第185話 蟲使い (サクラ) re


 武装集団との間に起きた戦闘は、ひとりの負傷者も出すことなく無事に終えることができた。敵対者の目的は我々の拠点に対しての襲撃ではなかったようだが、攻撃を受けた以上、戦闘を避けることはできなかった。戦いが終わると、我々は使えそうな装備を手早く回収してから死体を焼却処分した。


 拠点に戻ると、コンテナに積んでいた作業用ドロイドや荷物整理をミスズたちに任せ、私は地下にある医療施設に向かうことにした。


 赤毛の〈蟲使い〉は病室のベッドに座ったまま、壁面パネルに投影されていたホログラムをぼんやりと眺めていた。そこには夕陽によって蜜柑色みかんいろに染められた街の様子が映し出されていて、街のあちこちに人の姿が確認できた。ホログラムで投影される街には、現在の廃墟の街に存在しない活気があった。


「綺麗……」

 サクラがぽつりとつぶやくのを聞きながら、ベッドの側に置かれていたイスに座る。

「ずっと昔の映像だよ。文明が崩壊するずっと以前の映像」

「人がいて瓦礫がれきに埋もれていない街は、こんなにも綺麗だったんだね」


「ああ、それに平和だった」

「平和?」と、彼女は天色あまいろの眸で私を見つめる。

「争いのない世界だよ。ひとりで出歩いても略奪者に襲われる心配をする必要がなくて、人擬きの襲撃におびえることもなかった世界のことだ」


「人擬きのいない世界か……そんな世界があるなんて想像もできない」

 ホログラムをじっと見つめるサクラの横顔を見ながらたずねた。

「サクラは何のために横浜まで来たんだ?」


 すでに自分が置かれている状況を聞かされていたのだろう、サクラは視線をせる。

「おげがあったの」

「それは知っているよ。神さまの声が聞こえるんだろ?」

 サクラは私のことをにらんだが、その言葉に悪意がないと分かると、また目をせた。


「それで」と私は言う。

「そのお告げの内容をいてもいいか?」


「詳しいことは話せないけれど……」と、彼女は申し訳なさそうに言う。

叔母おばさまが言うには、森の外に――廃墟の街に暮らす〈異邦人いほうじん〉のなかに、空から降ってくる声を聞くことのできる人間がいて、その人間が私たちを救うことができるって」


「空から……? それがお告げの内容なのか?」

「違う。お告げはもっと具体的だった。けど私には理解できない難しい言葉がたくさん使われていた」


「サクラもそのお告げを耳にしたのか?」

「うん。叔母さまは〈呪術師〉で、私にも同じ血が流れているから」

「呪術師か……。つまり〈母なる貝〉と話せる人間は、血筋で決まるのか」


『〈データベース〉に接続できる生体器官が――』と、カグヤが反応する。

『たとえば〈ニューラル・リンク〉のような、ネットワーク接続型人工神経システムが子孫に受け継がれるように遺伝情報が操作されているのかな?』


 カグヤの質問に答えようとすると、サクラが困った表情を見せる。

「どうして〈母なる貝〉のことを知っているの?」

「情報通の知り合いに聞いたんだ。ちなみに、その知り合いはサクラの母親から依頼を受けて、君の行方ゆくえさがしていたんだ」


「お母さまが?」

「ひとりで横浜まで来たのは本当なのか?」

「本当よ」とサクラは言う。

「それがなに?」


「よく無事でいられたな」

「最悪な旅だった」と彼女は顔をしかめた。

「でも私には彼がいてくれるから」


「彼……? あぁ、あのカブトムシの変異体のことか?」

「変異体じゃない!」と彼女は声をあらげる。

「そうだったな。すまない」と、素直に謝る。

「蟲使いについてよく知らないんだ」


「蟲使いを知らない?」とサクラは赤髪を揺らす。

「私たちが森の住人だからって馬鹿にしないで。死人が彷徨さまよう廃墟でしか生きられないくせに!」


「サクラのことを馬鹿にしたつもりはないよ。そもそも、君を野蛮人のように扱っていないだろ?」そう言って病室を見回す。サクラは危険とは程遠い安全な病室にいて、清潔なシーツが敷かれたベッドで寝むり、清潔な服を着ていた。

