第277話 罠 re
物音ひとつしない静かな廊下を歩いていると、ドローンの自己診断機能を使って機体のチェックを行っていたカグヤの声が内耳に聞こえた。
『大丈夫みたいだね。何度も確認したけど機体に異常は見られないし、バックドアみたいなモノが仕掛けられた形跡もない』
「そうか……」安堵感から、思わず溜息をついた。
「ブレインたちの目的が何にせよ、ドローンのシステムに侵入しようとしたのは、あまり賢いやりかたじゃなかった」
『そうだね……それにしても、不気味な生き物だったね』
「俺たちと同じ言葉を話して、同じように物事を理解して、そして同様の感性を持っているかのように振舞っていた。けどあれは人類に気に入られるための〝ロールプレイ〟をしているだけで、人間のような感情は持ち合わせていないのだろうな」
『ブレインたちはずっと人間のフリをしていたってこと?』
「ああ、子どもや女性、それに老人の声色まで使って、巧みにキャラクターを演じていた」
『上手く説明できないけど、ブレインたちから感じていた奇妙さの正体は、人間を模倣する姿が原因だったのかな?』
「そうなのかもしれない」
『人間すらも、かれらの研究対象だったのかもしれないね……』
「ブレインたちがどうして人間の真似事をしているのかは分からない、ただの暇つぶしなのか、それとも馬鹿げた性質の
『〈データベース〉がブレインたちをこの施設に監禁しているのも、それなりの理由があるのかもしれないね』
通路の先に視線を向けると、自律型掃除ロボットのことを突っ突いて遊んでいるハクの姿が見えた。掃除ロボットはハクのことを無視していたが、掃除の邪魔をされていることに我慢できなくなり、胴体に収納されていた針のような突起物をハクに向ける。そして針の先端から微弱な電流を流しながらハクを攻撃する。
しかし電流を帯びた針がハクの脚に触れても、期待するような効果は発揮できなかった。ハクの執拗な突っ突きに堪えかねた哀れな掃除ロボットは、とうとう逃げ出してしまう。その掃除ロボットの逃げ出す姿が面白いのか、ハクは近くにいた別の掃除ロボットでも同じ遊びを始めてしまう。
『でも結局』とカグヤが言う。
『私たちも目的だった施設の研究データは得られなかったね』
「ブレインたちに頼めば、研究に関する情報が保存されている装置の所在を教えてもらえたかもしれない」と、逃げてくる掃除ロボットを避けながら言う。「でもブレインたちが管理しているシステムに接続するのは、今の段階ではさすがに危険だと思う」
銅板に似た板を抱えていたマシロが飛んでくると、私に板を手渡した。マシロがそれを私に差し出した理由は分からなかったが、とりあえず板を受け取って脇に抱えた。マシロはそれを確認すると、触角を揺らしながら掃除ロボットを捕まえに行った。
『ブレインたちがデータに罠を仕掛けているって思ったの?』
「すべてのブレインが俺たちに対して何かを企んでいるとは考えていないけど、俺たちを利用しようとしていたブレインがあの場にいたことは確実だ」
『たしかにそうなのかも……警備システムを操作できることも、彼らは隠していたしね』
「ブレインたちが攻撃してこなかったことが、唯一の救いだな」
『あげる』
そう言ってマシロが差し出した掃除ロボットを片手で受け取ると、笑顔で感謝した。マシロがハクを追いかけて通路の先に飛んでいくのを確認したあと、哀れな掃除ロボットをそっと絨毯におろした。
『レイは、ブレインたちに攻撃されると思ったの?』
「ああ、だから一刻も早くあの部屋から出たかった」
『どうして?』
「俺たちが立っていたのは、空間の歪みによって拡張されていた部屋だった。ブレインたちが空間を閉じてしまったら、俺たちがあの部屋から出る術はなかったと思う」
『ブレインたちがそこまですると思ったの?』
掃除ロボットが壁のそばに用意されていた充電装置に向かうのを見届けてから、質問に答えた。
「それは分からない。でもだからこそ、あの部屋には長居したくなかった」
『それで……あの奇妙な生物のことは、このまま放っておくの?』
「いや」と頭を振る。
「彼らの望み通り、研究を手伝ってもらおうと考えている」
『研究?』
「ああ。さすがに兵器や、それに準ずる遺物を弄らせるのは怖いから、まずは〈光輪〉を調べてもらおうと考えている」
『〈光輪〉って、大樹の森で倒した〈混沌の化け物〉が残していった遺物のこと?』
「そうだ。ペパーミントとハカセも研究しているようだけど、成果は何も得られていないからな」
『文字通り、脳の助けを借りるんだね』
彼女の言葉に肩をすくめる。
「ブレインたちを喜ばせるかもしれないけどな」
