第192話 街 re


 鳥籠に続く大通りは、バリケードを築くようにコンクリートの厚い壁でふさがれていて、その周囲には多くの廃車が残されていた。多種多様な言語で落書きされたコンクリート防壁にはツル植物が絡みついていて、三十センチほどのムカデが悠々ゆうゆうと移動しているのが確認できた。


 こけに覆われひび割れが目立つ壁は、劣化具合から見てもそれが旧文明期の技術で築かれたモノではないことがハッキリと分かった。


 乗り捨てられたように放置されていた車両の間を歩きながら、我々は防壁に近づく。

「〈五十二区の鳥籠〉が築いた壁だ」と、すぐ後ろを歩いていたイーサンが言う。

「旧市街地を囲むようにして、コンクリートの壁が延々と続いている」


「今にも倒壊しそうな壁だな」

 率直そっちょくな感想を口にすると、イーサンの苦笑が聞こえる。

「〈ジャンクタウン〉みたいに、旧文明の技術が使われた壁が立っていると思ったのか?」

「製薬工場を抱える裕福な鳥籠だからな、強固な防壁があるんだと思っていたよ」


「工場の周囲には旧文明の技術で築かれた防護壁があるが、〈ジャンクタウン〉のモノより立派な壁じゃないな。レイの拠点を囲んでいる壁のほうが余程しっかりしている」


「ここの壁は――」ひび割れた壁の天辺てっぺんに視線を向ける。赤茶色にびた有刺鉄線が風に揺れているのが見えた。「五メートルほどの高さがあるけど、監視カメラも設置されていないし、壁の状態もいいとは言えない」


「鳥籠の人間が数年おきに補修しているみたいだが、壁だけでも相当な規模があるからな。補修が行き届いていないのが実情じつじょうだろう」

 イーサンの言葉にうなずいたあと、雑草に埋もれたヴィードルの残骸に視線を向ける。

「資産に余裕のある大規模な鳥籠でも、壁を管理することは難しいのか?」


「必要なのは補修のための人員だけじゃないからな。壁を補修するための材料や道具、それに補修を行う人間の護衛をしながら、壁の内側に侵入してくる人擬きや昆虫に対処しなければいけない」

「変異体の襲撃が続いているのか?」


「ああ、建設時には壁の内側にいた人擬きに対処したんだろう。それでも数年に一度、倒壊した壁から人擬きが侵入してしまうんだ」


「壁が崩れるのか……ずさんな仕事だったんだな」

「そうでもないさ」とイーサンは苦笑する。

「この壁は百五十年ほど前に建てられたモノだと言われているが、それでも壁としての役割をになっている」


「そんなに昔のモノなのか?」

「ああ。だから補修してもダメになるときはダメになる」

「鳥籠の人間は、新しい壁を用意するつもりはないのか?」


「すでにありますよ」と、周辺の警戒をしていたエレノアが言う。

「旧市街地の先に、鳥籠を囲むようにして壁が立っています」


「さらに壁で囲っているのか、俺たちはその壁を越える必要があるのか?」

「ないよ。その壁の向こうには製薬工場を中心にしてつくられた居住区画があるだけ。私たちの狙いは旧文明の地下施設なので、鳥籠までは行きません」


「この壁の向こうに行くだけでいいのか……。それで、どうやって壁を超えるつもりなんだ?」

 壁をび越えられるか考えてみたが、身体能力しんたいのうりょくが強化されているとはいえ、さすがに一度の跳躍ちょうやくで飛び越えられる高さではなかった。それにコンクリートの壁には出っ張りが少なく、毒を持つ昆虫に噛まれないように注意しながら登るのは大変に思えた。


「この先に抜け道がある。ついてきてくれ」

 イーサンの言葉にうなずくと、ワヒーラの近くで待機していたウミに声を掛ける。彼女は戦闘用機械人形の操作に慣れているのか、機械だとは思えないなめらかな動きで近付いてきた。


『ワヒーラが複数の動体反応を検知しました』

 フルフェイスヘルメットにも似た機械人形の頭部装甲に視線を向ける。

「敵は傭兵か?」

『単体で動きが遅く、また一箇所にとどまっている時間が長いので人擬きだと思われます』


 拡張現実で表示される索敵マップを開くと、人擬きの位置を確認する。

「数が多いな」

『はい。移動経路によりますが、何体か処理する必要があります』

「わかった。慎重に対処しよう」


 敵の位置情報をイーサンとエレノアの端末に送信する。二人はナイトビジョンの機能を備えたタクティカルゴーグルを装備しているので、端末を介してすぐに情報を確認ができるはずだ。