「それに、俺もハクと一緒に行動しているから、相棒が化け物のように扱われることを許せない気持ちは理解しているつもりだ」



「ごめんなさい……」とサクラは言う。

「ここまで来るのに、すごく大変な旅だったから……」

「想像できるよ」


 廃墟の街でカブトムシを連れた女性に出会い、それでも親切にしてあげられる人間がこの世界にどれほどいるだろうか。廃墟に住む人間は巨大な昆虫の恐ろしさを嫌というほど知っている。そんな危険な昆虫と一緒にいる人間に関わろうとする人間はいない。


 それに、この世界の住人は元々そんなに優しくない。自分たちの生活で精一杯で、誰かに親切にしてあげようなんて思う人間はいない。あるいは邪険じゃけんに扱われたことをサクラは喜ぶべきだったのかもしれない。


 女性のひとり旅で無事でいられたのは、たしかに昆虫のおかげなのだろう。サクラが昆虫を連れた〈蟲使い〉でなければ、彼女は廃墟に巣くう略奪者の集団に捕まり強姦され、殺されたあとに人擬きの餌にされていた可能性もあったのだから。


いてもいいか?」

「なに?」

「特定の血筋を持つ〈呪術師〉だけが〈母なる貝〉の声を聞くことができるんだよな」

「そう。でも家族だからってみんなが同じように声が聞こえるわけじゃない。私のようにハッキリと聞き取れる者もいれば、まったく聞こえないって人もいる」


「サクラは何が特別なんだ?」


「私は……」と彼女は天井を見つめる。

「わからないけど、お母さまにも見えない文字が私には見えるの。もしかしたらそれが関係しているのかもしれない」


「文字か、それはどんな風に見えるんだ?」

「視線の先に浮かんでいたり、モノに触れたときにも見えたりする」

「拡張現実で情報が表示されるのか……。どう思う、カグヤ」


『スキャナを備えた義眼を装着していないのは、すでに医療施設にある〈バイオモニタリングセンサー〉で確認してあるから、やっぱり遺伝情報を操作されていて、生まれつき生体器官を獲得している可能性がある』

