第101話 事前調査 re
砲撃が止むと廃墟の街を支配する不気味な静けさが戻ってきた。私は数十キロ先でモクモクと立ち昇る深緑色の毒煙に視線を向ける。
「カグヤ、敵の様子はどうだ?」
しばらくの沈黙のあと、カグヤの声が内耳に聞こえた。
『周囲に立ち込めている毒ガスの
「これで襲撃は終わりだと思うか?」
『今の攻撃で砲撃部隊の後方に控えていた強襲部隊にも相当な打撃を与えたと思うから、襲撃者たちは当分の間は動けないし、撤退を優先に考えて行動すると思う』
「そうか……。それにしても、この襲撃はなんだったんだ?」
『わからないけど、とりあえず拠点に帰ろうよ。襲撃者の生き残りが何かを知っているかもしれない』
突風が吹いて
『した、いく?』
ハクは幼い声でそう言うと、私の肩を
「また頼めるか?」
『ん。レイ、つかまる』
太腿のホルスターにハンドガンを収めると、しっかりとガスマスクを装着しているか確認して、それからハクの背中、正確には頭胸部と腹部の間に乗った。ハクは私が乗ったのを確認すると、身体を深く沈めて空に向かって一気に
人擬きが暗がりでじっと
高層建築物を探索した当時はミスズと二人だけだった。けれど〈ヤトの一族〉が仲間に加わった今なら、
ハクが音もなく地上に着地すると、我々はそのまま拠点に向かって進んだ。ハクの背中はほとんど揺れを感じないし快適だったが、ハクに申し訳ない気持ちになった。ハクがまだ成体ではないと知っているから、罪悪感のようなモノがあるのだと思う。しかし当のハクは気にしていないのか、ミスズやジュリをよく背中に乗せて遊んでいた。
しばらく廃墟の街を移動していると、前方に〈ワヒーラ〉と並走するヌゥモの背中が見えてきた。ワヒーラの足には高速移動のための特殊なタイヤが取り付けられていたので、それなりの速度で走っていたが、ヌゥモは余裕でワヒーラについて行くことができていた。
ヤトの一族が人間離れした能力を有していることは知っていたが、
「レイラ殿、ハクさま」
ヌゥモは私とハクを見つけると、すぐに立ち止まった。それから胸の前で両拳を合わせると、我々に丁寧な挨拶をした。その挨拶の仕方はヤトの一族独特のモノで、今までも何度も見てきた
ヌゥモのとなりには、円盤型の装置を回転させる〈ワヒーラ〉が停車していた。
「ワヒーラの護衛、お疲れさま」
私がそう言うと、ヌゥモは頭を振って鈍色の髪を揺らす。
「いえ、問題ありません。それより敵はどうなりましたか?」
「片付いたよ」
「そうですか、レイラ殿は――」
私の後方に向けられたヌゥモの視線が気になって振り返ると、瓦礫の間に立っていた人擬きと目が合う。ボロ切れを身に
日の光を嫌う最古の人擬きと異なり、昼間でも頻繁に見かける個体で、建物に身を潜めて襲撃することがなく道路にぼうっと立っていることが多いので、比較的安全に対処できる人擬きでもあった。
ハンドガンを抜くと、ヌゥモが私の前に出た。
「お任せを、レイラ殿」
ヌゥモは異界から持参していた長剣を抜くと、人擬きに向かって駆け出した。ヌゥモはペパーミントから支給された黒を基調とした高性能なスキンスーツを着ていて、その上に市街戦用のデジタル迷彩が施された戦闘服を重ね着していた。
ちなみに戦闘服は防刃、防弾耐性に加えて汚染物質にも耐性がある高価なモノだったが、ペパーミントはヤトの一族全員に支給してくれていた。
人擬きは三体いて、我々の近くに立っていてもボンヤリと視線を
ヌゥモの振り抜いた刃は人擬きの脇腹に食い込んで脊髄を両断した。
次に襲いかかってきた個体は、薄汚れた戦闘服にボディアーマーを身につけた傭兵の成れの果てだった。人擬きとして覚醒して間もないのか、青白い皮膚や服に目立った汚れはなく、傷も首筋についた噛み痕だけだった。
ヌゥモは人擬きがめちゃくちゃに振り回した腕の攻撃を
最後の一体になった人擬きに私は視線を向けた。化け物は
ハンドガンの銃口を向けると、
ヌゥモの剣によって頭部を切断された人擬きの
我々が想像もできないほどの時間を生きてきた人擬きは変異を繰り返していて、複数の脳、複数の目や口、手足を持っているので頭部を切断したくらいでは安心することはできないのだ。
地面に転がる人擬きの頭部に銃弾を撃ち込んで止めを刺すと、切断されていた
「かたじけない」と、ヌゥモが言う。
「気にしなくていいよ。こいつらは特殊な兵器がなければ殺せないからな」
「異界でも人間の
「そうだな。俺もこいつがなければ、正直相手したくない化け物だよ」
私はそう言いながら握っていたハンドガンを眺めた。
我々は襲撃者の砲弾によってバラ
『面倒な置き土産だね』
カグヤは遠くに見えていた汚染物質を、私が見えるように拡大表示しながら言う。
「たしかに……これから〈ジャンクタウン〉に行くときには、それらの汚染物質に気をつけないとダメだな」
ハクを撫でると、黄緑色に発光する粘液状の物体を眺める。
『ハク、おでかけ、だめ?』
「ダメじゃないけど、ハクも毒に気をつけなくちゃいけない」
『どく?』
「そうだ。あとでちゃんと教えるから、それまでハクは巣にいてね」
『ハク、ごはん』
「俺の血でしばらく我慢してくれないか?」