『でも、それってすごく危険なことじゃない?』カグヤが不安を口にする。
『あの〈光輪〉が武器になるような遺物だったら、どうするつもり?』
「たしかにブレインたちのことは信用できない。だから警備システムの管理権限をブレインたちから奪取したあとに、研究を手伝ってもらうつもりだ」
『警備システムか……そうだね。それが一番安全かもしれない』
「〈バイオジェル〉は何処にも行かないからな、まずは警備室を調べよう」
『了解』
相変わらず通路の天井付近を巡回するドローンの姿は見られたが、施設に人の気配は感じられなかった。当然のことだけれど、静かな廊下から聞こえてくるのは、我々が立てる微かな足音と話し声だけだった。
「施設では今も何か重要な研究が続けられているのかもしれないな……」
『ブレインたちに確認すればよかったね』
「そうだな。場合によっては、その研究を――」
『レイ』カグヤが私の言葉を遮る。
「なんだ?」
『地上にいるウミから通信が来たよ』
「つないでくれるか」
『うん』
『レイラさま』
ウミの凛とした声が聞こえる。
『森の民の接近を確認しました』
ウェンディゴから受信していた地上の映像を確認しながら言う。
「敵対する部族の人間か?」
『いえ、これから合流する予定だった〈蟲使い〉の集団です』
受信した映像には女性だけで編成された蟲使いの部隊が映り込んでいて、その中には浅黒い肌をした美女がいた。彼女はかつて沼地に存在していた部族を束ねる族長でもあった。
「探索に時間をかけ過ぎたみたいだな……」
『いかがいたしましょうか?』
「俺たちの到着が遅かったから心配して迎えに来てくれたのかもしれない。ウミに手間を取らせることになるけど、彼女たちをそこで引き止めてくれないか?」
『承知しました。すぐに彼女たちと話をつけてきます』
「ありがとう、ウミ。俺たちもすぐに戻るよ」
ウミとの通信が切れると、カグヤが警備室への移動経路を表示してくれる。嫌な視線を感じたのは、拡張現実で表示される地図を確認していたときだった。
施設内を素早く移動するためにエレベーターを使っているときも、不気味な視線を何処からか感じることがあった。無人の施設で感じる視線が錯覚だということは理解しているつもりだったが、しかしそれでも粘りつくような視線に不快な思いをしていたのは事実だった。
『ブレインたちにまだ見張られているのかな?』
「わからない。けどそれだけじゃないような気がする」
『この建物に何か潜んでいる?』
「異界の遺物は、〈混沌の領域〉との接点をつくり出すとマーシーが言っていた」
『そう言えば、展示室は異界の遺物で溢れていたね』
「だから混沌に深く根づいた化け物が潜んでいても不思議じゃない」
『なんだか怖くなってきたよ』
「同感だ」
警備室の前には起動した状態の〈アサルトロイド〉が静かに佇んでいた。女性を思わせる優美なフォルムを持つ黒鉄色の機械人形だったが、戦闘を主目的に開発された機体で、戦闘能力が非常に高く、旧文明期には軍の施設や軍事基地を警備するために使われていた。
その〈アサルトロイド〉は、文明崩壊の一因になったとも言われている混乱期に、政府によって世界各地に派遣されていた。珍しいことだったが、廃墟の街でも機体の残骸を見かけることがあった。
ちなみに混乱期に行われた戦争がどのようなものだったのかは分かっていないが、機械人形を派遣した政府が、人類全体を管理していた〈統治局〉という組織だということは分かっていた。もっとも、それが分かったからといって我々にできることは何もなかった。
通路の先にあらわれた〈アサルトロイド〉に視線を向けながらカグヤに訊ねた。
「俺たちを攻撃してくると思うか?」
『大丈夫だよ。施設の警備システムは私たちのことを敵だと認識していない』
機械人形の頭部、フェイスプレートの奥にはまるでギリシャ神話の生物、キュクロープスを思わせるひとつ目が見えていた。もちろんそれは瞳ではなく、赤く発光するメインカメラのレンズだった。そのカメラアイを見つめながら警備室に近づく。いつでも射撃ができるように警戒しながら進んだが、それは杞憂だった。
警備室に入ると真っ白な壁が目に入る。周囲の景色が映り込むほどに綺麗に磨かれた壁には何も表示されていなかったが、我々が部屋に入るのとほぼ同時に部屋の照明がついて、壁に向かってホログラムが投影される。
壁を埋め尽くすように投影されたホロスクリーンには、施設の各所に設置されていた監視カメラの映像が表示されていた。トイレの個室内を監視するための映像を見る限り、おそらく施設のすべての部屋に監視カメラが設置されているのだろう。〈バイオジェル〉が保管されている倉庫も確認できた。