「血筋で異なる反応をみせるのは?」

『遺伝情報が損傷していて、その器官に適応できる人間が減っているのかも』


 カグヤの言葉についてあれこれと考えたあと、サクラにたずねた。

「失礼な質問だと思うけど、サクラは文字が読めるのか?」

「読めるよ。〈森の民〉の全員が文字を読めるわけじゃないけど」

「視界に表示される文字は?」

「ううん、残念だけど読めない。私たちが知っている文字と違うんだ」


「インターフェースのことは知っているんだよな?」

「もちろん」とサクラはうなずく。

「儀式のあと、みんなの目に映るようになるから」


「儀式?」

「ツノをつけてもらうの」

 そう言ってサクラは赤髪の間から突き出ている金属製の突起物に触れる。


「その端末は昆虫を操るために使うものなんだよな」

「うん」

「なのにインターフェースに表示される文字は理解できないのか」


「〈感覚共有装置〉があれば昆虫とは心を通わせることができるから」

「蟲使いたちは網膜に表示される文字を理解せずに、それを使いこなしているのか?」

「そうだよ」


「わからないな」と私は頭を振る。

「つまり、蟲使いは直感だけで昆虫を操っているのか」


「それだけじゃないんだけどね」

 彼女は得意げに微笑むのを見ていると、カグヤの声が聞こえる。

『情報端末でも使われる適応型AIが使われているのかもしれないね。脳波で操作するから、難しい操作を覚える必要がないんだよ』


「深い森で暮らす人間にしては、ずいぶんハイテクなんだな……。その昆虫はサクラたちが生活する森で捕まえるのか?」

「他の鳥籠ではそうするみたいだけど、私たちの鳥籠では昆虫が相手を選ぶの」


「昆虫が? それなら、サクラはあのカブトムシに選ばれたのか?」

「すごいことなんだよ!」とサクラの声がはずむ。

「精神や身体からだの負担も大きいけど、カブトムシをしたがえることはとても名誉なことなんだ」


「負担? それはサクラが眠り続けていたことに関係しているのか?」

「そうだと思う」とサクラはうなずく。

「本当はしちゃいけないんだけど、すごく大変な旅だったから」


「何がいけないんだ?」と、私は辛抱強くたずねた。

「昆虫と長時間、心を通わせることだよ。お母さまにも注意されていたんだ。すごく負担が掛かることだから、本当に危険だと思ったときだけにしなさいって」


「接続による負担か……それは蟲使い全員がそうなるのか、それともサクラだけ?」

「そうじゃないんだけど……。カブトムシを従える者たちは、ほかの虫をしたがえる蟲使いよりも多くの負担を背負うことになるんだ」


「カブトムシを従える者か、他にもそんな人間がたくさんいるのか?」

「ううん、今はいない。私が暮らす鳥籠には私だけしかいなかった」

「そうか……。ところで昆虫を操る事と昆虫と心を通わせるのは違うことなのか?」


「まったく違うよ。操るって言っても、私たちが昆虫に何かをしてもらうときは、彼らが分かるようにツノを介して指示を出しているだけなんだ。だから昆虫が指示に従わないときもある。でも昆虫と心を通わせると、すべての感覚を昆虫と共有することができるようになる」


「感覚を共有することで、昆虫を意のままに操ることができるのか」

「うん。痛みも共有しちゃうけど、自分の目で見るように昆虫の眼を通して世界が見られるようになるし、モノに触れて感じることができる」


「それはあまり体験したくないことだな」

「どうして? とても素敵なことだよ。トンボを使役している人は空を自由に飛べるし、今ではほとんどいなくなっちゃったけど、タガメを使役していた人たちは自由に水の中に潜れて貴重な〈遺物〉をたくさん回収したりしてたんだよ」


 蟲使いが使用するツノは、文字通り昆虫になって動けるようになる装置のようだ。それがどんな感覚なのか想像するのは難しかったが、たしかに森で生活する人々にとって、それは守るべき貴重な技術のように思えた。


『他の鳥籠は昆虫に選ばれないって言っていたけど、血筋と何か関係があるのかな?』

 カグヤが疑問ぎもんに思っていることをサクラにたずねた。

「そんなこと今まで考えたこともなかったけど、たしかに私たちの部族だけは、昆虫を無理やり捕まえたりしない」


「でも他の部族の人間も、昆虫とつながるための端末は所持している?」

「うん。もうずっと昔のことだけど、私たちは元々同じ鳥籠で暮らしていたから」

「技術は共有されていたのか、だから〈森の民〉は誰でも蟲使いになれるのか?」


「でもね。あいつらは戦士になるための試練だとか言って、昆虫を捕えて無理やり端末を埋め込むの!」

「あまり好意的なことじゃないみたいだな」

「当然よ。他の部族との間で何度も争いが起きていたくらいだもん」

「今は争っていないのか?」


「ううん」とサクラは頭を振る。

「死人の街で暮らす〈異邦人〉が戦争を始めたから、私たちと敵対する部族の蟲使いたちは傭兵になって、お金を稼ぐことを優先している」


「だからあのとき、自分は襲撃者とは無関係だと言ったのか」

「うん。あんな野蛮な連中と一緒にされたくない」

「そうか……」


「それで」と、彼女は遠慮がちに言う。「教えてくれるの?」

「何を?」

「あなたは空から降ってくる声が聞こえるの?」

「空から降る声ね」


『それって、こういうことかな?』

 カグヤの声が感覚共有装置を介して聞こえたのだろう、サクラは天井に視線を向ける。

「誰なの?」


「たぶん、それが空から聞こえる声の正体だよ」

『端末を介して、特殊な周波数帯から声が聞こえていたんだよ。ちなみに私はカグヤだよ、よろしくね』


「カグヤ……さま?」

『母なる貝と違って、私は神さまじゃないから、敬称は必要ないよ』

「あの……カグヤさまはどこにいるのですか?」


「宇宙だよ」と、私は答える。

「そうだろ、カグヤ」

『たぶんね』


「空からですか!」

「宇宙ね」と、私は訂正する。

「でも、宇宙は空のずっと高いところにあるって〈母なる貝〉が言ってた!」


『それで』と、カグヤは興奮するサクラにたずねた。

『レイを見つけたけど、この先はどうするつもりなの?』

「私の鳥籠に来てもらいます」

『何のために?』


「聖域で〈母なる貝〉に会ってもらいます」

『会ってどうするの?』

「それは……分かりません」

『具体的に何をしてもらいたいのかも分からないのに、ひとりで横浜まで来たの?』


「森に異変が起きていて、それで……私には〈母なる貝〉の声が聞こえる。だから〈森の民〉を救うために、私にしかできないことをしたかった……」


『でもそれはサクラが命を危険に晒してやることじゃないと思う。サクラのお母さんだってすごく心配しているみたいだったし、あの時だって私たちに会っていなければ、眠ったまま人擬きにい殺されていたかもしれない』