 鳥籠に雇われた傭兵や警備員に遭遇することはなかったが、いくつかの廃墟には彼らが詰め所として使用していた痕跡が残されていて、中身のない缶詰やプラスチック容器などのゴミが放置されていた。


 色がくすみ穴だらけになったマットレスを眺めていると、先行していたイーサンがハンドサインを行う。目の端で捉えた手の動きに反応して姿勢を低くすると、声に出さずに状況をたずねる。


『進路上に人擬きを二体確認した。レイのハンドガンで始末してくれるか?』

『了解、すぐに処理する』


 わりに使用されていた穴だらけのドラム缶の側まで行くと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いて、覗き込むようにして通りに視線を向ける。薄汚れた戦闘服を身につけた人擬きが立っているのが確認できた。どうやら相手は、感染して間もない脅威度の低い個体のようだ。


 秘匿兵器のシステムを操作して、ハンドガンを構えたさいにホログラムの照準器が浮かび上がらないように設定する。空中に投影される照準器は便利だが、暗い場所で使うには目立ち過ぎる。照準器のシステムをマスクに接続して、フェイスプレートの視界に直接レティクルが表示されるように変更したあと、人擬きに照準を合わせる。


 間を置かずに引き金を引くと、頭部に銃弾を受けた化け物が糸の切れた人形のように膝をグニャリと折り曲げて倒れるのが見えた。


 続けざまに射撃を行い、もう一体の人擬きも静かに処理する。銃声はほとんど聞こえないし、旧文明の鋼材を弾丸として使用しているので、薬莢が吐き出されることもない。だから薬莢が地面で立てる音を気にする必要もない。


「クリア、障害は排除した」と小声でつぶやく。

「ご苦労さん」イーサンはそう言うと、死骸の側まで歩いていく。

 私は索敵マップを開いて周囲に脅威がないことを確認したあと、彼のとなりに立つ。


「鳥籠が雇っていた警備員の成れの果てだな」とイーサンは言う。

「巡回警備している途中で、人擬きにやられて感染したんだろ」

「壁の外にも警備員を派遣しているのか?」

「今は夏だからな」

「季節が関係しているのか?」


 イーサンは死骸の側にしゃがみ込むと、タクティカルベストのポーチから予備弾倉を回収する。しかし彼らが装備していた小銃は何処にもなかった。


「この時期、廃墟の街では昆虫が大量発生するだろ?」と、彼は陥没かんぼつした排水溝から出てくるゴキブリを見ながら言う。「昆虫を餌にしている人擬きや危険な変異体が汚染地帯からやってくるんだ」

「あの深い霧の向こうから化け物がやってくるのか……」

「警備隊の連中が相手にしなければいけないのは人擬きだけじゃなくなるから、いろいろと大変なんだろ」


「だから多脚戦車を警備に使っていたのか」

「旧文明の防壁を持たない鳥籠だが、資金はあるからな」

「そう考えると、旧文明の技術で建てられた防壁を持つ〈ジャンクタウン〉は恵まれた環境にあるんだな」


 イーサンは人擬きの死骸から弾倉を回収しながら言う。

「深い森に囲まれてはいるが危険な昆虫は森の奥から出てこないし、汚染地帯が近くにないから脅威度の高い変異体を恐れる必要もない。たしかに〈ジャンクタウン〉はいい場所にあるな」


『ねぇ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『頼まれた場所の偵察をしてきたよ』


 目の前に急にあらわれた偵察ドローンに驚きながら彼は返事をする。

「助かったよ、カグヤ。それで検問所に警備員は何人いた?」

『詰め所に改装された廃墟には、いつでも出撃できるように大勢の警備員が待機してた。建物全体の確認はできなかったけど、それでも三十人はいたかな……情報を送信したから、そっちで詳細を確認して』


「重武装の警備隊員が三十人以上か……正面突破はあきらめたほうがいいな」

 イーサンの言葉に同意する。

「戦車とやり合ったのがやっぱりマズかったな」


『でも別の潜入方法も考えていたんでしょ?』

 カグヤのドローンはイーサンの周囲をぐるりと浮遊する。彼はわずらわしそうにドローンを手で払いながら答える。

「検問所の偵察を頼んだのは、もしものときに備えて警備員の正確な数を把握したかったからだ」


『もう少し近づけばワヒーラから詳細な情報が手に入ると思う』

「そうか」

『他に偵察が必要な場所はある?』

「俺たちの目の届かない場所をカバーしてくれ。とくに高い建物からの狙撃に警戒しなければいけないからな」

 彼はそう言うと、建物の上階に視線を向けた。


 高層建築物からは距離があったが、それなりの高さのある〈旧文明期以前〉の建物が乱立している。

『了解。適当に偵察してくるよ』

 カグヤの操作でドローンは〈熱光学迷彩〉を起動すると、夜の闇に消えていった。


 警戒しながら移動を続けると、外壁がなく鉄柱と床だけが残る崩れかけた廃墟が見えてくる。ツル植物が絡みつく建物の状況を確認しながらイーサンにたずねた。

「もしかして、この建物を使うのか?」


 イーサンはうなずいて、それから建物の上階を指差ゆびさした。

「つい最近、廃墟の街に地震があったのを覚えているか? この建物は地震のあと、すぐ近くにある壁を巻き込むようにして大きく崩れた。俺たちは建物の瓦礫がれきつたって、壁の向こう側に渡る」  