〈バイオジェル〉の容器が金属製のコンテナボックスにぎっしりと収められていて、その箱は部屋を埋め尽くすほど積まれていた。
我々が施設の出入りに使用した屋上付近の映像や展示室、それに研究室や資料が保管されている部屋の映像も確認できた。しかしブレインたちの水槽が設置されている部屋の映像は何処にもなかった。管理者権限がなければ見られないように設定されているのかもしれない。
白い部屋の中央に置かれたデスクに近づく。それは警備室に用意されていた唯一のデスクでもあった。施設の管理に使用される電子機器の類は部屋の天井から吊り下げられていて、操作パネルはそのデスクにのみ設けられていた。
『これだけの施設をひとりで管理していたのかな?』
「人工知能の手助けがあったのかもしれないな」
座席に腰を下ろし、コンソールパネルを見つめる。ハクとマシロも私のそばに来ると、コンソールパネルをじっと眺めた。数十年ぶりに注目の的になったコンソールに、カグヤがドローンを使ってスキャンを行う。
『レイに管理権限を譲渡するために、〈接触接続〉をする必要があるみたい』
操作パネルのすぐ横に設置されていた四角い出っ張りが左右に開くと、人の手の形をした赤い窪みがあらわれた。
「危険性は?」生体認証のための装置を見つめながら訊ねる。
『〈データベース〉によって管理されているから危険性はないと思うけど……でも、管理権限の低い装置に侵入して、短い時間だけ〈データベース〉を欺くことはできる。実際に傭兵団を率いるイーサンが、システムを騙して地下施設から大金を奪ったことがあるくらいだからね』
「ブレインたちが何かを仕掛けている可能性があるってことだな?」
『うん……』
「それなら危険を冒さない方がいいな」
『諦めるの?』と、カグヤがすぐに返事をする。
「得体の知れない連中を相手にしているからな、無理はしないほうがいいのかもしれない」
『試したいことがあるの』
「なんだ?」
『レイがずっと持ち歩いている個人的な端末があったでしょ?』
「ああ」
『端末が壊れちゃうかもしれないから、耐久性のある指輪型端末に大事なメールを含めて、すべてのデータを転送したでしょ?』
「そうだな」
彼女の言葉にうなずくと、使わなくなった情報端末を取り出した。
『その端末を、システムに接続する際の中継器に使用する』
「危険を検知するための盾にするのか……安全性は?」
『端末で異常を検知した時点で接続を切断するから、レイと私に影響はない』
「大丈夫なんだな?」
『うん、信じて』
溜息をついたあと、カグヤに訊ねた。
「どうすればいい?」
『端末を握った状態で接触接続を行って、あとは私が引き受ける』
「分かった」
左手で端末を握ったあと、右手を赤い窪みにそっと重ねた。その時だった。端末が赤熱し爆散すると、右手に強力な電流が流れて
『レイ!』
ハクとマシロが驚いて駆け寄ってくるが、ハクたちを心配させないように手を振って答える。
「大丈夫だ。少し火傷しただけだ」
『ほんとに?』ハクが心配そうに言う。
「ああ。本当だ」
すぐに立ちあがると右手を見つめる。端末が赤熱した時点で手を離していたので、左手は無傷だったが、電流が流れた右手の皮膚は焼け
「カグヤ、そっちは大丈夫か?」
『うん、私は大丈夫。それに警備システムの管理権限もレイに譲渡された』
「そうか……何か異常はあるか?」
『ううん。凄まじい速度で異常を検知した〈データベース〉が、何層も障壁を張って不正侵入による攻撃を遅らせた。そのおかげでレイのプライベート端末に侵入された時点で接続を完全に遮断することができた』
「つまり無事だったんだな?」
『うん。不正侵入のさいに行われた攻撃が何だったにせよ、それは阻止された。端末は犠牲になったけど……』
「そうか」ホッとしながら息を吐き出す。
「なら何でカグヤは落ち込んでいるんだ?」
『……私の所為でレイが怪我をした』
「カグヤは悪くないよ。そもそもこいつはブレインたちが仕掛けた罠だ。気に病むことはないよ」
『うん……』
「それより」と、〈バイオジェル〉が保管されていた部屋の監視映像を見つめながら言う。「どうやらバイオジェルも初めから存在しなかったみたいだな」
ディスプレイに映し出されていたのは、保管室に溢れていた金属製のコンテナボックスではなく、武装した多数のアサルトロイドが、部屋の入り口に向かってレーザーライフルを構えている姿だった。
『バイオジェルも罠だったんだね』
「先にこっちに来て正解だったみたいだ」
私はそう言うと深い溜息をついた。
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