「それはそうですけど……」


「森に異変が起きているって言うのも気になるけど、他にも気になることがあるんだ」と私は言う。「どうしてサクラは俺を探す気になったんだ?」

「横浜には大きな蜘蛛を使役している〈異邦人〉がいるって聞いて」

「本当にそんな噂が流れていたんだな」と思わず呆れる。


「蜘蛛を使役できるのなら、私たちみたいに昆虫と心を通わせることのできる人だと思ったの。それで、もしかしたら〈母なる貝〉とも関係があると思って……」

「空から降る声が聞こえる? 本当にそれだけなのか?」

「……鳥籠に来ていた女性に聞いたの」


「女性? 何を聞いたんだ?」

「横浜には、空から降ってくる声を聞くことができる人間がいるって……だからその人が蜘蛛を使役している人なんじゃないかって思ったの」


「出来過ぎた話だな」

『〈母なる貝〉の不調にレイの噂。そして森に異変か……たしかに偶然にしては出来過ぎている』と、カグヤも怪訝けげんに思う。


「その女性が誰なのか知っているのか」

「鳥籠に来た宣教師と一緒だった」

「宣教師? もしかして〈不死の導き手〉とか言う団体か?」


「そうだよ」とサクラは驚く。

「どうして分かったの?」


「俺に降りかかる災難のほとんどに、〈不死の導き手〉が関わっているからだ」

 私はそう言うと溜息をついた。

「でも嘘じゃない」


『それはどんな人だったの?』とカグヤがたずねる。

「金髪にあおい瞳を持つ女性でした」


「金髪に碧い目か……心当たりがあるな」

『うん。私もひとり知ってる』とカグヤが答える。

「マリーだな」

『うん。おそらく彼女だね』


「確証はないけど、最後に会ったとき彼女は教団の関係者が使う紺色の外套がいとうを着ていた」

『不死の導き手の関係者ってことは、マリーは森に暮らす人々に自分たちの教義を広めに行ったのかな?』

「初めて会ったとき、マリーは教団の人間には見えなかったけどな……」


『宗教の関係者っていうよりも、裕福なお嬢さまって印象だったよね』

「ああ、本当は何者なんだろう?」


「あの……いてもいいですか?」と、それまで黙っていたサクラが言う。

『もしかしてカブトムシのこと?』とカグヤが言う。

『あのカブトムシなら、ハカセが面倒を見てくれてるから大丈夫』


「ハカセ……ですか?」

『うん。サクラの体調がもう少し良くなったら、地上に会いに行けばいい』

「地上?」

『ミスズたちに聞いていたと思うけど、この病室は地下にあるんだ』


「地下……」サクラは理解していないのか、曖昧に返事をした。

『それと地上にはハクがいるからね。サクラのカブトムシが傷つけられることはないよ』

「ハクって、あの大きな蜘蛛のことですよね?」


『そうだよ。サクラのカブトムシと友達になったみたいで、よく一緒に遊んでる』

「あの子に友達?」とサクラは混乱しているようだった。

『でもあれは遊んでるって言わないか』とカグヤは苦笑する。

『サクラのカブトムシが大人しくしてる横で、ハクが跳び回ったり、一方的に話しかけたりしているだけだから』


「とりあえず今日明日はこの病室でゆっくりしてくれ」と私は言う。

「必要なモノがあったら言ってくれ、可能な限り用意するから」


 病室を出ようとすると、サクラが私に声をかけた。

「助けてくれて、ありがとう。あなたには必ず恩返しする。それで、私を助けてくれたことを絶対に後悔させない」

「後悔なんて初めからしてないよ」

 そう言って私は病室を出た。

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