『近くに生命体の反応を多数確認しました』

 ウミの言葉に彼は冷静に答える。

「鳥籠の警備員だろう。連中だって馬鹿じゃないからな、壁に被害が出ていることは把握している」


「警備員は全員、殺すのか?」

「さすがに連中に見つからずに向こう側に渡るのは無理だからな。けど注意してくれ、ただ殺せばいいってわけじゃない。俺たちがこの場にいることを検問所の警備員に知られないように、静かに始末する必要がある」


「銃声を一発も鳴らさず、連中を殺さなければいけないのか」

「やれるか?」と、イーサンがニヒルな笑みを見せる。

『楽勝です』とウミが答える。

『なんなら私が全員始末してきましょうか?』


「申し出は嬉しいが、ここはチームワークで行こう。時間も節約できるからな」

 イーサンの言葉にうなずいたあと、我々は原形をとどめていない建物に侵入する。


 カグヤのドローンとワヒーラの索敵能力を使い、警備隊の人間と昆虫を選り分けると、音を立てずに次々と殺していく。敵の背後から近づきナイフを使用して殺していたが、やけに好戦的なウミは、〈旧文明期以前〉のアクション映画の主役のように、警備員の首を軽くひねり、骨を折って軽々と殺していった。


『ハクもそうだけどさ』と、カグヤの声が聞こえた。

『うちの子たちって、みんな好戦的だよね』


『強さが求められる文明崩壊後の世界だからな。それは仕方ないんじゃないのか?』

 声に出さずにそう言うと、警備員の無防備な喉笛にナイフを突き立てる。

『強さだけが求められる訳じゃないと思うけどな』

『たしかに狡猾こうかつさも必要だな』


 私は男の死体を床に横たえると、索敵マップを確認する。

『レイはそれが野蛮な考えだと思わない?』

『羊として長生きするよりかは、狼として一日を生きた方がマシだと思うけどな』

『嫌な世の中だね』


『この世界で生きてきて分かったことがある』

『なにが分かったの?』と、カグヤの優しい声が聞こえる。

『誰かに殴られたら、倍の強さで殴り返さなくちゃいけないってことさ』

『何それ』


 カグヤのがっかりした声が聞こえる。

『殴られて反対の頬を差し出すような人間は、死ぬまで殴られ続けることになる』

『マタイの福音書にそんなことは書かれていません』と、カグヤはきっぱりと言う。


『そうだな』と私は苦笑する。

『でも間違ってないだろ? 俺たちは〈五十二区の鳥籠〉を支配している人間から、訳も分からず散々さんざん好き勝手にやられてきたんだ。今度は俺たちがやり返す。それだけのことだ』


 ウミは虫の息だった警備員を階下に放り投げ、それから言った。

『終わりました』

『お疲れさま』

 それからイーサンと連絡を取る。

『そっちの状況は?』


『こっちも終わった』とイーサンの声が聞こえる。

『人数が多かったから手を焼いたが、なんとかなったよ』


『警備員の死体はこのまま放置しても構わないか?』

『ああ。付近に潜んでる昆虫がいい感じに処理してくれるはずだ。俺たちはこのまま先に進もう』

『わかった。上階で合流しよう』


 通信が切れると、ウミと一緒にワヒーラの移動経路を確保しながら建物の上階に向かう。強い風が吹いていて、き出しの鉄骨がきしむのが聞こえる。


 ふと外壁のない建物の向こうに視線を向けると、鳥籠の居住区画から煌々こうこうとした明かりが見えた。〈五十二区の鳥籠〉を見たのはこれがはじめてだった。まるでランタンの明かりのように、鳥籠が薄暗い廃墟の街をぼんやりと照らしている。


 集落と呼ぶにはあまりにも広大な区画が彼らの支配領域であり、旧文明期の建物に手を加え、そこで生活している人々の様子も確認することができた。


『すごいね』とカグヤが言う。

『本物の街みたいだ』


「けど、俺たちの目的地はあそこじゃない」

 私はそう言うと遠くに見える鳥籠から視線を外した。

『うん……でも、爆弾を落とさなくてよかったね』

「ああ」

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