『ん、わかった』
日の光を反射して白銀に輝く糸が至るところに張り巡らされたハクの巣まで、我々は何事もなく無事に戻って来られた。まるで糸の森に迷い込んだような、そんな不思議な気分にさせるハクの巣には、拠点である保育園にたどり着くための正確な移動経路が存在していて、その道を
巣を迷路のようにしたのはハクだったが、それは特別に私が頼んだことではなく、巣を迷路のように作るのは〈深淵の娘〉の習性なのだと聞かされた。なんでも〈深淵の娘〉たちは巣に迷い込んだ獲物が、死ぬまで巣のなかを
■
拠点への正確な経路は私とミスズ、それにヤトの一族だけが知っていた。
ハクの背中から降りて糸が張り巡らされた通りを歩いていると、道中でミスズとナミが率いる部隊に出くわした。ナミの部隊はヤトの若者たちで編成された男女五人組の隊で、一様に美形でスタイルも良かった。
それが〈ヤトの一族〉の特徴でもある。
〈混沌の追跡者〉と呼ばれていたころは、みすぼらしい布で顔を隠すくらいには自分たちの
ヤトの一族に起きた変化は――気持ちに生じた変化も含めて、いいことだと考えていた。彼らは〈混沌の意思〉なるものに
■
「ご苦労さま、ミスズ」
ミスズに声をかけると、ヤトの戦士たちは私に向かって両拳を合わせる。私も彼らの調子に合わせて、同じく胸の前で両拳を合わせた。一族の側には、青い顔をしてハクを見つめている茶髪の青年がいて、彼は結束バンドで手を縛られ地面に座らされていた。
「おかえりなさい、レイラ」と、ミスズは花が咲いたような笑顔を見せた。
「ハクもおかえりなさい」
『スズ、ただいま』
ハクは長い脚でミスズを抱き寄せると背中に乗せようとした。
「待ってくれ、ハク」と私は慌てる。
「ミスズと話があるんだ。遊ぶのは少し待ってくれないか?」
「大丈夫だ、レイラ殿」と、ナミが大きな胸を張りながら言う。
「私が連中について説明する」
『スズ、ダメ?』とハクは言う。
私はミスズを見て、それからハクに視線を向けた。
「いいよ、遊んできな。でもまずはミスズが遊んでくれるか聞いてくれ」
『スズ、あそぶ?』
「遊びましょう。でも少しだけですよ」
ミスズの了承を得ると、ハクはミスズを背中に乗せる。ハクは嬉しいのか、地面をべしべしと叩くと、ミスズと一緒に拠点に向かった。
「それで、そいつの依頼主が誰なのか分かったのか?」
「依頼主は分からないそうだ」とナミが言う。
「わからない?」
「なんでも、依頼は組合と言うところを介して行われていて、依頼主は組合に聞かなければ分からないらしい」
そうだよな、とナミは
青年はナミに見つめられてビクリと驚いたが、何も言わなかった。
「レイラ殿の質問に答えろ」と、ナミは
私が溜息をつくと、ヌゥモが前に出た。
「止めろ、オンミ・ノ・ソオ。拷問をする必要はない」
「けど……」とナミは言う。
「ナミ」と私は落ち着いた声で言う。
「人間はヤトの一族と違って
「ショックで死ぬ?」と、ナミは綺麗に整えられた眉を八の字にした。
「ああ、ナミが今まで見てきた異界の人間と、この世界の人間は同じじゃないんだ。彼らは魔法やら奇跡を使って
「でも〈深淵の使い手〉は素晴らしい戦士だ。ミスズにペパーミントも、それなのに他の連中は違うのか?」
「ミスズは特別な訓練を受けているし、ペパーミントはそもそも〈人造人間〉なんだ」
「人造人間?」
「とにかく、拷問の必要はないんだ。そいつは話せることをもう全部話したんだろ?」
「おそらく……」
「なら蹴飛ばす必要はない」
私は倒れたまま動かない青年を見た。蹴られた衝撃で後頭部を打ったのだろう、青年は頭を押さえて
『戦闘訓練の前に、ヤトの戦士にはこの世界の常識を教えなくちゃいけないね』
カグヤの言葉に私はうなずく。
〈混沌の追跡者〉だったヤトの一族にとって、人間は狩られる獲物でしかない、だから人間を丁寧に扱うという
『この青年は他に何を話したの?』と、カグヤはナミに訊ねた。
「女神さまの声が聞こえる!」
ナミは驚いたように言うと、周囲に視線を向けた。
『女神じゃないよ。カグヤだよ』
「でもカグヤさまは空にある宇宙という場所から、我々に話しかけているのだと聞きました」
『けど女神ではないよ』
「そうなのですか?」
「オンミ・ノ・ソオ」と、ヌゥモの声には怒気が含まれていた。
「聞かれたことに答えればいいんだ」
「そうか?」と、ナミはあっけらかんと言う。
「えっと……たしか、組合には二通りの依頼があったみたいだ。レイラ殿の調査と、襲撃を前提とした戦闘行動」
「依頼は同じ所からきたのか?」
「そうだ。組合は多くの依頼料が得られる襲撃依頼を優先したみたいだ。そいつは死んだ連中と一緒に、襲撃の事前調査を引き受けたと言っていた」
「それは彼らの死因と何か関係があるのか?」
ナミは腕を組むと、思い出したように言った。
「たぶん組合に貰った栄養剤だとか言っていた」
「その青年はそれを飲まなかったのか?」
ナミはうなずくと、ベルトポケットから小さな瓶を取り出した。
「これがその栄養剤だ」
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