた白銀の大皿がしっかりとのせられていた。そして驚くことに、全ての生物の腹は縦に裂かれていて、そこから飛び出した腸が白銀の大皿にどっさりとのせられていた。しかし痛みを感じないのか、生物はそれを気にすることなく、迷いの無い足取りで荒野を歩き続けていた。

「ハク、あれは敵か?」

『ううん。ちがう』ハクはそう言うと、奇岩に跳びのって周囲に遊べるものが無いか探していた。


 しばらく緊張しながら歩いたが、結局なにも無い荒野が延々と続く退屈な時間に戻っただけだった。

「カグヤ、地上に向かったミスズたちの状況は?」

 カグヤの操作するドローンは私の周囲をぐるりと飛行する。

『そろそろ日が昇る頃だから、出発する準備を進めているみたい』

「子供たちの様子は?」

『問題ないよ。幼い子たちはぐっすりと眠れている』

「そうか……大猿からの襲撃はあったのか?」

『あったよ。でも部隊の脅威にはならなかったみたいだけどね』

「それなら、俺たちが必要以上に心配することは無さそうだな」

『そうだね。それにペパーミントが輸送機で迎えに来てくれるみたいだから、帰りも問題ないと思う』

「地上は吹雪いていなかったか?」

『輸送機は重力場を利用して飛行しているから、雪や風の影響は受けないよ』

「そうだったな――」そこまで言うと、私は口を閉じた。

『どうしたの?』

「あれはキノコだよな?」


 視線のずっと先に、三十メートルほどの高さがあるキノコが生えているのが見えた。それはタマゴタケのような大きなカサをもつキノコで、柄の周囲には地中から飛び出した菌糸のようなものが樹の枝のように広がっていて、それらには透明な皮膜を持った琥珀のような球体がビッシリと貼り付いていた。

『すごく大きいね』と、カグヤが率直な感想を口にした時だった。

 巨大なカサを持つキノコが、巨体を持ち上げるようにしてゆっくりと動きだした。太い枝にも似た菌糸が昆虫の脚のように動き、周囲に砂煙が立ち込める。その際に生じた大きな揺れで倒れないように、私とイーサンはその場にしゃがみ込んだ。

「やつはこっちに来るみたいだけど、俺たちを襲う気はないよな」

 イーサンの言葉に私は頭を振る。

「あの巨大生物からは敵意が感じられない。あれが動き出したのは、俺たちを襲う為じゃなくて、あの砂嵐から逃げる為なのかもしれない」

 そう言って私はキノコの背後を指差した。そこには空を覆い尽くすほどの巨大な砂の壁が立っているのが見えていた。

「俺たちも逃げないとマズいことになるぞ」


 私はさっと視線を動かして、どこかに身を隠せる場所がないか探した。

『いえ、ある』と、五メートルほどの高さがある奇岩の頂上にいたハクが言う。

 ハクの脚が指した方向に視線を向けると、遺跡などで見かける石組構造の小さな構造物が見えた。先程までそこに存在していなかったものだったが、背に腹は変えられない。私はハクを近くに呼ぶと、イーサンと共に灰色の構造物に向かって駆ける。

「俺が先行する」

 イーサンはそう言うと、ライフルを構えながら石組みの構造物に侵入していった。

「クリア、建物内は安全だ!」

 イーサンの声が聞こえると、私とハクは構造物に入っていった。


 塵と砂が風に舞う石室に視線を向けると、天井から落下したと思われる巨石が転がっているのが確認できた。

「もぬけの殻だな……」

『くさい』ハクがそう言うと、私は無意識にフルフェイスマスクを操作して、石室内の匂いを嗅いだ。

「確かに酷い臭いがするな」と私は顔をしかめながら言う。

 巨石を隙間なく重ねてつくられた建造物の内部には何も無く、風と共に侵入してくる砂が舞っているだけだった。しかしハクが言ったように、石室には酷い臭いが立ち込めていた。鼻につく獣脂の臭い、それに生臭い血液の臭いだ。


「鳥籠に肉を持ち込んでいる猟師の小屋に入ったことがあるが、まさにこんな臭いがしたよ」とマスクを操作しながらイーサンが言う。「獲った獲物の皮を剥いで、解体する為に小屋をつかっていると、こんな臭いが小屋に沁みつくんだ」

 さっと視線を動かすが、生物を解体した痕跡は見つけられなかった。

「この場所を巣のように使っている生物がいるのかもしれないな」

 イーサンはそう言うと溜息をついた。


 ハクの糸で入り口を塞ぐと、我々は吹き荒ぶ風の音を聞きながら砂嵐をやり過ごすことにした。私はハクに寄りかかるようにして地面に座ると、ミスズから受信する情報を確認していた。どれほどの時間そうしていたのか分からなかったが、ハクがピクリと動くと、私も一緒に立ち上がった。

「何かあったのか、ハク?」

 白蜘蛛は無言で地面を掘り、そして地中に埋まっていた気味の悪い骨を見つけた。イーサンも異変に気がついたのか、驚きながら立ち上がる。

「どうなってる?」

 イーサンの言葉に私は頭を振る。

「どうやら俺たちは何かが埋葬されている墳墓に入り込んだみたいだ」

 赤黒い骨を見ながら、私はそう言った。

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